現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

黙読か、音読か

2018-09-14 08:43:31 | 考察
 絵本や幼年童話において、その本がどのように読まれるのかを想像してみることは有益なことです。
 これらの作品の読まれ方は、大きく分けて以下の三通りになると思われます。
 まず第一は、両親や教師などの大人が、幼い子に読んで聞かせる場合です。
 次に考えられるのは、子どもが自分自身で読む場合です。
 その時には、文字を目で追って黙読する場合と、実際に口に出して読んでみる音読の場合があるでしょう。
 こうして考えると、大人の読書と違って、情報が目から入ってくるだけでなく、耳からも入ってくる場合も多いことが分かります。
 そのため、これらの作品を書く場合には、作者自身が声に出して読んでみることをおすすめします。
 黙読して推敲した場合には気づかなかった、声に出した時の読みずらさや、音の響きの問題などに気がつくことでしょう。
 こういった作業を重ねて作品を完成させていかないと、優れた幼年文学を創造することは困難だと思われます。

 
読み聞かせわくわくハンドブック―家庭から学校まで
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一声社
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BOAT

2018-09-13 16:31:17 | 演劇
 藤田貴大作・演出のマームとジプシーの公演です。
 ボートでたどり着いた人々の子孫が暮らす土地には、今でも時々ボートがたどり着きますが、住民たちはそれに無関心で、余所者たちを迫害しています。
 ある日、ボートが上空に殺到して土地は破壊され、人々は他の土地を目指します。
 非常に分かりやすい比喩としては、トランプ政権の移民政策ですが、もっと一般的なEUなどの移民問題、さらには外部の人たちに閉鎖的な地方が衰退していく日本の現状も連想させます。
 作品としての特長は、作者が重要であると考えるセリフを間隔を置いて少しシチュエーションを変えて繰り返す(リフレインと呼んでいるそうです)手法で、メッセージを強めています。
 音楽、セリフ、舞台美術ともにあまり新味は感じませんでした。
 ところで、出演者のセリフが棒読みなのは、わざとそうしているのか、それとも下手なだけなのかは、とうとうわかりませんでした。

Kと真夜中のほとりで
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青土社

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絵本や幼年文学の単純化

2018-09-13 08:36:53 | 考察
 最近の絵本や幼年文学の多くは、ますます単純化されて枚数や文字数が少なくなっています。
 この傾向は、三十年も前に安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)の中で警鐘を鳴らしていましたが、現状はさらに悪化を遂げています。
 その原因としては、読み手側の読解力の低下もありますが、それ以上に作り手側(出版社、作家、画家など)の事情によるところが大きいと思われます。
 短い作品の方が作成コストを下げられ、定価も下げられて売りやすいからです。
 そこには、出版社のビジネスや作家の生活がかかっているので、一概に批判ばかりはできませんが、作品の質の低下が起こるのは否めないでしょう。
 わかりやすい例で例えると、テレビにおけるお笑い芸人です。
 彼らは、俳優などの他のタレントと比較してギャラが安価なので使いやすく、たくさんの番組(バラエティ番組以外にも)出演しています。
 しかも、そこで彼らに求められているのは、彼ら独自のネタではなく、彼ら自身のキャラクターなのです。
 ネタを作りこむのはたくさんのエネルギー(つまりコスト)がかかりますし、「うける」とはかぎりません。
 そんなコストをかけるよりは、安直にタレントのキャラクターそのもの(デブ、ヤセ、ブス、チビ、ハゲ、アホ、ケチ、ゲス、過度な潔癖症、男女のスキャンダル、性的マイノリティなど、一般には負と思われているキャラクターの方が圧倒的に多いです)で笑いを取ろうとしています。
 この傾向は、児童文学(特にエンターテインメント作品)にも如実に表れていて、ストーリー展開や描写や文章よりも、個々のシーンが「いかにうけるか」や登場人物の「キャラクターがたっているか」などの方が重要視されています。
 こうして、「児童文学」は、「芸術としての文学」から、「暇つぶしの消費財」へと、加速度的に変貌を遂げていっています。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
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中央公論新社
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キャラクターの魅力

2018-09-12 08:24:07 | 考察
 最近の児童文学のエンターテインメント作品では、ストーリー展開で読ませるよりも、個々のシーンや文章の面白さが重要になっています。
 その面白さを支えるのが、登場人物のキャラクターの魅力です。
 人間としてのリアリティよりも、いかに際立った個性を持っているかが重要です。
 主人公のキャラクターがたっていることが必要なのは言うまでもありませんが、脇役たち、場合によっては1シーンしか登場しないような登場人物でも、そのキャラクター性は入念に計算されていなければなりません。
 たとえ、ストーリー展開に多少の無理があったり、わき道にそれてしまったりしても、それでキャラクターが生きてくるならば、そちらを優先したほうがいいでしょう。
 こうしたキャラクターを生かせるために、会話や地の文がポップで魅力的であることが重要です。
 キャラクターを自在に使い分ける、柔軟な文体がそこでは求められます。

キャラクター小説の作り方 (星海社新書)
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講談社
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アントマン

2018-09-11 18:15:38 | 映画
 2015年公開のスーパーヒーロー映画です。
 他のスーパーヒーロー物と一番違う点は、ヒーロー自身だけでなくまわりの物まで自在に小さくしたり大きくできることです。
 そのため、SFXとの親和性が高く、いろいろと面白いシーンがあたかも実際に起こったように再現できます。
 この映画では、アントマン登場までの経緯を説明するのにかなり時間を使っているので、前半はやや退屈ですが、後半のアクションシーンは期待通りでなかなかのものです。
 特に、ラストの子ども部屋での鉄道模型を使った戦いは、子ども(特に男の子)なら一度は自分もやったことがあるようなシーンが実際に再現されているので楽しさ満点でした。
 中でも、きかんしゃトーマスが巨大化して家の壁を突き破ったシーンは、幼かった頃の息子たちが夢中になって遊んでいた物が実写化されたようで感慨深かったです。
 アクションシーンやこのシリーズの大きな特長であるユーモアは、続編の「アントマン&ワスプ」(その記事を参照してください)よりは足らないのですが、ラストで「アントマン&ワスプ」で使われるワスプ・スーツも登場して、アメコミ的な連続物の雰囲気は味わえます。

アントマン (吹替版)
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定型を崩すために

2018-09-11 07:26:33 | 考察
 児童文学の作品世界には、今までにたくさん書かれてきたいろいろな定型があります。
 以下にいくつか挙げてみます。
 優等生の兄(姉)とそれに反発する弟(妹)、あるいはその逆のパターン。
 家庭を顧みない父親と子ども思いの母親、あるいはその逆パターン。
 一人暮らしの老人とそれを呼び寄せようとする息子(娘)一家。
 管理主義の学校や教師とそれに反発する子どもたち。
 性格の悪い金持ちの子どもとけなげな貧乏の子ども、あるいはその逆パターン。
 まだまだたくさんあると思われますが、こういった定型を使って作品を書くのは、すでにある作品と比較されたり、読者に既視感を持たれたりして、不利になることが多いと思われます。
 そのためには、定型にならないようなユニークな設定にすることが一番ですが、現実的にはなかなか難しいと思います。
 定型をまぬがれる効果的な方法としては、作者が自分の作品はある定型なのだということを意識して、どこかで読者の予想を裏切るような場面を設定することでしょう。
 そうすれば、定型をアレンジしたバリエーションとして、一定の独自性を得ることができます。
 要は、自分が定型を使っていることにどれだけ自覚的になるかで、作品の個性を生みだすことができるのです。

ライトノベル・ゲームで使えるオリジナリティあふれるストーリー作りのためのシナリオ事典100―パターンから学ぶ「お約束」
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秀和システム
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宮沢賢治「サガレンと八月」校本 宮澤賢治全集第九巻所収

2018-09-10 09:30:38 | 作品論
 冒頭の部分のみの未完の非常に短い作品です。
 タネリが登場するので、一般的には「タネリはたしかに一日中噛んでゐたようだった」の先行作品とされるのが一般的なようです。
 しかし、この作品の優れた描写や表現は、他の作品と同様の高い水準を持っています。
 農林学校の助手、風、波(浪)、タネリ、タネリのおっかさん、くらげ、ギリヤークの犬神、三匹の白犬、てふざめなど、魅力的なキャラクターが目白押しで、ラストで犬神に蟹にされてしまったタネリがこれからどうなるのかと考えると、未完に終わってしまったことが残念でたまりません。
 
サガレンと八月
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作品評における思想性の欠如

2018-09-10 08:54:44 | 考察
 最近の児童文学の作品評では、作者の思想性に踏み込んで書いているものは、ほとんど皆無です。
 確かに、作者の政治的な立場や宗教などに対する批判は、作品の本質から外れてしまうかもしれません。
 しかし、その作品が、子どもたちや若い世代(子どもたちの親たちも含めて)の生存を脅かしたり、世の中の進歩を妨げたりするような場合は、その思想性を厳しく批判しなければならないのではないでしょうか。
 故なき誹謗や中傷はもちろん許されませんが、いたずらに作者サイドからの反論を恐れているのか、あたりさわりのない評論があまりにも多い現状は全く物足りません。
 批評において、作品の表面的な技法などを論じるのは枝葉末節であり、そこに語られている作者の思想性について述べなければ意味がないのではないかと思っています。

神、さもなくば残念。――2000年代アニメ思想批評
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作品社
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津村記久子「ヨシカ」ポースケ所収

2018-09-09 08:35:49 | 参考文献
 短編集の舞台である「食事・喫茶 ハタナカ」の店主であるヨシカが、なぜ会社を辞めてカフェを開いたかを説明した短文(小説とは言えないほど説明的です)です。
 一言でいえば、1999年に施行された男女雇用機会均等法以降の女性の総合職(特に優秀な)がぶつかる男社会の壁(アメリカでは私が会社に入った40年前にすでに存在していた、いわゆるグラス・シーリングのことです)に耐えきれずに辞めたわけですが、これが津村の実体験に基づいているのかはわかりません。
 組織外に出ることでそれから逃れるのでは、社会的には何の解決にもならないわけですが、個人的にはヨシカに共感する女性はたくさんいることと思われます。
 津村には、組織内に留まってそういった問題を撃つような作品を書いてもらいたかったと思いますが、本人は職業作家として自立できるのであればその方が良かったのでしょう。

ポースケ
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中央公論新社
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無国籍童話の世界観

2018-09-08 08:30:32 | 考察
 架空の舞台や時代設定で描かれる無国籍童話や無国籍ファンタジーは、現実世界を描くのと比べて作品世界に制約が少ないので、書き手はのびのびと書きやすい利点があり、初心者も含めて多くの書き手が描いています。
 しかし、実際には、作者が思っているほど、読者にその作品世界が伝わらないことが多いです。
 こういった作品を描く場合には、まず作品の世界観をしっかりと構築することが大事でしょう。
 いったん確固たる世界観が出来上がれば、その世界観をもとに複数の物語を生成することができます。
 ようは、こういった作品の書き手は、常にその世界観を磨いてさえおけば、そこから新しい物語を紡ぎだすことはそれほど難しくないということです。
 逆に言えば、一つの物語のために一つの世界観を作っていたのでは物語生成が非効率で、一定水準の作品をコンスタンスに作り出すことは困難です。
 もっと安易な方法としては、既存の作品の世界観を借りて創作することです。
 一番有名な世界観は、トールキンが「指輪物語」で創造した(彼自身もヨーロッパの神話や伝説の世界観をもとにしています)「剣と魔法の世界」でしょう。
 この世界観は、ドラクエを初めとして無数のファンタジーやゲームで使われています。
 こういった世界観をもとに物語を創作することは、いちから独自の世界観を構築するよりははるかに楽なのですが、真のクリエイターであったら自分独自の世界観を作る楽しみがなくなるのでつまらないかもしれません。

メルヘンの世界観
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水声社
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津村記久子「我が家の危機管理」ポースケ所収

2018-09-07 08:24:04 | 参考文献
 ピアノ講師(ただし午前中はパートもしている)の妻と作家の夫(数年前までは会社に勤めていたというから津村自身の男性版か)が、うつ病の母親にネグレクトされている小学生の女の子と知り合う話です。
 ネグレクト、養子、不倫、離婚など、今日的な素材を扱っていますが、あまり深刻にならないように描いています。
 どうも最近の津村の作品は、主人公たちがだんだん自由業に限定されていくのが不満です。
 そんな小説はごまんとあるので、津村の得意分野であった普通の会社で働く人々(世の中の大半の人々がそうでしょう)をリアルに描かなくなると、このまま埋没してしまう恐れがあります。
 もっとも、津村自身が会社を辞めてしまったので、実際に普通の会社で働く人々からどんどん乖離してしまっているのかもしれません。

ポースケ
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中央公論新社
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津村記久子「亜矢子を助けたい」ポースケ所収

2018-09-06 09:05:56 | 参考文献
 この短編集の舞台である「喫茶・食事 ハタナカ」でパートをしている中年女性の話です。
 メインは就活で苦労している末娘を助けようとする話なのですが、次男も会社でうまくいかずに引きこもりになっていますし、結婚して東京で暮らしている長男も家出して地元に帰ってきているようで、彼女の心配事は盛りだくさんです。
 「ハタナカ」やコンビニで働いているシーンもあるのですが、どこか表面的で物足りません。
 ラストで、末娘の就活の好転や次男の就職をにおわせるなどして、やや明るい兆しはあるのですが、どこか中途半端な印象を受けます。
 作品の長さに対して、問題を盛り込みすぎたのかもしれません。

ポースケ
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アントマン&ワスプ

2018-09-05 08:35:05 | 映画
 人気アニメ映画の「アントマン」の続編です。
 超人的な力を発揮するところは他のスーパーヒーロー物と一緒ですが、なんといっても、ヒーローだけでなく、動物も乗り物も、そして建物までが小さくなったり大きくなったりするところが、この作品の最大の魅力でしょう。
 自由自在に大きさを変化させるのはSFXではお手の物なので、アントマンシリーズはそうした技術がフルに使われています。
 また、全編がユーモアで統一されていて、悪人も警察もぜんぜんシリアスでなくて、アクションシーンを純粋に楽しめます。
 ラストも「続編に続く」と言う感じなので、アメコミの世界を堪能できます。
 ミシェル・ファイファーやマイケル・ダグラスといったかつてのスター俳優が脇を固めているのも、オールド・ファンとしてはうれしい限りです。

【映画パンフレット】アントマン&ワスプ 監督:ペイトン・リード 出演:ポール・ラッド エヴァンジェリン・リリー マイケル・ダグラスほか
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配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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東野圭吾「人魚の眠る家」

2018-09-05 08:17:21 | 参考文献
 さすがに当代随一のエンターテインメント作家は、脳死や臓器移植といった重いテーマでも、一級の娯楽読物に仕上げています。
 おそらく最新の医療技術などは、彼の優秀なスタッフたちが集めて、彼自身は物語を紡ぐマシーンと化して、作品を量産しているのでしょうが、天性のストーリーテラーの腕前はさすがなものがあります。
 もちろんエンターテインメント作品なので、あちこちにご都合主義な展開はあるのですが、それを大きく破綻させることなくひとつの物語にまとめあげています。
 現在の児童文学の世界にも、彼のような剛腕のストーリーテラーが必要でしょう。

人魚の眠る家
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幻冬舎
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青山文平「ひと夏」つまをめとらば所収

2018-09-04 14:27:28 | 参考文献
 幕府直轄領の中にある藩の飛び地の村に、一人で派遣された若い武士の話です。
 彼の存在自体を無視する村民の見方を、突然起きた人質事件を、守り一辺倒の不思議な剣法で解決したことにより変えさせ、また彼らと交わることにより彼の村を見る目も変わります。
 地方で発達したユニークな田舎剣法、貧乏藩の内情、幕府直轄領と隣接する藩の関係、商人の勃興、奔放な男女関係、手習い塾での村の子どもたちとのふれあいなど、興味深い内容がたくさん盛り込まれているのですが、これから本格的な物語が始まると思われたところでお話が終わってしまい、尻切れトンボの感をぬぐいきれません。 

つまをめとらば
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文藝春秋
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