社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

夏休みの宿題を見て感じたことをつらつらと・・・

2024年08月27日 18時11分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。


夏休みも残すところ、残り一週間弱。

子供の宿題自体は無事、終わり、
残り一週間は
予習、復習に時間を割くことが
できそうです。

本当は、学校からの宿題を1週間、
自習の復習に1週間、
自習復習の中で足りなかった部分強化を
数日、
自習予習に一週間、は欲しかったけれど、
まあ、一学期に母子して
感染症で倒れて、完全に元気になったのが
8月であったので、まあ、頑張った方だと
思います。
夏休みに数日は遊ぶ時間もないと
二学期から、またがんばれないですし。



夏休みの宿題で学校から出されたものを
見ると、私が生徒だったとき、塾講師をバリバリやっていたときも、
かなり宿題量が減っている、という印象を受けました。


読書感想文や習字や美術、自由研究は
必須でなく、出したい人(コンクールに出したい人)だけ出してね、という形に変わり、

必須の宿題も、教育委員会が作ったと
思われる一律の薄い問題集がメインで、
あとは教科担任次第、という形に
変化してました。


まあ、今は、
「塾の夏期講習」が
夏休みの勉強のメインになることが
多いのと、学校の先生たちの業務量を
減らす目的で、夏休みの宿題は
減ったのだと思います。



ただ、今でも教科担任の先生が
独自に作ってくれたと思われる
印刷したコピー本の形の
テキストを宿題でもらえると
個人的には
「あの先生は、生徒のことを
考えてくれて、このテキストを
作ってくれたんだな」と
感じます。

ただ、先生一人で忙しい中、作ったためか
ミスが連発しているときもあります。

でも
「完璧な、他の人がつくったもの」
だけを渡されるより、
なぜか、ミスがあったり
手書きの部分があったり
上手いとは言い難いイラストが
あっても、
先生が生徒ために考えてくれた
結果のミスなんだな、と感じるので
ミスで怒るより、ミスはともかく
テキストを作ってくれてうれしい、
という気持ちがまさります。
(ミスは後で訂正は欲しいです。)

ただ、それを言うと
「他の先生にも、手作りのテキストを
作れと言うのか!かなり負担だぞ!」
「先生の他の部分で評価しろ!」
と思われるかもしれませんが、違います。

あくまでオリジナルテキスト作成は
自主的な仕事です。

生徒にも最近は「自主性」を
促す教育なので
先生方も「自主性」の仕事で
良いと思います。


だれかの善意の自主性から始まった業務が
いつしか全員強制の業務になり
それが重なって、先生たちの業務量が
増えて今に至っていると思いますので
「自主性」はあくまで本人次第かな?と。

別に「市販の問題集」を解いてこい!
という宿題でも、それが先生が、
生徒の理解力を上げるために
選んでくれたテキストなんだ、と
思えて嬉しいし、

宿題は出されなくても
「あの先生は普段の授業で
きっちり教えてくれるから、
夏休みは自主性に任せてくれたのね」
と思えたら、別に宿題は出されなくても
それが嬉しかったりします。


私が言いたいのは

学校の先生たちが
「どーせ、今は、私達が出した宿題より
塾の授業を優先するんでしょ」
という態度が垣間見えたり
「今は市販のテキストが多いから
それを使って、
生徒たちは勉強するんでしょ。
手書きとかだと、クレームくるし、
なんといっても、
手書きだと無能な先生に見えるし。」みたいな気持ちが感じられることがあります。





手書きのプリントは昔より
減りました。

確かに、パソコン文字のほうが
見やすいこともあるし、
手書きの文字よりパソコン文字のほうが
認識できる人も多く、
パソコンで制作したほうが
毎年、状況に応じて編集しやすいし
引き継ぎもしやすいので、
可能な限り、パソコンで書くことは
大切だと思います。

私も塾講師のときは可能な限り、
パソコンで書いてました。

当時は
「手書きで書くと、クレーム来るよ!」と
同僚の先生からは言われ、
「確かに手書きだと、手癖が出て
読みづらいからかも?」という理由だけかと
思ってましたが、子供ができて
他のママさんの話を聞くと
それだけではないんだな、と思うことも
ありました。

それが
手書きプリントを子供がもらうと
「パソコンも使えない先生に
我が子の勉強を、その先生にまかせるのは
不安になる」と、不安になる保護者の方が
いらっしゃるということ。
(いや、別にパソコンが使えないから
手書きにしたわけでなく、時短のため、
なんだけどなー、だって、パソコンって
更新などで時間がかかるとき、
まさかのパソコンや
プリンター故障のことも
あるから、急ぎのときはヤバいので、
手書きになることもあるけれど、
それはこちら都合なので
保護者の方に言うべき理由ではないなー、と。)


ただ、手書きのプリントでも
勉強して結果を出せている子がいるので
「手書き=勉強に適さない」ではないと
思ってますが、
集団授業だと、
様々な考え方の保護者や生徒さんが
いらっしゃいます。

手書きで不満感、不安感を持つ人は
一定数いる一方で
パソコン制作なら、すべての人にとって
困ることはないのかも?と
思うので、集団配布はパソコンに
してます。


ただ、先生と生徒さんと保護者の方で
信頼関係が出来ていて、
手書きでも良いと思う子なら
家庭教師のときは、私は手書きにしています。
手書きのほうが、スキマ時間を利用して
作れるので♪


今回は、特に何かの主張で
書いたものでなく、
ふと思いついた、思い出したことを
ツラツラ書いてみました。


来週からは、本格的に、同人誌作成の方に乗り出せそうです。
ただ、体調次第ではありますが。

衰えたなぁ、私。





不登校の対策で個人的に思うこと

2024年08月21日 22時14分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

なかなか更新できなくてすみません。

水面下では
コツコツと
勉強関連の同人誌の原稿を作ったり、
クリエイター活動と同人活動を再開すべく、十二単もどきの歴史衣装の裁縫の練習などをしています。



こちらはお人形の十二単
作ってみました。



市販の本で、服をつくるものがあり、まずはそちらを見て練習を。


市販の型紙のまま、服装を作ってクリエイター活動や同人活動はしてはいけないので、
今は売るとか関係なく、練習のみです。

自分で型紙まで作れるようになって
やっとクリエイター活動、同人活動で
服装を出せるので、それも日々練習です。


縫い目が粗いのは、まずは
型紙や服装を頭で理解できるか?
を優先しています。

私はASD(自閉症スペクトラム)のため、
マルチタスクは苦手だけれど
1つのことに集中はできます。
なので、目標を一つに定めて、何度もする、という形で、できるようにしていきます。


勉強でも同じことが言えます。


1つのことしか集中できないので

「学校の先生の授業を聞きながら、
一瞬で理解して覚えて、
でも、同級生と会話しながら学ぶ、
そして、教科書内容を覚えて問題を解いて
終わり」とかでは、私は頭がパニックに
なります。


「理解するときは理解する」
「情報を整理する
「用語を覚える」
「人と会話する」
「テストで点数を取る」
というのを、1つ1つに集中しないと
できません。

頭がパニックになります。

昔はよく癇癪もおこしてました。


1つのことに集中して
それができるようになれば、
そのできるようになるもの
のマルチタスクは
可能です。
なぜなら、マルチタスクをするのに
一点集中すれば良いから。


なので、その「マルチタスク」が
できるまでに非常に時間がかかります。


でも、学校生活では
「マルチタスク」できる状態まで
家で自分で仕上げてから行くので
中学時代、
先生からは器用な子と見られることは
ありましたが、実は
誰よりも時間と労力をかけて
できるようにしていました。

学校は「成績をつけてもらう、
つまり証明書を発行してもらう
ための役所」と思うことでしか
当時の私は学校に行けませんでした。

「学校に行かないと勉強できないよ」
ではなく
「学校だけに行ってたら勉強できないよ」
というのが私でした。

まあ、ただ、学校があるから
「テスト勉強がんばらねば!」と
なったので、学校が存在すること、は
私の中で大切だったのかもしれません。

そのときは自分はASDだと
わかってなかった(世間的にASDという
概念はなかった)ので、
自分で
「他人は私を悪く言ようが、私を馬鹿にしようが、自分はこういう人だ。」と定義づけ、
「表面的に集団行動で求められることが
できるようになるまでは、
他人とは違うルートでそのスキルを
取得する生き方」を
編み出しましたが

今だと「ASDはこういう思考なので
こういう勉強方法が合ってる」と
失敗しまくる人生でなく
もう少し体系的に勉強方法を
考えることが、できたのかな?と
思います。



学校は、圧倒的多数派である
定型発達の子にカスタマイズされた
勉強方法、集団生活になってます。

集団行動では多数派に合わせないと
集団での機関運営はできないので、
それはしょうがないです。

でも、
発達障害の子が、学校に合わないのは
「発達障害の子やそのご家庭の方に
100%問題がある、だって、
他の子は学校に来ることできるから
学校は悪くない!」と
いう姿勢は違うと思うんですよね。

コロナ禍を機に不登校の子が
増えているのは
「コロナ禍で人とのつながりが
希薄になったから」とよく世間や学校は
言うけれど、「人との繋がり」が
有効なのは「定型発達」的な価値観に
近いのでは?と思います。 


「コロナ禍による一斉休校で
学校は自分には必ずにも必要ではない、
学校に行かないでも勉強はできる、
という選択肢を知った子もいたのでは?

学校は自分にとっては
安全な空間でないのでは?という
学校という教育機関に違和感を
持ってしまったが
その違和感と世間との価値観のズレを
子供ゆえに処理できなくなり
感情面がぐちゃぐちゃになり
ふとしたことをきっかけに
不登校になった」
という子も多いのでは?と。

発達障害の子が全員、不登校になるわけでも
ないし、定型発達の子も不登校になることは
あります。

ただ、不登校になったというのは
「個人」の問題でなく、
学校」の方の、
すべての人が通うこと前提の
教育機関での「限界」が
今、きている、というのを
学校側が認めないで
不登校の子の責任とし続ける限り
何も解決しないと私は思います。

飛鳥時代に成立した
朝廷による公地公民制だって
時間が来たら限界がきて
私有地を認める墾田永年私財法ができたり、
だいぶ後だけれど幕府が成立するのだから

どんな制度でも限界はきます。

学校制度だって同じ。

どれだけ過去にすばらしい功績をあげても
限界はきます。

時代に合わせて変容するための
きっかけが「不登校」の子が増えている
ことだと思うのですが、
「不登校当事者」の支援と
いうことのみに
帰結するのでなく
必ず通うこと前提の学校のあり方を
考え直すことも必要かも?と。

つまり、不登校当事者の支援は
今の学校に行けることの支援や
勉強よりもどこかに通えることの支援、
だけで、
ホームスクーリングと
それによる単位取得検定試験(学校に籍はおきつつ、ホームスクーリングで勉強した内容を検定試験を受けて、そこで合格点に達したら、ホームスクーリングで学校の卒業単位取得可能とする、など。)などの制度も
成立すると良いな、と。

ただ、私は今の「学校」という制度も
良い点はあるのだから、
「教育」は1つに決めるのでなく

「学校に行く」
「ホームスクールに行く」
という他人と直に交流する方法と
「通信教育」という方法だけでなく
「ホームスクーリング(自学自習または
民間の家庭教師を頼む、または塾に行く)
&および検定試験」
という、選択肢を増やすこと、および、
内申書や履歴書には「卒業単位取得」のみの
記載のみになる、と良いなぁ、と。


あくまで私の考えで、それが絶対的に正しい
意見とは思ってませんが
実際に不登校で苦しんでいる子や
不登校に対する現状の公的対策に対して

「10年後、20年後の日本は
今の日本とは違う日本になる。
と感じます。

なので、「不登校の子が書類上、学校に行ったという証拠をつけること」をメインに対策するのでなく
「不登校の子でも学校に行ってる子でも
どちらも、必要な学力をつけること」
をメインに対策するのが
日本の未来を作っていくのでは?と。


学力だけでなく、社会性は?という問題も、
学校に行けば社会性が身につくわけでも
ないですし。社会性を身に着けよう!と
本人が思えば学校以外でも身に着けることは
できますし。



もし現状、学校に通うのなら
少数派の子が妥協して
多数派の子向けの
学校に合わせるしかないのは
確かなんですが
それは「発達障害の子が劣っているから」と
いう差別的姿勢のままでは、何も解決できません。
逆に「発達障害の子に合わせられない学校が100%悪い」という姿勢でも解決しません。


その学校が発達障害の子に適した環境ではないだけ」という事実だけが存在し、
そこに「どちらが優れているか?」「どの勉強方法が優れているか?」「集団生活できないか?で人間性は決まるか?」の答えに、絶対的な真実はなく、人の数だけ答えがあります。
なので、「自分は自分。私はこの勉強方法が合うから、人とは違うけれど、この方法でテストで点数を取る!」という姿勢が私は正しいと思います。


学校側が発達障害の子に理解があるか?は
学校やその先生次第。

なので、発達障害の子や不登校の子は
「自分が他人と違うこと」を責めず
「自分がどういう人間であるか?そこには
良い悪いがあるわけでない。」と思って
生き抜いてほしいと思います。

ただ、他人に理解されないこと、
他人から受ける、
とんちんなんな、本人は善意の
つもりのアドバイスを無視しつづける
生き方って、すごく疲れるんですけどね、
でも、そうじゃないと生きるのが辛くなる。

疲れるか?辛いか?の二択なら
疲れる方を選ぶしかないんですが。

でも、疲れるだけで苦しまず
人生をたのしみたいなぁ、と。


(あくまで、私の個人的な考えです。)





2024/08/05

2024年08月12日 11時11分00秒 | 社会の先生として・・
なかなか更新ができなくてすみませんでした。


6月から7月半ばまで、
感染症罹患とその後の後遺症で
なかなか動けず、その間に予定してたことを
すべてキャンセルしてたので、元気になった今は、怒涛の通院&買い物ラッシュでした。

歯医者の定期検診に
心療内科に、
お中元に、
メガネの買い替えに
子どもの服に・・・
などなど。


やっと、怒涛のラッシュが終わったら
もうお盆に・・・。 


ちょこちょこ、ですが、
勉強同人誌作成はしてます。


この前、岐阜城に行ってきました。








子供が大きくなり、
社会の知識も増えてきたので、
遊ぶところも、バリエーションが
増えて、精神的には楽になりました。

お城の旅の楽しいところは
歴史だけでなく地理も楽しめるところ。


実際に、お城の天守閣から
平野や山脈が
どういう広さや形なのか?を
見ることができます。


そうすると、治水や防御などが
手に取るようにわかったりします。

岐阜城が築かれた時代と
今だと、川の位置などは
かわってますが、それも
多くの方の治水の努力の結果です。



すべての歴史の場所を周ることは
難しいですが、可能な限り、
歴史のスポットにまた行きたいなぁ
と思います♪
一瞬でわかるので