「黒い雨」控訴、国主導で県と市を巻き込んだずるくて無慈悲な今回の控訴・・・
あまりの出来事になんと言ったらいいのか、すぐには言葉が出てこなかった。
被爆者である原告たちの長く長く苦しい戦い、それを思うとなんと言ったらいいのか?
私は昭和20年2月11日の生れ、それから75年、自分のこの75年間と同じ間、被爆者の方たちは苦しみぬいてきたのかと思うと、その長い苦しみは想像すらできない。
なのに国と県と市は、被爆者の皆さんにさらに過酷な歳月を重ねさせようとするのか?
原告のみなさん一人一人の次のような声は何もしてこなかった自分の胸に突き刺さってくる。
「命には限界がある。先延ばしすることでそれ(亡くなること)を望んでいるのではないか」(原告団の高野正明団長82才)。
「ああ、だめなんじゃ」。「これで終わりじゃなかった。(勝訴は)ぬか喜びやった」。「判決が出るまでに時間がかかれば、体は動かなくなる。みんな後がないんよ」(原告の沖昌子さん79才)。
「悲しうて。なんとも言えません」(原告の新庄竹子さん84才)。・・・以上は「朝日新聞」8月13日版より。
安倍首相や国の行政を担う人たちに問いたい。
「あなた方は国の権力を担うものとして、この国民の苦しみの叫びをどう受け止めているのか?」
コロナ禍や森友学園問題などでも痛感してきたことだが、最近の日本の国家はおかしくなっているのではないか。
国家の権力というものを扱っているという重みや責任(重責)を誰が考えているのか? 首相か? 菅官房長官か?
あなた方のあまりにも安易で無慈悲な国家権力の行使によって、足元で国民がどんなにあえいでいるのか、考えたことがあるのか??
だが、しかし、
問題には表があれば裏がある。
権力者の横暴が一番の問題だが、同時に自分の側にも問題があると考えさせられる。
どんな状況でも自分にできることもあるんだと。
自分が何もしてこなかったから安倍や管などの権力者たちが国民を足蹴にしてきたのだ!
被爆者の苦しみや悲しみを思えば、自分にできることはまだまだある。
まず、広島に行ってみること。家族や友人に声を掛けて、一人でも多くの人と。
とんぼ返りではなくじっくりと。
75年もの間に、自分たちは本気で広島と向き合ってこなかったと思う。
だから為政者たちが好きなようにやっている。