↖️これ、すっごく大切なんです!
時々
話をフランス革命の時期に戻します。
昨日もたくさんのアクセスありがとうございます。
昨日は、世界史の中世ヨーロッパのフランク王国をやりました!〓
フランク王国の歴史はローマ教皇(ローマ教会)の歴史と密接に結びついています。
西ローマ帝国が滅びた後、ローマ教会は後ろ盾を失ってしまいます。〓
しかも、東ローマ帝国という後ろ立てのあるコンスタンティノープル教会とも、聖像禁止令をきっかけに仲違いしていき、ローマ教会は窮地にたたされちゃうんですね。
そんなとき、正統のアタナシウス派キリスト教に改宗したフランク王国のカール=マルテルが異教徒からキリスト教世界を守ってくれたわけですよ!
ローマ教会は、「後ろだてを見つけた!」と思ったんです。
それで、カール=マルテルの子ピピンにフランク王位を次がせ、ついでピピンの息子カール大帝に戴冠をして、かつてローマ教会の後ろだてだった西ローマ帝国を復活させます。〓
つまり、これは、東ローマ帝国&コンスタンティノープル教会、フランク王国(西ローマ帝国)&ローマ教会という同等の図式を復活させた、ということも言えるんですよね。
以上のことは、教科書に書いてある事柄をまとめただけです。そうすると、「なんで、こういう流れになるの?」と思う方もいらっしゃると思います。
このような流れになるには、実は次のような前提があるんですよね。〓
①国王(王国)と皇帝(帝国)の違いを認識する
→王はあくまで一つの国のトップなだけだけど、皇帝はさまざまな国にいる王をまとめる役目なんですね。つまり、精神的には王よりも皇帝のほうが上なわけです。
②キリスト教の教会と帝国の関係はとても密接なものだと認識する
→ゲルマン民族の大移動により、西ローマ帝国が滅亡し、西ヨーロッパには皇帝(帝国)は消滅しちゃったワケです。
皇帝と教会の密接な関係がなくなりました。
教会からしたら、西ローマ皇帝という相棒がいなくなったので、あらたな相棒が必要です。
まわりは、その相棒を倒したゲルマン民族の王国がいっぱい!
その地に、皇帝制をローマ教会が西ヨーロッパで復活させたら、それはその皇帝とタッグを組んでいるローマ教皇は、西ヨーロッパのゲルマン人の王国を含む様々な国を精神的に統一したとも言えるわけです。
それで、ローマ教会は、異教徒からキリスト教世界を守り、正統アタナシウス派に改宗しているフランク王国に歩み寄り、ピピンに王位をつがせ、ついてカール大帝に皇位をつがせ、つまり戴冠を行います。
カール大帝の死後、フランク王国は三つに分かれてしまい、その後、カールの血筋も絶えてしまいます。
つまりそれはまた、ローマ教会は後ろだてを失った状態になっているわけで・・。
そこで次は、三つに分かれた国の一つ、東フランクの王に戴冠をし、ローマ帝国を復活させます。名前は、西ローマ帝国ではなく、神聖ローマ帝国ですし、多少の違いあるんですが、二回目の西ローマ帝国の復活だと思っても良いとは思います。
この時代は、
ローマ教会と西ローマ帝国の関係、
皇帝(帝国)と国王(王国)の違い
をはっきりさせれば、わかりやすいと思います。
とくに、西ローマ帝国というのは、ただの歴史の、一過程の国ではなく、西ローマ帝国ありきの西ヨーロッパだと考えると、さらにわかりやすいかな?と。
また、イスラーム勢力、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の関係まで考えるとよりグッド。
先生や生徒によっては、
「教科書に書いてある以外のことは言わないで!」とか「用語並べで覚えればいいから、そういうことを言われると、どこを覚えればいいかわからず、かえってややこしくなる!」「語呂合わせを教えて!」とおっしゃる方もいると思うんですが、逆に、「背景を説明してほしい」という方もいらっしゃるのも確かなんですよね。
用語暗記や語呂合わせの本などは多いので、わざわざ私までやらなくても、と。とくに語呂合わせは私は嫌い!用語だけ覚えても、理解できなきゃ勉強の意味が半減して、もったいない!
だから、私は私なりに、出来ることをしたいなぁと思います。
ただし、わかりやすい説明をもっと出来るようには努力は常に必要だけれど〓
でも、またその努力が楽しいんですけどね。〓
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現在,家庭教師の関係で,世界史を勉強中です。
今日は,モンゴル帝国あたりをノートにまとめていたのですが,
家系図を見ながら,内容を読み進めていくと,
なんでこういう風に(ランダムに見えるような形で),
ハン(君主・皇帝)の位をゆずっていってるんだろ?と疑問に感じました。
(先生なのにすみません・・。)
そこで,モンゴル帝国大好きっぽそうな旦那に聞いたら,あっさり答えてくれました。
モンゴル帝国(モンゴル民族)って,
最初は末子相続(一番年下が家を継ぐ)形をしていたそうです。
それで,兄たちは,新たに土地をもらったりして,独立していく,そして,最後に家に残った子,
つまり末子がその家を継ぐ,という形。
これって,中国の思想が入る,古代の日本もそうだったとも言われてて,
別にめずらしいことではないそうです。
それが,儒教などの「上に従うのを良し」とする考え方や,
神を頂点とする宗教などが誕生したことから,
上をたてる考え方が一般化し,
現在のような長子相続(長男が継ぐ)の形ができた,という説があります。
※これはあくまで,数ある説の中の1つの説だと思ってください※
モンゴル帝国では,2代目のオゴタイ=ハンのときまでは,
末子相続をしていたため,末子とトゥルイが亡くなったのでオゴタイがチンギス=ハンの跡を継いだ,とか。
そのあと,オゴタイの子のグユクがハンを継いだけど,彼には跡継ぎ(子供)がいなかったため,
つぎが誰になるか?という問題が。
そのころには,中国の長子制度も入ってきているので,難しいところ。
オゴタイの血をかんがえれば,オゴタイの孫でグユクのおいであるハイドゥが跡を継ぐ,という考え方もできるし,
本来2代目は,オゴタイではなく,トゥルイが継ぐはずだったのだから,グユクに子供がいなければ
トゥルイの孫が継ぐはず,とか色々考えることができるとのこと。
ああ,だから,ハイドゥとフビライが長期にわたる争いもしているのか・・,とか。
※こちらはあくまで,数ある説の中の1つの説です。もし間違いがあったらすみません。※
そういう相続制度を知ると,系図を読むのが楽しくなります。
日本でも,壬申の乱などは家系図を見ながら歴史を読み進めていくと,すっごく理解しやすいし,面白いです!
世界史は,点数を取る力はあるけど,
まだまだ知らないことが多いな~と痛感させられます。
でも,1つ1つ新しいことを知ることができるのってうれしい。
先生って,ただ解けるだけでなく,
1:いろいろなことを知って,理解し,
2:それを自分なりに再構築して,
3:相手に分かりやすく伝達する,という
3段階の努力が必要なんだな~と思います。
今日は、雛祭り(桃の節句)ですね♪
雛祭りといえば、雛壇(お雛様)ですが、
お雛様をいろいろみていると、
宮廷(昔の天皇家と貴族)の役職がわかったりして便利だったりします。
たとえば雛壇の最上部、お内裏様とお雛様。
お内裏様というのは、
内裏(だいり)つまり天皇陛下のことです。
そして、お雛様は天皇の妻つまり皇后陛下のことです。
また、左大臣・右大臣などの役職のお人形がいたり、
5人囃子(7人囃子)も実在する役職(お仕事)です。
7段ある雛壇だと、牛車などの平安時代に実在した乗り物もあります。
※左の絵は私が描いたイラストで,実際の雛壇とは
違う点がいくつもあります。
※ちなみに、武家式は5人囃子(太鼓・小鼓・大鼓・能管・地謡という能楽のおはやし)で、
7人囃子は宮廷の雅楽(笙・篳など)のお囃子のようです。
もともと、天皇家・貴族の音楽が雅楽で、
それに武家が対抗する形で室町時代に大成されたのが能楽ですので。
このように、身近なお祭りの中にも、歴史や古文を勉強する要素がたくさんあるので、
そういう風に視点をかえてみるのも、楽しいものではないでしょうか?
正式に歴史や古文を習い始めたときに、イメージがついているので理解しやすくなります。