生きている間にもう一度チベットへ行きたいと思っている。
それはカイラス山を訪れるという夢だ。
チベットの西に位置するこの山は、ラマ教の聖地である。
*****
チベット族にカン・リンポチェ峰(大きな氷の宝石)として知られるカイラス山(標高六六五六メートル)は,チベット西部のマナサロワル湖近くの牧草地にそびえ立つ。
雪におおわれた頂をもち,古来ヒンズー教徒,チベットの原始的ボン教徒,また仏教徒にとって聖山である。
チベット族には須弥山と同一視されている。
危険に満ちた有名な巡礼路が山麓一帯をめぐっている。
文革のあと,聖山巡礼は昔日の活況を取り戻している。
巡礼者のうちある者はヤクや羊の群を伴ってチベット高原を流浪しつつ聖地に辿り着き,ある者はラサからトラックの便乗をまじえて聖地に向かう。
いずれにしろ,長期にわたる彼らの道中の多くは,乞食行によって辛うじて支えられている。
そのように,巡礼者の出身地や階層はいろいろでも,彼らが異口同音に語る巡礼の目的は「来世のために徳を積むこと」である。
聖山めぐりの基地であるタルチェンに到着した巡礼者は,昼夜兼行でカイラス山一周を三日に一度くらいのぺ一スで繰り返し,多くはその目標回数を十三回に定めているという。
しかもその十三めぐりのうちの少なくとも一回だけは,全行程を五体投地で進むのを念願とし,そのため衣服の膝や袖の部分をすり切らせ,額に血をにじませた巡礼者を見ることもまれではない。
「三途の脱れ坂」でなされた餓悔滅罪のための行が,この場合には全行程にわたる五体投地という,いわば〈歩く〉ことを極限にまで押しすすめた苦行にグレードアップされるのである。
そればかりではなく,チベット高原の各地では,カイラス山一周の巡礼路にいたる蓬か手前からでも,五体投地を繰り返しながら聖山をめざす巡礼者の姿が少なくないという。
大地に全身を打ちつけながら進む巡礼者の礼拝とは,釈迦牟尼仏の身体に等しいチベットの大地に対し已れの五体をあげて織悔し,滅罪を願うことにほかならない。
キャンチャと呼ばれるこの五体投地の礼拝で,巡礼者はまず両手を頭上で合掌し,「この身体のつくりしこれまでの罪を清めたまえ」と祈り,ついでその両手を顔の前で合わせ,「この口がこれまでにつ一くりし罪を清め
たまえ」と祈り,さらに両手を胸の前で合わせ「この心がこれまでにつくりし罪を清めたまえ」と祈る。
身口意の三業が犯した一切の罪のゆるしのためには,その代償としてこれほどまでに凄まじい肉体的痛苦が必要だと観念されているわけである。
*****
食べ物の少ないチベットでは、ヤギも痩せている。
5000m級の山地には、十分な草がない。
これがモンゴルへ行くと、羊は肥え太っている。
3000mの大地は、それほどに豊かだ。
チベットの人々は犬を大切にする。
これが漢民族との摩擦を引き起こしている。
彼らは、犬を食べるし、魚を食する。
三業の罪科を消滅するために、チベットの民はカイラスを訪れる。
さて、果たしてカイラスを訪ねる日が果たしてくるのだろうか。