追悼式のなんとも言えない辛さは、多くの犠牲者を悼むさまざまな想いと、同時に、復興への現実の重さにあったのではないでしょうか。
昨年7月3日に、初めて亘理町を訪ねました(当時の状況は、7月4日付けのブログに掲載してあります)。
前回は、あぶくま川河口の亘理町荒浜地区をまわりました。津波に破壊しつくされた町の様子と、山と積まれたガレキ、その中の布団や人形に背筋が寒くなったのを覚えています。
今回も荒浜地区に足が向いていました。
ほとんど人の姿も見えず、荒涼とした光景は変わらず、復興は遅々として進んでいないように見えました。津波の危険を考えれば、今後の再建の方向がなかなか決まらないのでは…とも思いました。
しかし、後でよくよく写真を見直してみると、一概にそうも言えないのでは…と感じるものもありました。次に何枚かの写真を掲載します。
① 荒涼とした荒浜地区。
「鳥の海都市公園」など、海に開けたニュータウンとして開発がすすんだに違いない荒浜地区、それを思うと、この光景の荒涼さに胸が詰まります。
② 津波に襲われた荒浜中学校
聞くところでは、この学校に逃げて助かった人もいるとか。屋上に逃げた人は助かったのかもしれません。
最近、地震によるダムの決壊が心配になり、自分の住んでいる山形県の寒河江ダムや蔵王ダムなどを調べているのですが、不思議と小・中学校が川のそばに建っています。
「ダムが決壊したらどうなるんだ!」と叫びたくなるような所に。
荒浜中学校を建てる時、津波のことをどう考えたのか、不思議です。
③ 海沿いに残る瓦礫の山
昨年7月よりも確実に減ったとはいえ、大変な量です。
④ 阿武隈川の河口
ここから海が襲いかかってきた?!
⑤ 復興が始まる?
まだまだでしょうが、半年前よりもずいぶんと片づけられたように思うのは間違いでしょうか。
⑥ 道路がだいぶ整備されていました。道路の改修は復興の第一歩では。
⑦ 漁港にも船が・・・
陸地に船が乗り上げていた半年前と比べれば、ものすごい前進です。
あの破壊しつくされた港を、よくここまで。胸が熱くなるものがありました。
漁港の関係者や多くのみなさんの努力や思いが詰まっている港だと。
国の対応の遅れが問題だということに違いはありませんが、しかし、小さな力を合わせたこれら一つひとつの一歩が大きな一歩なのだと教えられます。
⑧ 建っている家々にほっとしましたが、大丈夫かなあと不安にも。
もっともっと何回も何年もかよって、本当のありのままを知っていかなければと思いました。ただの通りがかりで済ましてはいけないと強く思いました。
◇ この東日本大震災の教訓を活かすということは、自分の足元を見つめなおし、見落とされているか故意に見落としている巨大リスクと立ち向かうことではないでしょうか。多くの人たちの安心・安全のために努力するとは何かを考えていこうと思っています。