中島京子の小さいおうちという本を読んだ。
タキという名のお手伝いさんを通して、戦前・戦中の東京を描いている。
ある日、彼女は元雇用主である小中先生と道端で出会う。
小中先生は、作家だった。
昭和19年、東京で空襲が始まった年だった。
雑談の中で先生は語った。
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「なにがどうというんでもないが、僕だって、一生懸命やっている。僕だって、岸田だって、菊池だって、よくやっている。国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難する者があらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界まで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言ったほうが勝ちだとなる。そうはしたくない。しかし、しなければこっちの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。悩む。書く。火にくべてしまえと思う。あるいは、投函してしまえと思う。どちらもできない。いやはや」
独り言をごにょごにょつぶやいて、小中先生は、まことにまずそうに珈琲を飲んだ。
「マドリング・スルーというんだよ。英語でね」
わたしではなく、よそを見つめる目をして、先生はおっしゃった。先生は小説家で、子供のための英語の本を翻訳されることなどもあった。書斎には洋書も多かった。
「マドリン?」
「マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場その場を切り抜ける。戦場にいるときの、連中の方法なんだ。この頃口をついて出てきてね。マドリング・スルー。マドリング・スルー。秘策もなく。何も考えずに」
わたしが黙っていると、先生はちいさなため息を吐いてから、柔和な笑顔を取り戻された。
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いろいろ考えさせられる一文だった。