すじ雲がくっきりと浮かぶ真っ青な空と深く青い海…
久高島の話で盛り上がったのは彼女と最後に会った2011年4月のことだった。。
久高島の話で盛り上がったのは彼女と最後に会った2011年4月のことだった。。
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暑い日が続いてるけど元気?
ご無沙汰してます。じつは7月から緩和ケアに移行して通院中。
まだきちんと伝えられるうちに、今までのお礼伝えたくてメールします。
適度な距離でお付き合いしていただいてありがとう!
楽しい時間だったよ(^_^)v
一年前に末期ガン見つかって以来、自己決定、当事者主権で延命してきて、今ちょっと楽になったよ。
いきなりのメールで驚かせてごめんね。
ご無沙汰してます。じつは7月から緩和ケアに移行して通院中。
まだきちんと伝えられるうちに、今までのお礼伝えたくてメールします。
適度な距離でお付き合いしていただいてありがとう!
楽しい時間だったよ(^_^)v
一年前に末期ガン見つかって以来、自己決定、当事者主権で延命してきて、今ちょっと楽になったよ。
いきなりのメールで驚かせてごめんね。
彼女…Kazkoさんとは20年来のつき合い…ライター同士として出会ったのが最初でした。
同じ仕事に携わることは少なかったけれど、一年に一度くらい会って他愛もない話をする…そんなつき合い方をしていました。
「半年前にがんが見つかり、治療の日々を送ってます。でも、元気なので、また会いたいなぁ!」
その年の年賀状に書き添えられた言葉に驚きました。
それでも「元気なので、また会いたい」という彼女のメッセージに、のんきな私は少し安心していたのです。
いつもならば、春めいたころに「そろそろ会いたいねぇ」というメールがKazkoさんから届きます。
けれど、この年は春を過ぎてもKazkoさんからはいつものような連絡はなく
少々気がかりではあったのです。
ちょうどその頃、私は私なりのモンダイを抱えていました。
生命にかかわるようなことではなかったけれど、一身上の問題でした。
ともかくもその問題が決着してから、すっきりとした気持ちでKazkoさんに会いに行こうと思っていました。
しかし、決着はつかないまま7月を迎え、Kazkoさんから上記のメールが届いたのが7月31日…ちょうど4年前の今日のことでした。
緩和ケアを受けながら再会のタイミングを待つ中で、メールのやり取りが始まりました。
病院の一室で過ごす一人と浮き世の波に抗いつつも流されている一人とのやり取りは
相変わらず饒舌ではないけれど、それまでよりも率直な言葉の往復になりました。
そんなつき合い方が新鮮に感じられ、再会の日を心待ちにしていたところへ訃報が届きました。
9月25日のことでした。
その日の朝、穏やかに苦しむこともなく最期を迎えた…
本人の希望により葬儀などは行わない…
友だちには、知らせてほしい人にだけメールしてくれればそれでいいと頼まれていた…とのことでした。
実にKazkoさんらしい逝き方がズシンとこたえました。
その気持ちを言葉にできない日々が長く続きました。
さらにその2年後、10月25日には敬愛する友人の一人、10月28日には母…と、大切な人の旅立ちが相次ぎました。
今、悲しいとか寂しいといった気持ちが消えたわけではありません。
けれど、それとは別の思いが日ごとに増しています。
現実に生身の人間同士として会うことはないからこそ
彼女たちはBoccoの中でより確かな存在となってきているようです。