この本のカバーに次のように書いてあります。
「大津波の現場は被災者の数だけあるーーー。
発生からひと月を経て開始された『河北新報』の連載企画『私が見た大津波』を書籍化。
大津波の被災体験を絵に描き、伝え残す。
宮城県から75編、『心の現場』の再現記録。」と。
被災者の生の声を聞きたいとの思いから、この本を手にしたのでした。
あれほどの苦難や絶望に打ちのめされながらも、被災者おひとりおひとりの文と絵は、予想よりもずっと落ち着いているように思えました。
しかし読み進むうちに、この静かな叫びこそが、言い表しようのない被災者本人の訴えなのだと気づかされたのです。
石巻市の女性は書いています。
「門脇小に通う長男(9歳)、長女(8歳)と、次女(5歳)は避難して無事でした。でも、夫は子どもたちの避難を確認した後、仕事で油まみれの作業着を着替えようと家に戻ったまま、行方不明です。」
一見、たんたんとした語り口の中に、どきりとするのです。
生き残った人も、紙一重で生き残ったのでした。
東松島市の女性は書いています。
「思えば、津波に襲われる30分ほど前に(避難していた小学校から)『もう帰ろう』との声も出ましたが、『あと30分待とう』と呼び掛け、学校に踏みとどまったことで、私自身も命拾いしました。あのとき、車で帰っていたら、どうなっていたか分かりません。」
みんなが、必死で助け合ったことも教えられます。
女川町の男性は書いています。
「水が役場の4階ベランダに迫ったため、はしごを登って塔屋に避難しました。お年寄りを引っ張り上げ、車いすの女性は消防ホースでつり上げました。」
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ぜひ読んでみて下さい。そして感じたことなどを教えて下さい。