意外に思われるかもしれませんが、私は出不精な方だと自分では思います。
人がたくさん集まる場所が特にだめです。
まだ十代だった頃から苦手でした。
気持ちがざわざわして息が詰まるようで、落ち着かないのです。
私に限らず、誰しも同じような感覚があろうかと思いますが。。。
いい年齢の大人になった今でもそれは変わりません。
よほどのことがない限り、休日はほとんど家の中で過ごします。
満員電車を降りると雑踏をかき分けて職場にたどり着く。
人にぶつかったりしないように緊張しながら雑踏を抜け、ふたたび満員電車に乗る。。。
というのが私の日常ですから、当たり前の反応なのかもしれません。
だから都心に行かずに済む日は、じっと家の中で一人を楽しむのがうれしくてたまりません。
諸般の事情?から、人に溢れる大都会、東京に住むようになって20年が過ぎました。
その間にインドと日本を繋いで仕事をしている人たちとの出会いがありました。
最初はインドの布の味わいにひかれてのことでしたが、次第にインドに限らず、アジアの手仕事へと関心が広がっていったのです。
そんないろんな出会いの一つがネパールの手漉きの紙です。
手漉きの紙にブロックプリントされたカレンダーを使うのが毎年の楽しみになりました。
上質パルプの紙にハイテクの印刷が施された立派なカレンダーとは別の表情が、私の目に優しく映りました。
用が済んでしまったカレンダーを捨てる気持ちになれず、何年分かがたまってきた頃、流木や石に貼ることを思いつきました。
そんな作品の一つがこれです。
04年のお正月用の飾りとして作ったうちの一つでもあります。
ベースになっているのは式根島でひろってきた高さ11cmほどの小さな流木。
大きな作品には使えなかった小花の模様を切って貼り付け、ペイントも少し入れました。
ドングリの殻斗にまったく別の木の実をつけてみたり、この時の最後の作品だったので遊びの要素も加わりました。
チクチクと縫い取りが入っているのは、以前にも登場したことのあるインド・ラジャスタン地方の刺し子。
その上は、バナナの繊維が漉き込まれている紙とサハラの砂入りの手漉き紙。
背景にあるのはインドネシア(ジャワ島あたりのもの?)のバティック。
・・・こんなものたちに囲まれて過ごす休日は、文字通りの安息日です。
人がたくさん集まる場所が特にだめです。
まだ十代だった頃から苦手でした。
気持ちがざわざわして息が詰まるようで、落ち着かないのです。
私に限らず、誰しも同じような感覚があろうかと思いますが。。。
いい年齢の大人になった今でもそれは変わりません。
よほどのことがない限り、休日はほとんど家の中で過ごします。
満員電車を降りると雑踏をかき分けて職場にたどり着く。
人にぶつかったりしないように緊張しながら雑踏を抜け、ふたたび満員電車に乗る。。。
というのが私の日常ですから、当たり前の反応なのかもしれません。
だから都心に行かずに済む日は、じっと家の中で一人を楽しむのがうれしくてたまりません。
諸般の事情?から、人に溢れる大都会、東京に住むようになって20年が過ぎました。
その間にインドと日本を繋いで仕事をしている人たちとの出会いがありました。
最初はインドの布の味わいにひかれてのことでしたが、次第にインドに限らず、アジアの手仕事へと関心が広がっていったのです。
そんないろんな出会いの一つがネパールの手漉きの紙です。
手漉きの紙にブロックプリントされたカレンダーを使うのが毎年の楽しみになりました。
上質パルプの紙にハイテクの印刷が施された立派なカレンダーとは別の表情が、私の目に優しく映りました。
用が済んでしまったカレンダーを捨てる気持ちになれず、何年分かがたまってきた頃、流木や石に貼ることを思いつきました。
そんな作品の一つがこれです。
04年のお正月用の飾りとして作ったうちの一つでもあります。
ベースになっているのは式根島でひろってきた高さ11cmほどの小さな流木。
大きな作品には使えなかった小花の模様を切って貼り付け、ペイントも少し入れました。
ドングリの殻斗にまったく別の木の実をつけてみたり、この時の最後の作品だったので遊びの要素も加わりました。
チクチクと縫い取りが入っているのは、以前にも登場したことのあるインド・ラジャスタン地方の刺し子。
その上は、バナナの繊維が漉き込まれている紙とサハラの砂入りの手漉き紙。
背景にあるのはインドネシア(ジャワ島あたりのもの?)のバティック。
・・・こんなものたちに囲まれて過ごす休日は、文字通りの安息日です。