主人公とその二人の友人は、公園のそばを通る奇妙な歩き方をする障害のある子どもに、足をかけてころばせる「遊び」を始めます。
毎日繰り返しているうちに、その子はそこを通る時間を変えるようになりました。
それでも、主人公たちは執拗にその子を探し回って「遊び」をし、やっているうちにエスカレートしていって、ついには三人がかりで暴力をふるいます。
必死になったその子は、三人のうちの一人のふくらはぎに噛みつきます。
三人がいくら離そうとしても噛み続けるので、まわりの大人たちまでが集まって大騒ぎになります。
その子が会話ができないことをいいことに、三人は一方的にその子を悪者に仕立て上げます。
後日、噛まれた子の父親に抗議を受けた養護学校の教師が、反論のために主人公の学校の校長を訪ねます。
校長室に呼ばれた主人公たちは、問い詰められて真実を告白したでしょうか?
いいえ、作者はそんなことで主人公に安易な救いを与えたりはしません。
彼らは、最後まで嘘をつき続けて、とうとうその場を逃れてしまいます。
その代わりに、主人公の心には、一生消えない良心の呵責という「歯型」が残ったのです。
自分より弱い者へのいじめ、自分と違う者への差別。
ここでは、主人公たちのような子どもたちだけでなく、彼らの親や周囲の大人たちまでがそうした面を持っていることを鋭く告発しています。
彼らが、いわゆる普通の子ども、普通の大人であるだけに、より深刻な問題です。
そういう私自身も、こうした優越意識や差別意識を、少なからず持っていることを告白しなければなりません。
「歯型」のような作品は、読者のおそらく全員が持つであろうこういった問題点を常に再点検するためにも、繰り返し読み続けられ、そして書き続けられなければなりません。
ぼくのお姉さん (偕成社文庫) | |
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