社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

本年もありがとうございました

2019年12月31日 17時28分00秒 | メッセージ


今日は大晦日。

今年一年も、大変お世話になりました。

みなさまありがとうございました


こちらのブログは
社会人になって、
大学時代をふりかえるために
自分の人生を記述したブログを
書こうと思って始めたものですが

そのうち、塾講師をずっとやっていた
ために、いつのまにか、塾講師についてのブログになりました。

そして、子供が生まれ、
育児ノイローゼになり、
そのあと、強迫性障害になり
自殺一歩手前まで行きかけました。

そのころからブログが書けなくなり、
でも、毎日、200人以上の方に
来ていただいておりました。
そのときは更新できず
放置が続き申し訳ありませんでした。
今でも過去に書いた
歴史模擬授業歴史まとめノート
記事をご覧頂けていて、
とてもうれしいです。

今年は、人間関係で
大きなトラブルがあったわけではないのですが、トラブルがないようにがんばった結果、かなりストレスがたまり、

自分が何者なのかわからなくなる事件がありました。


そのときに、


「やはり、私は、
受験勉強教育好きだし、
それについては、
確固たる信念もあって、
意地プライドもある。

そして、
歴史教えることは
私の人生の中で、
最も、悩んで頑張って
長い時間をかけて
自分の力で、自分の意思で得た能力で、
人生の大半を、
私は歴史の勉強や授業に費やしたじゃないか!


だったら、
死ぬまでそれに殉じちゃっていいじゃない!」

と悟れるようになったのです。

なので、
やっと、
こちらの塾講師ブログも
再開できました。

みなさまに、温かく見守って頂けたおかげです。ありがとうございました。


来年は、
本気で歴史教育についての
仕事に就けるようにスパートかけて
いくつもりです。


来年もよろしくお願いいたします。


ではでは
今年もみなさま
ありがとうございました!

よいお年を~♪

自分をすごい!と思うことは成長の妨げにはならないと思う

2019年12月30日 13時58分47秒 | 私自身のヒストリー
少し更新が滞り、失礼いたしました。

今年もあと少しなんですね。
今年は悲しい別れも、
新しい出会いもありました。

その別れと出会いを通して


自分が

何が得意で

何が好きで
何がしたいか?

しっかりわかった年でもあります。



高校生からは、

自分と似たような学力や家庭環境の
人達との交流がメインになり、
高校から大学は「生徒」&「学生」として勉強メインの生活、
仕事も塾講師や家庭教師だったので
「先生」としての勉強メインの生活
でした。


仲良くする「大人」の人々は
「勉強」するのはあたりまえの人達。
好みの違いはあるものの
文化的なもの、学術的なものを
「嗜む」「好む」のは当たり前。

彼ら彼女らは
「好きなもの」があることを自分の心を落ち着かせたり前向きになることを知っているから
他人と自分の好きなものは違えど
「相手が好きなものは、その人にとっては大切なものなんだろう。」と類推することができるため、他人の趣味を馬鹿にする、完全否定する人は少なかったんです。


私は「勉強」するのが
当たり前の世界にしか自分は
いませんでした。
だから、
「勉強」する内容が「好き」
と公言しても

「そうだよねー!」

という友達や同僚ばかりでした。

そこには、侮蔑や嫉妬はなく
ただ、「肯定」しかありませんでした。

もちろん、家族も同じ。

さも当たり前かのように

歴史の本を買っては家族で読みまわしたり、一緒に旅行するのも歴史にゆかりのあるところがメイン。
ご飯を食べながら
「近代国家における、社会権の成立とは…」みたいな話もしたり。




……それが、
今年は、いろんな層の人と出会いました。

すると、
人の好きなものを平気で小バカにする人や、相手の得意なものを無用のような言い方をする人とも多く接することになり、
「あ、そういえば、小・中学生のとき、いつもこんな感じだったわ」
と思い出しました。

高校生からもそういうタイプの人はいたけど、そうじゃないタイプ(自分と似たタイプ)もたくさんいたので、その人達とだけ仲良くしてても集団生活は成り立ってました。
仕事では、合わない人はお互いに合わないとわかってたので、仕事だけやりすごすことができました。

塾講師や家庭教師では、
価値観の違う生徒さんもおおくいらっしゃいましたが、
自分との関係性が「教える」「教えられる」の関係性だったため、生徒さんの相手の価値観を尊重しつつ、自分の価値観も相手に伝えても、自分を馬鹿にされたり無価値な生き物のように言われなかったので。

私の考えが生徒さんに受け入れられなかったら、まあしょうがないか、人それぞれ違うんだから、と
あくまで、

「自分の考え」を

「ダメなもの」
「変えなければいけないもの」

とは思わなくてすみました。



でも今年は、

そういう「私の考え」は


「ダメなもの」
「訂正すべきもの」

という考えの人達とたくさん出会いました。
しかも、
そういう人が大多数の集団で行動しなきゃいけなく、
さらに、
キツかったのは
その人達に合わせないと先に進めない、そういう生活になってしまったことでした。





それが続いた半年後

それまで次々に出ていたマンガのアイデアが出なくなったんです。

漫画を描こうとしたも、どうしても筆が進まない!

そういう状態になったんです。

漫画を描こうとすると

「こんな風にキャラに言わせたら、あの人に否定される!馬鹿にされる!」
とか
「漫画を描いているのがバレたら、漫画を描くな!とあの人に禁止される!」

みたいな、恐怖感不安感罪悪感が消しても消して出てきてしまうんです。


申し込みをすませていた、展覧会や委託販売、即売会は、なんとか、それでも、がんばって作りました。


でも、去年までは
何を作っても
楽しくて幸せだった
漫画やイラスト作成



今年は
やりたいからやってるけど
常に後ろに邪悪な誰かに見張られて
いるような気持ちで、
罪悪感不安感を抱きながら
必死でやるだけやった

という感じになってしまいました。

そのため、一応、
自分の作品」なのに
自分がつくった作品」に見えない
「他人しか存在してない作品」
になってしまいました。


それに気がついたのは

10月の名古屋コミティアで
出張漫画編集部さんに
自分の漫画を見て頂いたとき。

その半月前の3月にも出張漫画編集部さんに見て頂いたのですが、
そのときは
「独特な世界観で、面白い!(…けど、画力とかがまだまだ。)」とか
「ブラック・ユーモアがあるし、
作者として個性は感じられるから、
あとは画力と演出などを…!」

とご指摘頂きました。
画力とかは足りないけど
その作品に」という存在はあったんです。

でも、そのあと、そう4月から
自分の否定する集団に合わせるしかできなくなった後で描いた漫画を
出張漫画編集部さんにご覧いただいたら

「言いたいことは伝わるんだけど、
貴方がそこにはいない。」
と言われたんです。
さらに
「これは、自分の塾講師の経験を通して気がついたお話なんでしょ。このままだと、教科書や広報紙についている補助的な漫画という感じ。
でも、この話をあなたの視点から見た世界観で描いたほうが、読者も理解しやすく、より伝えたい内容がはっきりするよ。
と言われたとき、私はハッとしました。


私は「私を否定する人」を嫌がりながらも、その人達同様、「私を否定していた」んだ!と。

そこで、
ちゃんと「自分」を描こう!
と気持ちを入れ換えようとしたんですが

半年間、自分を否定しつづけたために
また無意識に否定し、
それをしないように気を付けて
いざ自分を出そう!としたら、

自分が何者かわからない!

と気がつきました。

ああ、これはヤバイ。どうしよう。

すごく悩みました。


そんなときに、大学時代のお友達で今は小学生のママさんである友達が
突然連絡してきて、

子供の勉強についての悩み相談をしてきました。

それで自分なりにアドバイスしたら
「すごくわかりやすかった。厳しいことも言われているのに、やさしいだけの逃げの言葉(「がんばればできる」とか)をかられるより心が救われた。やっと、自分が何をすべきかわかって、前に進めそう。ありがとう!」

と言われました。

また、娘が勉強につまづくようになり
勉強を教えると
「なんで、お母さんが教えてくれると、わかりやすいんだろう。」
と言ってくれたり、それでテストでも結果を出したりしてくれるようになりました。
娘は歴史にも興味を持ちはじめて、
色々私や他の家族にも聞いてるのですが
「なんで、お母さんが歴史の話をすると、面白くてわかりやすいんだろう。」
と言われました。


親友には
「セザールさんは、教えるのが好きなんだね!」
夫には
「子供の理解度に合わせて説明できるのは才能。俺はそれをできないし、しようと思うのはめんどくさく感じる。相手にわかりやすく伝えるのが好きなんだよ、君は!」
塾講師仲間の母には
「あんたのほうが、視点が面白い!同じ授業や作成物でも、あんたのほうが、
エンターテイメントと学術の絶妙なバランスがあるし、それに関する情熱はあんたが抜群だ。そんな塾講師や学校の先生に出会ったことない」

と言われたんです。



そのときに思いました。

私を否定する人は
「勉強」「学術的な話」がそもそも
好きでないし、理解する気がない

私を受け入れてくれる人は
「勉強」に対して、得意不得意は関係なく、少なくとも「勉強は大切」と思っている人で、「学術的な話」は好きな人、そして、何よりも「前向きに努力をしよう!」という人だということを!


そのときに、漫画を描くときに
想定する読者さんを
「勉強に負のイメージしか持ってない人やマウント用のツールとしか思ってない人」と思って描いたときと


「勉強には正も負もどちらのイメージも持ってて、勉強は楽しい面もあるし、テストの点数も自分が理解できたか?を示すための指針であり、誰より点数がよいとか満点とれたか?は二の次、もしくは、それは全く念頭にない人」
と思って書くのとでは
全然違う作品になるのだと!

前者を想定して描くと
まずは「勉強はそういうものではないよ!」という「否定」がメインになり、
さらに自分が主張したい内容も
いろんな方面から言うことで納得してもらおう!という形になり
まわりくどく、何度も同じことを言う
くどい内容になってしまいます。


でも、後者を念頭において描くと
「これって、こういう面白さがあるんだよー!!」という「肯定」がメインとなります。さらに、「私はこう思うんだ!」「こう思うことが楽しいんだー♪」という、明るくて簡潔な話になります。


だから、私は
「まずは、私を受け入れてくれる人に視点をおいて、その人に受け入れられる作品をつくることをしよう!」
と思ったのです。
でもそう言うと
「閉鎖的!」
「自分を認めてくれない人は、排除か!ワガママ!」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、まだプロになれるかわからないときに、
先に「自分を受け入れる気がない方」向けに上手く漫画を描ける技術はありません。なぜ最初に難関に挑戦?!になってしまいます。


だから、いつかは、すべての方に!と思いますが、
「自分を受け入れる気がある方」が、私の漫画やブログで少しでも気が楽になったり、前に進めるような作品づくりができるようになりたい!それだって難しいんだぞ!
と思うのです。


それで、今はTwitter上で
ひたすら、勉強や自分の人生のふりかえりを文字でまとめています。

それを三ヶ月ほどしたら
やっと
「私ってこんなに色々考えて授業したり子育てに臨んでたのか!」
とびっくりしたり、
読み返して
「この話、面白い!はやく続きが読みたい…っていうか自分やん作者!」
とか、出てきました。


完璧じゃないから、ほめちゃいけない」
「自分ってすごい!と思った瞬間に成長はとまり、奢りや怠慢が出てくるから、自分をすごいと思ってはいけない」

と、散々、私を受け入れる気がない人に言われ続け、
常に私は

「自分はダメなやつ、と思わなければいけない」

とおもい続けてました。
でも、それは

成長したい

という気持ちがあったから。


だったら、
「成長すれば問題ないわけです!」

よね?

そのときに、
私の心がどうであったって
かまわないですよね?

「自分がすごい!」と思って、
恥をかいたり、失敗したりしても、
かまわないですよね?
結果的に成長できれば!


私は
失敗を

「恥」や「ダメなこと」
とは思いません。

その失敗を乗り越えて
「成長」できればいいじゃん。
「失敗が成長を妨げるもの」なんていう価値観は私にはありません。
それは、失敗を乗り越えてきたから。
それこそ、自信です。

それを、自分の人生をふりかえって
ノートにまとめた結果、思いました。


なので、他の人には

「成長の妨げ」「恥ずかしいもの」
であるかもしれませんが、

私は
「自分はすごい!」
「このように考える自分が好き!」
と思うことで、
失敗も批判もまるごと受け止めて、

「成長したい」

と、

この一年の様々な出会いで思いました。


ではでは今年もありがとうございました!

来年もよろしくお願いいたします。









フランス革命とナポレオン時代が高校生のとき理解できなかった理由2

2019年12月27日 14時47分00秒 | 歴史の勉強の際に知っておくと良いもの
前回の続き。
高校時代は、フランス革命ナポレオン時代がわからなかった理由の続きです。

今回は、

なぜナポレオンがフランス革命を成し遂げた市民に選挙で選ばれて皇帝になったのか?


フランス国民の心理

を考えて書いてみました。

あくまで私もしては…という意味です。

以下画像です。⬇️




↖️これ、すっごく大切なんです!

歴史を理解するうえで
「現代の価値観で当時の歴史を見ている」かぎり、
理解するのは難しいと思います。








時々

「昔の人は神様とか妖怪とか信じてるから、バカ!」と小馬鹿にする人がいます。
そういう選民思想でいるかぎり、歴史を理解することはできないでしょう。

勉強だけでなく、自分と違う考えをする人をバカにする人は
私は、苦手です💦

なぜなら、彼らは、自分以外の価値観を認めないから。
すでに、簡単に人をバカにする価値観の人は私をバカにする接し方しかしないから、私にはキツいです。



話をフランス革命の時期に戻します。















フランス革命は、今から見たら

「現在の礎」という
プラスの見方ができます。

でも当時は


他の国からした
フランス革命をおこしたフランスは

異質

でした。

そして、他の国は
王国、帝国。
革命がおこったら、フランス国王と同じ道をたどることになります。

そりゃあ、

「フランス革命は間違いだった!」
と言えるよう、徹底的にフランスを潰すしかないんですよね💦

そして、負け続けるフランス。

そりゃあ、フランス国民も自信をなくしますよ。


そんなとき、勝ってくれる人がいたら?
うれしいことはないですよね。

そういう風に考えると

ナポレオン

という存在は

フランス革命を肯定してくれた存在」

だったんですよね。




以上です。

人によって考え方は違うので
「合わない!」と思うかたがいらっしゃったらすみません💦


でも、高校生のとき、自分がこれを知っていたら、かなり楽に勉強できたなー、と思います。
私は…という意味です。


フランス革命とナポレオン時代が理解できなかった高校時代の私 その1

2019年12月27日 13時06分22秒 | 歴史の勉強の際に知っておくと良いもの
前回の記事の続きです。
内容的には続きではないのですが、

高校時代は、
世界史を選択したにも関わらず、
その中で

「フランス革命とナポレオン時代」
がどうしても点数とれない、理解できなくて、苦しかったのです。

当時は、
入試にフランス革命やナポレオン時代が出ないことを祈り、結果的にラッキーなことに、センター試験でも第一志望の大学でも、その分野は点数配分が大きくなかったり出題されなかったので、合格できましたが💦

大学に入って、ある講義をきっかけに、
突然、

「ナポレオンというのは、
当時のフランス国民にとって、
どういう存在なのか?」


理解でき、
そのあと、フランス革命からナポレオン時代の本を読んで、今では一番好きな時代になりました。そして、このフランス革命、ナポレオン好きをきっかけに、社会科の塾講師になりました。
人生ってわかんないものです。


二回に記事を分けて説明します。


今回は、
なぜ
高校時代はフランス革命とナポレオン時代が苦手だったのか?の理由と

この時代がどういう時代だったのか?をその時代より遡って説明してみました。

あくまで私としては…という意味です💦



上の画像のように
私は、フランス革命の政府の入れ替わりの激しさでパニックになり、
さらにナポレオンがどうして皇帝になったのか?がわからなかったのです。



「王様を処刑をしておいて、皇帝にする?なんで?」

でした。

イギリスの清教徒革命で王を処刑→王政復古→名誉革命、の流れは理解できるんですが、

フランス革命で王を処刑しておいて、
皇帝を選挙で選出???

がワケわからなくて。

またなぜ、ナポレオンがそこまでフランス国民に支持されたのか?が
当時はわからなかったんです。

その原因は…⬇️(次の画像参照)









このように、ヨーロッパ、主に西ヨーロッパにおける、

王と皇帝の違い

皇帝とローマ=カトリック教会(ローマ教皇、法王)の関係性

を知らなかったからなんですよね。

話は続きます。



じゃあ、ナポレオンの就いた「皇帝」とはどんな意味合いがあったのか?というと…
⬇️





ここまでが、ナポレオンがどうして皇帝になったのか?という話。
まあ、色々と説や考え方があるので、

あくまで私の考えは…

というまとめです。すみません💦



そして、革命というのはどういうものなのか?の説明。


西洋における

革命
クーデター

違いを簡単にまとめてみました。

よく、「革命」というと

自分が強くなる(権力を握る)
とか
世界が雰囲気変わる

というほんわかしたイメージを持っている人が多いですが


革命とは「主権がかわる」もしくは「世の中の主導権を握る層がかわる」

と思ってもらえたらいいな、と思います。



今回は以上です。
次回は
この続きで、
なぜナポレオンは当時のフランス国民に支持されたか?のお話です。



世界史と日本史のどちらを選択すると入試で困らないか?の話

2019年12月27日 11時39分26秒 | 大学入試について
昨日もたくさんのアクセスをありがとうございました。

Twitterで連載している、自分の勉強についての歴史のまとめなんですが、

そこからまた抜粋して
ブログ独自の塾講師経験者からの視点で
お話をしたいと思います。


今回は、大学入試のときに



世界史日本史
どちらを選択するか?」

のお話です。


学校によっては、日本史にほぼ強制的に決められることもあるみたいですが、

基本的には
生徒さん自身に、

世界史か日本史か?


どちらを選ぶか決めてもらう形になります。

私の場合は…







…という形でした。(画像参照)

よく世間では

日本史のほうが簡単だよ」


と言われます。

その理由は

その歴史の舞台になった場所が近場にたくさんあるから(国内にあるから)

小学校、中学校でも日本史の内容がメインだったから、イメージがつきやすいから

…と、世界史より馴染みが深いので

という理由だとは思います。

そして一番は

「日本人だから」

だと。

これは、国民性とか国土愛とかでなく

日本人の思考パターン、価値観のまま、歴史を見ても、なんとかなるから

なのです。
もちろん、古墳時代や平安時代など
今とは死生感や恋愛事情が違うことも
あります。本気で日本史に取り組めば、過去の歴史の人々と現代人の価値観や思考パターンは違うのはわかりますが。

でも少なくとも常に

多神教の宗教感

ではあるし、

征夷大将軍や天皇、というのは
人々にとってどんな存在であるのか?
というイメージはつきやすい。


地形的なイメージもつきやすい。


理不尽でも上の人に従うこと、や、
差別される人達、優越感をもつ人達が
どんな人で、どんな感情なのか?
はイメージはつきやすいから。



つまり、

「自分の価値観=歴史人物の価値観」

になることが多くて、

「なんとなく」わかった気分

になれる可能性が日本史のほうが
世界史より高いんですよね。


もちろん、ガチで、めちゃくちゃ本を読んで日本史通の人が日本史選択する場合もあります。

大学の友達は、そういう人もいました。


ここで言いたいのは

日本史選択を批判しているわけでなく


「簡単だから」という理由だけで
日本史を選ぶと

「点数をとれない」という状態になったとき、対処できないから危険だよ、ということ。

もし常に100点満点で、ならかまいませんが、特に点数とれてないのに、簡単だと思うから日本史にした人は
おそらく入試までに挫折するかもしれません

一年間、もしくは二年間以上

ずっと、その科目を勉強しつづけるわけです。

だったら、
「簡単」
より

「好き」
もしくは
「勉強してて苦痛でない方(パニックや癇癪をおこす回数が少ない方)」


で選べば良いと思います。



私自身は、
選択をするとき、
世界史も日本史も似たような点数をテストで取ってました。


でも、日本史は
「なんで、このような歴史の流れになるの!私だったら、こう動きたい!!」
みたいなイライラが多かったんですが
世界史だと
「このような歴史の流れになるのは予想できた!そして、その結果が、好きな漫画のクライマックスみたいなタイプのものが多くて興奮する!」
だったので。


今から考えると
思考が
日本より西洋風なんだと思います。

ドラマも日本よりアメリカドラマのほうが好きなので。

でも日本史も日本のドラマも好きです。
ただ一番好きなのは世界史とアメリカドラマってだけです。

好きなので勉強はする。
勉強をし続けたら、途中で困っても
あることをきっかけに
点数はあがってきます。

私がそうでした💦


ただ世界史の中でも、
フランス革命やナポレオン時代は
高校生当時、どうしても理解できなくて
入試で出ないでー!
とひたすら祈ってました。
ラッキー?なことで、出ませんでした。

でも、大学で突然わかって、
今は、フランス革命とナポレオン時代は
語りまくりです。
フランス革命が好きになったから
結果的に社会の塾講師になりました。
人生ってわかんないものです。

フランス革命とナポレオン時代については後日、別の記事でまた書きます。



世界史、日本史
どちらを選んでも勉強で苦労はするので

勉強してて苦痛でない方

で選べばいいかなぁ、と私は、思います。
もちろん、志望校に必要な科目か?を確認してから、ですが。







名古屋城に久々に行ってきました

2019年12月27日 00時01分46秒 | 歴史へのつぶやき&興味
先日、三年ぶりくらいに、名古屋城に
遊びに行きました。

横丁ができていたり、
本丸御殿が完成したりしてて、

おおお!!

となりました。




名古屋城は、「モスラ対ゴジラ」や「ゴジラ vs モスラ」でも出来たので

ゴジラ、モスラ、バトラ好きの私には
地元というだけでなく
別格な気持ちのあるお城です。


家族や友達とも何度も行きました♪
夏休みの夏祭りはよく行きました。
菊祭りもよく連れていったもらいました。
一回は、大学の能楽部で、
名古屋城夏祭りで仕舞「殺生石」を
舞わせて頂きました。

今は本丸御殿の敷地内で、簡易ステージが設置され、能楽の舞台も上演されていたんですよね。
隣の空き地(今は本丸御殿のミュージアムショップや書院があるあたり)は、
火縄銃の実演がされてたり。






特別公開されてる場所に行く途中に、すてきな写真スポットも!






本丸御殿の中は素晴らしい芸術の宝庫でした!


今度は犬山城や清洲城にも行きたいですね。






たくさんのアクセスをありがとうございました

2019年12月26日 21時25分26秒 | メッセージ
昨日もたくさんのアクセスをありがとうございました。

あとで歴史についての記事を書くつもりですが、ひとまず、毎日更新!の目標で、簡単な記事をば。

この前、名古屋城に行ってきました!
それについて、あとで記事を書こうと思います。



やっぱり歴史に触れるのって
気持ちいいですね♪

大学は文系か理系か?で悩んだ私の出した結論は?

2019年12月25日 20時02分13秒 | 私自身のヒストリー
Twitterで連載している
私の勉強経験を書いたお話シリーズから
抜粋したお話です。

大学は

文系か理系か?

の話です。

あくまで私の話なので
これがおすすめとか、絶対的価値観という意味ではないです💦













受験生は受験勉強の追い込みの時期ですが、高校2年生(学校によっては1年生)は、文系クラスか理系クラスかのどちらを選択するか決めなきゃいけない時期だと思います。

理想は



将来の夢に関係するもの

大学で勉強したいもの


で、

文系か理系か決めることだとは
思います。


…でも、正直言って
そんな風に決める人は

少ないです

少なくとも私はそうではありませんでした。上の漫画のように…


大学卒業してから

「今から考えると、法学部や歴史学科を選べばよかったな。

とか


「本気で理系を目指したら、理系でも問題なかったんじゃない?」


とか思いますが、

高校のときは、目の前で習う教科を理解するので精一杯で、
大学の勉強方法は予想はつかなかったし
高校くらいで抱いた夢が叶うかとか、その夢をずっと持ち続けているか?は
わからなかったので、
正直、
文系か理系か?
悩むところでした。

大学が職業に直結する、医者、看護師、司法関係(裁判官、検事、弁護士)の仕事じゃないかぎり、

大学に受かってから、進路を決めちゃえばいいかな…

という私でした。

私は文系も理系もどちらも好きだったけど、文系の方がどの教科も好きでした。
だから、文系を選んだことを後悔してはいないです。
でも、塾講師やってると、保護者の方に

「理系は頭よい人が行くところ、文系は理系に行けなかった落ちこぼれの人が行くところ」みたいなことを言われたりします。
新人当初は、文系であることはダメなことなのかな?と落ち込むこともありましたがら、

最近は

「勉強を、自分を着飾る手段にしか思ってなければ、そう思うかもね。
その方は、一生、文系の楽しさも難しさも理解できないから。(その人達は、弁護士はバカだと思ってるの?という疑問。)」

と思うようになりました。
その方のお子さんがどう感じてるか?は
わからないですが、もしその子が真剣に進学に悩んでたら力になりたいと思うし、マウントをとる手段にしか勉強を考えてないなら「理系に進めばいいんじゃない?」と思います。
理系もおもしろい教科ばかり。
もし自分が理系を勉強するなら
現代数学とか地層学とかやりたい!


…ということで、

あまり参考にはならないですが、

高校ですべて決めないと将来が台無しになる!とは思わず
高校で決めた自分の勘を信じて
そこからがんばっていけばいいかな?
と思います。





過去の過度な反省は未来への不安につながるので受験前は気を付けて

2019年12月24日 21時31分00秒 | 入試全般について
冬休みに突入しましたね。

さて、

冬休みにどれくらい勉強するといいか?

なんですが、

私立中学受験生と大学受験生は
冬休み明けすぐに入試が迫っていますし
高校受験生は三学期の内申点がほぼ決まる学期末テストが冬休み明けにある
ので、可能なら、受験勉強中心が良いと思います。

受験生以外の方は、休むときは休み、やるべきときはちゃんと勉強する、と分ければいいかな、と。


ここまでが一般的な話で、

ここからは、


じゃあ、何を勉強していても、これで大丈夫かな?と不安になるタイプの受験生はどうしたらいいんだろう?」

という話をしたいと思います。
ここからは私の話です。


私は高校受験前の中3のとき、冬休みに無理しすぎて、学期末テストの前日に熱を出してしまい、学校を早退してしまいました。
これで熱でテストを受けられなかったら

三年間のがんばりが台無しになってしまう!


ベットで横になりながら泣きました。

でも母が

「気合いで熱下げろぉぉーーーー!」

と言うので

今すべきことは、明日どうしよう、と不安になったり、冬休みに無理しすぎたから、と後悔したりする時間でなく、

熱を下げるのに専念
する時間なのだ!

と気がつきました。

そして、勉強しずに薬飲んで寝て、
気合いで熱を下げて
学期末テストを無事受けられました。
抜群の出来にはならなかったですが、なんとか現状維持はできました。

今から思うとインフルでなくてよかった…💦



ここで言いたいのは


受験やテストで大切な姿勢は


「今」
「何をすべきか?」

だけに集中して努力する姿勢

だと私は思います。


過去の失敗は、くやしいし、反省したい、できるなら、やりなおしたい!
そういう気持ちでいっぱいになりがちです。
でも、その失敗は、

「あったもの」
と受けいれ

「では、どうすればいいか?」

だけ考えれば良いです。
過去の反省や成功した原因は過去のどの部分なのか?などを考えるのは

すべて終わった後で良いです。


未来の不安も恐ろしいです。
でも、今が未来をつくってるから、
その未来の土台作りを今、しよう!
と思えればいいかなぁ?と。

ただ、そのとき、



「今、やってることが、未来の失敗に繋がるのではないか?」

という不安
がふと頭によぎることがあります


私はそれをしがちで、不安になります。

でも、

「過去の自分を責めないように努力した今の自分」が当たり前になったら、

いつのまにか、「今の自分を責める未来の自分」が消えたのです。

ふと不安感がよぎっても
「大丈夫。もし、今、やってることが失敗の原因だとしても、未来の私が今の私を責めたりしないし、ちゃんと、未来で対処してくれる。」
という、未来の自分を信頼できるようになりました。



これをするのに、かなり時間がかかりました。


でも、「今、目の前のことを対処するのに専念し、過去の自分を責めないことで未来の自分を信じられる。そうすると、今が楽しいし、困難から逃げ出さずなんとか結果を出せる」

と最近になって思います。




「良い子にしてないとサンタさん来ないよ」の言葉が子供に与える怖さ

2019年12月22日 23時10分00秒 | 教育について考える


そろそろクリスマスですね。

日本では、
大人だと、
クリスマスディナーとか、
クリスマスイルミネーションで楽しむ!というクリスマスですが、

子供にとってのクリスマスといえば、

やはり

サンタさんからもらえるプレゼント


だと思います。


私自身はサンタさんに関しては嫌な思い出はないのですが、娘がサンタさん関連で辛い経験をしたので、今回、お話しさせて頂こうと思います。



娘が通っていた幼稚園は

良く言えば
すごく熱心に教育をしてくださる
幼稚園


でした。

例えば、

挨拶を笑顔でしましょう

自分でできることは、ちゃんと自分でやりましょう

食べ物は残さず好き嫌いなく食べましょう


親にちゃんと感謝しましょう


などなど。


なので、幼稚園の先生のおかげで
自分の子が、しっかりとした子になったわ!と喜ぶ保護者の方も多かったです。



…そして、娘は、その幼稚園が合いませんでした。


娘は、動作がのろく、食べるのが苦手な子でした。
これは、私の育て方、という問題よりも、生まれながらの性質でした。
なにせ、母乳やミルクさえ飲むのを新生児のころから嫌がる子だったので。
それで、いつ死ぬか、いつも不安になりながらも、とにかく、何か口にできるものをとりあえず胃の中まで入って吸収してくれれば!な状態で過ごしてました。

幼稚園でも、食べるのが遅く、多く食べられない。不安なことがあると、一口も食べられない、そういうことが続きました。
偏食というレベルではないのです、拒食です。

家に帰っても、明らかにお腹が減っているのに、「食べはじめて、遅かったり、一口でも残したら責められる」と言い出して、私が「残してもいいよ」と言っても、震えだし、一口も食べません。

あまりにひどいときは、病院に行って栄養点滴をしてもらったりもしました。


本人も

「農家の人や作ってくれた人、そして食べ物自身に感謝しなきゃいけないし、偏食やお残しが悪いことはわかってる。

自分だって、時間内に残さず食べたい!

でも、どうしても、口に入っていかない!


口に入れようとする、食べ物のことを考えるだけで、吐き気がする。


それで食べられない自己嫌悪。」

そういう状態で、ずっと自分を責めていました。

私や私の母(娘にとっての祖母)が
どれだけ、「残してでもいいから、食べたいぶんだけ、自分のペースで食べろ」と言おうが、「残しても、あなたのことを愛していることには変わらない。」と言っても、

「だって、幼稚園の先生が…」


という状態の娘でした。



そんな状態の12月、
娘に
「サンタさんからのプレゼントは何が良いかな?」

と聞いたら、
娘は「なんでもいい…」
と小さな声でぽつりと言うだけです。

「じゃあ、これにする?前ほしいと言ってたもんね。」
と言ったら、
「うん、そうする」
とだけ娘は言いました。



それが年少さんのとき。


そして、年中さんの冬。

同じようにサンタさんの話をしたら、

「サンタさん、いないんだよね?サンタさんの正体は…」

と言い出して、ぎょっとしました。

そのときは、
「私からは今は何も言わない。
いる、といったらナポちゃんは疑う。
いない、と言っても疑うから。
だから、

信じたいか、信じたくないか?
で決めて。(意訳)」

と言ったら、
今は信じることにしました。



小学生になった娘から聞いたら、
幼稚園の先生は

いい子にしてないと、
サンタさん来ないよ!」

と、

給食を残す娘に
毎日のように言ってたそうです。

先生としては

完食させてあげたい!

という善意の気持ちだったのでしょう。

でも、娘には

それがきつかった。



だから、年少さんのとき、
娘は私にサンタさんのプレゼントについて聞かれたとき


私は、いい子、じゃないから、
どうせ、サンタさんは来ないよ」

という気持ちだったから

「なんでもいい」
という返答だったのです。

でも実際には、
お母さんと決めたプレゼントが
クリスマスの朝に枕元にあった。




これは、おかしい。




娘はそう思ったそうです。




それで年中さんのときは、


「サンタさんはいない」


という結論に達したのです。


これを話すと、

「娘さん、頭良いじゃん!すごい!」

とよく言われるんですが、

私はこれは悲劇の話だと
思ってるんです。


だって、娘は

年少さんのとき


「サンタさん来たじゃん!
やった!私は良い子だったんだ!


という結論にならなかったのです。



娘の中では、

ずっと、ずっと、ずっと…

自分は悪い子

と思い続けたってことなんです。
しかも一年以上!

親にこのことを言うには、
3年以上かかったんですよ。

本来、一番、夢が見られる幼稚園時代。
自分も仮面ライダーやプリキュアになれる!と思っても良い幼稚園時代。
将来なりたい職業だって、何を夢にしても良いんです!
もちろん、サンタさんのことだって!



それを、娘はできなかった


ひたすら
給食を完食できない自分を
責め続け
自分を

「悪い子」

と思い続けた幼稚園時代
でした。


引っ越しをし、誰も幼稚園時代の自分を知らない人達しかいない小学校で過ごすうちに、やっと、幼稚園の呪いから抜け出ました。


聞いたら、

「そんなんだと、お母さん、悲しむよ

「そんなことしてると、お母さんにいつか怒られるよ」

とまで幼稚園の先生は言ってたそうです。

そりゃ、娘は、母親の私にも、なかなか本音は言えなかったんでしょう。


年中さんに拒食症になり、死にかけたとき、母親の私は絶対に自分を裏切らない、と気がついた娘。

そのあとに出した、サンタさんの正体。


「幼稚園の先生が言っていたような、ママはこの世にいなかった。
だったら、幼稚園の言うようなサンタさんだって、いないじゃないか!」

と。

娘にとっては、サンタさんがいるという夢より、先生が自分を思い通りにしようとして使うサンタさんのほうが、嫌だったんでしょう。


私は


「いい子にしてないと
サンタさん
来ないよ」


という言葉が死ぬほど恐いです。


「いい子って何?サンタさんは、子供の夢の結晶であり、大人の部下ではない!」

という怒り。


子供は子供である限り、
サンタさんは来てくれる。


先生の言う通りにならないとき、
言う通りにさせたかったら、
そのことのみを怒るべきであり、

サンタさんを脅しに使わないでほしい、

と私は思います。

サンタさんは
子供のものであり
大人のものではありません。

まあ、あくまで、うちの家庭は…、という意味なので、他のご家庭について批判しているわけではないです。💦