チベット語で書かれたケーキをもらった日本人も少ないだろう。
50歳の誕生日を私はラサで迎えた。
不思議な因縁である。
何と書かれているのかよくわからないが、きっと「誕生日おめでとう」なのだろう。
2001年4月から5月にかけて、約1か月間、私は中国雲南省からチベットまで陸路で探査した。
標高3000mから5000mの昇降を繰り返す旅だったが、苦しくて楽しいものだった。
たどった道は、チベット攻略のために毛沢東が解放軍を率いて建設した侵略の路である。
世の中には不条理なことが多い。
力の弱いものは国土を追われ、流浪の民と化す。
勝ったものは歴史を書き換え、負けたものに服従を迫る。
しかし常に勝ち続けるわけではない。
「盛者必衰の理をあらはす」のである。
中国や韓国がわが国に「正しい歴史認識」を迫り「領土の主張」を迫ることが、日本のナショナリズムを高揚させているのも皮肉である。
このことはアメリカにとっても迷惑な話であり、本音ではお互いに触れ合ってほしくないところでもある。
「従軍慰安婦はどこにでもいた」と主張することが、何の意味があるのだろうか。
そのような歴史は古今東西知られたことであり、声高に発言して自己の正当化をはかってみても、罪が消えるわけではない。
まるで「子供の喧嘩」だ。
野良犬が駆逐され、広場はきれいになり、魚肉が盛んに食されるようになったチベットでは、中国化が着々と進行している。
少なくとも表面的には、である。
しかし連綿と続くラマ教の教えは生きている。
民族の強さとでもいうのだろうか。
チベット文字が描かれた誕生日のケーキは、祝ってくれた中国人、チベット人、モンゴル人、日本人の友情にあふれていた。
長い人類の歴史の中で、お互いが完全に理解しあうことは困難かもしれないが、その努力は続けるべきだろう。
中国、韓国、日本の共存共栄が世界の安定と希望につながるのだということを忘れてほしくない。
「自他共栄」は、私の好きな言葉の一つだ。