かなり久々に新作&長文の投稿です。
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最近,自分の気が付いていない心の闇を知ることがありました。
小学校時代の同級生で私をいじめていた子たちの何人かが,
ここ数年で結婚・出産したようで,(実家が)ご近所なのでウワサが入ってきます。
「結婚した」,ということを聞いたときは「ふーん」と思っただけで,
それ以上の感情はありませんでした。
でも,その子たちが,「結婚してすぐ妊娠し出産した(もしくは妊娠したから結婚した)」とか
「家を買った(建てた)」と聞くと,なぜかイライラしました。
最初は,
自分は二回流産しているのにすぐに妊娠し出産できたことや家を建てられる財力があることに
対し,妬ましいのかな?と思っていたんですが,どうもそうでないような感じがしました。
半年ほどして,突然,あのイライラの理由がわかりました。
私自身は家を建てたいのか?という疑問を突き詰めていた時のことです。
私は,小学校でいじめられたときに,自分の家が先祖代々住んでいた家だったので,
簡単に引っ越しすることができませんでした。
だから,辛い思いをして,そのまま同じ小学校に行き続けるしかありませんでした。
またご近所で,「Aさんはどの高校に受かった」とか「Bさんは大学受験に失敗した」とか
嫌でも情報が入ってきます。私の情報もご近所に流れているようで,
その人には言っていないのに,私が合格した大学を知っていたり・・と。
なので,ご近所,というのがとても辛かったです。
いじめの原因も,ご近所の関係だったですし。
私の家を知らない人は私をいじめませんでした。
大きな家である,という妬みがいじめのもとでしたし・・。
だから,家とか外から見てわかるもので他人の妬みを刺激し,
そしてそれがいじめに発展するなんて,
家というものはなんて怖いものなんだ,という思いがありました。
娘が産まれて,もし娘がいじめられたときに,賃貸住宅なら,引っ越すこともできる(転校もできる)。
必要以上に妬まれない。
人というのは,自分よりも,優れている,もしくは劣っている,と勝手に勘違いした評価をした相手を
いじめる生き物なのだから。
賃貸住宅ならいじめられない,ってことではないけど,持ち家で苦しめらた経験のある自分としては
安易に家を買う!という気になれなくて・・・。(夫が転勤族であるなどの他の諸事情もあって家を買う
ことができないのもありますが・・・)
でも,「持ち家の大きい家でひろびろ育児をした方が子供に良い」というイメージがある人もいて,
「やはり子育てするなら子供のために家を買いたいよね」と言われた時,
「うーん,自分のトラウマのために娘の教育を狭めて良いものか・・。」と悩んだりも。
でも,もし「持ち家の広い家で育児された子供が広い考え方をもつ」ということが正しいならば,
持ち家の子は「いじめ」なんてしないですよね?でも,私をいじめた子の中には「持ち家」の子もいた。
また,マンション住まいの多い都市圏の人々はみんな考え方が狭いか?と言ったら全然そうじゃないですし。
ということは,「家」の大きさはあくまで「箱物」であり,そこにしっかりとした「教育」しなきゃ
ただの「箱物行政」と同じだろう,と。
だから
「家」の大きさに関係なく,自分が広い考え方でのびのびした気持ちで娘を教育すれば大丈夫!
と思えるようになりました。
それにより,あのイライラの原因がわかりました。
私は簡単に家を買うという気持ちになれず悩んでいるのは,イジメが根底にある。
そのイジメをした人たちが,私の家を非難しておいて自分たちが家を買う?
それで「私たち家を持っているのよ!子供に良い教育をしているでしょ!」という顔をしているのが
許せなかったんですね,私。
「私は今でも,いじめをしたあの人たちを許していなかったんだ」と。
私は「いじめをした人たちは,当時,それぞれ事情があっただろうし,私にも落ち度はあっただろう」
そして
「いじめをした人たちを許している」と長年思っていました。
でも,心の底では全然許していなかったんです!20年以上経ったにもかかわらず。
「他人を許すことは自分を許すこと」という言葉を信じ,
「いじめをした人を許す」ことで,「自分の悪い部分も許してもらおう」という自己防衛の気持ちがあったのだと
思います。(本来「他人を許すことは自分を許すこと」はそういう意味ではないですし・・)
でも,「イジメをした人を許していない」と自覚してから,
「自分が他人に許してもらえなくても,それは甘んじて受け入れよう」という気持ちになりました。
もしかしたら,私も気がつかない間に,他人を傷つけたりいじめていたりしたかもしれない。
そんな悪い自分を見たくないために,「いじめた相手を許そう」と頑張っていたのでしょう。
でも,私を憎む人は憎んでいいよ,それは胸に刻んでいきていこう!と。
そのように思ったら,「家を買う」ことに全然こだわらなくなりました。
そのかわり,
「よっしゃ,部屋が狭い分,外でのびのび娘を動かそう!
そうだよ,NYやパリの人々の多くはアパート(アパルトマン)に住み,
近くの公園でのんびり過ごしているじゃないか!NYやパリの人々の考え方好き!」と。
毎日,公園でのびのび過し,娘も私が家を買うか悩んでいたときよりも,明るい笑顔に。
いろんなことがふっきれた気がします。
娘を幸せにするぞ!と。
※こちらは私個人の考え方で,絶対的な意見ではありません。
※家を購入している人を批判しているわけではありません。
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