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怒れる中年

あなたは怒ることを忘れていませんか?  ①なんで借金しなければ勉強できないの! ②働きたいのに預ける保育園が無い、えっ!

脳動脈瘤と向き合う その⑫ 具合がいいので調子に乗ったら〝帯状疱疹”に

2018年04月08日 | 健康・病気

仙台の広南病院で、3月13日にカテーテルによる血管内治療をしました。5ミリの脳動脈瘤に超細いコイルを詰める「コイル塞栓術」。

当初予定の脳の開頭術だと10時間もかかる手術が、カテーテルでは3時間程度。

そして8日後の3月21日には退院に。

それもお医者さんの説明では「無茶をしなければ車の運転もOK」と。「血液サラサラの薬を飲んでるのでケガだけは注意して…」。

退院の日は仙台から山形まで、自分が車を運転して帰ってきました。元気なのには自分でもビックリでした。

ほんとに地獄から生還したようで「バンザーイ!」という気持ち。

お医者さんや応援してくれたみなさんに、ほんとに感謝感謝でした。

 

その後は、入院などで仕事が溜まっていたこともあり、つい仕事仕事に。

その結果、数日前から帯状疱疹になってしまいました。

術後の嬉しさで、ついはしゃいでしまったようです。

自分はお調子者だったんかな? 自分の愚かさを反省でーす。

帯状疱疹の痛いこと痛いこと・・・。

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脳動脈瘤と向き合う その⑪ 「地獄から生還したようだ」

2018年03月17日 | 健康・病気

これは昨日16日昼の写真。

歩けるようになった喜びで、つい、今までにやったことのない両手で〇

似合わないね・・・。

 

今日は手術から5日目の3月17日。

看護師さんから渡された安静度の予定表によると、

手術の翌日の14日は「ベッドを30度まで起こせます。」(歩行はもちろんダメ、寝返りも制限あり)

15日は「車椅子に乗ることができます。」(立っておしっこができる!だけど勝手に自分で車椅子で動くことはダメ)

16日は「3階の病棟内を歩行することができます。」(自分で歩ける!だけど下の階の売店に行ったりはダメ)

17日、今日は「院内での活動制限はありません。」(午前中に5日ぶりのシャワーを浴びた、感動!歩けるようになったので便秘で苦しんでいたのが治った!こっちは6日ぶり!)

今のところ、頭が痛いとか、動脈にカテーテルを挿した箇所が出血しているとかもなく、全身麻酔の際の影響か声がかすれてるくらい。

じゅんちょうでーす。                          

みんなのおかげ、ほんとにありがとう!

地獄から生きて還ったようでーす。

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脳動脈瘤と向き合う その⑩ 明日手術 「戻るまでグッバイ‼」

2018年03月12日 | 健康・病気

明日3月13日、脳動脈瘤のカテーテル治療をしてもらいます。

仙台の広南病院で、松本先生の指導のもとに、足の付け根から動脈に4ミリ程度のカテーテルという管をさしこみ、脳動脈瘤内に柔らかな細いコイルを詰めるコイル塞栓術です。

当初は山形の病院で、開頭によるクリッピング手術をしようと入院までしていたのですが、調べれば調べるほど開頭術が危険だと思うようになりました。クモ膜下出血してしまったなら開頭手術もやむを得ないでしょうが、私のように未破裂型の脳動脈瘤の場合、できるだけ危険の大きい開頭術は選択しないほうがよいと思ったのです。

実際に昨年9月、動脈瘤のコイル塞栓術を経験した埼玉の友人からは「東京のほうで医者を探したほうがいいよ」とすすめられました。コイル塞栓術に関わっていた友人からも「開頭手術する前にカテーテル治療でできないか、他のお医者さんに診てもらったら」と何度もすすめられました。

そこで、「山形の病院に限定せず、カテーテル手術のできる病院を仙台か東京で探そう」と思うようになったのです。

腹を決めたのは、開頭手術予定日(昨年12月8日)の2日前、12月6日です。

入院していた山形大学病院のお医者さんに「セカンドオピニオンに当たってみたいので、明日退院します」と伝えました。

が、しかし、自分でも「この先、どうなるのか?」と不安でいっぱいでした。退院の際にも、先生方に「また戻ってくるかもしれません、その時はよろしくお願いします」と何度もお願いしました。主治医のK先生からは「困ったらいつでも相談に来いよ」と言われ、涙がでるほど嬉しかった。

 

そうした結果、いろんな友人たちやお医者さんからの紹介などで今の広南病院(仙台市長町)にたどり着くことができました。

脳動脈瘤手術について、2018年版の『週刊朝日MOOK』の「手術数でわかるいい病院」によると広南病院は全国で2位。

脳血管内治療件数(カテーテル治療のこと)だけみると、東北全体で、広南病院が実績209件、岩手県立中央病院が93件、秋田脳血管研究センターが34件・・・でした。山形では済生館が28件、県立中央病院が25件、山大病院が1件でした。

昨年5月、山形県立中央病院の脳ドックで「4.8ミリの未破裂型脳動脈瘤がある。クモ膜下出血の危険があり、破裂すれば死の危険が大きい」と診断されてから10カ月。爆弾を抱えながら、「手術するか、しないでクモ膜下出血しないことに賭けるか?」「手術するとすれば、どの手術にするのか、開頭かカテーテルか?」「また、どこの病院で手術するのがよいのか?」・・・迷いに迷いました。

そして、ようやくたどり着いたのがここでの明日の手術です。

明日は先生にお任せするしかありません。自分なりに一生懸命調べて考えた選択なので納得しています。

もちろん、不安はありますよ。

ちょっぴり不安はありますが、多くの人たちに支えられて「ここまでこれた」と感謝しています。

では「戻るまでグッバイ‼」

 

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脳動脈瘤と向き合う その⑨ いよいよカテーテル手術

2018年03月08日 | 健康・病気

今日入院しました、ようやく手術です。

当初は1月23日に手術の予定でした。仙台の広南病院で。

ところが入院の直前に私の働く「保険相談所」で全員がインフルエンザに罹ってしまったのです。今までインフルエンザで寝込んだ記憶がないだけに、うっかり油断していたようです。知りあいの看護士さんから注意を受けていたというのに。

病院からは「入院の延期」を通告されました。そうですよね…。

そして今回、ようやく3月13日に手術ができることになった次第。

考えてみれば、脳ドックで「未破裂型脳動脈瘤がある」と分かったのは昨年の5月。それから爆弾を抱えての仕事と生活に。

どこの病院に罹るか?

どの治療を選ぶか?

悩むことはいろいろありました。

調べれば調べるほど、体験者にいろんな話を聞けば聞くほど…自分が大変な病気にかかっていると知ることになりました。

今日、入院して一番の思いは、Eさん、Iさん、Aさん、N先生、M先生、K先生…など、多くの友人・先輩などに教えられてここまで来れたんだということです。

多くの方々に励ましていただきました。自分が大変なのに励ましてくれたSさん、Nさん、Iさんなどなど。遠方の友人からも激励をいただきました。パジャマなどを送ってくれたMさん、手作りの漬物を送ってくれたIさん…。高校時代からの友人も手作りの漬物(これは彼の生涯の作品)持参で顔を見に来てくれました。思いもかけぬお見舞いまでくれたSさんやIさん、Wさん…などなど。自動車保険の契約に行った先々でも「早く良くなって」「元気な顔を見せて」「無事を祈ってますよ」などと声を掛けてもらったり、「山形から祈っています、頑張って」とメールをもらったり、私はみなさんのおかげで手術に前向きに立ち向かうことができるんだなあと思っています。

13日の手術に向かって、みなさん、ありがとう!!

昨年5月の脳ドックから今日まで「長かった」し、「不安だった」けど、おかげさまでここまでたどり着けました。

 

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脳動脈瘤と向き合う その⑧ 患者の身になってみて、おふくろの死の苦しみが少しわかった

2017年12月17日 | 健康・病気

【 おふくろの死の苦しみを自分のこととして 】

12月15日のカテーテル検査の夜、夜の9時ころ、体中の痛みがピークのころ、はっと気づかされたことがありました。

おふくろが死ぬ前の3カ月間の苦しみのことです。

自分も重い病気になって、患者として少し苦しむ身になってはじめて、おふくろの死の苦しみを自分のこととして気づかされたのです。

おふくろは90歳で亡くなった(親父は99歳で)のですが、亡くなる4か月ほど前、食事が喉を通らなくなり、山形のS病院に救急入院しました。

主に点滴だけの治療でしたが、ベッドの中で笑ったり話したりもできるようになり、「今日はぼけばっかり」と思うと、翌日は「普通に話したり笑ったり」の「半ぼけ状態」でした。

しかし、確実にやせ細っていき、骨と皮だけみたいになっていきました。

それでも、「父ちゃんと一緒で幸せだった」

「母ちゃん、おれも幸せだったぞ」と、

親父とおふくろが手を握り合ったりしていました。

ところが、そこへ病院から言われてきたことは

「このままだと、あと1週間もつかどうか、だ」と。

「胃ろうの手術をすれば、また元気になれる可能性が大きい」と。

家族会議を開いて議論しました。多くの意見は「胃ろうやむなし」でした。

私は慎重論でしたが、「胃ろうをすれば本人も家族も地獄だぞ」と一般的にしか言えませんでした。胃ろうについて、人間の死について、あまりにも無知でした。だから他の家族を説得するまではできませんでした。

今でも覚えています。

その時、親父は「母ちゃんとなら地獄まででも一緒に行く」と言いました。私はそれに反論できませんでした。

全体では、「胃ろうやむなし」になりました。

手術の前、兄貴(長男、私は次男)に電話をして最後に私が言えたことは、「おふくろに胃ろうのことをちゃんと話してよ。おふくろから手術の確認をとってよ」ということでした。後で兄貴に確かめたところ、おふくろ本人には手術のことまでは話さなかったようです。

おふくろは、若いころから、動物園などに行っても「出したゴミは持って帰る」という今なら環境派、自然派のような人でしたから、「胃ろうをしてまで生きなくていい」と言ったと思います。

胃ろうの手術後、「胃ろうは家でも介護できるから」とS病院を追い出されました。(今、思えば、病院側は追い出すために胃ろうの手術を半ば強要したのでしょう。)

家でも介護できず、おふくろは或る精神病院の痴呆など軽いほうの病棟に無理やりに入れてもらいました。

その時、診察した医師が大声で家族を呼びました。

「このレントゲン写真を見ろ! 肺が真っ白だぞ。」 「これではいつ死んでもおかしくない。よくこんな患者を出して寄こしたな、すぐ元のS病院に返せ!」と叫んだのです。

胃ろうの後処置が悪いために、胃から入れた栄養液が肺に逆流してしまったのだということでした。

私たち家族は必死になって頼みました。「今さらS病院に戻れない、何とか置いてください!」と。

その結果、おふくろには常時、酸素マスクがあてがわれ、体を半分ほど起こして肺への逆流をおさえることになったのです。

これから3カ月、おふくろは地獄の苦しみを味わったと思います。

お尻が爛れ、それでも半身を起こしておいたので、痛みがどんどん酷くなっていったのだと思います。

エレベーターで病室のある3階に上がるだけで、おふくろのうめき声が聞こえてきました。

それがどんどん酷くなり、〝うめき声”から〝わめき声”、〝わめき声”から〝おめき声”に変わっていったのです。

亡くなる直前には、体中に水分がまわってしまったのか、手とか足が水膨れになっていきました。

初めはぷくぷくと膨らみ、次には指までがポコンポコンに腫れあがり、亡くなる3日ほど前からはほんとうにグローブのような四角て硬い手になりました。

おふくろが亡くなったのは2011年4月15日ですから、3.11大地震の影響でガソリンが手にはいらない時でした。

お袋の病院に行って帰ってくるだけで、ようやく少し売ってもらったガソリンが無くなるような頃でした。

3日に1回くらい行ってた時、仕事の後、病院に行ったら、病室におふくろが1人眠っていました。

静かに・・・。

枕もとの心電図などを見たら、突然、グラフが少しずつ下がり始めました。

あれあれっと思ってる内にお医者さんが駆けつけてきて、

グラフがゼロを指しました。

「ご臨終です」とお医者さん、

 

【 おふくろの苦しみを、もっと何とか!! 】

自分にできたことで、自分がやらなかったこと。

一つは胃ろうの手術をしないことでした。

私が絶対に反対すれば、家族も医師に「胃ろうOK」の返事はできなかったでしょう。

おふくろの寿命は3カ月ほど短くなったかもしれませんが、しあわせな死を迎えられたことでしょう。

もう一つ、今回、自分が入院することで分かりました。

2度目の病院で、医師に「もう酸素マスクも、体を半身に起こしておくのもやめてください。」と頼めばよかったのです。親父や兄弟も、あのおふくろの苦しみを目の当りにしては了解するしかなかったでしょう。

医師が悪いのではない、患者と家族が主体性がないというか、勉強不足なんだ。医師にだけ頼っていたのでは良い治療は受けられないということが、今回、わかった。

医師と患者は立場が違うんだから、お互いに相手を理解する努力をし、よく話し合って、治療行為や健康回復の取り組みを進めるべきだと思います。

おふくろの時は、お医者さんに頼っりきりで、おふくろの苦しみを和らげるためには何をしたらいいか、考えもしなかった。

おふくろさんよ、ほんとうに悪かった。

酸素マスクの下で、俺たち息子や娘をどんなに不甲斐ないと思ったことか・・・。

最後には、俺たちのことを涙ながらに「人殺し!」と声なき声で叫んだかもしれない。

考えてみれば、俺は、苦しみもがくおふくろの目を真っすぐに見ていなかった! 見られなかった。

ほんとうにごめん、

このお返しは、生きてる間は社会やほかの人のために、お袋のところに行ったらお袋や親父のために、お返しするよ。

                                   ・・・・・ 合掌

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脳動脈瘤と向き合う その⑦ 検査と言ってもこんなに辛いのか!

2017年12月16日 | 健康・病気

「体が痛くて痛くて…」、「カテーテルによる検査がこんなに辛いとは思ってなかった」 これが検査後の正直な実感です。

脳動脈瘤の手術には、開頭クリッピング術(開頭して動脈瘤の根元ををクリップで止める)と、開頭せず血管内治療としてのカテーテルによるコイル塞栓術(動脈内にカテーテルー細い管を挿入し動脈瘤の中に柔らかなコイルを詰める方法)という二つの手術があるそうです。

今回、私はクモ膜下出血予防のために開頭手術をしようと思って山大病院に入院しましたが、予防のために開頭することのリスクの大きさに疑問を感じ、セカンドオピニオンとして選んだ仙台の広南病院でコイル塞栓術という血管内治療を受けようとしているわけです。

開頭しないとは言っても、やはり脳の手術ですから容易なことではないと思い知ったのが、今回のカテーテルによる手術前検査でした。

12月15日、13時30分から動脈にカテーテルを挿入して検査を始めることになったのですが、「検査」というよりは「手術」と言ったほうがいいようなものでした。

15時過ぎに病室に戻ってからも、動脈からの止血を確実にするため約6時間ベッドに体を縛りつけられ、造影剤を血管から流しだすためか点滴を続けました。

おしっこが漏れてもいいように尿管に管を挿入されたままですし、この検査後の6時間が本当につらかった。

身動きできないのもつらいですが、おしっこは痛いし、特に身動きできないために腰が痛くて痛くて…困りました。

捕虜か奴隷のような感じでした。

本番のカテーテル手術は全身麻酔(今回は局部麻酔)ですし、もっともっとつらいらしいです。

15日の夜の一番つらい頃、ふっと頭をよぎったことがありました。

6年前に90歳で亡くなったおふくろのことです。

「おふくろは、こんなのではなく、もっともっと地獄のような苦しみだったんだろうな」

「その苦しみに何の手も打たない息子に対して、なんと思っていたのか」

「役立たず、バカ息子、人でなし・・・」、そして最後には、苦しみのあまり「人殺し!」と声を出せない声を出していたのではないか?!

自分が病人になって気づかされることの重さ、・・・今回、このことを教えられました。

・・・・・次の「脳動脈瘤と向き合う その⑧ 」に続きます。

 

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脳動脈瘤と向き合う その⑥ いよいよカテーテル手術に向かって、まずはカテーテル検査

2017年12月14日 | 健康・病気

昨日から仙台の病院に入院しています。

カテーテル手術のためのカテーテル検査を受けるのです。

「検査」と軽くみていたら、なんのなんの結構大変。

「動脈にカテーテルという細い管を挿入し、その先端を首の動脈まで進め、造影剤を注入して脳血管を詳細に撮影する検査」だそうです。「局所麻酔をして(太ももの付け根から)カテーテルを挿入します。カテーテルを挿入するときに軽い痛みがあり、造影剤を注入すると頭の中が一時的に熱く感じることもあります。」・・・「(カテーテルを抜いた後)止血を確実にするため、約6時間ベッドで安静にしていただきます・・・」。「動脈に穿刺する検査であり、急な状態変化を起こす危険性があります。ご家族には検査が終了するまで病棟内で待機していただくことをお願いしております」

・・・というような説明を受けてしまいました。

しかし、山大病院での開頭手術のための入院も経験してきたところですし、また自分なりに手術方法や病院なども調べたうえで今日に至っているのですから、腹は決まっています。

松本先生とスタッフを信頼するだけです。

さて、明日は・・・?

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脳動脈瘤と向き合う その⑤ 手術の前の日に退院、セカンドオピニオンを求めて

2017年11月12日 | 健康・病気

「明日、手術だ」というのに、7日に退院してしまいました。セカンドオピニオンを求めて他の病院にあたってみることにしたのです。

担当の先生には、6日の夜、「8日の開頭手術を中止して明日仮退院します、他の治療法(カテーテル手術)も調べてみたいから」と伝えました。先生方や看護師さんたちには突然で本当に申し訳ないことでしたが、自分の一生がかかっていますから納得のいくようにしたかったのです。

◆ 11月7日、退院の日の朝、回診で回ってきた主治医の先生が、私の肩をたたきながら「困ったことがあったら、いつでも連絡してよ」と言ってくれました。

実は、手術を取りやめにしたものの先が定まっていないので不安がいっぱいでした。先生の一声はすごくありがたかった。

7日に退院したものの病気は依然として治ってはいない。

カテーテル手術といっても山形では難しそう。だから山形での開頭手術を選択したんですから。やはり山形に限らず、仙台や東京方面も探さなくては・・・と迷っていた時、2人の友人からの声かけに助けられました。

Iさん(埼玉在住、男性):9月に脳動脈瘤の治療のために埼玉の獨協大学病院でカテーテル手術を受けました。「1週間もしないうちに普通の生活に戻れた」「開頭手術を受ける前にカテーテル手術も調べたほうがいい」「東京方面もあたったら」などとアドバイスしてくれました。

Eさん(脳外科医院勤務、女性):「東海林さんがそこまで考えてるのなら、うちの先生に診てもらったら。先生に頼んでみるから、」と言ってくれました。そこの先生は手術はしていないが脳ドックをしていましたし、カテーテル手術にも詳しいということでしたので喜んで診察を受けることにしました。

◆ 9日、さっそく受診に行きました。

診察の結果、先生から「これは開頭でも、カテーテルでも、どっちでもできる状態だ」「それぞれにメリット、デメリットはある」と説明を受けました。

その場でカテーテル手術の先生を紹介していただき、仙台の病院で診てもらうことになりました。

すぐ、その日のうちに仙台の病院からも電話が来て、11月27日に受診と決まりました。

あとでネットで調べたら、仙台の先生はカテーテル手術で高名な先生でした。

なんかほっとして、この数日後の日曜日には妻と犬と3人で米沢まで蕎麦食べに行きました。

◆ 今後どうなるかは分りませんが、いろんな人たちに助けられていることを実感した1カ月でした。

励ましの電話やメールなどをくれたお客さんや友人たち、仕事上で支えてくれた事務所のスタッフや保険会社の人たち、

みんな、ありがとう!

 

 

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脳動脈瘤と向き合う その④ あさっての手術予定を中止し、開頭手術ではなく血管内治療を選ぶか?

2017年11月06日 | 健康・病気

◆ あさって(8日)、未破裂型脳動脈瘤の治療のために開頭手術をすることで準備が着々とすすんでいました。

しかし、昨日、主治医から手術の説明を受けてショックを受けてしまいました。

当初の診察で「なにもしなければクモ膜下出血になる危険は年に1%、手術をすれば3%のリスク」「開頭手術の場合、手術後2週間程度の入院、退院後1週間もすれば仕事に復帰できる」などと説明を受け、手術で治ることにばかり気を取られ、手術のリスクを軽く考えていました。

昨日、主治医の本格的な説明を聞き、開頭手術(脳動脈瘤クリッピング術)が動脈瘤の破裂の危険を確実に減らすものではあっても、手術自体に危険が大きいことを知りました。やはり脳にメスを入れることのリスクが大きい。脳損傷や脳梗塞、特に高次機能障害(運動機能、記憶や判断力、計算能力などの劣化か)が心配されるそうです。さらに本来、厳重に守られているはずの脳を開くことで感染症なども心配・・・と。

「自動車の運転は、人によってさまざまだが術後1カ月くらいかかるかも…」とも言われました。

◆ 主治医の先生は、私たち保険の代理店が「リスクの説明を怠ってはならない」と考えて契約するように、手術の危険をできるだけ詳しく説明してくれたのだと思いましたが、それでも、昨夜はぐっすりとは眠れませんでした。

なぜなら、「脳は私にとっての一番の宝物」だからです。70年かけて育んできたものです。お金には代えられない宝物なのです。自分が自分であるための宝物。

今朝4時半ころ眼が覚めてしまい、悶々とした結果、「主治医の先生は、あまりに突然でビックリされるだろうが、ここは手術中止の決断が必要ではないか」と思いました。

もう一つの手術法である血管内治療のカテーテルによるコイル塞栓術はなかなか「完治」とはいかないでしょう。手術後も血圧を下げる薬や経過観察が必要でしょう。でも頭にメスを入れる危険が無いことは大きい。

「脳卒中やクモ膜下出血なら開頭も不可欠だろうが、まだ予防の段階で開頭するのはいかがなものか?」と思い至りました。

今日日中いっぱい考え、悩みました。9月に脳動脈瘤でコイル塞栓術の手術をした友人にも聞きました。

夕方5時、看護師さんに、その後担当医に、「明後日の手術は中止し、明日、退院したい」「開頭しないコイル塞栓術を調べてみたいから」と話しました。「また戻ってくるかもしれないので、その時はお願いします」とも。

妻も、昨夜は食欲もなかったそうです。この先、どうなるのか、まだ分かりません。

 

 

 

 

 

 

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脳動脈瘤と向き合う その③ 外出不許可にがっくり、麻酔のリスクにショック、お客さんからの激励に励まされ・・・

2017年11月05日 | 健康・病気

入院5日目の11月4日、がっくりきたり、うれしかったり…でした。

1) まずは前の日から楽しみにしていた外出、自宅にちょっと行ってくるつもりが医師の先生から不許可になったこと。家に帰ること自体が楽しみですが、家で昼食を食べること、一緒に暮らしているワン太郎に会うことも。ふだんは威張りんぼうのワン太郎が、自分が居ないと朝の散歩もほんのちょっとしか歩かない、散歩中に2回ウンチをするのが1回だけとか、夜も家の中の玄関のところでじっと待っているとか、聞くとウルウルしちゃう。・・・手術の前に「風邪でも引いたら大変」と心配してくれる先生の言われることも納得ですが。

 でも、がっくり。一時帰宅も心配なくらいに危険度の高い手術なのかも…?

2) 麻酔科の先生から、全身麻酔について説明がありました。

「全身麻酔」をわりと軽く考えていましたが、ぴしゃりと頬を張られたようなショックでした。これまで、若い時に痔の手術のために局所麻酔をしたことがあるだけで、そのころは麻酔が危険なものだとは説明されなかったようで、ただ「痛みを和らげるもの」と思っていました。とくに「恐いな」と思ったのは「肺塞栓症」の説明でした。「一旦発症すると死亡率が10~30%を超える危険な病気」と言うので、ビックリ、ショック。

 病院という隔離された空間で、とくに世の中の役に立つ仕事もせずにいると、こうしたひとつひとつが身に応えちゃう!

3) 『〇〇さんから「具合どうですか」「見舞いに行きたいんだけど」という電話があったよ』と妻から電話がありました。

 わざわざ電話くれたのかと思うと、ありがたいことだなあと心がなんかほっかりしてきました。

 私の入院中にも、すでに何件かの自動車事故が起きています。その場の対応は、お客さんから直接、東京海上に事故報告してもらったり、うちの事務所のスタッフが事故現場に駆けつけたりしていますが、お客さんになにかと不安や不便な思いをさせてしまっているのではないかと心配です。それで、昨日、直接、お客さんに電話してみました。

 「大丈夫でしたか?」「困っていることはないですか?」と。

 2人に電話したのですが、2人ともから「大丈夫だよ、それより東海林さんの病気は大丈夫なの?」「頑張ってね!」と励まされてしまったのです。ほんとうにありがたいことです。うれしい出来事でした。

 

 

 

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