樺太は、唐人という言葉がなまったものだそうだ。
江戸時代には北は清国、南は日本の支配が及んでいた。
長い間、樺太は半島か島かが国際的に議論されてきた。
というのは、アムール河の河口より北側では、船が通行できないくらい浅いのだそうだ。
そこで、ヨーロッパの探検家は、樺太が半島であると思っていたようだ。
最終的に島であることを確認したのは間宮林蔵である。
林蔵は、北方四島にもいたことがある。
当時ロシアの船が略奪とかをしており、江戸幕府はかなり神経質になっていたようだ。
確実に言えることは、北方四島にしても樺太にしても、ロシアの領土ではなかったということである。
中国は、樺太の領有権を主張する可能性もある。
かの国は、新疆ウィグルや西蔵も支配してしまったので、尖閣の問題が片付いたら、樺太に出てくるのだろう。
林蔵は、伊能忠敬に測量を学んだといわれているが、同時に幕府の隠密もしていたようだ。
地図を作るというのは、隠密にはうってつけの仕事だったのだろう。