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タラヨウ・2~果実

 モチノキ科モチノキ属の「タラヨウ(多羅葉)」。4~5月に葉腋に淡黄緑色の花を密に咲かせ果実は秋に赤く稔る。タラヨウの葉は長さ20センチほどの長楕円形で、裏面に固いもので字を書くとその形が黒く浮き出てくる。“多羅”の名は、古代インドで経文を書くのに使われたオウギヤシのターラ(tala=多羅樹)に由来している。日本ではタラヨウの葉に経文を書いたり戦国時代にはタラヨウの葉を使って通信手段としていた。“はがき”の名前は古来は“端書(はしがき)”から来ているが、明治時代に郵便制度が出来てからは“葉書”と呼ばれるようになった。これはタラヨウの葉が通信手段として使われていたことに由来するとも言われている。ちなみにタラヨウの葉に定形外郵便料金120円(50g以内)の切手を貼れば配達してくれる。
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ナンテン

 学生時代はせいぜい数十枚だった年賀状は、就職後はその数が年々増え40歳代半ばからは毎年400枚以上出していた。退職後は相手の"年賀状仕舞い”もあり少しずつ枚数が減り最近は100枚ほど。まあ年1回の生存連絡でもありこの程度のコミュニケーションは残すことにしよう。
 さて年賀状を整理しながら考えてみると私の住所は就職してから独身寮、アパート、マンション、社宅と数年毎に転居し22年前に多摩ニュータウンに新居を構えてやっと自宅が固定した。その住所遍歴を振り返るとずいぶん"南”に縁がある。独身寮を出てから住んだアパートは神戸市東灘区西岡本だったが、初めて購入したマンションは『東灘区本山"南”町』。昭和62年に東京勤務の辞令が出て『港区"南”青山』の社宅に住みその後『豊島区"南”長崎』の家族寮に移った。現在の住所は『八王子市"南”大沢』なので"南”が4回続いたがこれで打ち止めになる。
 写真はメギ科ナンテン属の「ナンテン(南天)」。中国原産の常緑低木で日本には江戸時代以前に渡来し各地に拡がっていった。初夏に円錐花序を出して白い花を咲かせ果実は晩秋に赤く稔る。常緑だが寒さのためかその中の一部が赤く色付くことがある。
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