2020.5.3.SUN.
皆さん、こんにちは。
今日は第22回目の投稿です。
大学1年の時、黄帯で挑戦した第2回の道場の試合は2回戦敗退で終わりました。そして、第3回の試合は横浜文化体育館で第1回のオープントーナメント神奈川県大会として大々的に行われました。他県からの黒帯の出場があったり、当時有名だったアナウンサーが司会を担当していました。そして、何より、大山総裁が来場なさっていました。渡辺道場の昇級審査に大山総裁はいらっしゃってましたので、お会いするのは初めてではなかったのですが、やはり総裁の目の前での試合は緊張から身の引き締まる思いでした。私は大学2年で緑帯になっていました。大学の通学、学科授業、体育授業、空手の稽古、バイトを少々。体育の授業も曜日によっては、90分授業で4クラス(陸上、ラグビー、水泳とテニス?)健志台校舎で行われ、片道2時間50分の通学時間と合わせてたいへんでしたが、何を思ったか「全出席。オールA。」を目指しており、毎日目の回るほど忙しくも、充実した毎日を過ごしていました。
後に全日本や世界大会で活躍する選手も出場していたレベルの高い大会でした。私の対戦相手も強い方々ばかりだったのですが、今のように、対戦相手の情報を事前に知り、対策を立てるなど一切なかった時代。ネットもありませんし。でも、これが逆に自分にとっては良かったようで、余り余計な事を考えずに戦えました。
「『絶対に勝つ。』という強い気持ちを持って臨まなくては良い結果は生まれない。」と日頃稽古生の皆に言っているのですが、この時は「次は負けるな。」と思いながら戦っていました。しかし、自分の予想に反し?勝ち上がります。
続きます。
押忍。
吉岡智