2015年3月8日、石巻の大川小学校跡に立って子どもたちにお詫びの気持ちを伝えてきました。
大地震が来るぞ!
30年以内に90%の確率だって!
大地震には大津波の危険があるんだ!
・・・何年も前から、なんどもなんども、同じことが叫ばれてきて、それでも君たちを助けられなかった!
巨大津波にそなえる避難訓練もなかったのか?
校庭に隣接してすぐに裏山があったのに、なぜ避難誘導ができなかったのか?
私たち大人の愚かさのために、若い多くの尊い生命を失ってしまった。
(大川小跡の慰霊碑、後ろが小学校の残がい。ここに子どもたちの歓声があった・・・)
(小学校の校庭に隣接していた裏山、子どもたちが「先生、山に逃げよう」と叫んだとのこと。どんなにか無念!)
毎年、ここに立ちつくすたびに教えられる。
初めは君たちの犠牲の重さに打ちのめされた。
そして裏山の際(きわ)や川の中を捜し続けているご遺族とその友人知人らしき人たちの背中に・・・。
私たち大人のふがいなさに胸がかきむしられる思いになった。
だから自分たちの町を見まわしてみた。
内陸部の盆地なので津波はないが、山(月山)の上にある巨大ダム(最大容量1億900万トンの寒河江ダム)の決壊が心配になった。
自分は自分の周りのこの巨大な危険と、これから一生闘い続けることにした。
これは君たちが教えてくれたこと。
次かその次の年に、君たちの苦しみをまったく実感できていなかったことにはっとなった。
君たちは海の中で、どんなにもがき、ひどい目にあったことか。
住宅の残がいや車に叩きのめされていたのではなかったか?
「おかあさーん」と叫ぶことすらできずに生命を奪われていったのではなかったか?
今年、強く考えさせられたのは、自分が他人のために泣くことができない人間なのではないか・・・ということだった。
君たちのところに来るたびに、いろんなことを教えられる。
頭が下がる。
君たちの死を、決して無駄にはしないことを誓う。
(子どもたちのいない学校だからこそ、静かに、しかし強烈に、子どもたちが訴えてきます)
半年ほど前から、朝と夜、「般若心経」を唱えるようになりました。
今年はじめて、あなたたちの霊前に般若心経を捧げました。
来年はお経を見ないで般若心経を捧げられるようになってきます。
(2015年3月15日 記、東海林正弘 )