10月14日、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に行ってきました。東日本大震災関連の特集「ともにある Cinema with Us」に関心があったからです。
「つむぐ―閖上(ゆりあげ)中学校 その言葉の記憶―」を観てきました。
映画祭全体では合計で、約120ほどの国と地域から、1761本の作品が出品されたそうです。10日から16日までの7日間で、最新のドキュメンタリーをはじめ、209本の映画を上映。「延べ2万人を超す国内外の映画ファンが、山形発の映像文化を楽しんだ。」(山形新聞2013/10/17)
地方都市山形で、これだけの国際映画祭を続けているというのは凄いことだと思いましたし、会場内をこまめに動き回っているボランティアや主催者の人たちの大変さに頭が下がりました。
時間がなくて1本しか見れませんでしたが、普通に映画を観るのとは違って、ドキュメンタリー映画祭ならではの独特な味わいがありました。
私の観た映画では、閖上中学校の生徒と親の1年間が克明に記録されていました。
(以下、メモを取れなかったので記憶違いがありましたら、ごめんなさい!)
強く印象に残ったのは、中学生の娘さんを亡くした或る父親が卒業式について話す場面でした。
同学年の子どもたちの中で7人が亡くなったのですが、この2年間の交流や話し合いの結果、「亡くなった子どもたちも一緒に卒業式をやろう」となり、親が遺影を抱いて参加する方向になっていました。
しかし、娘さんを失った父親が画面から私たちに向かって話すのです。
「卒業式に出たくない、出れば他の子どもたちのことが妬ましくなる。なんでうちの子が・・・と。そう思ってしまう自分が嫌になるから・・・」
これに対して、撮影中の映画監督が「それは自然なことではないですか」と語りかける。
すると父親が「そんなこと言われたのは初めて・・・。今までは『そうだよね』とかは言われても、そんなこと言われたことない・・・」と話すのです。
監督が「それは自然なこと・・・」と言えたのは、被災者の立場に立ってものを考えているからではないでしょうか。
そして、父親が「自分が嫌になる」と言うのは、自分の娘のことだけでなく他の生徒たちを思いやっているからこそ「妬ましく思う自分」が嫌なのではないでしょうか。
映画上映のあと、監督との質疑の時間がありました。
ある観客から、自身、映画製作にたずさわっている人(女性)のようでしたが、「どうやって、あそこまで生徒たちの気持ちをひきだせたのか?」という質問が出されました。
監督は、「特に何かをやったわけではない。教室の横にずうっと何日も立っていて、生徒から声がかかるようになるのを待っていただけ。そばにいることだった・・・」と答えました。
簡単そうですが、実は一番難しいことではないでしょうか。
このドキュメンタリー映画の最後のほうで、卒業式を前にした生徒たち一人ひとりの映像が流れます。その中で、何人かの生徒たちが言ってました。
「震災でともだちを亡くしたとか、いろんなことあったけど、2年経って自分が強くなったような気がする・・・」と。
私の胸の中に熱いものがじわーっと広がるようでした。