昨日(9月22日)、7月、8月と集中豪雨にみまわれた大井沢、月山周辺の被害状況を調べに行ってきました。
やはり月山、寒河江ダム、大井沢、この周辺は大規模な崩落は起きていませんが、あちこちの土砂崩れからも、地盤が脆く、何度かの集中豪雨でもあれば非常に危険な状態だと分かりました。
詳しい報告はまたの機会に、リスクコンサル・ネットなどを通じて行いますが、まずはこの写真を見て下さい。
① 月山のリフト乗り場に向かう途中の道路沿いです。コンクリートの土石留めを破壊し、沢沿いに濁流が荒れ狂ったと想像されます。
② 大井沢の県道のコンクリートの橋です。相当頑丈に造られていたようですが、根こそぎ破壊されています。この壊れかたからすると、濁流は下から押し上げるようにして橋を破壊したようです。それだけもの凄い力が加わったのか?
③ 寒河江ダムです。右手が月山の登り口そばのドライブイン。駐車場にある御堂が見えます。正面は国道112号線。左手に道路を走る車を見ることもできます。手前は寒河江ダムです。
寒河江ダム周辺が、如何に脆く危険な状態か分かります。
東京開催の決定に日本中が沸きました。異論を挟む余地のないほどに。
特に、スポーツ選手たちが招致活動の前面に出て、「やったー」と喜びを爆発させたのには正直、困りました。
あれでは、反対しようがない。
スポーツ選手たちは、それこそ善意で一生懸命だったのでしょうから。
今なお先の見えない困難に苦しんでいる3.11被災者の方々も複雑な思いだったのではないでしょうか? しかし、自分たちの思いを正直に出せる雰囲気はなかったと思います。
(1) アスリートの「一流の責任」とは?
まず、スポーツ選手たちに一言苦言を言っておきたい。
「あなた方は純粋な気持ちで東京開催を望んだのでしょうか? 私は“否”と思います。やはり自分や自分の仲間のこと、オリンピックでの栄光への夢があったと思います。はっきり言えば、そういうアスリートの気持ちをうまく利用した政治家や財界人がいるのでしょう。戦前、戦中の時もそうでした。歌手や文化人が戦争翼賛の先頭に立たされ、反対しづらい『世論』というものがつくられていったと思うのです。 『えー! いくらなんでもオリンピックと戦争を一緒にするのは酷すぎる!』と怒られるに決まっています。でも言いたいのです。スポーツ選手の中に、少数でもいいから、『オリンピックよりも3.11からの復興にみんなで頑張ろうよ』、『オリンピックはまたこの次にすればいいんだから』と言う人が出てきてほしかったのです。」
これは言いすぎでしょうか。
(2) 3.11を機に日本が変わる時、なのに元へ戻るのか?
オリンピックへの疑問の第一は「二兎を追う愚」に走っていないかということです。
新聞などにも取り上げられていますが、復興もオリンピックも、この二つが可能なのかという疑問です。
それは「東京五輪はうれしいけど、資材も人も東京が優先されて福島の復興が進むのか不安です」(朝日新聞2013/9/11)という声にも示されています。
特に危惧するのは、日本の進む道が間違った方向に向かうということです。
2020年東京五輪は、間違いなく1964年東京五輪と同様に、東京一極集中を加速させるでしょう。経済も活発化することでしょう。
しかしそれは、“表通りの日本”の活性化にすぎません。
“裏通りの日本”では、復興の遅れが避けられないでしょうし、財政悪化のために消費税などの増税がすすみ、福祉と医療が切り捨てられ、高齢者、病弱者、派遣やパートなどの非正規労働者、シングルマザー・・・など、多くの人たちの苦しみが増大することでしょう。地方はますます疲弊し、都市と農村・漁村の対立もより深刻化するでしょう。
“表通り”と“裏通り”は、ますます両極化していくのではと心配でなりません。
3.11後の日本として私が夢に見ていたのは、これらとまったく違う方向です。
3.11、特に福島原発の災厄を契機に、これまでの日本の歩んできた道を全面的に見直すことを考えていました。
これまでの高度成長一点張りの在り方を変えていくことです。
ハコモノよりもソフトを重視することです。どんなハコモノも、ソフトなしには無力でした。原発や巨大堤防がいい教訓です。巨大ダムも今や巨大なリスクとして問題になりつつあります。
農村と都市が対立しあうのではなく、助け合い、協力し合うことが始まろうとしていました。被災地への支援やボランティア活動として。
農村の再生やコメ問題の解決は、こうした都市の協力・共同があってこそ可能だと思います。
今回のオリンピック東京招致には、こうした日本再生の方向性がまったくありません。あるのは高度成長への「いつか来た道」にすぎません。
多くの政治家と財界人は、高度成長へのノスタルジアの虜となっているようです。
(3) 関東大震災の危機を無視した開催計画にびっくり
オリンピックへの疑問の第二は、関東大震災の危機を無視するのかということです。確率としては、もう目の前だというのに。
愚かにも、東京オリンピックの開催構想では東京湾沿岸部が中心になっているらしい。
国も東京都も、そしてマスコミまでもが、右手に大震災の危機を掲げながら、左手でオリンピックの沿岸部開催を称揚する、・・・・・このご都合主義には開いた口が塞がりません。
政治家も経営者も、そしてマスコミも、本当には3.11から何もまなんでいなかったということでしょうか?
日本は、今こそ、安心・安全を、ひいては人の生命こそ何ものにもかえられない宝物だという原点を確立すべきなのに、大きくハンドルを切り間違えつつあるのです。
あなたは、どう思いますか?
2013年9月1日発行の「ニュース NO.20」を掲載します。
ご覧になって気づいたことなど、なんでもご連絡ください。
「徳川幕府の成立期から、長期政権確立期への大きな変化の中で、白岩農民も、酒井忠重も翻弄されていったのかもしれません。日本の歴史の変動を勉強することは、白岩一揆をより深く知ることにつながるのではないでしょうか。」(ニュース NO.20から「giminn20.doc」をダウンロード )
今回の集中豪雨とその後の断水で、「ダムも万全ではない」と思った方は多いのではないでしょうか。
特に、私たち寒河江市や西川町、それに中山町、河北町・・・などに住んでいる者にとっては、寒河江ダムという巨大ダムが頭の上にあるようなものです。
1億900万トンもの容量をもつ寒河江ダムが、万一、直下型地震で決壊したら、あるいは山崩れによって大量の土砂がダムになだれ込みダム津波が起きたら、いったい私たちの町は、子どもたちは、どうなるのでしょうか?
想像もつかない悲劇が起きるに違いないのです。
3.11の教訓、とりわけ石巻市大川小学校の惨禍は、私たちが絶対に忘れてはならない教訓を示しているのではないでしょうか。
責任のある人たちは「想定外」で逃げるかもしれませんが、子どもたちや家族を失った人たちは「想定外」で忘れることはできないのです。まして未来の希望を無残に踏みにじられた当の子どもたちにとって、「想定外」などは絶対にあってはならないことなのです。
万が一の惨禍が起きる前に、寒河江ダムのあんぜん・あんしんを見つめなおしてみませんか。
寒河江ダム周辺の山々の地盤、岩盤は大丈夫なのか?
コンクリートダムではなくロックフィルダムという寒河江ダムの構造に問題はないのか?
そもそも、地震ならどの程度の地震を想定して安全だと言っているのか?
3.11地震で決壊した福島の藤沼ダムの被害(8人の死者まで出ている!)をどう見るのか?
5年前の岩手・宮城内陸地震で、6mのダム津波が起きた荒砥沢ダムの危機をどう考えるのか?
問題は山積みしているはずです。
なのに、国も地方自治体も、そして警鐘を鳴らすべきマスコミも学会も沈黙しています。
これは個人の力で調べられる問題ではありません。
マスコミにも、学会にも立ちあがってもらわなければ、問題を明らかにすることすらできないでしょう。
みんなで、全国のダム問題を考える人たちとも協力し合って、寒河江ダムのあんぜん・あんしんを考えていこうではないですか!
子どもたちの未来のために。
2013年9月1日 記 東海林正弘