タシカニ、ケータイはベンリだ。
シカシシカシ・・・。
便利さの陰に、文化的というか人間的というか、崩壊のようなものが進行していないか?
保険代理店を業としている関係で、お客さんからも掛ってくるし、自分からも掛けることが多い。
事故のときなどは携帯の便利さに感動するときさえある。
しかし、こちらから4回も5回も掛けても出ない、留守伝しても掛けてこない、そういうお客さんもいる。
これには困ってしまう。
急いで連絡を取らなければならないときは、家まで訪ねて行くときもある。
留守なら置手紙をしてくるなど・・・。
おいおい、なんのための携帯だい? ・・・と、なってしまう。
これにはいろんな見方があると思う。
「相手はお客さんなんだから、しょうがないんじゃないの」とか、
「自分が信用されてないということだろ」
「好かれてないんだよ」 とか・・・。
確かに、そうかもしれない。
しかし、自分には納得できない。
一つは、自分は寝るときも枕元に携帯を置いている。
風呂に入る時も脱衣所まで持っていく。
もし、事故で掛けてきたときに、すぐに電話に出なかったら、お客さんが困るんじゃないか・・・と思うから。
だから、事故で掛けてきたことのあるお客さんが、こちらから何回掛けても出ないというのは納得できない。
もう一つは、「相手はお客さんなんだから仕方ない」という考え方に馴染めないということ。
なぜかというと、自分は、お客さんを、ただの儲けの対象と思っていないから。
どんな保険商品を勧めるかというとき、「こっちのほうが儲かるよ」とか考えて選んでいない。
お客さんにいいものを勧める。そして、そうすることが自分のためにもなってくると「盲信」している。
1回2回くらいならやむを得ない。
しかし、4回も5回も掛けても出ないとなると、電話が鳴っているのに出ないとき、相手方はどんなふうに思って出ないでいるのか、を思う。
「どうせ、保険の勧めだろ」?
「いいんだよ、こっちの都合がついたら掛けるんだから」?
違うかな?
違ってたら教えてほしい。
そしてこれは、人間としての心の崩壊じゃないの?
相手を人間として見れなくなっているんだよ。
自分は、お客さんとも対等だと思ってる。その代わり、お客さんから不当に儲けようとか、言いくるめて騙そうとかは考えない。
「お客様は神様」とか言って持ち上げるのは、いかにうまく誤魔化して儲けるかを考えてるからじゃないかと思う。
お互いにプラスになるように、契約を取り交わしているんだと思う。対等に。
だから、お互いを人間として尊重しあうのが本当だと思う。
ところが、何回携帯が掛ってきても出ないというのは、相手を対等な人間と見てないからなんだよ。
でも、そもそも商行為の中には、お互いを対等な人間として見れなくなる危険が潜んでいるのかもしれないね。
最近の人間たちは、商行為というものに振り回されちゃってるのかも・・・。売る側も、売られる側も。
アブナイアブナイ! 目覚めよ、人間。
はい、自分も気をつけます!