スポーツに科学に芸術に、今、日本の若者たちが元気だ。
私が若いころには考えられなかったことだ。
もう一つ目につくことは、快挙を成し遂げた若者たちが「支えてくれた人のおかげだ」と必ず感謝の言葉を言うことだ。
驚くべきことだと思う。
いったい何が起こっているのだろうか。
彼らのチャレンジと成果を賞賛すると同時に、なぜこのような現象が起きているのかをきちんと分析する必要がある。
今の10代から20代にかけての若者たちが成長する過程で、何が起こったのだろうか。
自分の過去と比較してみるとよくわかる。
私が大学に入ったのは1970年だ。
当時は学園紛争に明け暮れていた。
大学に残っている教授陣の多くは、あまり質的によくなかった。
きちんとした教育をしてもらった記憶は少ない。
必然的に独学が主体だった。
問題は、正しい方向性を指示し、必要なバックアップを与えてもらえなかったことである。
自分で問題に向き合い、自分で解決してきた。
そのことによって、厳しい世界で生きる力を獲得できたし、この国に何が足りないのかを知るきっかけにもなった。
1970年から1990年にかけて、我が国にはよい指導者を作りだす環境があった、と言うことなのだろう。
その結果、今の子供たちにはよい指導者がいる。
一つのことを持続できる社会的、経済的ゆとりがある。
そのことで、迷うことも少なくなってきている。
多様な能力を見つけ、育て、評価できる社会システムがやっと整ってきたように思う。
そういう意味で、戦後の教育成果がやっと花開いて来たようだ。
20台後半になる私の3人の子供たちを見ていても、大丈夫かと思うぐらいのびのびとした高校時代や大学時代を送ってきた。
受験勉強に明け暮れた自分の学生時代とは比較にならない。
でも、それなりにしっかりと成人した気がする。
ヒッピーのように世界に乗り出した我々の時代を肥やしとして、今の若者はやりたいことへまい進している。
世界を相手にして臆するところがない。
多様な価値観を受け入れ、若者に多くの選択のチャンスを与えられる社会を維持したいものだ。
私は、あまり教育制度を改変することに賛成ではない。
少なくとも、価値観の押しつけだけはしてほしくない。
せっかく育ってきた、のびのびとした若者を、枯らしてはならないと思う。
これまでの教育が間違っていなかったことを、今の若者の活躍が物語っている。
もう一度「窓際のとっとちゃん」を読んでみたい。