今日は総選挙。しかし、自分には納得できないものがあります。
特に疑問なのはマスコミの報道姿勢、その中でも、長年愛読してきた「朝日新聞」の報道姿勢です。
もちろん、自分達のやってきたことを棚に上げて相手の批判ばかりしている〇〇太郎君を支持するわけでもなければ、ノリピーとやらの報道に血道をあげているテレビ各局の報道ぶりに感心しているわけでもありません。
期待すればこそ、朝日新聞などをはじめとする識者諸兄にモノ申したいのです。毎日毎日、昼も夜も、仕事に追いまくられているだけの凡人のたわ言にすぎないかもしれませんが、少しでも、今の日本が良くなることを願って、一言申し上げます。
[Ⅰ] 2009年8月29日付けの「朝日新聞」への疑問
今日の未明、2時間ほどかけて「朝日」をじっくりと読みました。(ここ10日ほどは、毎晩1時間は「朝日新聞」を主に、地元の「山形新聞」と「日経新聞」を読んでいます。) そこで感じた疑問を幾つか上げてみましょう。
① 中味というよりも、「朝日」の報道姿勢に疑問を感じたのは、次のような記事でした。その一つは。
4面「発言録」の舛添厚労相演説「(海賊から自国の船を)よその国に守らせて、我が国が尊敬を受けるとは思いません。我々自民党・公明党は外交政策、しっかりとした一本柱を持っています。野党(民主党)の諸君、昔で言えばソ連と手を握るような共産党みたいな連中と(連立)政権結んで、アメリカとの関係どうなるんですか。」
・・・これを、実際にあった発言だからとそのまま掲載することが“真実の報道”でしょうか?
麻生首相の発言ぶりにも呆れますが、国政に責任ある大臣が、相手を批判するためなら何を言ってもよいのでしょうか? 野党に転落した時、政権を奪還するためなら黒も白と言わんばかりに、当時の社会党と手を組んで村山政権を作ったのは自民党だったじゃないですか。その反省もなしに、前記のような発言を繰り返す!
私には、その発言の中身よりも、その節操のなさに呆れます。
また、こんな発言を、何のコメントもなしに垂れ流す「朝日」の報道姿勢にも疑問です。
② 16面の漫画は、野球のベンチに選手があふれ、鳩山代表に似た監督らしき人物が「じゃま!」という叫び声で、ベンチから放り出されているひとコマ漫画です。
「『それが心配』 320人もベンチに入ってきたら どうなるんだろ!? 」と題されています。
これは風刺漫画として、何を言いたいのでしょうか?
民主党が勝ちすぎたら鳩山代表が放り出される、「それが心配」? ということでしょうか?
真剣に選挙の投票を考えている多くの国民を揶揄してませんか。
「投票に行ってもしょうがないよ。どうせ民主党が勝つんだし、勝ってもいいことないんだから…」などと、示唆していませんか。
風刺漫画にこそ、鋭い権力批判と民への愛情を期待する私は時代遅れなのでしょうか。
③ 4面の記事、「鳩山氏寄稿『米主導の市場原理で尊厳喪失』…米専門家が批判」の内容も以前の「朝日」なら考えられないような記事ではないでしょうか。
鳩山氏がニューヨーク・タイムズに寄稿した「米国主導」から「アジア中心」を唱える論文に対して、アメリカの専門家たちが批判的意見を言っているというものですが、そんなことは当たり前でしょう。よく言うアメリカの専門家が多いわけはありません。
素人の私が考えるに、こういう記事を掲載するときは、逆の立場の人たち、すなわちアジアの専門家たちの意見も取材するのが“真実の報道”というものではないでしょうか。
「朝日」は取材の手を抜いて、安上がりな報道に走っているのではないですか?
④ こうした手抜き記事は、他にも散見されます。
17面には、私の尊敬する星浩編集委員が「民主党の子ども手当をはじめ『やるやるリスト』は示されたが、800兆円にも達する財政赤字をどうするかといった深刻な問題への処方箋は示されていない」と書いています。
この記事の中味にいろんな意見があるのは当然としても、私がマスコミ人としての最低の倫理観を求めるのは、この「やるやるリスト」という表現です。
政府与党である自民党の財源論を分析するどころか、野党の政策を「やるやるリスト」と茶化してしまう。こう言ってしまったら、民主党の子ども手当の中味を検討する必要は無くなるでしょう。入り口で切って捨てるやり方ではないでしょうか?
「政策の論争を」と言いつつも、こんなレッテル貼りを行うのは星さんらしくもないことと思いますが、いかがでしょうか?
同じ17面の作家高村薫さんの論文「はけ口求める不安 皮膚感覚に背く成長依存の枠組み…」の中で、高村さんは財源問題について次のように述べています。
「国と地方合わせて800兆円もの長期債務を積み上げた与党が胸を張ることではないし、政権を取ったことのない野党に要求することでもない。まずは、一般会計と特別会計の財務内容の総点検と情報公開が先であり、私たち有権者としては、予算編成も財政再建もそこから始まると考えてよいと思う。…」と。
変にレッテルを張るよりも、ずっと、「成るほど」と納得させるものがあるのではないでしょうか。
⑤ 3面の「地殻変動 自民・民主の『成長』海外注視」との囲み記事にも驚きです。
自民の「閣僚経験もあるベテラン政治家」と、民主党の「薬害訴訟の原告として知られる若い女性候補」とが激突する長崎2区に関して、次のような論旨の展開をしています。
海外メディアの宋さんの意見のようにして。
「旧来型の政治家として率直に語る(自民党の)久間氏に宋さんは好感をもった。」「(民主党の)福田氏には勢いがあると感じた。『今回は民主だ』と多くの人がカメラに向かって語った。その根源を探ろうと、25日には福田氏に突撃取材を試みたが、陣営から断られた。」
そして、この事実だけで、「宋さんは、こう言葉をつないだ」となっていく。「硬く、慣れていない政治。それが政権交代後の日本の政治にならなければいいが」。
日本の理性と謳われた「朝日新聞」が、どうしてこのような論理の飛躍、浅はかな結論に至ってしまうのか、不思議でなりません。選挙終盤のぎりぎりの時に、「突撃取材」に応じられない時もあるでしょう。薬害患者なのですから、疲れ果てていたのかもしれません。
取材に応じなかったというだけで、それ以外の何の根拠も示さずに非難する…、これが、大きな影響力を持つ大新聞の取るべき態度なのでしょうか。お粗末というか、マスコミの驕りではないでしょうか?
⑥ 3面の「総選挙 あす投票」と題した「社説」も疑問です。
以前の「朝日」なら、何か勉強になるものがあったように思います。
ところが、この歴史的と言ってもよいほどの総選挙の前日の「社説」が、分かりにくいの一語。
本当に思っていることをベールに隠しながら書いているとしか思えません。そしてよーく読むと、「総選挙だからとて俄かに馬鹿騒ぎをするのは不必要のことだ」、もっと冷静に、「政権交代を望む。でもそれだけでは…。政権が暴走しそうな時の歯止め役になったり、市井の小さな声を丁寧にすくい上げたりする勢力も必要だ。…」との趣旨のようです。
先ほど取り上げた17面の星浩編集委員の「政治コラム」にも同趣旨のことが書いてありました。
「改革クラブ」の荒井参院議員の、「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすいことがよく分かる」という発言を借り上げながら論旨を展開しています。
だが、しかし、もし「馬鹿騒ぎ」になっているとするなら、その半ばの責任は「朝日」をはじめとする報道人が負うべきではないでしょうか? 前回もそうでしたが、今回も、総選挙にあたって報道人は何をなしたのか!
その世論に対する問題提起の足りなさこそ猛省されるべきなのではないでしょうか?
[Ⅱ] 取り上げてほしかった選挙の論点
① いつ始まるかと、連載記事を楽しみにしていたのが「戦後64年間の振り返り」でした。私の知る限り、ずっと取り上げられなかったようです。
戦後の歴史は、激動の戦後でもあっただけでなく、多くの教訓に満ちた日本人の財産ではないでしょうか。
戦争と平和について。世界と日本の連環について。「自社対立の55年体制」の功罪について。総評を中心とする労働運動は高度成長を妨害したのか…など、今日的な多くの教訓があると思います。
戦後日本の60年余は、工業と農業、都市と農村の“対立と連環”をも教えていると思います。
現在が大きな歴史的転換点にさしかかっていることには、多くの人々が異論のないことでしょう。ならば、政党のマニフェストを比べて欠点を指摘するだけで報道人の役割を果たしたと言えるでしょうか?
否、です。
私が最も恐れるのは、4年前の結果は裏切られたと感じている人々が、もし、今回も裏切られたと感じたなら、その先には何が待っているのか…?
一気に社会は激動に向かわないのか? そして、現状の日本を考えるなら、激動は、外国人排斥などを掲げて日本的なファッショに向かわないのか…と。
だからこそ、みんなの力で生活を改善できるんだ、という成果を挙げなければならないのではないでしょうか。それが今回の総選挙とその後の課題ではないでしょうか。
「朝日」などの報道人には、こうした歴史的な視座からの問題提起も必要なのではと思えてならないのです。
また、社会を“暴走”に陥らせないためには、曲解や暴言、歪曲による誹謗・中傷を許してはならないと思います。それこそ、冷静な事実にもとづく議論が必要であり、それをリードする大切な一つの役割が新聞・テレビではないでしょうか。
② 少なくとも、民衆の体感温度に共感し、根源を極めることが必要です。
そうであれば、前述の[Ⅰ]ー⑥の星浩編集委員が取り上げた「前回の総選挙は小泉劇場ブーム。今回は政権交代ブーム。日本人は雰囲気に流されやすい」との荒井参院議員の話は的外れ、となるのではないでしょうか。
「雰囲気に流されやすい」のではなく、どうしようもないほどの生活苦と生活の不安、これが私たち民衆の心を揺さぶっているのです。
4年前は、「自民党が変わる」ことに期待したのです。今回は、「自民党ではだめだ」と民主党に頼ろうとしているのではないでしょうか。
私は、「保険相談所」という看板を掲げ、少しでも多くの人の役に立とうと、毎日、普通の人の家をまわっています。ご家族と、膝づめで話す機会も多い仕事です。それだけに、一人ひとりの苦悩や不安が痛いほど伝わってきます。
もちろん、明るい話もあります。昨夜は、訪問したお宅の21才の息子さんが「今月、結婚するんだ。彼女の車の保険のことだけど…」と相談してくれました。私まで、心の中がほのぼのとなってきました。
でも、明るい話題は少ないんです。
おとといも、30才過ぎの奥さんから「いろいろ考えて、会社をやめたんだ」と聞かされました。会社の先の見通しがなかったようです。同じく30代の他の女性からは「建物関係の、何か仕事ないですか?」と電話がありました。営業でもないのに、会社から「注文を取ってこい」と責められているとのことでした。彼女の人となりからして、私のところまで頼んでくるのは相当に困ったからのようです。
東京の大きな会社に勤めている人たち、ましてや大新聞社の幹部などの年収1000万、2000万もの人たちには分からないでしょうが、地方の普通の人たちにとっては、500円1000円でも大問題なのです。ですから、自動車保険料が年間1000円も上がったら、まず半分の人は「何故なんだ?」と不信感をもって責めてきます。
ここ最近は、「お金がかかるから、子どもの病気では医者に行くけど、自分は行かないようにしてるんだ」と、若いお母さんたちに言われます。
なんと悲しいことでしょう。こんなことがあってよいでしょうか?
エライ人たちのみなさん! 想像してみてください。狭いアパートで、少しくらい熱があっても医者にも行かずに、小さい子どもの世話をしているお母さんたちの情景を?
「子ども手当の財源はどうするんだ…」などと言うまえに、こういう若い家族の実情に眼を向けてほしいのです。他を削ってでも、みんなで若い夫婦を応援する時ではないですか!
「風」や「ブーム」などではありません。多くの人たちの苦しい生活の現実があるのです。生活の現実の重みに押し出されるようにして、4年前は「小泉改革」に、今回は「政権交代」に望みをつなごうとしているのではないでしょうか。地底のマグマが胎動し始めているのかもしれません。
「朝日」も「地殻変動」と言うのなら、総力を挙げて、その根源を分析してほしいのです。
09年8月30日 記
?追記? 8月30日の記述には、時間が不足してしまったために舌足らずな点や分かりにくい点がありました。9月3日未明に一部加筆修正しました。「総選挙の論点」については、特に、農村と都市、農業と工業・商業の問題については、近日中に私見を述べたいと思い、別建てに変更しました。