社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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いじめの過去は、何十年経っても死を誘う恐ろしい怪物

2016年05月14日 22時59分12秒 | いじめについて

しばらく更新が止まってしまい、失礼いたしました。

ここ数日は、ピクシブの方に過去の絵やまんがをアップすることを中心にしていました。

 

過去の絵を色々と確認していたら、小学生や中学生のときに描いた作品も出てきました。

 

上の絵は小3か小4のとき。

 

20年以上経った今になって、みたら、それなりに上手いとは思います。

でも、小学生の先生は、ほとんど評価してくれませんでした。

 

そのため、当時の私は「自分は絵は下手だ」と思っていました。(最近まで)

 

以前、旦那にそれを話したら、「子供らしくない模写的な絵だから、先生は親が描いたと思ったんじゃない?」と。

たしかに思い当たるフシが・・・。

先生に、「ちゃんと自分で描いてね。」と言われたことがあって、

当時の私は「え?自分で描いたのに・・。」と不思議に思ったことも。

でも、それを言った小3~4の先生は、それなりに私という人間の存在は認めてくれていたから良いんです。

 

問題は、小5~6の担任。

他の記事でも書いていますが、小5の秋に、私はいじめに合いました。

親友を筆頭に、クラスメイトの女子に、いじめられた私。

そのとき、

「勉強できない馬鹿」

「小5にもなって、アニメやマンガ好きな人だから、こども」

「絵が下手」

と散々さげすまれました。

 

 

そして、そのいじめを黙認していた担任、

さらに、いじめていた方の言い分を信じていた担任。

 

そんな担任だから、当然、私の絵を評価するはずもなく・・・。

 

でも、当時の私はそんなことも思わず、

「がんばって絵を描けば、いつかは評価してもらえる!」と。

 

それで、渾身の作品を描きました。

しかし、たまたま、先生のお気に入りの生徒さん(Aさん)と絵の構図が似てました。

 

そうしたら、いじめをしていたクラスメイトが、

「おまえ、盗んだ!Aさんの絵を真似した!」と言ったのです。

 

そして、先生は、それを信じて、

「ちゃんと自分で考えて描きなさい。」と私に言いました

 

 

私は、それで、絵についての情熱を完全に失いました。

「もう、いいや。どんな絵を描いたって、私っていう存在が描いているかぎり、

評価されることは一生ないんだ。」と。

 

 

それからは、授業で絵は描くものの、もう適当。

さらに、中学1~2年の美術の先生も、相性が最悪で、もういいかげん。

幸い、中3の美術の先生は、ふつうの先生だったから、

それなりに絵はまじめに描きました。

それが、下の絵ですね。

 

でも、もう、絵の情熱はなく、大学時代まで「私の絵はだれよりも下手」と思ってました。

 

 

 

その話を、先日、実母に話したんです。

私は、そのことは実母は知っているものだと思いこんでて、

「こういうことあったじゃん。」みたいな気持ちで話したんですが、

どうやら、私、言ってなかったようです・・。

 

それで、母は怒りまくった。

「先生やクラスメイト、ひどい!」と。

 

 

それで気が付いたんですが、

母は私がいじめたれたことは知っていたけれど、

学校で具体的にどういじめられたか?を私は一切、実母に話してなかったじゃん、と・・。

 

 

数年前に強迫性障害に陥った、きっかけの1つとして、

小学生~中学生時代に、私をいじめた&うらぎった人、のことについて、

実母に悪口を言ったことがあったんです。

そうしたら、「いじめられたことはわかっているが、そこまで言うな!」と怒られたことがありました。

当時は、母は同級生が私にどういうことをしたのか知っていると思いこんでいたので、

「ああ、もう20年以上前のことだから、それを許さない私の心は汚くて弱いんだ・・。

実母は、あの子たちの方をかばうから、私より、あの子たちの方が好きなんだ、大切なんだ。

でも、私は、あの子たち、嫌い、大嫌い!あんなこと、したのは、許せない。

私に冤罪を負わせたのに・・。

 

でも、許せない私が汚いんだ、そう汚い。きれいにならなきゃ。そうじしなきゃ。手をあらわなきゃ。

私は身も心も汚れている。

だから、娘も、私に懐かない。

キレイにならなきゃ。汚い。私は汚い!!

 

いじめられた方が悪い?まわりはそう思っているの?

そう、私は汚れている。

うん、そんな私は死んだほうがいい。うん、死のう・・。」

という状態になった、2014年の夏。

でも、そのとき、実母は助けてくれました。それで死ぬのはやめました。

 

しかし、母はときどき、同級生の近況を私に話します。

「Bちゃんは、2人目の子供ができた」とか「Cちゃんは家を買った」とか。

 

それで、心のどこかに、

「お母さんは、私の元クラスメイトの方が実母も好きなんでしょ。

そうよね、私は何度も流産して、もう2人目はたぶん、つくれないし、つくる気力もなくなっちゃった。

今は働いていないし、お金もないから、家も買えない。

お母さんは、2人子供がいて、一軒家を買っている娘、がほしかったんだよね。

BちゃんやCちゃんが、お母さんの子供の方がお母さん幸せだったよね。

たとえBちゃんやCちゃんが、いじめをするような人間でも、それでも、

2人目を産んであげられない私よりは、よっぽど、人間的に素晴らしいと実母は思っているんだろうね。

そうね、私は、あの実父に顔も似てるし、性格だって・・。」とはずっと思ってました。

 

 

それが、先日、実母はどれだけ、元同級生がひどいことをしたのか?を知りました。

そうしたら、もう、同級生のお話はほとんどしなくなりました。

 

実母は、BちゃんやCちゃんが私にどんな仕打ちをしたか知らなかったのだから、

その悪口を言う私は「言い過ぎ」に見えたのでしょうね。

でも、そうじゃないと気が付いたのです。

 

 

いじめられたとき、それを親に言えるか?言えないよ。

だって、「自分は劣っている」と周りに思いこませられているんだよ!

それで、どうして、それを言える?

 

やっと、少しだけ、過去から解放された私。

でも、まだまだ、根っこは深い気はします。

 

いじめを受けた過去は、ある日、心が弱まったとき、

ふいに、死を誘う、という恐ろしい怪物です。

 

 


いじめられたときに陥ってしまうこわいこと

2016年05月07日 07時15分42秒 | いじめについて

前回に引き続き、「いじめ」についてお話したいと思います。

今回は、私なりに「いじめの定義」を語りたい、と。

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質問その1:「いじめとは何か?」と完結に1文でまとめてみてください。

質問その2:「差別」「いじめ」の違いを、説明してください。(辞書的な意味ではない)

 

 

 

という質問があったとします。

質問その1だと、

「かつあげ」とか「暴力」などの身体的な攻撃、「仲間はずれ」などの精神的攻撃、などを

あげられる方もいらっしゃるでしょう。

それも正解の1つです。

でも、それは、多くある具体例の1例でしかありません。

すべての具体例すべてに共通することは何か?を私は考えてみました。

 

それは

 

「相手の人権を認めない行為」

 

だと思います。

 

「かつあげ」は「相手の財産を持つ権利を認めず、相手の財産を奪い取る」

「暴力」は「相手の「健康に生きる権利」を勝手に奪い取る」

「仲間はずれ」は「相手の「表現の自由(自由の権利)を奪い取る」

と言えます。

どんな人間にも「基本的人権」はあって、それは誰にも侵害されない。

その権利を侵害するのが「いじめ」だと。

 

 

「いじめられる側にも非がある」?

いえ、そんなことは絶対ない!

「非はない!」それは間違いない!

 

「いじめられる側にあるのは、「いじめ」を受けるきっかけをつくってしまった、ということだけで、

その人には何の問題はない。」

私はそう思います。

 

 

 

質問その2 「差別」「いじめ」の違いを説明してください。

 

これら32に共通するものは「カースト(上下関係)」が存在し、

上位層と下位層の関係および、上位層の行動の仕方、によって、違いが生じる、のだと思います。

 

「差別」は、社会全体で多数の人が思っているカーストがある

たとえば、男女差別のように、一定数が「男性の方がエライ!」と思いこんでいる、など。

 

いじめは「自分は上位層」だと思い込んでいる上位層が、「上位層が下位層だと思い込んでいる人」を攻撃するもの、だと。

 

「差別」は生まれた時点で「差別する側」「差別される側」が固定されることが多く、

ひどい差別だと、昔のアメリカの「黒人差別」のように、住む場所や生活レベルまで社会に決められてしまいます。

今でも、アメリカの黒人差別は、憲法の上ではなくなりましたが、まだ差別は残っています。

 

 

「いじめ」は、

自分たちが「正しい」「自分たちの生き方が世間では素晴らしい」と思いこんでいる人たちが、

そうでない人を攻撃することです

ここで怖いことは、いじめられる側が、

そのいじめている側の価値観に取り込まれることです

 

どういうことかというと、

例えば、ファッションにしか関心がなく、男にモテる女子が、そうでない女子をいじめたとします。

自称イケている女子が、

「マンガばっか読んでいるから、あんたはダメなのよ」とか「こんな風貌じゃ、誰も嫁にもらってくれないね」など

言われたとします。

 

そこで、「は?男性にモテたから、それが何?」と思うような人なら、まだ良いんです。

 

怖いのは、「ああ、わたしは、かわいくない。ダメな人間なんだ。でも、ファッションよりマンガが好き、でも、それがいけない、でもファッションは・・・」と

いじめた相手の価値観にそって自分を否定してしまうことです。

 

良い子、おとなしい子、ほど、

相手を喜ばそう、と頑張ってしまいます。

でも、心の底では拒否をしている状態。いつかはパンクしてしまいます。

パンクしても、いじめていた人は「ばーか」としか思ってくれません。

 

 

元々、自分を下位層としか見ていない人と仲良くする必要はありません

どんなにがんばったって、アナタは馬鹿にされ続けます。

その人たちの価値観にそった人間に変身したとしても、

彼らは「うちらのおかげ」と結局自分をあげることしか考えないし、

もしかしたら、アナタが今度は勝手に下位層と思う人を攻撃する、という悲劇の連鎖を生むだけです。

 

 

だから、自分を下だと思っている相手に、価値観を支配されないよう、気を付けなければいけません。

私も、うっかり、そういう状態に陥ったりするので、気を付けています。

 

ママ友づくりでも、

「あなた、1人しか育ててないから楽ね」という見下してみている人に対し、

2人目をつくらないことに対して罪悪感を持たないことにしています。

その人にとっては、「2人子供を育てる女が、この世のすべて」なので、そんな世の中には入らないことが大切。

他にも、「ファッション」「一軒家」「早期教育」だけに価値観を置く人には、気を付けて接していこうと思います。

そうでない私を、彼女たちが1人の人間としてみないから。

 

 

もし、あなたがいじめられたとき、いじめた相手の価値観におかされないで下さい。

 

相手がどんなにアナタに非がある、と言ったとしても、

アナタが心から納得できないことなら

受け入れないでください。

 

その人は、自分の価値観を守るために、アナタを攻撃しているにすぎないのだから。

 

 

※こちらは私個人の意見です。

 おまえはキモイ、間違っている、と言われても、私としてはどうすることもできないです。

 申し訳ありません。

 

 

 

 

 

 


「いじめ」経験後は、友人がこわくなった私

2016年05月06日 22時12分31秒 | いじめについて

最近は同人活動ばかりの報告&告知がほとんどだったので、

久しぶりに、自分なりの意見を書いていきたいな、と思います。

 

自分としては、小学5年生のときの「いじめ」の経験が、すべての価値観と生き方を変えたので、

やはり、「いじめ」について、自分なりの意見をもっと述べたいと

 

 

それで、これから、何回かに分けて、「いじめ」についてのお話をしたいと思います

 

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私は、小学5年生のときに一番仲の良かった友達を筆頭にいじめを受け

クラスの大半の女子にいじめを受けました。

しかし、いじめに気がついた実母のおかげで、なんとか、生き地獄から脱出でき、

中学からは勉強とアメリカドラマに没頭し、今に至ります。

 

これだけ聞くと、

「いじめで痛みを知ったからこそ、優しい人になれた」とか

「いじめがあったからこそ、勉強を頑張ることができて、難関有名大学に入れたから結果オーライ」

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

でも私はいじめがなくても、元々、優しい性格だったし、勉強だって、たぶん中学に入ってからは伸びたと思います。

私の場合、パニックになるから問題が解けなかっただけだし、小学生のころ、成績不振だったのはいじめの後からです。

 

たしかに、いじめの経験があるからこそ、「ER」や「MAJOR CRIMES」「LAW&ORDER」などのアメリカドラマにハマったとは思いますが、

そうでなくても、好きになっていた作品だと思います。だって、このドラマ、いじめがテーマじゃないもん。

 

 

むしろ、「いじめ」により、失ったものの方が大きい。

 

その1つは「いまだに女性、とくに女子の集団が怖い」こと、

もう1つは「自分の好きなものを言えない」ことです。

 

一番の親友が、悪意ある噂に騙されて、が発端でおきた、小5のいじめ。

そのため、

「今、仲良くしてくれても、いつかは徒党を組んで私を追い出すかもしれない人たち」

と友人たちを思ってしまう私

 

「友人」は「迫害者予備軍」、そう思ってしまう・・。

 

 

同じ生活空間に生きている間は、常に一定の距離を置く私。

例えば、高校では同じクラスにいる間は、仲良くしていても、その人が、悪意ある人にあやつられて、

いつ、私を攻撃するかわからない、攻撃されても私には逃げ場がない、という恐怖感に常にさらされる、という状態。

大学でも、仕事場でも一緒。

 しかし、その心配はまったく必要なかった。みーんな、ずっと仲良くしてくれる。

本当にありがたい人々!

 

 

でも、高校、大学を卒業してしまえば、当時の友人は怖くなくなるんです。

「その人と会っているのは、私とその友人本人しか知らない。近くに悪意ある人間はいないのだ。」と。

そして、やっと、その友人に自分をさらけ出せるのです。好きなものを言えるのです。

「マンガを読んでいても、それで私を「馬鹿」「子供」「人間のくず」「親不孝者」とは愚弄しないよね?」

「私が裏であなたの悪口を言っている、という嘘をあなたは信じないよね?」

「私の頭の構造について、アナタは批判したりしないよね?」

「あなたは、私の、育児を放棄している父親の方を擁護して、私を本気で愛してくれている母親を非難したりしないよね?」

「父親を愛さない私を異常者扱いしないよね?」

「左利きだから一緒にいると迷惑、と言って、グループから追い出さないよね?」

「私の作成したものを自分の功績として出し、アナタの失態を私の責任として先生に言わないよね?」

「私の持ち物を愚弄しないよね?盗んだりしないよね?」

「私のネーミングセンスを子バカにしないよね?」

「私の何気ない言葉や動きに、上げ足とって、それで私は人間のクズ、性格悪いって言って、

私の築き上げたものをかすめとっていかないよね?」

 

そう思うようになり、

 

卒業後、やっと、自分の本音が友人たちに言えるんです。

そして、心の底から、その友人たちを愛せるようになるんです

 

ありがたいことに、高校・大学のときの友人関係は続いていて、

中には、在学中には特に仲の良くなかった子とも2人きりであったり、

相談を受けたり、と、幸せです。

 

でも、今はママ友づくりがとてつもなく怖い・・。

小学校のころと同じ感触が感じらて、とても怖い。

でも、1歩を踏み出さないと、とがんばり中です。

 

もし、小学生のいじめがなければ、ママ友づくりも

大変だけど、充実したものになるのに、

と思ったりします。

「敵になるかもしれない」とおびえながらも、笑顔でい続けるのは、かなり疲れる・・・。

でも、過去のことを言っても・・と、いろんな頭がグルグル。

 

だから、私は「いじめ」が「良い経験」であるとは絶対に思えないのです。

 

※こちらはあくまで私個人の意見です。

 他の意見をぶつけられても、私にはどうすることもできませんので、

 ご了承して頂けると助かります。

 

 

 

 

 

 


自分のために頑張ることは大切

2014年11月19日 01時03分24秒 | いじめについて




毎日たくさんのアクセスありがとうございます!

今までは、3つのブログ(塾講師ブログ、育児ブログ、まんが&イラストブログ)を掛け持ちして気の赴くまま更新していたのですが、最近は、この塾講師ブログを軸に、時々、残りの二つのブログを更新する形にしようかな?と思っています。

育児ブログと塾講師ブログは、内容的に全然違うので分ける必要はあるんですが、マンガブログの方は、教育や歴史関連のものはこちらに移行しよう、と思いまして。
マンガブログの方は、能楽部まんが、や、それ以外の現代的な漫画やイラストなどを時々気の赴くままに更新という形で。


このように、塾講師ブログに力を注ごう、と決意したのは、皆様のおかげです。

小学生のときのいじめで、「小5になっても漫画読んでるなんて子供」「漫画を読んでるからバカなんだわ」「あなたの絵は下手」「そんなに時間をかけて絵を描くのは、おかしい奴だ」など、漫画好きと自分の絵の技術を否定されつづけました。
それからというもの、漫画好きだからいじめられる、自分のイラストを見せたらいじめられる、という恐怖感が20年以上続いていることに気がつきました。

気がついた理由は、強迫性障害に陥り、治すために自分の自信を取り戻そうと決意し、色々と考えていくうちに、自分は、あの人たちに馬鹿にされるほど絵が下手なわけでもない、私は細かい絵を描くのは好きなんだ!ということに気がつきました。

また、あの人たちは漫画が好きでないから平気でマンガのこと、まんが好きの人をけなせたんだろうが、私は、マンガが好きなんだ!と。


そして、マンガを発表したい!多くの人に読んでもらいたい!と思ったのです。

そうしたら、塾講師ブログの方でも、逃げないで、自分の漫画をアップしよう!と決意。
さらに、ありがたいことに、漫画をアップし、同人活動をしていることを公言してからの方がアクセス数ものびているのです。
皆様、本当にありがとうございます!


そうすると、さらに漫画を描きたくなる。
さらに、もっと上手く漫画を描けるようになりたいと思う、それでまたがんばる。



そういうことを続けたら、

たった一ヶ月で、

突然、絵の技術が上がったことに気がつきました!!




努力するのも楽しくてしょうがない。
今までは、上手く描けないと、「自分なんて漫画描いてたら、世間の皆様に申し訳ない」とか、「漫画の技術向上する努力する時間があったら、料理に力を入れたり、主婦らしいことに努力する方が良いのでは?」という罪悪感にさいなまれました。

でも、今は違います。
料理は、大嫌い!女性らしくするように努力するくらいなら、死んだ方がマシ!と思うようになりました。

私は私の好きな人生を歩むのであり、それを批判する人は、表面上の付き合いだけで十分!

そういう強気に出るようになったら、批判も怖くなくなりました。


何かの向上、は、他人のためにすると途中で身体や精神を痛めつけます。
しかし、自分のために向上する努力は、他人から見たら大変そうな内容でも、本人は平気だったりします。むしろ、楽しんでいることも。


自分は何をしたいのか?をハッキリさせるのって、すごく大切なんだな、と改めて実感しました。




私は「悪者」として彼女たちに「いじめ」られた

2013年07月14日 23時01分19秒 | いじめについて

以前にも書いたのですが,現在,「LAW&ORDER」というアメリカドラマにハマっています。

「LAW(法)を守るのは警察,ORDER(秩序)を守るのが検察」というテーマで作られた

刑事&裁判,のドラマ。

 

 このドラマで,とくに気に入っているのが,裁判の部分です。

 

どう考えても,あの人が殺人犯だろう,と思っても,

証拠がなければ無罪になることが

このドラマではしばしば描かれています。

 

警察側が提出した証拠も,「法的」に認められる証拠でなければ,明らかに犯人だと示す証拠でさえ,証拠になりません。

 

そういう状況を見ると,「あいつが明らかに犯人なのに,証拠がない,という理由だけで無罪とはおかしい!」と

怒る方もいらっしゃると思います。

 

でも,私はそういう状況を見て,心が救われることがあります。

 

小5のときにいじめられたとき,

私は「悪い奴」というイメージをもたれ,それが「いじめ」に発展しました。

 

私をつぶそうとしたある人物が,私と仲の良い子に,私のあることないことを話し,

次第に,友人(当時)たちは,私に悪い印象を持ち始めました。

「あの子は,裏で,私たちを馬鹿にして悪口を言っているらしい」とか

「あの子は,人によって態度が違う」とか・・。(・・だと推測しています。)

実際に,私は悪口なんて言ってないし,態度だって変わらない。

 

だんだんと,友人たちの中で,私は「悪い奴」になりました。

彼女たちには,目の前にいる私の行動は,表面上のもの,だと思い込んだのです。

目の前の私より,「うわさ」を信じたのです。

 

彼女たちは,「悪いやつを倒す正義の味方」として,私を倒そうとしたのです。

しかし,それは「いじめ」です。

 

 

結局,私は弁解の余地を与えられないまま,「悪いやつ」のまま,残りの小学校生活を過すことになりました。

 

 

私が「悪い奴」と,誰もが思っても,

そこには確たる証拠はなかったですよね?

 

証拠があるからいじめていいわけではない(いじめそのものが絶対ダメ!)けれど・・。

 

「LAW&ORDER」では,証拠がなければ「無罪」です。(もしくは減刑)

 

だったら,

私も,あのとき,「悪い奴」という犯人として友人たちに捕らえられたけど,それは,違法捜査であり,冤罪であったのだと。

 

 

人は,自分が一番心地よい真実や,自分のイライラを解消するためのでっちあげの真実を,「真実」とすることがしばしばあります。

 

小5という,自我の目覚めを始めたころ,というのは,「自分」の嫌な部分が見えてきたり,他の子との差が見えてきたりします。

その嫌な部分や他人との差を受け入れるのは,そうとうな精神力が必要。

なので,小5の時期には,その受け入れがたい自分の嫌な部分を認めたくないために,他人を「悪者」にすることがあるのだと。

他人が「悪者」なら,その「悪者」をこらしめる自分は「正義の味方の良い奴」なんです。

 

私は,当時の彼女たちの格好の餌食だったのでしょう。

 

今でも,彼女たちがやったことは許せません。

 

でも,もう,この「いじめ」の証拠は,私の記憶の中でしか存在しません。

だから,私が彼女たちを罰することもできません。

 

でも,それで良いんです。

 

同じルールの下,私は生きていく。

彼女たちはルールを犯した。でも,その証拠は今はない。

彼女たちを許せないけど私は,「ルールを破らない」よう生きたいです。(無意識に破っていたら,本当に申し訳ないのですが・・)

それが,せめてものプライドです。

 

 

※こちらはあくまで私個人の意見で,特定の人物や事件を非難したものではありません。

 

 

 

 

 

 

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日本脳炎ワクチンを受けられなかったことへの後悔

2013年07月12日 23時32分34秒 | いじめについて

先ほどの記事で,風疹の抗体値が低く,風疹ワクチンを打った,というお話をしました。

その際に,日本脳炎のワクチンを打った,というお話も出てきたんですが,

今回,なぜ今頃,日本脳炎のワクチンを打ったのか

というお話をしたいと思います。

 

 

私が子供のころは,多くの予防注射が,学校での集団接種でした。(今は,BCG以外は,病院での個別接種。)

 

私はとくに,予防注射で大きな副作用(副反応)が起きたことはないのですが,

Ⅰ期の風疹・麻疹ワクチンを接種後,ちょっと元気がなかったそうです。(1歳半ごろ,の話)

なので,問診票にも,それが書いてありました。

 

話を日本脳炎ワクチンの話に戻しますね。

 

Ⅱ期の日本脳炎ワクチン接種の時期は,たしか小5の秋以降か小6のときだったと思います。(当時)

 

他の記事でお話したのでご存じのお方もいらっしゃると思いますが,

私にとって小5は苦しい時期でした。

小5の夏あたりに,私と一番仲の良かった子が中心になり,

クラスメイトの女子の大半からいじめを受けました。

 

そのいじめで,「いじめられる自分が悪い」と思いこんでしまいました。(実際には,いじめる方が悪い!)

いじめられた際に,私は「子供っぽい!」と馬鹿にされました。

 

なので

 

「なんでも自分一人でできる大人にならなければ!」

という焦りが当時ありました。

 

そのころに,日本脳炎の学校での集団接種がありました

 

順番に並んで,予防注射を受けるのですが,

自分の前に予防注射を受けようとした子が,先生が問診票を見る前に

医者に向かって,「私(僕)は,予防接種で○○という副反応が起きたことがあります。(副反応の症状は聞き取れなかった。)」と

言ってました。

 

「何も言わず問診票をお医者さんに見せる,という形を今まで自分はしてきたけど,

それは子供っぽいかも?ちゃんと,問診票を見せる前に自分から積極的にしゃべらなければ大人とは言えないだろう。」

と,当時の私はとっさに思ってしまいました。(今から考えれば,親が書いた問診票を見せるのが正しいのですが・・)

 

そこで,自分の問診票をみました。

 

そうすると,「風疹・麻疹ワクチンで,●●・・。」と書いてあるのを見つけました。(何と書いてあったかは,詳しく覚えていません。)

 

当時の私は「風疹・麻疹」の読み方がわかりませんでした。

 

でも,いじめで「馬鹿」呼ばわりされたので,人にも先生にも読み方を聞けず・・。

「聞いたら馬鹿にされる,でも,ちゃんと問診票を医者が見る前に,言わなきゃ!」という焦りが・・。

 

そこで,「麻疹」は,「ましん」と呼ぶのだろう,と考えました。

(「ましん」でも間違いではないそうですが,通称は「はしか」と読みます。)

 

自分の番がまわってきました。「私は,風疹・麻疹(ふうしん・ましん)で,●●のようなことがおきました。」と言おうとしたのですが,

緊張してうまく離せず「ましん」とだけ言ってしまったのです。

 

そうしたら,医者は問診票も見ず,「はい,次。」とだけ言って,私は注射を打ってもらえませんでした

 

おそらく,医者は「じんましん」と聞こえたのでしょう。

それで,日本脳炎の注射を打つのを中止したのだと・・。

 

(今になって,調べてみたら,どうも,日本脳炎ワクチンの副作用問題が出てきた時期と重なるので,

日本脳炎ワクチンの接種が,その医者は乗り気じゃなかったのかも・・。

今は,当時問題になった日本脳炎ワクチンと違う種類のワクチンに変わったそうですね。

また,問診票を見ずに,子供の言葉だけで

行動するのも,医者としてどうかと・・。)

 

 

そのときは,何が何だか分からず,私は茫然としていました。(注射を打ってもらうつもりだったので。)

 

今考えると,「副反応があった」なんて言えば,注射が見送られることなんて想像がつくのに,

あのときは,「問診票を見せる前に,問診票に書いてあることを医者に言わなきゃ!」という間違った自立心の方が強くて・・。

 

あとで,クラスメイトに「おまえは,××か!(××は差別用語なので伏字にさせて頂きます。)」と蔑まれ・・。

先生にも冷たい目で見られ。おそらく,注射を打ちたくなくて嘘をついた,と思われたのでしょう。

 

実母にも,「なぜ,じんましんが出たなんて言っちゃったの!」と怒られ・・。

(「ましん」と読み方を間違えたことを言う方が,当時の自分としては恥ずかしくて,母に「じんましん,と言っちゃった」と伝えたので。)

日本脳炎の注射を個別で日本脳炎の注射を打ちに行きたかったけど,

母にそれを言いだせませんでした。

有料になるだろうし,自分の落ち度で注射を打てなかったのだから,

自分から注射を打ちたいなんて,おこがましく言えない,と。

 

その後,個別で病院に日本脳炎の注射を打ちに行ったかは記憶が定かではありません。

 

それは,それと前後して「いじめ」を受け,その後も,ずっと孤独に過した時期は,

記憶がとぎれとぎれで・・。思いだそうとすると,吐き気がすることもあったり・・。

 

さらに,何度も,日本脳炎の注射を打ちに行く,という夢を見ていたので,

いつのまにか,日本脳炎の注射を後で病院に個別に打ちに行ったのかが,夢か現実かわからなくなってしまいました

 

しかも,書類も残っておらず。母子手帳も,盗まれてしまって。

(母子手帳の入っていたバックを,金銭目的で盗まれた。犯人は,つかまっていません。たぶん,顔見知りでない人の犯行。)

 

 

中学から社会人になるまでは,日本脳炎の注射を打てなかったことに対する後悔の念はありましたが,

そこまで心配はしませんでした。

 

しかし,社会人2年目のときに,白血球の異常増殖で倒れて緊急入院したときに,

「自分は,これ以後,いつ病気になってもおかしくない。」と思いました。

 

それで,自分が日本脳炎のワクチン(Ⅱ期)を打っていないことを思い出しました。

 

それからは,豚が怖くなり,蚊が怖くなり,夏に豚のいるところには行けなくなってしまいました・・。

普通の蚊では日本脳炎にならないし,豚さんも日本脳炎のウイルスを保持してなきゃ,別に大丈夫なんだけどね。

 

「私は,いつか日本脳炎で死ぬんだ。みんなはワクチンを打ってるから死なないけど,私だけ死ぬんだね。」と思うように。

 

さらに,1回目の流産で,自分の身体そのものにまったく自信がなくなりました。

 

「私は日本脳炎で死ぬ運命なんだろうな。」とまで思うように。

 

1回目の流産のときの手術のあと,つきそいで来ていた母に,

ずっと日本脳炎のワクチンを打てなかったことに対して後悔していることを語っていたそうです。

(麻酔の影響で私自信は覚えてないのですが・・)

 

今年,風疹が流行したことから,ニュースで「風疹の抗体検査を受けましょう。」「風疹の予防注射を受けましょう」ということを聞き,

え?抗体があるか調べられるの!?」

「大人になってからも,子供の時に受ける予防注射を受けられるの?」

とびっくりしました。

それまで,知らなかった自分も情けないですが。

(やはり,予防注射に対してのトラウマがあるで,積極的に調べようとすると頭が痛くなってしまってて・・。)

 

 

病院で,風疹の抗体検査をしてもらいに行ったときに,先生に「日本脳炎の抗体検査もできますか?」と聞いたら,

「できるよ~」と即答されました。

 

それで,日本脳炎の抗体検査もしたら,やっぱり抗体はありませんでした。

やっぱり,Ⅱ期は打ってなかったのですね。

 

すぐにワクチンを打ってもらい,

今までの約20年間悩みがやっとなくなりました。

 

有料だから,10万円とか100万円とかかかるかと思っていたのですが,5000円程度で済むとは!

20年の苦しみを5000円でチャラにできるとは!(抗体がちゃんと出来ているか?次第ではありますが・・)

 

「いじめ」を受けると,正常な判断ができなくなります

今,思うと,なぜあのとき,私はあんなことをしてしまったのか?と思います。

 

「いじめ」によって,「全部自分が悪い」と本気で思ってしまう・・。

 

「いじめ」というのは,人の自信を奪い,どんどん苦しい方に自分を追い込んでしまうことがある,おそろしいものです。

 

 

今まで,この日本脳炎ワクチンを受けられなかった事の詳細を,人に話したことは一切ありません。

医療従事者の子に「日本脳炎のワクチンを打ってないけど,大丈夫かな?」と相談したことはありますが。

万が一,「自分のミスで日本脳炎のワクチンを受けられなかったんだ」と話して,私が責められ馬鹿にされたら・・,

と思うと怖くて怖くて。実際にそんなことをする友人はいるハズないんですが・・。

 

もうワクチンを打ったので,当時の話ができるようになりました。

 

もう他人に責められても,「もう,打ってあるから大丈夫だよ。」と本気で思えます。

それまでは,あのときのミスは現在まで続く苦しみの「過去」でしたが,今になったら,あの事件は,私にとって「歴史」になりました。

英語で言う,「現在完了形」が「過去形」になった感じ?

 

 

悩んでいる渦中では,自分に落ち度があると思い込んでいることに対し,他人には話せません。

話せるのは,解決してから。

 

いじめの渦中にあるときに,「自分が悪い」と思いこんでいると,他人には相談できるはずもない。

だって,もしかして相談したら「いじめられるアンタが悪い」と言われたら,と考えるだけでもおそろしい。

いじめで「自分が悪い」と思いこませられているんだから,他人が信じられなくなる。

実際に,相談された相手は何気なく,「こうすればいじめられないんじゃない?」というアドバイスのつもりで言ったとしても

いじめられている渦中にある本人には「こうしなかった自分が悪いんだ。」と,自分を否定してしまいます。

 

 

「いじめ」というのは,とてつもなくおそろしいもので,

被害者を救うことは,とてつもなく難しいものなのです。

表面だけの言葉じゃなく,全身全霊の愛を感じてもらうこと(「どんな状態のあなたでも私はあなたを愛している」),

それが大切なのかもしれません。

 

(※「いじめ」についての意見は,あくまで私個人の意見で,特定の相手の方を誹謗中傷しているわけではありません。)

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いじめられた人は何年も心にブレーキをかけてしまう・・

2013年05月24日 21時31分05秒 | いじめについて

なかなか更新できずすみません。

最近は,温かくなったので,よく娘を施設に連れて行っています。

まだ娘が小さいので地元の愛知県内の水族館や動物園,遊園地や大きな公園などが中心です。

 

その中には,私が小さいころによく連れて行ってもらった施設もたくさんあります。

 

動物園や遊園地などは,小学校のころに行って以来のものもあります。

小5のときにいじめられ,そのあとで小学校の遠足(社会科見学)に行ったときは,

誰も友達がいない状態で,班行動をしなければならず,とても辛かったです。

その思い出を最後に行っていなかった施設は,どうも,私にとって苦い思い出の場所になってしまっていました。

 

また,小6でできた友達も中学のときに,辛い別れをしているので(裏切られたので),

その小6のときの友達と行ったのが最後の施設も,思い出すと,どうも悲しい気分に・・。

 

なので,たぶん,愛知県内の子供が中心で行く施設のうち,

小学校のころにクラスメイトと一緒に行かなかった名古屋港水族館以外は

大概,苦い思い出のところばかりです。

 

しかし,娘とその苦い思い出の施設に行くことで,楽しい思い出が上書きされ,

その施設の思い出も楽しいものになりました。

 

また,子供が産まれる前は,

「こんな子供っぽい施設で楽しんだら,また(小学校で私をいじめた子)馬鹿にされる」という恐怖感が出て,

心の底から楽しめませんでした。

 

でも,子供と一緒に行くと,

「私自身が本気で楽しまないと,娘も楽しめないもんね!」と思い,

「そうだ!楽しんでいいんだ!」という太鼓判が押された感じがして,

子供心にかえって遊べるようになりました!

 

いじめって,いじめらた人に何十年も心にブレーキをかけるものなんですね。

 

楽しめるものも楽しめない。

理屈ではわかっているんですが,どうしても,トラウマがよみがえってくる。

 

いじめられている時期だけでなく,そのあとも,ずっと心の苦しみは続くんです。

 

それが,何かの拍子に,癒されることがあるけれど,その癒される機会がないこともあると思うんです。

 

だから,いじめって怖い・・。

 

いじめは,どんな理由があろうとも,その行為が許されるものではないと思います。

 

 

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いじめをした人を許せるか?

2013年03月12日 23時32分58秒 | いじめについて

かなり久々に新作&長文の投稿です。

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最近,自分の気が付いていない心の闇を知ることがありました。

 

小学校時代の同級生で私をいじめていた子たちの何人かが,

ここ数年で結婚・出産したようで,(実家が)ご近所なのでウワサが入ってきます。

 

「結婚した」,ということを聞いたときは「ふーん」と思っただけで,

それ以上の感情はありませんでした。

 

でも,その子たちが,「結婚してすぐ妊娠し出産した(もしくは妊娠したから結婚した)」とか

「家を買った(建てた)」と聞くと,なぜかイライラしました。

 

最初は,

自分は二回流産しているのにすぐに妊娠し出産できたことや家を建てられる財力があることに

対し,妬ましいのかな?と思っていたんですが,どうもそうでないような感じがしました。

 

半年ほどして,突然,あのイライラの理由がわかりました。

 

私自身は家を建てたいのか?という疑問を突き詰めていた時のことです。

 

私は,小学校でいじめられたときに,自分の家が先祖代々住んでいた家だったので,

簡単に引っ越しすることができませんでした。

だから,辛い思いをして,そのまま同じ小学校に行き続けるしかありませんでした。

またご近所で,「Aさんはどの高校に受かった」とか「Bさんは大学受験に失敗した」とか

嫌でも情報が入ってきます。私の情報もご近所に流れているようで,

その人には言っていないのに,私が合格した大学を知っていたり・・と。

なので,ご近所,というのがとても辛かったです。

いじめの原因も,ご近所の関係だったですし。

私の家を知らない人は私をいじめませんでした。

大きな家である,という妬みがいじめのもとでしたし・・。

 

 

だから,家とか外から見てわかるもので他人の妬みを刺激し,

そしてそれがいじめに発展するなんて,

家というものはなんて怖いものなんだ,という思いがありました

 

娘が産まれて,もし娘がいじめられたときに,賃貸住宅なら,引っ越すこともできる(転校もできる)。

必要以上に妬まれない。

人というのは,自分よりも,優れている,もしくは劣っている,と勝手に勘違いした評価をした相手を

いじめる生き物なのだから。

賃貸住宅ならいじめられない,ってことではないけど,持ち家で苦しめらた経験のある自分としては

安易に家を買う!という気になれなくて・・・。(夫が転勤族であるなどの他の諸事情もあって家を買う

ことができないのもありますが・・・)

 

でも,「持ち家の大きい家でひろびろ育児をした方が子供に良い」というイメージがある人もいて,

「やはり子育てするなら子供のために家を買いたいよね」と言われた時,

「うーん,自分のトラウマのために娘の教育を狭めて良いものか・・。」と悩んだりも。

 

でも,もし「持ち家の広い家で育児された子供が広い考え方をもつ」ということが正しいならば,

持ち家の子は「いじめ」なんてしないですよね?でも,私をいじめた子の中には「持ち家」の子もいた。

また,マンション住まいの多い都市圏の人々はみんな考え方が狭いか?と言ったら全然そうじゃないですし。

 

ということは,「家」の大きさはあくまで「箱物」であり,そこにしっかりとした「教育」しなきゃ

ただの「箱物行政」と同じだろう,と。

 

だから

 

「家」の大きさに関係なく,自分が広い考え方でのびのびした気持ちで娘を教育すれば大丈夫!

と思えるようになりました。

 

それにより,あのイライラの原因がわかりました。

 

私は簡単に家を買うという気持ちになれず悩んでいるのは,イジメが根底にある。

そのイジメをした人たちが,私の家を非難しておいて自分たちが家を買う?

それで「私たち家を持っているのよ!子供に良い教育をしているでしょ!」という顔をしているのが

許せなかったんですね,私。

 

 

「私は今でも,いじめをしたあの人たちを許していなかったんだ」と。

 

私は「いじめをした人たちは,当時,それぞれ事情があっただろうし,私にも落ち度はあっただろう」

そして

「いじめをした人たちを許している」と長年思っていました。

 

 

でも,心の底では全然許していなかったんです!20年以上経ったにもかかわらず。

 

 

「他人を許すことは自分を許すこと」という言葉を信じ,

「いじめをした人を許す」ことで,「自分の悪い部分も許してもらおう」という自己防衛の気持ちがあったのだと

思います。(本来「他人を許すことは自分を許すこと」はそういう意味ではないですし・・)

 

でも,「イジメをした人を許していない」と自覚してから,

「自分が他人に許してもらえなくても,それは甘んじて受け入れよう」という気持ちになりました。

 

もしかしたら,私も気がつかない間に,他人を傷つけたりいじめていたりしたかもしれない。

そんな悪い自分を見たくないために,「いじめた相手を許そう」と頑張っていたのでしょう。

でも,私を憎む人は憎んでいいよ,それは胸に刻んでいきていこう!と。

 

 

 

そのように思ったら,「家を買う」ことに全然こだわらなくなりました。

 

そのかわり,

「よっしゃ,部屋が狭い分,外でのびのび娘を動かそう!

そうだよ,NYやパリの人々の多くはアパート(アパルトマン)に住み,

近くの公園でのんびり過ごしているじゃないか!NYやパリの人々の考え方好き!」と。

 

毎日,公園でのびのび過し,娘も私が家を買うか悩んでいたときよりも,明るい笑顔に。

 

いろんなことがふっきれた気がします。

 

娘を幸せにするぞ!と。

 

 

※こちらは私個人の考え方で,絶対的な意見ではありません。

※家を購入している人を批判しているわけではありません。

 

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「いじめが悪いこと」と理解できない子もいるかもしれない

2013年02月25日 23時37分31秒 | いじめについて

塾講師・家庭教師を10年以上やっていて、

どれだけ、わかりやすく教えても、情熱をもって接しても、

勉強の内容が理解できない子をたくさん見てきました。

 

自分が悪いのかしら、と悩んだこともありましたが、

ある一定以上は、生徒個人の問題だと、最近は思うようになりました。

もちろん、先生の教え方次第で、変わる子も多くいます。でも、変わらない子もいるんです

 

勉強は、できる子が良い子で、できない子が悪い子、では決してありません。

勉強の出来る出来ない、成績が良い悪い、は、

その人の勉強以外の評価(たとえば性格など)とは全く関係ありません

 

今回、私が言いたいのは、

勉強だって、学校でも塾でも先生が教えても、

理解出来ない子がいるように、

道徳的観念も、先生が教えたからと言って、

全員が理解できるわけではないだろう、ということです。

 

つまり、いくら先生や親が

「いじめは悪いこと、してはいけない。」と言ったって、

それを理解できない子は必ずいるはずです

また,表面上は「いじめは悪いこと」とわかっていても、

自分がその悪いことである「いじめ」をしている、という自覚がない子も。

 

もちろん、先生の姿勢・教え方次第で、いじめが減るのは確かです。

多くの子は、先生の言っている意味を理解し、

いじめをしなくなります。

だから、先生たちがしっかり指導していくのは大切です。

 

しかし悲しいことに、いじめが完全になくなることはない、と私は思います。

それが良いことだと思っていません。

 

減らそうとする努力は大切。

でも、いじめがおきたときに,

先生の指導や親の教育のせいだけにしていては、

完全な解決にはならない

と思います。

 

いじめが起きないようにしよう,という努力も大切ですが,

いじめがおきてしまったときに,それが広がらない・悪化しないよう

対処することが,一番大切かも・・と私は思います。

いじめられた子の心のケア,いじめた子がなぜいじめたのか,の分析をし,

同じ状況下にならないようにすること,など。

 

いじめ問題はとても難しいもので,理想論だけでは解決できないもの。

私も実際に目の前でいじめが起きたら,的確に動けるか自信がありません。

でも,目の前の現実から逃げずに,真正面からがんばりたいです。

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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※こちらは私個人の意見で,これが絶対的なものではありません。

※特定の方を批判したものではありません。

 

 

 


いじめの相談をする,それは難しいことだと思う

2013年02月25日 23時33分55秒 | いじめについて

今回は「いじめ」について,自分なりの意見を書かせて頂きたいと思います。

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いじめられている人は相談しましょう。」という言葉は

私は苦手です。

 

「相談する」ことは良いことですし,出来るならそうすべきです。

でも,それができない状況がある,ということも理解しなければいけないのでは?と思います。

 

「いじめられている」と自覚しないと,人に「相談」は出来ません。

でも,自分が「いじめられている」と

いうことを気づくことは難しい

たとえ,

「もしかして・・・」と思っても

「自分がいじめられている」と自覚するのは

怖いことで勇気がいります。

 

 

私は小学校でいじめられているとき,「いじめられている」自覚はありませんでした。

なんとなく友達との間で違和感があり,自分が悪い,と思い込んでいました。

私の様子がおかしいことに母親が気づき,「おまえ,いじめられているのではないのか?」

と言われたとき,最初は「え?わたしが?」とびっくりしたのです。

いじめられている,と自覚したとき,私はとても恥ずかしくなりました。

なぜなら,「いじめられている」ということは,自分は友達に馬鹿にされ,嫌われている,ということであり,

そして,誰も友達がいない,ということなのです。

 

だから,世間は簡単に相談しろ,と言われても,それはとても勇気がいります。

 

また,相談する相手によっては

「あなたも,ここは悪いんだから,こう治したら良いんじゃない?」

とか

「俺だったら,相手をぶんなぐってやるのに!」

と言う方がいます。

これは一見,良いアドバイスのように見えますが,

「いじめ」で自信喪失しているときに,このように言われると,

自分が否定されているようで,「孤独」がさらに増します。

相談する,ということは

 

「どんなお前でも愛している!」

 

と言ってもらいたい(言葉でなく態度で,という意味)

ということだと思います。(意識があるなしに関係なしで)

 

私が先生をしていたときに,

「いじめられているので相談にのってほしい」という相談の形をした生徒はほとんどいませんでした。

 

突然成績が下がった,

作り笑いが多くなった,

妙に自分のできるところを先生にアピールするようになった(もしくは突然自信がない様子になった)

暗い,よく体調を崩す,

などいつもと様子が違うことに気がついたときに,

「何かあったのか?」とこちらから生徒にアプローチしました。

 

大概,最初は「いや,特には・・」と否定しますが,突き詰めていくと,

友人間での悩みがあることが発覚します。

その内容を聞いていくと,それが「いじめではないか?」と思うような内容が出てきます。

 

それで「それはいじめじゃないのか?」と生徒に聞くと,

「いや,違う。私(僕)が悪いんだ・・。」と本気で言う生徒が多いんです。

 

そこから,先生が自分を裏切らない,という態度をとり続けて,

やっと生徒は「いじめ」を自覚し,これからどうしていくのかを考え始めます。

 

相談を受けるということは,とても,時間と労力が必要で,

心の底から生徒を愛さないと出来ないことです。

 

また普段から生徒に信頼される先生でなければ,声をかけても生徒は本音を話しません。

 

私も,すべての生徒さんたちに信頼されていたわけではないですし,

「いじめ」を受けていた生徒さんのことに気づいていなかったかもしれないです。

だから,もし,また先生をする日があれば,少しでも生徒さんのためになる先生になれるよう努力したいです。

 

また,もし友人といると辛いと感じている人がいたら,それはもしかして「いじめ」かもしれません。

自分が悪い,とは思わないでください。「いじめ」はどんな理由があろうとも悪いことです。

 

※こちらは私個人の意見で,一般の団体・個人の方々を否定・批判しているわけではありませんし,私の意見が絶対のものではないです。

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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