琵琶湖の湖底酸素が低下してきたので、水電解による酸素供給方法を考えた。
アイデアとしては、水電解で発生した酸素を湖底に供給し、水素は新エネルギー源として活用するというものだった。
この話を応援してくれたのは、当時の琵琶湖環境部長だったI氏だ。
しかし、反対する人もいた。
環境政策課長をしていたY氏だ。
二つの異なった意見の間で、苦労しながらプロジェクトを進めた。
いろいろ試験をして、二つの手法を開発した。
電極を用いて直接水分解する手法と、電解膜を用いる手法だ。
どちらにも一長一短がある。
ただどちらの手法を用いても、2トンの無酸素水を1時間弱で60%まで回復させることができた。
太陽光発電で十分実現可能な結果だった。
そのころ、政治面で大きな変化があった。
K知事の誕生だ。
結果としてI部長が追われて、Y部長が誕生した。
この人の登場は、困ったことを引き起こした。
自律型潜水ロボット淡探の運用が止まった。
水電解の技術開発も終わりとなった。
これからというときに、一方的にすべてが止まってしまった。
「官僚はいいですね。評論家と同じで、結果に責任を持たなくてもよいから」
と批判したら、
「官僚は評論家でいいんだ」
という答えが返ってきた。
この時開発した技術について、今でも世界中から問い合わせがくる。
中国でも新たな挑戦が始まる。
おそらく、これらの技術が生きるのは、滋賀県ではなくて他のアジアの国だろう。
その後、Y氏は失脚したが、ロボットも水電解技術もよみがえることはなかった。
10年早かったかな、としみじみ思う。
政治は、歴史を止めるだけでなく、逆戻りさせてしまうこともある。
よい政治とは何だろうか、つくづく考えさせられるこの頃だ。
ただ評論家はもうごめんだ。