3.11は何を教えているのか?
何度か、このブログにも書いてきたことですが、私は「3.11で自分たちは変わらなければならない」と思うようになりました。特に、あの大川小学校(石巻市)跡に立ちつくすたびに胸をかきむしられます。
なんの罪もない多くの子どもたちが、濁流の中でもがき苦しみながら生命を奪われていったこと、そして大人たちの努力や判断次第では救われたであろう多くの子どもたちの生命・・・。
だがしかし、責任を問われる大人たちとは、他人事ではないと思うのです。
まして普段から「リスク・コンサル」を仕事の柱に据えている保険業界・保険代理店の一員としては、「もっと自分たちにできることがあったんだ!」と責任を痛感せずにはいられません。
このブログのプロフィールにも書きましたが、「亡くなった多くのひと、ひと、ひと・・・の遺志を継ぐとは、自分のまわりにある危機と対峙することだと決意しました」。
そんな思いで毎日を過ごしている自分にとって、「これだ!」と共感するものがありましたので、ここに紹介します。
朝日新聞2015年5月28日号の「プロメテウスの罠」という連載記事です。
「たらちねの母(14)・・・砂まみれだって安心」とのタイトルで、沖縄県久米島の福島の子どものための保養施設、NPO法人「沖縄・球美の里」のことが載っています。そこの調理師 Gさんのことが紹介されていました。
Gさん(40)は「岩手県大槌町出身。東京のレストランに勤めていた時に東日本大震災が起きた。翌日バイクで実家に戻ると、がれきの間から遺体がのぞき、まだ生存者もいた。助けたくても助けられなかった。『地獄絵だった』 人生観が一変。自分と家族のためだけでなく生きたいと思うようになる。ネットで調理師募集を知り、昨年6月、久米島に来た。『将来、子どもたちが頑張って生きていくために、少しでも役に立てたら』 」(Gさんのお名前は新聞では報道されているのですが、ここでは匿名にしました。)
短い記事ですが、「3.11は無駄にはなっていない」と強く励まされました。
同じように共感した方も多かったのではないでしょうか。