みなさま、本日もありがとうございます。
今回は、
「これから
歴史の勉強関係の同人誌を
本格的に作成するにあたって、
自分はどういう視点で、
どういう考え方で
書いているか?」を
はっきりさせたいと思い、
まずは作成前に、
こちらのブログでも書いて
いきたいと思います。
(この後、編集・画像作成・編集して、本にしていきます。)
1:私自身のこと
私自身はASD(自閉症スペクトラム)です。
それが判明したのは、子育てやママ友づきあいから
「ナニカオカシイ」と感じた、と、それに伴う強迫性障害になったことです。
ムリに育児書に載っている方法で子育てをしようと努力し
また、ママ友や世間の価値観や子育て方法に合わせようとしたことから
結果的に強迫性障害を発症し、そこからの脱却で今でも苦しんでいます。
その育児中の「ナニカオカシイ」は、自分が小学校・中学校でも感じたことです。
「もしかして、私と、多数の他の人では、思考回路や価値観が違うのでは?」と
小さいころから思っていました。
その思考回路に優劣はなく、違うだけ。
私は、小・中学校で行われる授業だと、わからないことがありました。
それで、自分は「馬鹿」なんだ、と
思い込んで自滅していくことも、何度かありました。
その中で生きもがいて、自分なりの勉強方法を確立して
なんとか生き抜いてきましたが、
私と同じように、小・中学校のときに苦しみながら勉強していた人もいるのでは・・・?
自分自身と塾講師などでの経験から感じたことです。
ただ、これから歴史の授業記事(新しく作り直したものをこちらのブログにアップ→同人誌作成)を
展開していくにあたって、「ASD向けの人の勉強法」と記すつもりはありません。
その理由は、ASDのことを恥じているわけで記さないわけではないです。
ASDであることも含めて、私は私です。
何も恥じることはないのです。
生きるのは大変だし、馬鹿にされることはあるけど
私自身が私自身を恥じる必要はないよね?と。
以前、自作のマンガ(勉強関係でなくファンタジーマンガ)を他人に見せたとき、
「いかにもASDの人が描いた漫画!!万人受けしない!」と言われました。
そのとき、「定型発達の人向けにマンガを描かないといけないんだ」と落ち込んで、マンガが描けなくなり、
それが最終的にクリエイター活動や同人活動をやめる、最初のベースになってしまいました。
でも、「なんで、人類は定型発達の人も発達障害の人もいる。私はASD、発達障害である事実は変わらない。
なのに、ASDの私は定型発達の人になる努力をして、
定型発達の人に合うやり方で、いろいろがんばらなきゃいけないんだろう?
ASDのまま、力をつけて、表面上だけでも、集団生活で生きることをしてはいけないのだろうか?
私が発達障害のまま、発達障害の人も定型発達の人も、どちらも幸せになる作品をつくることはできないのだろうか?」
・・・という怒りの気持ちも出てきました。
そこで、私にとって、ずっとがんばってきたのは、「受験勉強」でした。
だから、娯楽マンガ、感動マンガ、素敵な絵画は描けない。
あの人(先述した人)が言うように「ASDだから、描けないんじゃない!ASDで自分のしたいことを他の人に譲るのはイヤ!
マンガは描きたい!絵も描き続けたい!でも、自分はどんな理由があっても
受験勉強から離れたくないんだ。
だから、勉強以外の他の作品を描くときはウソで固められているから、つまらないのだろう!」と。
そこで、私は
「学校での授業だけだと、勉強ができない人間になってしまう。でも勉強はし続けたいし、テストで点数とりたい!」
という、人たちのために、ASDのまま生きる決心をした私ができることをしたい!と思いました。
「苦手なら、ムリしてがんばらなくて良いんだよ。君が、ありのままの君らしくいられるように。」みたいに
耳障りの良い言葉で、相手の秘めたる才能をかえって潰すことがある、のを私は、あらゆる経験から実感しています。
「苦手でも、なんでも、泣こうが、わめこうが、やり続けたいなら、やれば良いんだ!」と言いたい。
過去の私が「他人が、私ががんばることを望んでない。だったら、私は努力することを放棄しないと相手に迷惑かける」という思考で
すごく苦しかった。「苦手なのに、がんばることの何が悪い!」という気持ちになったのは、つい最近です。
だから、もう2度と、過去の私のような苦しみを持つ生徒さんがいたら
1人でも、「苦手だろうが、なんだろうが、私はがんばってやる!!」と勇気を出せるような
作品が描きたい!と。
その際に、自分が「発達障害(私の場合、ASD)」であることを公表して、作品をつくる覚悟をしました。
そうでないと、「こんな風に考えなくても、私はテストとれるよ!アナタの考えは、みんな(?)がおかしいと言っているよ!」
と指摘されても、自分の書こうと思うことに迷いが生じないようにするためです。
そう、以前、「定型発達の人と同じことしなきゃ!」で強迫性障害になった過去があり、
その地獄の日々にもう2度と戻りたくないです。
馬鹿にされようが、万人受けしないと言われようが
「私は私ができることをする!」としないと、生きることが難しくなるから。
「ASDである」と宣言するのは「私は私のまま生きること!」という決意表明なだけです。
そのため、このブログ(と同人誌)で、実際の授業関係の話をするとき、
ASDの子向け、定型発達向けではない、とは言いません。
その理由は、今まで多くの生徒さんと出会い、私の授業を好んでくれた人は
発達障害だと思われる子も、定型発達だと思われる子も
好んでくれたから。
少年マンガを好きな女性がいたり、
少女マンガを好きな男性がいたり、
少年マンガを描く女性のマンガを好む男性・女性がいたり、その逆も、
海外ドラマの方が自分の性格に合っていると感じる人がいたり・・・と
描く人と同じカテゴリー(性別・国籍など)に属している人以外でも
その作品を好むことはあるし、その作品で救われることもあります。
また、自分は女性なのに、女性向け作品が苦手、など
自分は、その作品の読者ターゲット層なのに、合わないものは合わない。
つまり、「ASD」の作者の作品でも、ASD、ASDでない人も好む人は好むし
同じ「ASD」の人でも、私の作品が合わない人はいるでしょう。
だから、
「私はASD」と堂々と公表はしますが
その作品は、
ASDである人・ASDでない人でも、好んでくれる方の心に届けたい!
・・・・と思っています。
では、次回から、私の授業ブログを展開するにあたって、自分の「勉強」に関しての考えを述べたいと思います。
ご覧いただき、ありがとうございます。