化石のような人だな、という印象がある。
人は、その立場で語る必要がある。
仮に心の中で思っていたとしてでもだ。
昨夜のフィギュアスケートを見て、このおじさんの勘違いに気が付いた。
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ソチ五輪・フィギュアスケートの浅田真央選手について「大事なときには必ず転ぶ」などと森喜朗元首相が発言したことに対し、浅田選手の身近な人物からは20日「ひどい」「かわいそう」などと反発する声が上がった。
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大事な時に必ず転んでいるわけではない。
そのことを昨夜、浅田は身をもって示した。
彼女は、失敗してでも飛び続けることに自分の意義を見出しているのだ。
そこがキムヨナと違うところだ。
無難なことでよいのなら、失敗しない演技に徹すればよい。
しかし、それは彼女の矜持にそぐわない。
このことは、バンクーバーオリンピックでのプルシェンコの抗議にもつながる。
おじさんは、そのことに気が付いていない。
エールを送ったつもりが、相手を傷つけてしまっている。
このようなことは、障害者スポーツでもよくある誤解だ。
見ている視線が全く異なっているのだ。
批評するときには、同じ目線に立ちたいものだ。
特に政治家や評論家は言葉に気をつけて欲しい。
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演技後は万感の涙がこぼれ落ちた。
「SPはああいう形で終わって、すごく自分の中でプレッシャーを感じて。、ずっと悩んでいたけど、今日、こうしてバンクーバーから4年掛けてやってきたことが出せた。支えてくれた方々に最高の演技ができて嬉しかった」。
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彼女にとってメダルは結果であり、こだわりはプロセスと一体になった結果なのだ。
そしてこのことが、豊かな時代に生きている今の若者の姿なのかもしれない。