男は考え続けていた。
いつからこの深みにはまりこんだのだろう。
ずっと長い間考えている気がするが、実はそんなに長くもないのかもしれない。
どんよりとした思考の深みは、決して不快なものではなかった。
ただ出口の見えない思いは、胎動のように心の中にささやきかけていた。
「もうよいのかもしれない」
目覚めてもよい頃だった。
「ここはどこだ」
問いかける心の中に、かすかに水の音が聞こえた。
「今は朝なのか」
そう言えば、太陽のような光が忽然とまぶたに差し込んできた。
「音がする」
そう、波が頭上を駆け抜けていくようだ。
自分が水の中にいて、ゆっくりと浮遊しながら流れに身を任せている状態が知覚された。
「もうよいのかもしれない」
再び思ったとき、四肢に力がみなぎる気がした。
「起きよう」
手足をのばし、縮め、再びのばし、そして泳ぐことを始めた。
少しずつ、しかし確実に進み始める。
「もう始まったのだろうか」
何かが変わろうとしていた。
そのことを、ずっと昔から知っている気がした。
だからこそ、考え続けてきたのかもしれない。
泳いでいく先に何かが待っている気がする。
「遅れてはいけない」
目指す場所はわかっていた。
湖の深み、いまだ誰も訪れたことのない場所だった。
男も初めて訪れるのだが、妙に懐かしい思いがした。
緩やかな下りを過ぎると、ごつごつとした岩が現れてきた。
岩肌にはべっとりと生き物が張り付いている。
「ビワオオウズムシ」
思いついたように男はつぶやいた。
絶滅危惧種Ⅰ類に指定されている琵琶湖の固有種だ。
「しかし、それにしてもこの多さはどうだ」
何かが急激に変わりつつあるようだ。
「急がないと」
男はまた泳ぎだした。