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野鳥・75~ルリビタキ雌3

 今年も会うことができた「ルリビタキ(瑠璃鶲)」のメス。ヒタキ科ルリビタキ属の漂鳥で関東地方では冬に見られる。私はまだ瑠璃色のオスを見たことが無いので今冬は何とか見つけたい。オスの幼鳥はまだ背中や尾羽の瑠璃色が薄くメスの成鳥と区別が難しいようだが写真は一応メスとしておこう。これは堀之内寺沢里山公園のもの。
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ミツバウツギ

 今年届いた年賀状で住所録の更新整理を行いピークには500件近くあった住所リストは今は100件程度になった。年賀状を眺めながら、私は物心ついてから今日までどれだけの人と話したことがあるのだろうかと考えてみた。
 一期一会の人もいれば家族や職場などでは毎日話す人もいる。幼少時代は家族や親類、幼稚園の先生とお友達、それにご近所さんなどでせいぜい50人ほどだろう。
 小学校では1クラス40人程度が6クラス。毎年クラス替えがあるものの重複を考えればせいぜい150人くらいか。私は一度転校があるので、先生を含めて6年間でおそらく300人程度だろう。
 中学校では1学年の人数が500人になり一度も話したことが無い同級生は多かったが、クラブ活動で上級生と下級生との交流が増え、更に転校があったので3年間でざっくり300人と言ったところ。
 高校は1クラス45人1学年400人だったが、3年時には受験科目によってクラスがシャッフルされるのでかなりの同級生と交流できた。更にクラブ活動や文化祭、体育祭で上級生、下級生との接点が増え、3年間で400人とは話しただろう。
 大学生になると1学部は1,000人で語学クラスの同級生40人とは4年間一緒だったが、選択科目によっては500人の大教室になることもあり、そこでは新しい友人は出来にくかった。もっぱらクラブの連中との交流が多く、喫茶店のマスターやたまに参加した合コン、合ハイをひっくるめて500人ほどと考えられる。
 就職後は2~3年毎に転勤があり営業では多くの顧客に会った。若い頃の担当顧客数は300人以上で転勤すればまた新たに300人が増える。本部人事部門では大量採用時代の新入社員を指導し多くの後輩と話す機会が多かった。また首都圏だけでなく近畿、中部の本部部門や支社営業部門統括の時期もあり約30年で同僚100人、先輩200人、後輩700人、顧客2,000人とは話しただろう。
 第2の会社に転籍後も新しい仲間、新しい顧客との接点が多く12年で600人程度になると思う。
 これらを合計すると5,000人超。日常生活の店舗やレストランでの店員さんとの一期一会の会話を含めるとざっと6,000人くらいにはなるのだろう。
 写真はミツバウツギ科ミツバウツギ属の「ミツバウツギ(三つ葉空木)」。その葉痕にはブタ鼻の顔が見えるが、私が話した6,000人の中にこんな顔の人がいたかどうか。

♪♪人は生きてるあいだに(コカ・コーラ)
  何人ぐらいと知りあえるのだろう
  (コカ・コーラ コカ・コーラ)
  みんな友達でいたい(さわやか)
  コカ・コーラ うるおいの世界
(『うるおいの世界・友達編』 作詞:有馬三恵子
作曲:玉木宏樹 歌:かまやつひろし 昭和49年)
(JASRAC許諾第J210129422号)
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