安倍談話で最も気になったのは、この「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という一節です。
「えっ何を言ってるの?」と驚き、「これが首相の本音か!」と情けなくなった。
戦後70年に対して、私は首相とまったく違う感慨を持つ。
中国侵略や第二次世界大戦によってアジアなどの多くの国々の民衆に巨大な惨禍をもたらし、また日本の国民に対しても沖縄や広島・長崎の原爆など巨大な犠牲を強いた。それは拭い去ることのできない日本の国の歴史的事実であり、日本の国民が考究し続けるべき歴史的課題ではないでしょうか。
これは安倍首相にとっては、できるだけ直視したくない、早く忘れたい負の遺産に違いないようです。だから「謝罪」は重荷なのでしょう。だから「子や孫・・・に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」となるのです。
私は昭和20年2月に生まれました。安倍首相流に言えば、ほぼ「戦後」、「戦争には何ら関わりのない世代」です。
しかし私は、過去の日本の侵略戦争という過ちを、一生、自分のこととして受け止めていくつもりです。中国や韓国・朝鮮、アジアの人々に謝罪を続けることは、日本が二度と同じ過ちを繰り返さないために努力を続けることでもあります。そして、日本が、自分の国が、少しでも戦前の道に迷いこもうとしたときには声をあげ、手を上げていく意思表示にもつながっていくのではないでしょうか。
戦前の日本の誤りは単なる「負の遺産」や「重荷」ではなく、私たちにとっては大きな教訓という“歴史的財産”だと思うのです。歴史的財産の核心が平和憲法です。安倍談話では意識的にか、無意識的にか、戦後の平和国家日本の核心である平和憲法を無視しています。
戦前の誤りを直視し、国内外の多くの犠牲者に謝罪し続ければこそ、戦後日本の原点でもある平和憲法にますます誇りと確信をもつことができるのではないでしょうか。
武器や戦争ではなく、平和憲法というかけがえのない志に胸を張って、世界の諸国民に手を差し伸べていきましょう。
安倍首相は戦争の歴史的事実を歪めたり、ことさらに眼をつぶって無視しようとしています。非を非として認められない安倍首相の心の狭さは、悪は悪であると同時に善に転化するという歴史の弁証法を知らないからのようです。