社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第13回 高校時代7 大学・学部選び

2013年06月28日 07時24分10秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第13回 高校時代⑦ 大学入試1

 

前回までで高校での友人関係・部活・定期テスト関係のお話をしましたが,今回から大学入試勉強についてお話したいと思います。

 

私の通っていた高校では,高校3年から理系・文系に分かれます。

なので,高校2年の時点で,理系か文系か決めるので,比較的考える時間がありました。

 

私の場合,以前お話したように高1の2学期に数学で赤点をとってしまったこと,化学と生物が苦手だったことから,

「文系」に簡単に決めました。元々,アメリカドラマが好きだったので,英文科に行きたいと思っていましたし。

 

どの大学を受けるか?などは私の場合,全然迷いがありませんでした。

 

入りたい大学はただ1つ

 

小さいころから,母に毎年文化祭に連れて行ってもらった母の出身大学。

その大学での文化祭が楽しくて,「私もこの大学で文化祭に参加したい!」と思っていました。

 

また,母はその大学の英文科(現在は,学科の名前は変わっています)で,

そこで習った英文法を元にして,私に英語を教えてくれました。

その英語が,どの先生よりも分かりやすかったので,「私もこの大学の英文科に入って,英語を学びたい!」と思いました。

 

 

ということで,私は,その大学の英文科を目指して勉強していました。

 

しかし,突然,急展開な出来事が!

 

 

それが,その大学の学部・学科の大幅リニューアル。

自分が入試を受ける年から,学部・学科が新しくなる,というのです

 

それまでその英文科は,あくまで英文を学ぶものでした。英語文法や英語の小説などの研究など。

英会話は別の学科のものでした。

 

しかし,リニューアルで,英文科と英会話中心の学科が合併され,新しい学科英米科になることがわかりました。

 

私は,英会話は苦手でした。

リスニング問題も苦手。

 

それまでは英文科ではリスニングは出題されないことになっていましたが(私の記憶が間違っていたらすみません),

今回からは,英文科の新しい学科英米科はリスニングが出題されることに

 

「あ,元々,受かるか分からないギリギリレベルの状態の私が,さらにリスニング問題まで入ったら無理じゃ~!」と。

塾でリスニング関係の講座もとりましたが,なかなかうまく学力向上できず・・。そりゃ,能力がないですので・・。

 

 

それで,学部をとるか,大学をとるか?で悩み,

大学をとることにしました

 

なぜかというと,地元の大学に行きたかったから,その場合,地元の名古屋市内の大学で「一般にすごい!」と思ってもらえる文系の学部を持っている大学は数校しかありません。そのうち入りたい大学はふたつで、そのうちの 1つは国公立大だから,数学・理科が苦手な私には現役合格は無理だと思いました。

 

 

私は,小学校時代に勉強ができない,と馬鹿にした同級生たちをさらに見返してやりたい!という気持ちがありました。

 

それで私には「現役合格」も重要なキーでした。

 

「浪人してでも偏差値の高い大学に入った」という事実は,実際に大学受験をした経験がある人なら,

「あの大学に入ったのはすごい!」と尊敬します。

むしろ,浪人してでも高い偏差値の大学に,というのは進学校の生徒さんならよくある考えです。

 

 

でも,私には,「大学受験をしないだろう,あの人たちには私が浪人した,というだけで,その後,どの大学に入っても

蔑みの対象で私を見るだろう。さらに,浪人中,私の心はいたたまれない。」と。

 

 

・・ということで,

私には「現役合格」できる「地元で偏差値が高いレベルの私立大学(文系)」という選択肢しかありませんでした

 

あ,ちなみに地元にこだわるのは,そのときに一緒に暮らしていた猫ちゃんとずっといたかったからです。

 

いじめのときに,どんな辛いときも,猫ちゃんは私を愛してくれました。

 

私がどんなに他の人に嫌われようが蔑まれようが,猫ちゃんだけはどんなときも態度が変わらなかった。(母も,ですが。)

 

当時10歳を超えていた猫ちゃんだったので,他の県に行って,ネコちゃんの死に目にあえないのも嫌でした。

(猫ちゃんは19歳まで生きて,私が結婚する直前に大往生しました。)

 

志望大学では,入試日程の関係で3つの学科が受験できることがわかりました。

 

それで,1つは英米科(一応,受験してみるだけはしたかったので),残りの2つの学科はどうするか?と。

そこで,1つは社会科系の学部,もう1つは国語系の学部にしました

 

あとは,受かった学部に行く,という感じで。

 

他の大学まで手を伸ばすと,おそらく現役合格は無理だろう,と思ったので,その大学にかけることにしました

浪人したときはもう覚悟を決めよう,と。

 

先生になった今,生徒には「大学名だけで決めてはいけないよ」という私ですが,

実際は「大学名だけで決めている」ので,なんとなく指導するとき後ろめたいです。

ただ,後日書きますが,「やっぱり大学名だけで決めちゃいかんな」と痛感することがあったので,

「大学名だけで決める」ことを生徒に勧めないのは,心からそう思っているからですが。

 

 

今回はここまで。次回は,受験勉強の経過についてお話します。

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たくさんのアクセスありがとうございます

2013年06月27日 13時59分40秒 | メッセージ
たくさんのアクセスありがとうございます!
順位も上がり、うれしいです。

今、連載中の「なぜ社会科塾講師になったのか?」シリーズは、定期的に更新できるよう、予約投稿をしております。たぶん、明日、新しい記事がアップされるはずです。


このブログ内の記事ランキングを確認すると、新しい記事を除くと、「歴史模擬授業」シリーズがアクセス数が多いようです。

定期テストの内容かな?と思う範囲のものをよくご覧いただいているようです。少しでもお役に立てれば幸いです。
「新歴史模擬授業」シリーズが「産業革命」の途中で終わってしまっているので、はやく続きを書かなければ!
たしか、「労働問題」の記事を書いている途中で、「明日、続きを書こう!」と思ったら陣痛がきて、そのまま下書きのまま放置になっていた記憶が。もう、一年半以上書いてないですね。すみません。

早めに書けるようがんばります!

なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第12回 高校時代6 部長での辛さ

2013年06月27日 07時46分34秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第12回 高校時代⑥ 部長で辛かった部活

 

高校生活は,三年間,クラスでは大きなトラブルもなく平和でした。

心の底から信頼できる友人にも出会えました。

一度赤点はとったものの,その後,勉強の姿勢を変え,成績も伸びていったし,

なんといっても勉強内容が中学より楽しいものも多かった。(当時としては,とくに古文と英語グラマー)

 

 

 

不思議な言動をし,勉強できずにいた私を先生やクラスメイトは蔑み,さらにいじめにあった小学校時代,

勉強はぐんぐんできるようになったけれど,またしても一番仲良かった友人に裏切られた中学時代,

と比べると,高校生活はとてもバラ色の日々でした。

 

ただ,そのバラ色の高校生活の中で,唯一辛かった,今でも思い出しても暗くなるものがありました

 

それは,部活

 

私は演劇部に入ったのですが,私の高校の演劇部は弱小部。

(アメリカ映画『奇跡の人』や『12人の怒れる男たち』が好きだったので演劇部に入りました。もともと,この作品は舞台の作品です。)

 

 

別に弱いのは良いんすが,むしろ,自分もド素人で演技下手だったので,弱小部じゃなきゃ入部しなかったと思います。

 

 

高校1年生のときは,高2の先輩が3名で,同級生の部員は私を含めて5名。(私の高校は,高2の夏までで部活終了)

 

高1の夏までは別に大きなトラブルもなく過ごせました。

 

問題だったのは先輩が引退した後の時期です。

 

私は別に部長になるつもりは全然ありませんでした。

 

でも,結果的に部長になってしまいました。

 

なぜかというと,他の子が全員,「部長になりたくない」と断固拒否したんです。

私もなりたくなかったのですが,このまま全員が拒否したら,なんにも解決しないかと思って・・。

 

部長が決まったら,「副部長は部長がいないときの代わりの役職だから俺がやるよ。」と1人の男性が立候補してくれました。

 

 

私が部長という形で高1の2学期がスタート。

 

・・で,だんだんと部員と自分の間にができてきたんです。

 

部員たちは,私がいないところでは,ずっとおしゃべりしてて,全然練習していないんです。

 

別に強い演劇部になろうとは全然思っていませんでしたが,せめて,部活の時間くらい練習にはげもうよ!と思っていました。

実際に先輩がいらっしゃったときは,部活の時間内はみんな一生懸命練習していました。

 

「私がしっかりしていないからいけないんだ!しっかりしよう!」

と思い,全然練習していない部員を怒ったりしました

 

でも,部員たちはうんざりした顔。

私だけが,「キーキー」怒る状態。

 

そんな感じで,だんだんと他の子との溝がでてきました。

 

また,脚本選びや脚本印刷などもほぼ私まかせ

外部との交流や大会への登録,大会での仕事(各学校から配分された仕事)も全部,私

 

 

一度,自分が脚本書くよ!と言った部員さんがいたんですが,結局色々あって,その方の脚本で演じることはありませんでした。

(細かいことは,結構ドロドロした事件で疑惑がぬぐいきれない怪しい内容なので,詳しいことは述べることはできませんが・・)

 

印刷や大会関係の役職なども他の子に頼みたくても,「あなたが部長なんだから」の一点張り。

 

すっごく孤独になってきました。

 

さらに,私とは関係ないところで,部員の人間関係トラブルがあり,そのトラブルの中心にいた人たちが次第に部に来なくなりました。

副部長も,「自分は部長がいないときにだけ動くもの」と思っていたようで,全部,仕事も責任も私まかせ。

 

高2になったら,残っていた他のメンバーも,「勉強が忙しいから」という理由で,部活にほとんど来なくなりました。

その状態で新入生が入部。

 

新入生は,まじめな子ばっかりで,また脚本も書いたりする子,色々とアイデア出してくれる子など,

大変素晴らしい子たちでした。

 

なので,書類上では先輩は6人いましたが,実質は先輩は私1人で,4人の後輩で部活をする,という形になりました。

(時々はお手伝いしてくれる同級生部員の子もいましたが・・)

後輩の子たちとは大きなトラブルはないのは幸いでした。

・・ただ,やっぱり孤独でした。

先輩・部長の色々なことを全部やり,誰にも相談できず,悲しかった。

そのまま高2の夏で私は引退。

 

 

引退後 「私の態度がいけなかったんだな。」という罪悪感にさいなまれました

 

ただ,10年以上経ち,いろんな経験を積んだあとで,当時のことを振り返ってみると,

私の彼らを責め立てる様な態度もいけなかったけど,

それよりも彼らの無責任さはどうだったのだろう,と思います。

お互いに子供だったと。

 

 

高校時代に部活で苦労したので,

「絶対,大学では部活には入らない!

 ましてや,部長なんて絶対やりたくない!」

と心に決めていました

(しかし,それは覆るんですが,それはまた後日)

 

今回はここまで。次回から,大学入試勉強のお話にうつりまーす。

 

 

 

 

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第11回 高校時代5 好きな科目は・・

2013年06月25日 07時05分02秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第11回 高校時代⑤ 好きな教科の変化

 

今回は,高校時代に好きになった教科のお話です。

 

中学時代に好きだった科目は,数学理科で,得意な科目は英語でした。

数学が好きだったのは,小学校時代に算数ができなくてクラスメイトに馬鹿にされ続けたので,

その算数の仲間である数学が解ける,という優越感によるものが大きかったのだと思います。

 

理科は当時は純粋に好きでした。

とくに,「窒素」に親近感を持ちました。

空気中に含まれる成分で一番多いのが「窒素」です。

みんな「酸素」や「二酸化炭素」などの方を重要視しますよね。

そりゃ,生きていくには大切なものですが・・。

でも,「窒素」が「酸素」や「二酸化炭素」よりも多い。

このように,みんなが注目していなくても存在しているものはあり,それがなければ実は注目しているものも存在しないかもしれないと。

 

小学校時代,私はクラスメイトには「いらない存在」だったかもしれないけど,でも地球上では「窒素」のように「必要な存在」だったかも・・,と。

 

理科は,習ったことを勝手に自分の人生に当てはめて考えることができて,それが楽しかったです。(変な人だと言えば,変なのですが・・。今,流行っている擬人化ものといえば,そうも言えますが(笑))。

 

英語は,得意でした。1回読めば,たいがい,文法なら理解できて覚えてしまう。

 

 

それが,高校ではどうなったか?

 

英語は,文法(グラマー)は問題なく,得意でした。

ただ,高1の2学期で数学で赤点を取るまで,勉強のちまちまするのがめんどくさいと感じていたので,

英単語を覚える努力を怠ってしまい,英単語力が大切なリーダーやオーラルが苦手になってきました。

でも,さすがに,英語では平均点以上は取れていましたが・・。

 

数学と理科は前回お話したように,苦手に・・。

私は理系じゃなかった,ということですね。

 

あと,国語と社会はどうだったか?です。

 

社会は,好きでも嫌いでもなく,とりあえず赤点とらない程度の勉強をしていました。

今の私には考えられないですよね。

 

国語は,現代文で最初つまずきました。

高校に入って初めて習ったのが,芥川龍之介の『羅生門』。今でこそ,『羅生門』の世界は理解できますが,

まだ高校生の私には難しかった。

でも,高3で森鴎外の『舞姫』が面白くて,現代文も楽しいものという認識になりました。 

 

古文は,すっごく面白い!

古文って,文法中心なので,わかりやすくて。

 

今から思うと,英文法といい古典文法といい,私は文法という世界が得意なんですね。

 

また,古文で古代(~近世)の価値観や生活の違いなどが垣間見えるのも新鮮で。

 

 

・・ということで,高校3年生の夏ころまでには,私にとって,「英語」と「国語」が好きな科目で,

とくに「古文」の世界が好きだと勘違い(笑)している状態で,大学受験に突入しました。

 

今回はここまでです。勉強編はまだまだ続きますが,

次回は勉強編はいったんお休みして,大学時代の私の部活の行動に関係している高校時代の部活での悲劇をお話したいと思います。

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第9回 高校時代3 赤点からの脱出

2013年06月24日 22時19分44秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

 

第10回 高校時代③ 赤点からの脱出

 

前回,高校1年の2学期の期末テスト,数学Ⅰ・Aの「数列」「確率」で赤点を取った,というお話をしました。

今回は,その赤点から脱出し,どのように高校の勉強方法を獲得したか?のお話をしたいと思います。

 

高校では,チャート式の黄色を数学での勉強で使っていました。

高校の宿題(自由勉強用)で,そのチャート式の黄色をするように指示され,その中から数問テストで出題されるようになっていました。

 

なので,それまでは「黄色チャート」を勉強すれば大丈夫,だと思っていました。

でも,よくわからないまま問題解いて,わからないから,答えを暗記しようとしていました

 

・・でも,暗記も限界ある。

「理解」あってこその「暗記」で,ただの丸暗記はすぐ忘れてしまう。

 

「黄色チャート」にこだわるのはやめよう!と思いました。

「解く」ことより「理解」することを念頭に置いて勉強しよう!と。

 

それで,チャート式の白を購入。

 

数学のチャート式問題集は,色によって難易度が違っています。

白は一番簡単なものなんです。

 

「一番下のレベルの勉強するのは恥ずかしい」という無用なプライドより,

「理解できない方が恥ずかしい」というプライドを取ることにしました

 

 

 

また,なぜ,

「数列」「確率」の部分で赤点を取ったのだろう?という疑問が。

 

他の分野と違う点はどこか・・と考えたところ,この「数列」と「確率」の部分って,なんとなく目がチカチカするんですよ。

 

このシリーズのだいぶ前に,私は数字に色が見えるとお話しました

高校のころは,小学生のときよりは数字に色がついて見えなくなっていましたが,

それでも,まだ少しそういう状態は残っていたようです。

 

それで,「数字は全部クロ!黒!」と自分に思わせたら,やっと,勉強するのが楽になりました

 

白色チャートの問題集で毎日勉強し,理解し,何度も同じ問題を解き,理解を深めました。

 

そうしたら,1週間後の追試で,ほぼ満点(点数は忘れました)をなんとか取ることができました。

 

 

追試は,テスト(本試)の問題で数字を変えたり,ちょっと条件を変えたりして出題されているので,

実際のテストよりは簡単なのですが・・。でも,「理解」しなきゃ,たぶん,追試も合格できない。

 

 

「もう二度と赤点を取りたくない!」と思い,

高1の3学期からは 「理解」することを念頭に ,必死に勉強しました。

 

それで,その後,赤点をとることはなくなり,数学・英語・国語系の順位もだんだんとあがってきました。

 

今回はここまでです。次回は,どの教科が好きになっていったか?のお話です。

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第9回 高校時代2 初の赤点

2013年06月23日 22時38分16秒 | 私自身のヒストリー

 

 エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第9回 高校時代② 勉強での挫折

 

前回は,高校時代のすばらしき友人との出会いをお話しました。

今回は,同時期での勉強のお話をします。

 

高1で仲良くなった友達との時間が楽しく,また学校の帰りに本屋などに寄ることができるのも幸せでした。

当時,最寄りの駅に,マンガ中心の古本屋があり,一気にマンガが安く購入できるので,

マンガを買いあさりました。

学校にいる間は友達と仲良くし,家に帰ったら,帰りに購入したマンガを読み・・と,

久しぶりに「勉強」以外の幸せをかみしめていました

 

高校の勉強の方法というか姿勢って,中学のときとは違うんですよね。

 

中学の内容って,だいたい1回目に習ったときに「理解」はできました。

だから,テスト勉強って,用語暗記や問題演習を中心にしていれば,たいがいテストでは点数取れました

 

でも,高校の内容は,1回目に習っても「理解」できない部分がありました

しかも,中学に比べて進むスピードが格段にはやい。

 

よくわからないまま,どんどん進んでいくので,もうチンプンカンプン。

 

とくに「化学」。

もう,先生の話している言葉が全然頭に入ってこなくなりました。

 

また,「数学」も,簡単に理解できなくなりました。

 

中学時代の私だったら,「勉強」しか楽しみがなかったので,おそらくそれでも努力して勉強したと思います。

 

でも,高校の生活は友人関係も楽しかったし,マンガも読みたい放題。

 

なので,適当勉強しかしていませんでした

 

 

 

・・そうしたら,2学期の期末テストで,ついに赤点をとってしまいました!

赤点を取ったのは,数Ⅰ・Aの「数列」「確率」の内容

 

とてつもなくショックでした。

 

家に帰ってから大泣きしました。

 

自分がすごく馬鹿に感じて,自分の存在がすごく恥ずかしくなりました。

 

 

今回は以上です。

次回は,その赤点の状態をどうやって脱出し,勉強の立て直しをしたか?をお話します。

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第8回 高校時代1 すばらしき友人

2013年06月22日 23時16分38秒 | 私自身のヒストリー

「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」シリーズ再開します!

更新が滞ってしまって失礼いたしました。

 

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第8回 高校時代① すばらしき友人との出会い

 

私は小学校時代に,一番仲の良かった子が中心になって,クラスメイトの女子の大半が私をいじめ,

一気にその時までに築き上げてきた友人をすべて失いました。

中学時代には,いじめには発展しなかったですが,またしても一番仲の良い友達に裏切られ,

それまで仲の良かった友人数人を失いました。

 

どちらも,あることないこと私の悪口を吹き込んだ人物が存在し,近くにいる私よりその人の言うことを友人たちが信じたことから

そういうことになりました。

 

2回も一番仲の良かった友人と辛い別れをしたことから,

私の中では「友人というのは仲良くなればなるほど裏切るもの」という認識になっていました。

 

そのころに,「塾」に行くことにハマり,「勉強」が楽しくなり,

「努力しても,いつか失う友人関係」を築くより,「努力すれば必ず自分の身になる勉強」の方が私にとっては大切になりました。

 

そして高校入学

高校に入ったときは,バリバリ勉強するつもりでした。その頃の私には「勉強」以外の楽しみは予想できませんでした。

もちろん,中学に通っていた塾も,そのまま高校コースに♪

 

友人は,「勉強の妨げにならない程度」というか「先生が心配して声をかけてこない程度」の友人関係を築ければいいや,

と思っていました。

 

最初は席近くの子たちと仲良くなったのですが,どうも性格が合わない。

 

「まあ,友人関係はテキトーでもいいか」とあきらめたころに,運命の出会いが

 

 

私は,お腹が弱い方で,よく下痢になります。 緊張性,ストレスが原因です。

 

そんなある日,初めての美術の授業前にお腹が痛くなり,トイレへゴー。

美術は移動教室。

 

私がトイレで奮闘している間に,それまで仲良くしていたメンバーはみんな,私を置いて美術室へ。(まあ,私がいなかったのが悪いのですが(笑))

 

トイレを済ませ,急いで美術室に行ったら,いつものメンバーのいるところには空いている席がなく・・・。

 

空いている席は1つしかありませんでした。

 

そこで,その席に座り,その席の隣の子に話しかけました。

 

その子とすこしお話をしたところ,すごく話やすくて,話していて楽しく感じられました

 

「この子と仲良くなりたい!」と思いました。

それで,その授業の後の放課に,その子に話しかけ,一緒に帰るようになり,仲良くなりました。

 

最初は2人きりで仲良くお話をしていたのですが,次第に他のクラスメイトの子たちも一緒にご飯を食べたり仲良くなっていきました。

 

そうなると,また不安が。

 

小学校のときも,最初は二人きりで仲良く遊んでいたら,次第にクラスメイトの多くと一緒に遊ぶようになり,

結局最終的に最初から仲の良かった子がいじめの筆頭になりました。

中学のときも,いじめに発展しなかっただけでほぼ同じ状態でした。

 

 

なので,「この子も,私のあることないこと他の子から聞かされ,そちらを信じ,私のもとから去っていくのではないか?」

と不安になりました。

 

・・しかし,1カ月経っても,半年経っても,全然変わらず。

むしろ,どんどん仲良くなっていく。

 

そのまま,高1は終わりました。

 

「まあ,クラスが分かれてしまったら,そのまま,いつのまにか疎遠になるのかな・・」と悲しくなりました。

 

しかしですね,

「クラスは別れても仲良くしようね~!」とその子から言ってくれたんです!

朝,学校に一緒に行く&夕方,部活がない時は一緒に帰る」という形にも。とってもうれしかったです。

「こんな私なんかと,この子は仲良くしてくれるなんて!」と。

 

この子は信じていいんだ!

 自分の勝手な都合で裏切らない!

 なんてすばらしい人間なんだ!」と感動しました。

 

それまで「友人」は「怖いもの」で「仲良くなればなるほど裏切るもの」と思っていた,トゲトゲだった私。

その子に出会ったおかげで,やっと「友人」というものは「素晴らしいものであり」「信頼できるもの」になりました。

 

高校でその子に出会っていなければ,今でも私は「友人」という存在が怖かったかもしれません。

もしかしたら,だれも友人がいない孤独な状態になっていたかもしれません。

 

その子には感謝しても感謝しきれません。

 

今回はここまでです。次回は,勉強面についてお話いたします。

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アメリカドラマ「LAW&ORDER」にハマっています

2013年06月16日 23時37分44秒 | アメリカドラマを観て

なかなか更新できずすみません。

現在,「なぜ私は社会科塾講師になったか?」の自分史シリーズを記事で書いていますが,

今回は,ちょっと違う記事をば。

 

このブログでも時々語っているのですが,私は,アメリカドラマが好きです。

中学のころから,アメリカドラマを見てはいて,高校3年のとき大学受験勉強そして大学でバイトと部活で忙しくなり,

アメリカドラマを見ることがなくなりました。

アメリカドラマを見るのを再開したのは,2回目の流産のあと。

親子の絆を大切にするのが多い日本のテレビ(バラエティ,ドラマ)を見るのが嫌になり,

そのときにたまたま見たアメリカドラマ「ER~緊急救命室~」に感動し,

高2でシーズン6までは見ていた「ER」を14シーズンまで一気に見て(最終の15シーズンはまだ日本では放送されていなかった),3回目の妊娠を決意しました。

(それについては,出産&育児ブログ「育児書にない!」で詳しく述べているので,そちらもご覧頂けるとうれしいです

 アドレスはこちら。http://ameblo.jp/cesar01/

 

アメリカドラマの,

ドライな親子関係,

上下関係は大切にするが部下は自分の意見はしっかりと言い上司はそれを聞く耳をもつ,

自分の悪いところ,能力のなさを自覚しながらしっかり仕事をするところ,

自分の不遇や不幸をしっかりと受け止めて前に進もうとする姿勢,

がとても好きになりました!

 

ER」にハマってからは,いろんなアメリカドラマを観ました。

とくに,好きなのは,

クリミナルマインド」:連続殺人鬼を心理捜査で見つける,という刑事もの,

CSI」:科学捜査で殺人犯を見つけるという刑事もの,

ホワイトカラー」:イケメン元詐欺師とFBI捜査官がタッグを組み,ホワイトカラー犯罪(詐欺・横領・美術品偽造など)を

            解決していく刑事もの

 

です。刑事ものばっかですね。

 

・・では本題をば。

 

私は,「ER」が今でも一番心のバイブルなんですが,

最近,「ER」と並ぶ,心のバイブルのドラマに出会いました。

 

それが「LAW&ORDER」という刑事&法廷ドラマ

 

「「LAW(法律)」を守るのが警察,「ORDER(秩序)」を守るのが検察。」という考えで作られています。

 

1時間の間に,殺人事件がおきて,刑事さんたちが捜査して,犯人を捕まえ,その犯人を検察が立検し,裁判,判決,

というとてつもなく濃い内容のもの。

すごく展開がはやく,会話も「ER」以上にはやく,一秒横に向いているだけで内容が分からなくなるほど。

時々,頭の中をフル回転させて見ないと,意味不明になることも・・。

 

「ER」も難しいドラマの部類に入るけど,「LAW&ORDER」はそれ以上に難しい。

内容を追うだけなら,別にそこまで難しくはないんですが,そこに描かれている題材主題が難しんです。

答えが一つじゃない,情だけで動いては解決しない,ということが多い。

 

 

私が「LAW&ORDER」にハマった理由は,そこにいつも同じ「正義」があるからです。

その「正義」とは「法」「秩序」。

 

法とは憲法や法律の国のきまり。

お金持ちの人だろうと貧乏な人だろうと,ずるがしこい人だろうと真面目な人だろうと,同じ法の中で裁かれるんです!

 

それってすばらしいことじゃありませんか!

 

学校とかで,先生に気にいられている子が宿題を忘れても先生は怒らないのに,

先生が気にいらない生徒が宿題を忘れると怒られる。

それって理不尽じゃありませんか?情で動いているのではないでしょうか?

「宿題を忘れた」ことで怒るべきで,人によって,その怒り方を変えてはならないと思うんです。

(ただし,何度も宿題を忘れる子と,一回だけ忘れた子,では怒り方は違うし,1回目なら怒らなくても良いと思います。)

 

 

「LAW&ORDER」では,

法廷で,犯人が陪審員たちに情を訴えて,自分を無罪(もしくは刑の軽減)にしよう,とすることが多々あります。

でも,そのときに検察官が法にのっとり,述べるシーンがとても私は好きです。

毎回,「ハッ!」とさせられます。

 

犯人が情に訴えたときに,思わず,「これでは殺人を犯してもしょうがないかも・・」と思ってしまうことがあります。

でも,毎回検察官の言葉で,「そうだ!人を殺す,という行為がいけないのだから!」と我にかえります。

 

 

 

LAW&ORDER」を見ていると,

自分の生き方の信念を法のように1つの柱のようにしっかりし,それに基づいて生きていこう!と勇気がもらえます。

ときどき理不尽な目にあったりすると,思わず感情的になって行動がおかしくなったり,

周りの意見に押しつぶされて自分の考えがおかしいじゃないか?と不安になることもあるんですが,

1つの柱を決めておけば,時々ブレても,その柱に基づいて修正できる,と。

 

このドラマはまだ全シーズン観ていないので,育児の合間にちょこちょこ観たいと思っています。

スポンオフ作品も多いので全部観終わるのはいつになるやら・・。(笑)

 (※細かい部分でおかしい内容があったらすみません。)

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第7回高校受験

2013年06月02日 07時14分52秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第7回 中学校時代⑤ 高校受験

 

前回で,中2の夏に,進学塾の夏期講習参加し,たちまち塾のトリコになった!とお話しました。

 

 

今回は中3および高校受験のお話。

 

中2の夏にその塾に通い,

学校がある2学期中は母の家庭教師,その後,冬期講習を塾で受け,

3学期中も母の家庭教師のみ。

 

中1の秋に友達に裏切られてからは,ほとんど学校から帰ってきたら,

勉強三昧の日々でした。

 

 

勉強していると,普段は母にべったりの猫ちゃん(先代のねこちゃん)が私の膝に乗ってくつろいでくれるのもうれしかったので,

積極的に机に向かっていたりも(笑)。

 

そして息抜きに,マンガを読むか,母とアメリカドラマを見るか,という形。

ただ,私は脅威の睡眠時間を必要とする人間なので,夜10時には就寝,という形でしたが(笑)。

(朝も6時半起きで,朝勉はしず・・)

 

中2の夏から塾にも講習だけですが塾通いがスタートし,

勉強時間は格段に増えました。

 

それで,中2の2学期からは,5教科の内申はすべて「5」になり,定期テストの順位も毎回10位以内,悪くても15位以内に

入るようになりました。(うちの学校は中2からは順位が出る形)

さすがに,5位以内は1回しかとれませんでした・・。

 

当時は,勉強が楽しくってしょうがない!

勉強すればするほど,成績があがる

 

勉強している間は,人間関係のことは考えなくて良い

 

とりあえず,私をいじめた,裏切った友達と同じ高校には行きたくない

 

受験校の学力レベルを下げることはできるが,上げることは不可能

だったら,とりあえず,自分の学力レベルをあげておけば,学校の選択肢が増えるし,と。

 

 

 

 

中3からは,本格的に受験勉強に乗り出すため,講習だけ通っていた塾に,

通常の授業も通うことにしました

 

 

平日は学校,家に帰って母の家庭教師もしくは自習,土日は塾に,という,毎日楽しい勉強三昧

中3のころが、仲学時代一番幸せな時期でした。

 

中3のときに仲の良かったクラスメイトは,今でも年賀状のやりとりなどで連絡を取り合っている仲で,

私の中学時代の唯一の友達と出会えたり。

 

でも,お互いに干渉しあわない仲だったので,放課後は私は勉強だけしていても良かったんです。

 

中3でさらに成績があがりました

中3の2学期に志望していた高校があったのですが,

「もっと,上の(学力の)学校を受けたら?」と言われました。

 

ただ,私は実技4教科の成績に,美術以外,内申に5がありませんでした。

なので,5教科の偏差値に当てはめて学校を選ぶと内申がギリギリラインに・・。(愛知県の公立高校の場合)

 

また,滑り止めの学校をどこにするか?とか,一緒の高校に行きたくない子が受ける学校を避ける,

などを考えた結果,

自分の家から行きづらく,あまり設備がキレイじゃなく制服が人気でない学校!ということにしました。

たいがい,自分をいじめた子より、いつのまにか自分の成績は上になっていたのですが、

一部、自分と学力同レベルの子で私をいじめた子やその関係者がいたんですが,

その子たちは設備がキレイだったり制服がかわいいところが好きだったので。

 

なので、ぜったいに、その子たちが受けないであろう公立学校を第一志望校にしました

 

 

 

私立は,当時,女子で受けられる学校が限られていたので,同レベルの子はほとんど同じ学校を受験。

(現在、共学になっている学校も、当時はほとんど 男子高か女子高でした。また、現在共学校になっている学校は、共学になってから

偏差値が上がっているところもありました。当時の私の学力に合う学校は女子高では、ほぼ決まっていてました。ただ、現在は中学入学からした募集していない女子高が高校から募集もしていましたが・・。)

 

結果なんですが,私は,完全なる滑り止め1校,ほぼ安全校1校,たぶん受からないだろう校,の3つの私立を受けました。

そうすると,安全校は落ち,受からない学校が合格!というどんでん返しが!(滑り止めは合格)

 

まさか,その学校が受かるとは思いませんでした。私立の中の第一志望は,その安全校だったので・・・。

 

 

でも、まあ、まさか合格できるとは思っていなかった学校に受かったのは、うれしいことはうれしかったですが。

 

 

 

でも,それで公立高校をどう受けるか悩みました。

 

もしかして,私は,第一志望には弱いのでは?と。

 

それで,偏差値の高い方を第二志望にしました。

 

私立が偏差値の高い学校が受かっているので、もし公立が落ちても、その私立に行けばいいか、という安心感はあったので、

公立は2校とも、同じような偏差値の学校にし、内申点ではギリギリ受かるかわからないレベルの学校2つに決めました。

 

ということで、偏差値の低い方を第1志望した、とはいっても、そんなに第二志望と大差ないんですが・・。

 

 

 

・・で,結果なんですが,第一志望の学校に合格。

 

愛知県の入試って,

第一志望・第二志望と決めて提出し,第一志望が受かったらそこに必ず行き,そ

の第一志望に落ちた子の中で第二志望の学校の合格者を決めるんです。

 

なので,第二志望の学校の合格レベルに達していたか?は,不明なんです。(第一志望校に合格したら、もう自分は第二志望の結果はでないんで)

 

ということで,第二志望の学校より偏差値の低い第一志望の公立に行くことになりました!・・といっても、偏差値がそんなに差はなかったですが。

 

 

 

でも,その学校で、私の心のトゲトゲを取ってくれる友人との運命の出会いがあったのです

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第5回 塾に行く

2013年06月01日 07時38分03秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第6回 中学校時代③ 塾に行く!

 

前回,中学から勉強ができるようになりました。

 

中1の1学期は,ほとんどの教科の内申は3か4でした。(定期テストの順位ランクとしては,10段階で6~8)

そのころは,仲良くしていた友達の中でも私より成績が良かった子は大勢いました

 

なので,その子たちからすれば,

 

私は,「馬鹿にするほど成績が低いわけではないけれど,自分と同等もしくは下の人間

と思っていたのだと思います。

 

しかし,中1の2学期ごろから,メキメキ成績があがってきました。(定期テストの順位ランクでは,10段階で8~9)

 

 

 

そのころからでしょうか?

 

なんとなく,よそよそしくなる友人が出てきました

 

その中で,私の悪口を言う子が出てきて,その悪口を鵜呑みにする子も出てきて・・。

しかも,その悪口はあることないことでっちあげ。

(後から考えると,おそらく,私がみんなの悪口を言っていたとか?悪口なんて全く言ってないのに!)

 

私に対して辛らつな態度を取る子が現れ・・。

 

それにより,何人かの友達を失いました。

しかも,私の悪口を他の友人たちに言い始めた友人は,そのとき一番の友達でした。

 

このときは,私が,すぐその子たちと別れたので,小学生のころのような「いじめ」には発展しませんでしたが,

またしても一番仲の良かった友人に裏切られたのはショックでした。

 

一番仲の良かった友人は,私のことを下だと思ったのに,私がどんどん成績があがってくるので面白くなかったのだと思います。

数ある言動から,おそらくそうなのだと・・。

 

 

 

小学校と中学校で2回も,友人に裏切られたことから,

それ以降,友人に心を許すのが怖くなりました

 

私の中で「友人は仲良くなればなるほど裏切る生き物」になりました。

自分が秀でても劣ってるとも思われてはならない」,とも思いました。

 

人は,自分勝手な価値観で他人に優劣をつけ,それにより,自分勝手な理由をつけて私を迫害をするものだと・・。

 

それで,2回目の裏切り以降は,決して,誰にも,成績(順位ランク・内申)を教えませんでした

誰とも一緒に勉強することをしなくなりました

勉強は絶対に家でやっていました。

図書館など,誰と出会うかわからない場所で勉強なんて怖くてできなかった。

 

 

 

 

中2になると,に行く子が多くなりました。

 

まわりの子は,「この塾がいい」とか「あの塾にあがって,成績があがった」など言っていました。

 

私も,塾に行った方がいいのか?という気持ちはありました。

 

でも,塾に行くと,一緒の塾の子に自分の成績が分かってしまうのでは?という怖さがありました

私の周りの塾は,成績を貼りだされる塾が多かったので・・。

塾でも,また,いじめにあったら?塾講師にひどいことを言われたら?・・と怖かったです

 

 

そんなときです。

母が

「夏休みだけでも塾に行かないか?」

と,中2の1学期に言いました。

 

 

最初は「嫌だ!」と言いました。

 

でも,母が勧めた塾は,私の住んでいる地域の塾でもなく,

ましてや,学校のテストの成績をあげるのを中心とした学習塾でもありませんでした。

 

その塾は,私の家から車で30分以上,バス・電車を乗り継いで1時間以上かかるところで,

入試対策をメインとする進学塾(予備校)でした。

 

つまり,その塾は,同じ学校の生徒はほとんどおらず,同じ県内からいろんな子が来るので,

ほとんどお互い知り合いがいない状態になります。

しかも,成績別のクラスなので,自分のまわりにはほとんど同じ学力レベル子しかいないので,

そんなに他人との差を気にしなくてよい,と。

そう母は言いました。

 

自分の塾に関するイメージが変わりました!

 

え?そんな塾が存在していたとは!びっくりしました。

 

さらに母は,

「私は,合格や成績向上という目の前のことだけのためなら塾に行かなくてもいいと思う。

 それは,私の家庭教師としての授業と指導で,なんとかなるから。

 なぜ,私はその塾に行かせたいか?

 おまえに,広い世界を見てほしいからなんだ

 1つの学校という狭い空間の中で,そして,毎回同じ人物でほとんど上位が占められる学校と違い,

 いろんな学校から,似たような学力レベルの子が集まる,その進学塾では,

 毎回,テストで順位が変わるし,世の中にはいろんな人がいるということを実際に感じることができるから。」

と。 

 

それで,私は,その進学塾の夏期講習だけ通うことにしました。

 

 

その塾との出会いは私の人生観を大きくかえる出来事でした

 

では,次はその塾でのお話♪

 

 

 

 

 

 

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