✎ 7月の第29回勉強会から、渡辺為夫さんを講師に「白岩目安状」の勉強に取り組み始めました。どんな勉強会になったかと言うと、勉強会が終って帰ろうとしていたら、ある会員が近づいてきて「今日のは面白かった」「こういう勉強会がしたかったんだ」と言いました。嬉しい驚きでした。
✎ 勉強会のすすめ方は、目安状23カ条を1カ条ずつ読み合わせて話し合っていくというものです。自分たちが疑問に思っていることなど、自由に質問したり意見を出しながら渡辺さんに教えてもらうというやり方です。だから面白いのかもしれません。人数が5~10人程度で、コジンマリなのがなおいいのかもしれません。
✎ ニュ―ス発行が遅れ前日の夜となってしまったこと、本当にすみません。
◣◣ 第30回「まなぶ会」9月20日(日) ◢◢
◇ 時:9:30-12:00、「第30回白岩義民にまなぶ会」
◇ 所:フローラ・SAGAE(元のパオ)503号室。駐車場広い。JR寒河江駅から徒歩7分ほど。 ☎0237-77-6330
㊟当日は「寒河江まつり」で、午後から古式流鏑馬や「神輿の祭典」が会場周辺で行われます。駐車場が込み合うかもしれません。その時は東海林に電話を。
◇ テーマ:『白岩一揆目安状全文の勉強…第2回』
◕ 目安状のテキストとしては、渡辺為夫氏著『寛永白岩一揆』(60頁~75頁)に掲載されているものを使用します。これは荘内藩関係資料の『雞肋編』所収とのこと。
このテキストを持っていない方は東海林までご連絡ください。コピー代100円。
◕ 今回の学習は、目安状原文23カ条のうち、第3条と第4条の読み合わせから入りたいと思っています。お互いに疑問や意見など持ち寄りましょう。
◇ 講師は渡辺為夫さんにお願いしています。
お忙しい中ですが、目安状全文の学習について毎回来ていただく予定になっています。
㊟ なお出席される方は東海林まで、メールか☎のご一報を。
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前回(7/19)義民にまなぶ会での討論から
▆ 渡辺為夫氏著『寛永白岩一揆』63頁の「白岩目安状の全文」から始めました。主な討論は以下のようなものです。(敬称なし)
「出羽国村山郡白岩郷八千石惣百姓同名主乍恐奉捧御目安之事」
「一 酒井長門守様御入部之後子之年御種貸と被仰四割ニ御定村々江籾御貸被成御取被成候時分ハ籾1壱俵之代金壱分ツツ之御算用ニ被成御取候御事」(第一条)」
㋑ これは荘内藩関係資料の『雞肋(けいろく)編』に収録されているもの。「雞肋」とは、にわとりのあばら骨ということ。ガラを集めた、捨てるにはもったいない骨柄という意味。荘内藩を調べるには必見の資料。長門守一件の資料が網羅されている。(渡辺)
㋺ 長門守の白岩入部は元和8年か、ただし入部の記録はない。(渡辺)
㋩ 長門守は将軍との初見の礼をとり、元和3年、4000石で小姓組(将軍の親衛隊のようなもの)に任ぜられた。元和8年には4000石加増され、白岩8000石の領主になった。将軍の家来は三通りあり、大名(1万石以上)、旗本、御家人。(渡辺)・・・㊟ 忠重にとっては、1万石に満たないことが大きな問題だったのではないか?(M)
㊁ 「御種貸…四割ニ…」とは、利息のこと、普通は三割だった。(渡辺)
㋭ 「寛永10年の白岩目安がなければ忠重の収公、白岩領の幕府領編入ということは起こらなかったのではないか?」(M)・・・「そうだと思う」(渡辺)。
「一 白岩御年貢屋敷八拾間御城並御家中衆御鉄砲衆の御屋敷ニ御倒シ被成御年貢ヲバ百姓弁差上申候御事」(第二条)
㋑ 「御年貢屋敷」とは年貢の対象屋敷ということ。「間」とは「軒」のことか。目安状によっては「軒」と書いてあるものもある。(渡辺)
㋺ 「百姓弁差上…」というのは、さしづめ進駐軍の接収のようなものか。忠重の家臣団は軍役171人+また者=約250人。かれらが白岩に来て80軒の家を接収したのか。(渡辺)
㋩ 「白岩村の規模は?」(M)・・・書きあげ明細帳には、宝暦のころで約300軒、その内80軒が接収されたのか。(渡辺)
・・・以下、割愛します。
【この日、渡辺さんが勧めた本】 磯田道史著『武士の家計簿』新潮新書680円。 児玉幸多著『近世農民生活史』アマゾンで購入2,481円。
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