怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

家族7人の中で、働き手は「おばあちゃん」一人に?

2010年01月27日 | 世の中これでいいの?

夜の3時、もう遅いので、書こうか書くまいかと迷った。でも、明日にしようとしたら、明日も書けないかもしれない。

今日思ったことを今日のうちにと、書き始める。

   

あまりの過酷さにショックだ。今の日本はどうなってしまったの?

今晩(正確には昨夜になってしまった)契約に伺ったお宅でのこと。いろいろと話す中でウーンとうなってしまった。

「どうしたらいいんだ…?」。

ご夫婦のところに若夫婦とお孫さん3人が同居、外側からは幸せいっぱいのように見えた。しかし実際は、この数年、リストラの嵐に、ご家族のそれぞれが翻弄されてきたようだった。

ご主人は定年(?)退職。奥さんは仕事はあっても「サービス残業」の毎日。息子さんはリストラで「自主退職」に。お嫁さんは「結婚退職」に。

(注意してほしいのは、「自主退職」と言い、「結婚退職」と言っても、そのほとんどは「働きたいが働けない」ための退職で、本当の自主的な退職ではないということ。)

この数年で、今や「一家の大黒柱」が奥さん一人になってしまったのだ!

   

自動車保険の契約に伺ったのに、奥さんが最初に言い出したのは

「住宅ローンの借り換えが、今は得なのかしら?」ということだった。

「あれえー?」と思いつつも、「今の金利は…」などと話し合った。

「明日にでも手続きをしてきたい」ということだったが、後になって「無理もないなあ」と思い知らされた。

自動車保険の手続きを含め、1時間半ほど話し合った最後は、

「ひどい世の中だねえ。働いてる人も大変だし、職を探す若い人も大変だ」 「ますます悪くなっている…」と、奥さんと二人で嘆いて終わってしまった。

    

でも、思う。

今、読んでいる『水滸伝』は中国の宋の末期の話だが、そのころと同じような世相ではないのかなあ…と。

その国が、多くの国民に生活も、安心も提供できないとしたら、その国は末期症状に陥っているのだ、と。

コメント

雪道で転倒し、「内藤選手みたいに」

2010年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

もう、右目が半分くらいの視野になり、ぼんやりしか見えない。

外科に行ったら、医者に「ボクシングの選手みたいだ」と冷やかされた。

右目の上、眉のあたりが内出血で腫れあがり、右目の半分くらいまでかぶさってしまった。

結構ひどい有様に。

     

1月22日夜、山形市内で保険代理店同士の新年会があり、9時半ころ打ち上げて、ラーメンを食べ、10時半の汽車で帰ってきた。

寒河江に着いたのが11時。タクシーに乗ろうとしたが、私の前でタクシーは終わり。来るのを20分ほど待ったが、来ない。

タクシー会社に電話をしたら、「今、行ける車は無い」と素っ気ない返事。

「いつも使っているのになんだ! 何分後にとか言えないのか」と腹を立て、タクシーはないかと駅前まで歩きだした。

ところが、そのタクシー会社の前を通ったら、タクシーも運転手も2台ほどいるじゃあないか!

「なんだ、乗るもんか」と、車を探してさらに駅前通りへ。

歩道沿いの鎖を越えようとして、雪と長靴という悪条件のせいか、酒のせいか、はたまた年のせいか、鎖に足を取られ、ステーンと前に転倒!

    

顔面からは血が流れ、左手の甲を打撲、メガネは折れ曲がり…と、惨憺たる有様に。寒いのでポケットに手を入れていたのも悪かった。

救急車を呼ぶほどでもなく、またカッコウも悪いしと、それから約40分、冬の夜道を自宅までてくてく…。

楽しい新年会だったが、辛い年を象徴するような出足となったのも事実かな?

  

教訓、①寒河江でタクシーに乗る時は、待っていても来ない、電話で呼ぶこと。1社だけでなく、2社を携帯に登録しておくこと。 ②雪の夜道、まして呑んだときは、絶対に歩かない。 ③冬は手袋をして、ポケットに手を入れないで歩く。 ④駅前の歩道沿いの鎖で転倒している人は私だけではなかった。若くても、冬でなくても、転倒し大怪我に。3軒で話しただけで「うちの娘も…」と。 ⑤寒河江市は駅前の歩道沿いの鎖の安全の確認をすべきだ。まず、怪我している人がどのくらいいるのかの調査を。意外と多いんじゃないの?

コメント

まず検察こそ説明責任を! ・・・小沢一郎の政治資金問題に思う

2010年01月19日 | 社会・経済

常に「わが道を行く」を信条とする者にとって、最近の検察、マスコミ、政界の動向は大いに疑問。

おいおい、おかしいんじゃないの?

   

ⅰ、「説明責任」が叫ばれている。一般的には悪いことではないから、誰でも言いやすいし、誰もが反対しづらい。しかし、ちょっと待てよ。

戦争の時もそうだったろうが、みんなが言う時は危ういぞよ。ちょっと、自分の頭で考えてみよう。

「説明責任」はいい、しかし、誰に、何を求めるかは問題じゃないの?

第一に求められるべきは検察の説明責任ではないのか!

何のために、どのような犯罪容疑で、国会議員を逮捕したのか、を。

小沢氏の説明責任は、この次の問題ではないのか。

権力を使って、国会議員まで逮捕した側が、その理由を国民の前に明らかにしていない。これは異常なことではないのか。

通常なら、警察でさえ、記者会見などで逮捕に至る経緯や理由を公表するのではないか。それなのに、こんな重大事態に、検察は、国民に向かって、何の説明もしていない。

おどろくべき検察の横暴である。

   

ⅱ、なのに、権力に対して批判的精神を堅持すべき新聞、テレビが、小沢一郎には「説明責任」を叫びながら、検察に対しては何の説明責任も求めていない。それどころか、

逆に、検察の流す情報を、大声で世間に広めている。

マスコミが、小沢一郎という時の権力者を批判するのはいい、しかし、もう一つの権力である検察の「お先棒」を担ぐのでは情けない。

マスコミの記者諸兄姉に問う。

あなたがたの記者魂はどこにいったのか? 

その批判的精神は何処に? 

本来、マスコミは自らの調査報道を基本としていたのではないのか?

無批判に、検察情報をスピーカーのごとく喚き立てることを恥と自覚してほしい。

本当は、検察が政治的すぎるのではないかと疑う。

「巨悪はここだ」と見込みを立て、徹底的な見込み捜査をすすめ、その包囲網造りにマスコミなどを通じて世論を誘導する。

表だって説明責任を果たさなければ、自らの行為責任も問われないということか?

   

ⅲ、自分の肩の上にあるのは自分の頭?!

若い時、勉強会で、私の尊敬する先生によく言われたのは、「自分の肩の上に自分の頭を」ということ。

これは、第二次大戦という未曽有の惨禍を体験したからこそ言いたかったのではないか。

無批判に社会に迎合するなかれ、と。

戦争への奔流に逆らうのが、いかに難しいか。

奔流となる前に、多くの人々が批判的精神をもって社会の健全性を守り、強めていかなければ・・・と。

小沢一郎を批判するのも結構。しかし、社会の流れに呑まれて、口うつしのように「小沢の説明責任を」などと言うだけでは、あれっ、あなたの頭は自分のモノ?・・・と疑われてしまうのではないか。

2~3日前のテレビで、ジャーナリストの江川紹子さんが言っていた。

「東京地検がすべて正しいかのように報道されているのは疑問だ」「過去にも、福島県知事の問題など、大きな問題として騒がれても、裁判など後になるにつれて、どんどん小さな問題になっていった事件が幾つもある」と。

「さすがー、江川さん」と、拍手しました。

だって、そうでしょ。時々問題になる冤罪事件、あれは警察が問題にされているが、一番の責任は検察にあるはず。検察だって間違うんですよ。

こういう風に、大勢とちょっと違う人が居てこそ民主主義が成り立つと思うのです。

   

ⅳ、「取り調べの全面可視化」

地方紙の一つ、山形新聞1月18日版に、次のような記事が載っていた。

石川容疑者の弁護人が「石川容疑者に対する取り調べ全過程の録音・録画(全面可視化)などを求める申し入れ書」を東京地検や法務省に送付した…と。

へたな「説明」よりもこれはいい、と思うのは私だけ?

検察庁情報の喧伝に忙しい朝日新聞などは、なぜか、この記事を掲載していないようだ。私の見過ごしでなければだが。

国民も、私も、本当のことが知りたいのだ。

   

ⅴ、蛇足

こんなに検察やマスコミを批判したからと言って、私を捕まえないでくださいね。

この前、つい、急いでいたのでスピードをオーバーしたかもしれません。

運転中、携帯が鳴ったので「はいはい」と、ちょっとだけ電話に出ました。だって、お客さんからの交通事故の連絡かもしれないのですから。

やっぱり、検察や警察が、国民になんの説明もなく、逮捕などを行う社会になったら怖いんですよ。

みんなで監視するというか、国民が検察や警察を統治する、それが本当の民主主義ではないのかなあ。政治権力も、国民が選挙で決めているように。

コメント

雪の最上川・・・厳しさと美しさ

2010年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

運動不足の解消のために、17日の午後、近くの最上川ふるさと公園に行きました。

寒がりの妻も、しっかり防寒して出てきました。

風もなくいい天気で、それに冬らしく顔が痛くなるほどの寒さで、いかにも冬景色の最上川に出会う事ができました。

ちょっと写真を。

20100117

これは蔵王連峰の方角、南方向の写真。妻が真っ白な、輝く雪に喜んでいるようです。

  

20100117_2

北の方角の写真、右手の方向には月山があります。雲で見えませんが。

冬の最上川です。でも、光は春を遠く感じさせる柔らかさがあります。

うれしいひと時でした。

除雪など、雪の苦労も多いですが、でも、自然の豊かさに恵まれているなあと感動します。

コメント

遅いけど、年賀状です

2010年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

    

明けましておめでとう

    

? 保険の仕事を通じて、保険の要らない社会(無くなることはないでしょうが)を目ざします。

      

? 学校を出たのに職がない、年をとったら行き場がない・・・、こんなことはあってはなりません。 

   

? 不安だから保険に入る。でも、もっと負担を減らさなくちゃ。

   

? 今年は、多くの人や社会の役に立つ働き方を考えていきます。

        2010年初春

     (有)保険相談所 所長 東海林正弘

   

コメント

年賀状、ようやく完了です

2010年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1月7日の午前4時、ようやく年賀状書きが完了だー。

大晦日の夜から作成にかかり、年賀状ソフトがパソコンから消えているのにがっくり。

1日の昼には東京行きの電車に乗らなくては…と、あわてたがソフトは行方不明。

正月には、東京に居る子どもたち(4人の子どもたちとその家族、娘のお腹の子を含めて全部で11人とワンコ2匹)と会うために、毎年1~3日は東京滞在。これはにぎやかに楽しかったのですが、年賀状どころではなし。

4日に戻ってきても、読みかけの北方謙三の『水滸伝』に心をかき乱され、なかなか進まず。

そしてようやく、今、完了。

カレンダー配り800本、年賀状530枚、私の年の瀬は、これでなんとかかんとか過ぎてゆき、さあ除夜の鐘だー、こんな感じかな?

   

毎年恒例となってしまった「遅れ遅れの年賀状」、明日、最後の分を投函します。

一生懸命に考えて書いたものなので、遅いけど、読んでみてください。そして何か感じたら、感想やご意見をお願いします。

なお、地元の寒河江市中心にしましたので、届かない方はごめんなさい。

コメント