
蘇武は、漢の武帝(劉徹)によって使者として派遣された匈奴に、捕縛されてしまう。
帰順することを拒否したため、北海(今のバイカル湖)の北に流された。
彼の母は悲嘆して死去し、妻は再婚し、家族は離散してしまう。
蘇武の友人であった李陵は、軍人として匈奴討伐に向かう。
歩兵を指揮して戦い、逆に匈奴に捕縛される。
武帝の怒りを買った彼の家族は族滅(一族全員が処刑)される。
このことによって、李陵は降伏し匈奴の軍人となる。
拡張しようとする漢(中華)の皇帝の犠牲となった蘇我と李陵。
この二人が再開するのは、バイカル湖のほとりだった。
北方謙三が「史記」の中で描写する蘇武と李陵のことばだ。
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国とは、理不尽そのものではないか、と思い続けてきた。
漢も、匈奴もだ。
人の運命を、たやすくいじりまわす。
国がなければ、戦などない、とは言えないが、国を守るためだけの戦は、いかにも多すぎる。
そういう戦を好んだのが、いまの漢の帝だった。
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「俺は、生きてきた。そして、これからも生きる。そう思っている」
「生きるとは、なんなのだ。俺は族滅を受けた時に、本当は死んだのだろうか?」
「人は、何度でも死ぬのだ、李陵。この世が生きるに値しないと感じたら、たやすく死んでしまう。死んでもまだ、何かが続いている。そう考えると、死ぬことも生きることだと思う」
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族滅といえば、最近の北朝鮮でもあった。
韓国の聯合通信が北朝鮮の張成沢・元国防副委員長の親族が処刑されたことを伝えた。
「複数の情報提供者」の情報に基づくものだという。
張成沢氏は北朝鮮のナンバー2だった。
昨年12月8日に逮捕され、12日には公開裁判ののち、銃殺された。
その累が親族に及んだ。
張成沢氏の姉とその夫の元キューバ大使、また、マレーシア大使を務めた張成沢氏の甥など、親族たちが次々消されていった。
ある者は家から連れ出され、近所の人の見ている前で殺された。
2000年も前に中国であった話だが、今でも北朝鮮では起こっている。
主張し、行動し、血を流し、獲得しなければ、基本的人権は維持されない。
権力という得体のしれない欲望には、常に目を光らせる必要がある。
そうしない、我々の大切な権利や愛情までもが簡単に蹂躙されてしまう。
何かを築きあげるのは大変だが、壊すのは簡単にできる。