怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

脳動脈瘤と向き合う その⑪ 「地獄から生還したようだ」

2018年03月17日 | 健康・病気

これは昨日16日昼の写真。

歩けるようになった喜びで、つい、今までにやったことのない両手で〇

似合わないね・・・。

 

今日は手術から5日目の3月17日。

看護師さんから渡された安静度の予定表によると、

手術の翌日の14日は「ベッドを30度まで起こせます。」(歩行はもちろんダメ、寝返りも制限あり)

15日は「車椅子に乗ることができます。」(立っておしっこができる!だけど勝手に自分で車椅子で動くことはダメ)

16日は「3階の病棟内を歩行することができます。」(自分で歩ける!だけど下の階の売店に行ったりはダメ)

17日、今日は「院内での活動制限はありません。」(午前中に5日ぶりのシャワーを浴びた、感動!歩けるようになったので便秘で苦しんでいたのが治った!こっちは6日ぶり!)

今のところ、頭が痛いとか、動脈にカテーテルを挿した箇所が出血しているとかもなく、全身麻酔の際の影響か声がかすれてるくらい。

じゅんちょうでーす。                          

みんなのおかげ、ほんとにありがとう!

地獄から生きて還ったようでーす。

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脳動脈瘤と向き合う その⑩ 明日手術 「戻るまでグッバイ‼」

2018年03月12日 | 健康・病気

明日3月13日、脳動脈瘤のカテーテル治療をしてもらいます。

仙台の広南病院で、松本先生の指導のもとに、足の付け根から動脈に4ミリ程度のカテーテルという管をさしこみ、脳動脈瘤内に柔らかな細いコイルを詰めるコイル塞栓術です。

当初は山形の病院で、開頭によるクリッピング手術をしようと入院までしていたのですが、調べれば調べるほど開頭術が危険だと思うようになりました。クモ膜下出血してしまったなら開頭手術もやむを得ないでしょうが、私のように未破裂型の脳動脈瘤の場合、できるだけ危険の大きい開頭術は選択しないほうがよいと思ったのです。

実際に昨年9月、動脈瘤のコイル塞栓術を経験した埼玉の友人からは「東京のほうで医者を探したほうがいいよ」とすすめられました。コイル塞栓術に関わっていた友人からも「開頭手術する前にカテーテル治療でできないか、他のお医者さんに診てもらったら」と何度もすすめられました。

そこで、「山形の病院に限定せず、カテーテル手術のできる病院を仙台か東京で探そう」と思うようになったのです。

腹を決めたのは、開頭手術予定日(昨年12月8日)の2日前、12月6日です。

入院していた山形大学病院のお医者さんに「セカンドオピニオンに当たってみたいので、明日退院します」と伝えました。

が、しかし、自分でも「この先、どうなるのか?」と不安でいっぱいでした。退院の際にも、先生方に「また戻ってくるかもしれません、その時はよろしくお願いします」と何度もお願いしました。主治医のK先生からは「困ったらいつでも相談に来いよ」と言われ、涙がでるほど嬉しかった。

 

そうした結果、いろんな友人たちやお医者さんからの紹介などで今の広南病院(仙台市長町)にたどり着くことができました。

脳動脈瘤手術について、2018年版の『週刊朝日MOOK』の「手術数でわかるいい病院」によると広南病院は全国で2位。

脳血管内治療件数(カテーテル治療のこと)だけみると、東北全体で、広南病院が実績209件、岩手県立中央病院が93件、秋田脳血管研究センターが34件・・・でした。山形では済生館が28件、県立中央病院が25件、山大病院が1件でした。

昨年5月、山形県立中央病院の脳ドックで「4.8ミリの未破裂型脳動脈瘤がある。クモ膜下出血の危険があり、破裂すれば死の危険が大きい」と診断されてから10カ月。爆弾を抱えながら、「手術するか、しないでクモ膜下出血しないことに賭けるか?」「手術するとすれば、どの手術にするのか、開頭かカテーテルか?」「また、どこの病院で手術するのがよいのか?」・・・迷いに迷いました。

そして、ようやくたどり着いたのがここでの明日の手術です。

明日は先生にお任せするしかありません。自分なりに一生懸命調べて考えた選択なので納得しています。

もちろん、不安はありますよ。

ちょっぴり不安はありますが、多くの人たちに支えられて「ここまでこれた」と感謝しています。

では「戻るまでグッバイ‼」

 

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3.11・・・心に響いた記事のいくつか(新聞報道から)

2018年03月11日 | 東日本大震災…山形から

現地を訪ねることができなかったので、今年は新聞報道(「河北新報」と「朝日新聞」の2紙から)で心に響いた記事を紹介します。

河北新報【うたの泉】から

◆「 地獄だと言ひてそののちおとうとの 携帯電話は繋がらざりき  楮原さい子 」(3月11日版)

◆「 三月十日十一日は熱かつたらう 苦しかつたらうと悲しむ日なり  橋本喜典 」(3月10日版)

   ㊟三月十日は今から七十三年前の東京大空襲、十一日は七年前の東日本大震災の日。

 

河北新報3月10日版の記事 「石巻・大川小不明児童の父死去 娘と再会願いかなわず」

リードのみですが紹介します。

「東日本大震災の津波で、石巻市大川小は全校児童108人中、70人が死亡し、今も4人の行方が分からない。不明児童4人のうち、2年生だった女子児童=当時(8)=の父親が昨年夏に他界した。63歳だった。津波は妻=当時(46)=も奪った。空き家となった男性宅には親子3人の遺影が並んでいる。 (大川小事故取材班)」

 

朝日新聞3月11日版の記事 「もう一度 母になりたかった」 「3人が生きた証し 夫婦でいればこそ」(本文は割愛)

 

みなさんは、3.11をどう迎えましたか?

 

 

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今年の3.11は病院の中での黙祷(もくとう)でした、残念です!

2018年03月11日 | 東日本大震災…山形から

毎年、3.11かその前後に被災地にお参りに行ってました。

大人の責任によって未来ある可愛い子どもたちの生命が奪われた石巻市の大川小学校跡には特に。

全校児童108人中70人が死亡し、今も4人の行方が分からないという。

何回か現地を訪ね、裏山にのぼり、学校の周囲を歩き回ってみれば、大人たちの適切な誘導さえあれば多くの生命が助かったと実感できるのではないでしょうか。

大人の一人として、責任を背負い続けるためにも慰霊を欠かせないと思ってきました。

ですが、今年は行けませんでした。

明後日には脳動脈瘤の手術が控えていますから。

 

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脳動脈瘤と向き合う その⑨ いよいよカテーテル手術

2018年03月08日 | 健康・病気

今日入院しました、ようやく手術です。

当初は1月23日に手術の予定でした。仙台の広南病院で。

ところが入院の直前に私の働く「保険相談所」で全員がインフルエンザに罹ってしまったのです。今までインフルエンザで寝込んだ記憶がないだけに、うっかり油断していたようです。知りあいの看護士さんから注意を受けていたというのに。

病院からは「入院の延期」を通告されました。そうですよね…。

そして今回、ようやく3月13日に手術ができることになった次第。

考えてみれば、脳ドックで「未破裂型脳動脈瘤がある」と分かったのは昨年の5月。それから爆弾を抱えての仕事と生活に。

どこの病院に罹るか?

どの治療を選ぶか?

悩むことはいろいろありました。

調べれば調べるほど、体験者にいろんな話を聞けば聞くほど…自分が大変な病気にかかっていると知ることになりました。

今日、入院して一番の思いは、Eさん、Iさん、Aさん、N先生、M先生、K先生…など、多くの友人・先輩などに教えられてここまで来れたんだということです。

多くの方々に励ましていただきました。自分が大変なのに励ましてくれたSさん、Nさん、Iさんなどなど。遠方の友人からも激励をいただきました。パジャマなどを送ってくれたMさん、手作りの漬物を送ってくれたIさん…。高校時代からの友人も手作りの漬物(これは彼の生涯の作品)持参で顔を見に来てくれました。思いもかけぬお見舞いまでくれたSさんやIさん、Wさん…などなど。自動車保険の契約に行った先々でも「早く良くなって」「元気な顔を見せて」「無事を祈ってますよ」などと声を掛けてもらったり、「山形から祈っています、頑張って」とメールをもらったり、私はみなさんのおかげで手術に前向きに立ち向かうことができるんだなあと思っています。

13日の手術に向かって、みなさん、ありがとう!!

昨年5月の脳ドックから今日まで「長かった」し、「不安だった」けど、おかげさまでここまでたどり着けました。

 

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