社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

れくす先生の歴史授業8 中国文明の始まりと殷

2025年01月31日 15時52分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

れくす先生の歴史授業の続きです。

前々回はメソポタミア文明、エジプト文明、
前回はインダス文明(+その後のインド文化)を行いました。

今回は、中国文明です。




1 はじめに

他の文明と違い、中国文明のみ、
中学では「王朝」名を
習います。
(高校レベルだと、
他の文明でも王朝名を習います。)

また、教科書によっては、そのまま、
中国の王朝の歴史に進みます。

そのため、中国文明というくくりで
あまり習わないことが多いです。


そもそも「文明」というくくりも、
歴史の情報を整理しやすくするために
つけたものにすぎなく、
どこまでの時期を「文明」とするか?
にこだわるよりも
「文明という名がつくのは、その地域の
大規模な集団生活が始まったんだよ、
ということなんだな」という程度で
考えても良いと思います。




2 黄河の文明、長江の文明

中国の文明そのものは
黄河流域でも長江流域でも
おこったとされています。


地理でアジア地方を習ったときに
中国の2つの大きな川として
黄河長江を習います。

「河」も「江」も、
「河川」の意味が入っているので
「〜川」とはつけません。
河川名と聞かれれば
「黄河川」「長江川」としずに、
「黄河」「長江」と書く形になります。


また、黄河と長江では、気候や植生も
違ってきます。

古代の黄河では、畑作で
稗(ひえ)や粟(あわ)を、
長江流域では稲作で、稲(米)が
栽培されて
そこで多くの人が住み、
それぞれの文明が
築かれました。

黄河流域は乾燥している地域が多く、
長江流域は温暖で夏に雨が多い(温暖湿潤気候)である地域が多いです。

今は品種改良されて、稲(米)は涼しいところでも、水が少なくても作ることができますが、元々の稲は、
暖かくて、育つ時期の夏に雨が多い
ところである必要がありました。

そのため、長江では稲が栽培できますが、
乾燥して涼しい気候である黄河流域では
水を多く必要としなくても育つ(畑作で育つ)、稗や粟が栽培されました。

中学生の習う歴史では
それぞれの河川で生まれた文明を
習うわけではありません。

中学では、黄河流域
生まれた王朝の
(いん)」から始まり、
さらに黄河流域の王朝をメインに
勉強していきます。


他の地域の歴史でも同じことが
言えますが、
その国の歴史を考える時、
今の国の領土という広さで
歴史を見ないようにします。


今の価値観からすると、
小規模な地域での歴史です。
今の中国という国の規模で
考えるのでなく
黄河流域での都市の規模(都市国家)での
王朝と考えてください。

そして、黄河流域の王朝が、
あたらしい王朝にうつりかわっていくうちに
初期には、いわゆる連合を組んで
グループ内で
まとまっていた形(地方分権)から、
1つのトップ(皇帝)が地方までまとめていく形(中央集権)に変化し、
だんだんと領土を広げていきます。

殷は地方分権の王朝で、
中国が中央集権国家になったのは
秦のときです。

(地方分権と中央集権については
後日、別記事でアップします。)

今の中国の、長江流域まで領土が
広がるのは、かなり時間がかかりました。

教科書や資料集には
地図が載っているので
各王朝、各時期、の
勢力図を見てみると
よりわかりやすくなります。






3 殷

さて、中学レベルで習う中国の王朝名で
最初に出てくるのが「(いん)」です。  


殷王朝以外で「殷」という漢字を
日本では、ほぼ使うことはありませんので
初めて習うと「難しい」という印象を
うける人もいるかもしれません。

しかし、そこで焦らず
じっくりと勉強していただければ
良いと思います。

中国の王朝で、黄河流域で成立し、
現在歴史上で最も古い王朝と言われている
のが「殷(いん)」です。

神話や伝説では、「殷」より前に「夏(か)」という王朝があったと
言われていますが、
「夏」の遺跡や遺物などが出ていないため
「歴史」という点では
「現存していると歴史で確約されている」のは遺跡が出ている「殷」となります。




殷の遺跡のことを
殷墟(いんきょ)」といいます。

「墟」とは
「歴史的なできごとがあった場所(跡)」という意味なので、
「殷という王朝があった痕跡のあるところ」=「殷墟」となります。


殷は、メソポタミア文明やエジプト文明で栄えた国々と同様、宗教と強く結びついた王朝です。

ノートに殷について
まとめました。









殷では
戦争など、何かの決定で大きく後の歴史が変わるような出来事を考えるときには
占いをして、決めていました。


その占いの結果を記した文字を
甲骨文字と言います。



甲骨文字は、亀の甲羅や牛の骨などに刻まれた文字なので、「甲羅の甲」、「骨」の文字をとって、甲骨文字と呼ばれてます。


甲骨文字は後の漢字の元になる文字で
今、使っている「山」などの文字は
「甲骨文字」に似た漢字です。


殷王朝の時期には
まだ鉄器は使われておらず
青銅器が使われていました。

殷の青銅器なのですが、
かなり複雑な文様や形のものがつくられ
高度な技術がないと作るのが
難しいと思われるものだそうです。
現代でも、その作り方の詳細は
不明らしいです。

失われた技術、とも言えます。


私達が歴史を習う時、
とくに技術や学問に関して言えば
「現代に近づけば近づくほど
技術や学問は発展している」
「昔の人は、何も知らなく、
技術は今の技術よりも遥かに劣っていた」
と思い込みやすいです。

しかし、実際にはそうではありません。
もちろん、「ファスト」という意味では
現代のほうが先進的でしょう。
一度に同じレベルのものを定価価格で
作りだす技術は、今のほうがあるかも
しれません。(もしかしたら、新しい歴史の発見があれば、それも変わるかもしれませんが。)


しかし、「技術力」のみに特化すれば
過去に、現代より優れた技術を作って
いることもあるんです。

また、私はふだん生活して
金属を作り出す技術を自ら発見
できる才能はありません。
しかし、過去に、人類初の金属生成を
発見し、発展させた人々がいるからこそ
今があるわけです。


過去のもの、昔の人々が
現代の我々より
「無知」「劣っている」
「かわいそう」など
と思って歴史を見ると
歴史を理解できません。

必ず、「敬意」を払って、
その時代、その時代の人が
どう生き抜いてきたのか?を
考えて見る必要が私はあると
思います。


今回は以上です。

次回は、周王朝成立時と、その後の
春秋時代、戦国時代を行います。

なるべくはやく、完成して記事をアップできたらいいな、と思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。


小さい頃のイジメの結果、封印してしまった気持ち

2025年01月26日 18時48分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。


現在、れくす先生の歴史授業の記事は
作成中です。


最近は、娘の影響で
ジュニア小説で古典名作(「十五少年漂流記」や「南総里見八犬伝」など)
を読むのにハマっています。


大人なので、ジュニアでなく元々の文庫や
江戸時代の本なら自分で訳も出来なくはないので、そのまま読めば?とも思うことはあります。

でも、これには理由があります。






まず1つは、
ジュニア文庫の形で読むことで
「小学生」や「中学生」が
どのレベルの語彙を使っているのか?が
わかり、それが、中学生向けの勉強を
教えるときに役立つからです。


筆者の先生が、すごく考えて抜いて
選んだ語彙なんだ、構成なんだ、
と感じます。




もう1つは、

過去に置き残した自分の気持ちを
消化させるためです。


私自身は小・中学生のとき、
あまり小説を読みませんでした。

いや、読むのが怖かったんです。


その理由は、小学校時代に
あらゆる人々に
何度も何度も
「お前は、ちえお◯れ(差別用語)!」
「そんなに馬鹿だと、将来困るよねー!」
と言われ、

「自分なんて小説を読めるはずがない」

と思いこんでました。


国語では、まったく問題なく
大学受験まで進めましたし、
大学では国文科系、
小説を読んで論文も書いたりしているのに
「自分は小説は読めない」と
本気で思ってました。


自分の中では
小さい頃にうけた
レッテル(ラベリング)が
そのまま残っていて
それで自分を制限してしまって
いたのでした。

今は、自分が馬鹿だと思うのは
そのままなのですが
「小説を読むのは楽しい」
と思えるようになりました。

そのときに、
実は小、中学生のときに
読みたいな、と思っていても
「自分なんかが読めるはずもない」
と思っていたので、読むのをやめていたのが
「ジュニア小説」でした。

世界の名作、古典の名作も

国語の授業で一部分だけ読んだもの、
大学の単位で必要なもの、
は過去にありますが


自分の個人的思考で
読みたいものを自分でお金を出して
読む、ということを異様に怖がって
読むことを避けてました。


「みんなは、頭が良いから
好きな小説読めていいな。」
「将来困らないようなことを
自分はし続けないと、
自分は馬鹿だから、努力しつづけないと
自分の予想できないような、
なにか恐ろしいことがおこるに
違いない」
という気持ちで約40年間生きてきました。



しかし、昨年、学校側から
冤罪という許しがたい仕打ちをうけ、
「もう、二度と、学校に関わる生き方を
しなくても良い
と本気で思えてきて、

それで、やっと、自分の読みたい小説を
読みたくなりました。


ただ、小さい頃に、蓋をしてしまった
「ジュニア文庫」への憧れ、が
残っているので、
今はひたすらジュニア文庫を読んで
楽しみたいと思います。



イラストは趣味で描いたものです。

将来に関係なく
好きな絵も描き続けるたいものです。




牧畜、放牧、遊牧、酪農の違いは?をノートにまとました

2025年01月23日 11時42分00秒 | 歴史用語辞典シリーズ
みなさま、本日もありがとうございます。

今回は、歴史そのものではなく
「社会で習う用語の見分け(社会のおとも)」についてをまとめたノートです。 

今回は「牧畜」という内容に着目して
まとめました。




牧畜」という言葉も
放牧」「遊牧」「酪農
という言葉も
知っているけれど
(聞いたことがあるけれど)、
見分けがついていない生徒さんを
多く見かけました。


入試で、その言葉をダイレクトに
聞かれることは、あまり、ありません。

しかし、
地理で、各地の農業を勉強するときに
例えば、
「遊牧」と聞けば、その場所が
どういう地形なのか?どの気候区分なのか?の予測がつきます。(逆もしかり)

言葉というのは、その言葉を聞いただけで
その言葉が持つ「関連用語」「背景」まで
わかることができます。




社会科を習い始めのときは、
それぞれの言葉が独立したように
見えて、たくさんの言葉(単語)を
呪文のように覚えがちです。

そのため
「社会は暗記科目」→「暗記は、歌とかゲームしながら覚えるもの」もしくは「何度も問題を解いて丸暗記するもの」
だと結論づけてしまう人もいます。

しかし、
「言葉」というのは、
様々な意味合いを持って
1つの言葉になっています。

それを、勉強していく過程で
身につけた結果、
最初は大量に見えた単語(言葉)が
とてもシンプルで系統だったものに
見えることができます。

その結果、多くの単語を覚えられます。


人間の脳というのは、
ただ単に暗記する量の限界が
すぐきますが

系統だったもの、
イメージがついたものは
すごい量を覚えられます。

なので、言葉(単語)の内容を整理し、
少しでも社会のテスト勉強(入試)に
お役に立てたらいいな、と思い、
この記事をアップしました。








中学で習う歴史で、
モンゴル帝国、があります。

モンゴル帝国は、モンゴル民族と言われる
遊牧民族(遊牧で生活している民族)に
より作られた帝国です。

モンゴル帝国の歴史は
世界史分野を習うと
その凄さがわかります。



「ユウボクミンゾク」という感じで
言葉を呪文のように覚えるのでなく、
「遊牧をしている人々なんだ」と
遊牧のイメージをつけることから、
様々な知識とリンクしていくことが
勉強をしていくうえで
大切だと思います。


牧畜の記事を書くにあたって、
本当は、しっかりとパソコンで書いて
様々な用語シリーズをつくるつもりでした。

その一貫で、下のような絵も 
描いていました。







真面目な絵を描くのも楽しかったです。


しかし、今は、あるところとの問題で
もうその時間がなくなりました。
くやしいですね。


でも、勉強内容そのものは続けていきたいと
思います。


れくす先生の歴史授業と並行して
定期的に書いていきたいと思いますので 
よろしくお願いします。








れくす先生の歴史授業を再開できた嬉しさ

2025年01月21日 16時21分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

やっと、「れくす先生の歴史授業」の更新を再開できました。


9月までは比較的時間的な余裕があったため、パソコンであらゆるものを作っていこう!
という気持ちで制作していました。

実際に、パソコンで制作したほうが、
レイヤーをうまく使いこなせば
色んな種類のものも作れるし、
作り始めるときは時間がかかりますが
総合的には時短になります。


ただ、ですね、10月からは
プライベートでの問題で
時間的、精神的余裕がなくなり、
パソコンに立ち向かえなくなりました。

時間的に、というよりは、精神的に、
もう無理だな、と。


精神的に、何が辛かったか?というと
あることがきっかけで
「どうせ、がんばったって・・・」と
いう気持ちが出てしまったからです。

とくに今回は、冤罪をかけられたことで
かなり精神的にきつかったです。

自分の中で最も大切な「勉強」は
私や家族にとって、
相棒であり趣味でものです。

しかし、私達の言い分を聞かず
相手の一方的な価値観のみで

「勉強が悪だ」
「勉強をがんばることは
子供に悪影響しか与えない」


という価値観で、本人は善意で
私に諭してきた人がいて、
それで、まいってしまいました。


その人が
「勉強をしない」「勉強を嫌う」
ことは個人の自由ですが


「勉強が楽しい」と思っている子に
それを言う?
「母親という役職をしている人は、すべて、自分より教育的な能力は劣っている」という前提で、私に話してくる、

という感じで、疲れてしまいました。


いちいち、反論するのが疲れてしまい、
「アナタは私を極悪人、駄目な母親
と思っていいから、
私達は勉強を楽しみたい!
相手のことをしろうともしず、
自分の価値観だけで世界を見て、
他人の好きなもの、心の支えを
否定ばかりする人の近くで学ぶものは
何もない。」
と、その人、その機関から
縁を切る覚悟をするのに
時間がかかりました。

縁を切るので損をするのは
こちら側だけなので。

ただ、今回、家族内では意見が
一致していたので、すばやく行動できた
のは幸いでした。

もちろん、完全に縁を切れたわけでは
ありません。事務的なことはこれからも
関係してくるので。

ただ、3ヶ月かけて、やっと
精神的に縁が切れたことで 
冷静になり、
頭をまとめながらブログを書けるように
なりました。


「どうせがんばったって」ではなく 
「がんばることそのものを楽しむ」
「やっぱり勉強好きだー!」と
いう気持ちのほうが強くなりました。

このブログも
「学校に通っている前提の勉強」と
いうスタンスはやめ



「学校に楽しく行ってい、勉強をがんばっている人」
「学校は辛いけれど、学校に行って勉強を
がんばっている人」
「学校以外の場所で勉強をがんばっている人」
「受験うんぬん関係なく、勉強そのものを
がんばっている人」



すべての
「勉強をがんばりたい人」に向けて
書きたい!と思いました。



更新はできるときにするため
不定期連載にはなりますが
かならず続けていきたいと思いますので
これからもよろしくお願いいたします。



0の概念について、ある番組で
「音楽の楽譜の休符の存在だと思えば良い」
という内容を聞き、
そこから
「つまり、0があるからこそ、一定のリズム(幅)で、物事を進められる思考ができるのかもしれない」
と思いました。
ある数学系の専門だった人が
「0だけでどれだけでも話せる」と
言ったのを思い出しました。
当時、それを聞いたのは中学生のときで
「なんじゃらほい?」
と思っていましたが
 
今になると「あー、たしかに」と
思います。
ただ、私自身は数学の専門ではないので
たぶん、その人が話したことの半分も
理解できないと思いますが、
理解できない部分があるからこそ
それを理解できる努力する未来の楽しみが
あったりします。


れくす先生の歴史授業7 インダス文明とその後のインド文化

2025年01月20日 08時00分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。


前回の続きで、
れくす先生の歴史授業シリーズの続きです。


前回は、メソポタミア文明とエジプト文明の
中学生で習う内容について説明しました。



今回はインダス文明です。



1 インダス文明の特徴

インダス文明は、
メソポタミア文明やエジプト文明と違い
現時点では、インダス文明の時代に
使われていた文字(インダス文字)が
解読されていないため、
詳しい歴史はわかっていません。

そのため、
テストという場面という意味では
覚える用語は他の文明に比べて少ない
です。 


これから、何か大きな発見等があれば
詳しい歴史が明らかになるかも
しれません。

2 遺跡の注意点

インダス文明を習う時、覚えるうえで
注意したいのは
遺跡のある場所(現在の国名)です。


インダス文明は
「インド」の文明の発祥地と
習うことも多いと思います。

しかし、
インダス文明の遺跡で
習うところ(モヘンジョ=ダロ、ハラッパー)はパキスタンになります。


インダス文明という用語の元になる
インダス川も、多くはパキスタンを
流れています。(一部はインド、中国を
流れています。)

現在のインドで有名な川は
ガンジス川です。
(ガンジス川も、インド以外の国も
通っています)
地理のアジア州で習っている川ですね。


ガンジス川インダス川
混同しないように気をつけましょう。



どうしてこういう状態になっているの?と
思われるかもしれませんが
近代、現代の歴史を知っていると
その理由はわかります。


パキスタンのある地は、
元々はインドでした。
しかし、近代になり
イギリスの植民地化に
インドはおかれました。

第二次世界大戦後に独立するとき、
宗教上の関係からインドだった地域は
ヒンドゥー教徒地域としてインド、
イスラム教徒地域としてパキスタン
として分離独立しました。
(のちに東パキスタンはバングラデシュとして分離独立。)




古代の時点、そして、長い間、
古代インダス文明は、
今の国家の枠組みのみで考えるのではなく
昔のインドという枠組みで考えると
良いでしょう。



3 インダス文明で中学生が習うところ

インダス文明のおきた川は
インダス川で、
文字はインダス文字です。

インダス文字は現時点では
解読されていません。


遺跡としては
モヘンジョ=ダロハラッパー
どちらもパキスタン内にあります。

中学の教科書では、
モヘンジョ=ダロのみを
明記しているものも見かけます。




4 インダス滅亡後のインド世界

インダス文明そのものは
上記の内容(3)のみです。

中学の教科書だと、
そのまま、インダス文明後の
インドの歴史を少しだけ書いてあります。

そのときの歴史で生まれたものが
世界全体の歴史につながっていきます。

その内容についてお話します。

インダス文明のころの
都市国家が滅亡した
理由は決定的な説はありません。


今からお話するのは
インダス文明のあとの
インドの世界と考えてください。


宗教としてはバラモン教
学問的なものとして
アラビア数字0という数字の概念が
誕生しました。
(バラモン教成立の時期は、
おそらくその頃、という意味です。)




〈バラモン教とヒンドゥー教〉

バラモン教というのは、今のインドで
多くの人々に信仰されている
ヒンドゥー教は、のちの時代に生まれた
宗教で、バラモン教の影響を受けている
宗教です。
(バラモン教=ヒンドゥー教、ではありません。)

バラモン教ヒンドゥー教は、
他の宗教と違った
特徴的な考え方があります。
バラモン教、ヒンドゥー教は
身分、そして、それに伴う職業に
結びついている
宗教です。
このような独特な階級制度を
カースト制度
と言います。

このあたりの内容は、地理の方で
習っているので覚えている人も
いるでしょう。





〈アラビア数字 と 0の概念〉

また、インドは、現代の数学に必要不可欠な
アラビア数学0という数の概念を
作り出しました。

アラビア数字は、1、2、3という
現在の数学で使う数字のことです。

なぜインド数字と言わずアラビア数字と
言うのか?というと
インド数字がアラビアに伝わり
ヨーロッパにアラビアからインド数字が
伝わったことから、「アラビア数字」と
呼ばれるようになりました。


0という数字が誕生したことは
数字の歴史において大きな出来事です。





0というのが、何が凄いか?というと、
これにより計算がしやすくなったのは
もちろんなのですが、
0というのがあると、ある1つの法則に
従って、さまざまなことを定められる
ことも多いと思います。


たとえば、「0」という数値がないと
「リンゴがある」「リンゴがない」という
2つの現象を個別に考えなきゃいけないですが、「0」という数値があると
「リンゴがある」という1つの現象で
説明できます。 
さらに代数という考え方で
0という概念があると、
「リンゴがa個ある」として、
aに0を代入することも可能です。
計算の上では代入するだけですが
もし、この世に存在する具体的イメージを
書く必要がある限り、「リンゴが0個ある」=「リンゴはない」とします。
(代数学はインド発祥ではありません。)


このように0があると、非常に
頭の中をシンプルにでき
様々なことを考えられるようになります。


(0のことについては、私の個人的な意見を入れて書いてます)


今回は以上です。

ノートにもまとめました。
下図の画像もご参考にどうぞ。







今回は以上です。

次回からは中国文明なのですが、
まだ画像が作成途中なので、
完成次第、またアップさせて頂きますね。


画像を作成しつつ、別の記事も定期的にアップしていきたいと思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。