社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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歴史模擬授業(第26回 大正時代①第一次世界大戦)②-7 大正の文化  

2010年12月28日 20時04分35秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第26回です。大正時代の最後、文化です。

(詳細は、12月23日の記事①をご覧ください)

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「さて、期間は短かったけど内容が濃かった大正時代も今回で終わります。

 今回は、大正時代の文化です。」

「はい。」

「大正時代の文化を持って、文化史はほぼ終わりです。」

「そうなんだ。」

「もちろん、昭和時代以降も文化の歴史というものはありますが、ほとんど習いません。

 昭和の文学などは国語では習いますが、社会では文化史は大正まで覚えておけば、ほぼオッケーです。」

「はい。そう考えると、なんとなーくなごりおしいな。」

「ではでは、最後の文化史にいきますね。

 大正時代ってさ、どんな時代だった?」

「第一次世界大戦で、世界全体が戦争にまきこまれた。」

「ロシアで社会主義革命がおこった。」

「そのあとで、世界で初の平和を守る国際機関である国際連盟ができた。」

「そうだったね。よくおぼえているね。では国内は?」

「大正デモクラシーという民主主義の風潮が高まって、普通選挙まで行われるようになった。」

「大正デモクラシーでは、労働者や農民(おもに小作人)や女性・の人々など、

 当時、不当な条件で働かされたり、差別を受けていた人々が真の「自由」と「平等」を

 求めて、がんばったんだよね。」

「そうそう。そのような大正デモクラシーの風潮は文学の世界にまで影響していくんだよね。」

「文化は世相を映す鏡だもんね。」

「労働運動がさかんになっていた時代だから、労働者の生活をリアルに描いた文学もさかんになる。

そのような文学をプロレタリア文学と言います。プロレタリアとは労働者、という意味です。

(プロレタリアの正式な訳は無産階級)

プロレタリア文学の作者で有名なのは、小林多喜二(こばやしたきじ)。

彼は、団結して立ち上がっていく労働者と雇い主との戦いを描いた『蟹工船(かにこうせん)』を書きます。」

「そうだったんだ。おそらく今まで、数多くいる労働者という立場で描く作品ってほとんどなかったんだよね?

 つまり、それだけ大正時代には労働者たちが強くなってきたんだね。」

「そういうことね。運動を起こすってことは、ある程度、力がないとできないからね・・。

もし力がなかったら、

個人の反乱程度で終わってしまって、運動にまでは発展しないはず・・。」

 「たしかに・・。」

「あとは、明治時代の小説では、どのように社会の貢献すべきか、仕事をどのようにしていくべきか、

という悩みを中心に描く作品が多かったのに対し、

大正時代の小説では、仕事というより私生活を基にしたそれぞれの人間の生き方を追求していく作品が多い。

その中に、人間の生き方を厳しく追及し、人間の気がつかない生き方の矛盾や

エゴイズムを描いた芥川龍之介(芥川竜之介)がいます。

芥川龍之介の代表作は『羅生門』です。

この『羅生門』は高校に入学してすぐ習う学校が多い。でも、すっごくすっごく難しい!

内容自体も難しいうえに、主題がかぎりなく難しい!私も読んだんだけど、高校では全然わからなくて

芥川の何が良いんだろう・・と思っていたんだけど、大人になってもう一度読み直したら、

すっごく同感でき、芥川は天才だ!と感動しました。

今まで、いろんな人物の小説を読んできましたが、芥川ほど天才だ!と私が思う人はいません

(あくまで、私が思う、ですよ。)」

「そんなにすごい作品なんだ・・。」

「うん。ただ、子どものうちは芥川の良さはなかなかわからないと思う。

だから、芥川の作品が読めるようになったら、大人になったと思ってもよいでしょう。」

「はい!」

 

「あと、人間はみな「平等」である、愛で言いかえるなら「人類愛」を考える白樺派(しらかばは)という

文学の派閥の1つができます。

白樺派の有名な作者は、

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(しがなおや)、有島武郎(ありしまたけお)です。 

武者小路実篤は人間の生命の力を信じ、人情あつく、理想を追求しました。

彼の有名な作品に「友情」「その妹」などがあります。

 

また、志賀直哉は、(簡単にいえば)人類愛を描いた「暗夜行路(あんやこうろ)」などを書きます。

そのほかにも生命について考えさせる「城の崎にて」なども有名。

志賀直哉は、高校の国語の時間に習うことが多いです。

教科書によって「暗夜行路」の一部だったり、「城の崎にて」だったりの違いはあるけど。」

「はい。また高校での楽しみが増えたのだ。」

 

「あとは、生活について。大正時代には、第一次世界大戦で日本は好景気になったね。

 また、どんどん工業化が進み、都市での人口も増えてきました。そうすると、多くの人を

 一度に運べるよう、交通機関も発達するよね。バスや、タクシー、地下鉄などができます。」

「え?もう地下鉄もできたんだ!」

「服も明治時代にはドレスや背広とかの動きににく洋服はあったけど私生活では着物だったのが、

洋服が主流になって、私生活でも気軽に着れる洋服も普及するようになってきました。 

洋食も増えたのよ。」

「ほえー、どんどん今みたいになってくるんだね。」

「あと、電話・バス・水道もできた。また明治時代のガス灯にかわり、大正時代には電灯になります。」

「おお!」

「あと、新聞や雑誌、映画(当時は活動写真と呼ばれた)も普及して、人々が自分の意見を出す機会が

増えてきます。

また、一番入試に出やすいのは、1925年にラジオ放送が始まったことです。

よく、正誤問題で、「大正時代にテレビ放送が始まった、○か×か」みたいな問題がでるんだけど、

大正時代にはまだテレビはなく、ラジオのみなのでご注意を。」

「ほえー。」

「ラジオだと、一気に全国の人々に情報が即座に伝わるし、文字が読めない人でも情報が得られるのは

大きいよね。」

「新聞や雑誌・ラジオ放送などが、

 大正デモクラシーでのさまざま運動をおこしやすい背景にもなったのかもね♪

 人々の意見を発信するのに便利なツールだもの。」

「そういう風に予想することは良い傾向だよ。以上が大正時代の文化です。」

「すくなっ!」

「少ないです。

しかも、入試で出るのは、おそらく、芥川龍之介、志賀直哉、小林多喜二という作者名、

白樺派、プロレタリア文学、ラジオ放送ぐらいかな?」

「そうなんだ。」

「でも、だからと言って、その作品や作者が世の中で重要ではないという意味ではないので、

 しっかり理解して覚えましょうね。」

「はい!」

「ではでは、これにて大正時代は終わります。次回は、長くて暗い昭和時代を行います。

起立、礼!」

「ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第26回 大正時代①第一次世界大戦)②-6 大正デモクラシー  

2010年12月26日 12時16分48秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。大正デモクラシー・普通選挙・関東大震災

詳細は12月23日の記事①をご覧ください。

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「では、今日は第一次世界大戦後の日本の状況を見ていきましょう。

で、その前に、明治の終わりのころに、国会が開設されたところから、日本の政治を見ていきましょう。」

「あ、そういえば、国会開設以降、日清・日露戦争~第一次世界大戦と、外交のことばかりやって

内部の政治の歴史を習ってなかったね。」

「事件をそのまま順番に覚えうだけでなく、国内の政治・外交などに分類して理解しているのはエライね!」

「えへへ。」

「国会が開設されて、議会を中心とする政治は始まったけど、いぜんとして政府は

、薩摩や長州などの一部の出身者によって成り立っていました。

だから、明治の終わりから大正時代にかけて、

もっと、国民中心の民主主義の政治を!という声が高まりました。」

「そうだよね。

 だって、帝国議会の衆議院の議員は選挙で一般市民から選ばれるけど、それだって選挙権に制限が

あったもんね。」

「直接国税15円以上納める満25歳以上の男子だったね。」

「しかも政府(内閣)のトップである内閣総理大臣は、一般市民の意見を参考には選ばれていなかった。

だから、選挙で多く選ばれた人が属している政党の人が押す人を内閣総理大臣にしてしまえば、

間接的に国民の意見は反映されることになるでしょ。これこそ民主主義でしょ。」

「あ、たしかに。ロシア革命のときに民主主義についても習ったからわかるよ。」

「なので、そのときの政府に対して国民や政党が批判するようになった。

 憲法で述べている内容と、現在政府がしていることは違うじゃないか!

 憲法では民主主義の内容が述べられているんだから、政府は憲法に基づいて政治しろ!とね。

このように憲法に基づく政治(立憲政治)を守ろうと主張した運動のことを、

護憲運動(ごけんうんどう)と言います。」

「憲法を護って(まもって)ほしいと求める運動だから、護憲運動という名なのね。」

「そうそう!言葉の意味をしっかり考えているね!

 この護憲運動を起こしていた人には、尾崎行雄(おざきゆきお)や犬養毅(いぬかいつよし)などがいます。

 尾崎行雄は、護憲運動および次に出てくる普通選挙・政党政治の確立に努めたので「憲法の神様」と

呼ばれることで有名です。

 犬養毅は昭和時代でまた出てくるので、そのときにね。」

「はい。」

「また、護憲運動をしている時期に、吉野作造(よしのさくぞう)は、

民本主義という、国民に主権を、つまり民主主義を唱えてた。

さらに、政治の方法も、一定年齢に達すれば、お金があろうとなかろうと、

だれでも選挙権を無条件で得られるという普通選挙を実施し、そ

れによって、選挙で選ばれた議員が入っている政党から

内閣総理大臣や政府を動かす人々を選ぶべきだ、ということを主張しました。

このようなことを主張する運動を

普通選挙運動と言います。」

「ほえー。」

このように、護憲運動や普通選挙運動など、より民主主義の政治を目指そうとする(明治末期から)大正時代の社会の風潮を大正デモクラシーと言います。

ちなみにデモクラシーとは民主主義のことです。」

「ここらへんて、民主主義のことがわからないと意味がわからないね・・。

 だから、ロシア革命のときに、先生は民主主義についても説明したんだね。」

「そういうことね。ここらへんは、小学生の政治国際や中学の公民などを習うとわかりやすいわよ。」

「はい。歴史って地理も公民(政治国際)の知識もないとなかなか理解できない、総合的な科目なんだね。」

「そうなのよね。地理も公民(政治国際)も経験しないと理解できないものも多いから、

 すっごくむずかしいものなの。大人になると余計感じたんだけど、社会って、すっごく奥が深く、難しい。」

「だよね。」

「だから、簡単、丸暗記科目だと、馬鹿にする人たちは、社会の根本がわかっていないんだろう、な

 と思うことがある。逆に、生徒で、「社会が理解できない!」「むずかしい!」と言ってくる子は、

 「おまえは社会の能力があるぞ!」といつも、ほめるようにしています。

 「むずかしい」と思うってことは、それだけ理解しよう、社会の根本を考えようとしている姿勢のあらわれだから。

 よく先生たちは「簡単だがや。」と生徒を馬鹿にして終わる人もいて、

せっかく芽を出しかけた生徒の社会の力を伸ばせない状況になってしまい・・。

私は少しでも、芽を出した生徒を伸ばしていきたいな~と思っています。」

「ほえー。難しいと思う=馬鹿、ではないんだね!難しいと思う=成長する始まり、なんだね。」

「そういうこと。もちろん、努力はして成長はするので、その努力は必要用不可欠だけどね。。」

 

「ではでは、話を元にもどします。

大正デモクラシーの風潮は、多くの人々に広がっていきます。

民主主義の根本には「自由」「平等」の精神があります。

だから、当時は、差別されていたり、不当な労働を強いられていたりする社会的弱者たちが、

「自由」と真の「平等」を求めて、行動するようになります

どのように行動するかというと、同じ身分の人たちが団結して、同盟が結社などのグループをつくり、

世の中に訴えるというやり方。」

「そんなんだ。」

「たとえば、労働者は、労働争議(ろうどうそうぎ)というのをつくり、

そのあとで労働者たちで同盟を結び、戦った。

日本は資本主義だから、どうしても社長(会社)の力が強い。

でも、労働者だって人間だ!

だから、あまりに無理難題をつきつけた労働条件(たとえば、安い賃金で、

ご飯もあたれらず、一日中、命の危険な仕事をさせれる、とか。)に対しては労働者だって

抗議という形で戦おう!とする。その戦い方は、労働争議という労働者たちであつまって会議をします。

そして、団結して、労働条件の向上を訴えようとしたの。

1920年には、労働者が集まって決起をした、メーデーが行われ、翌年、日本労働総同盟という、今で言う

労働組合がつくられました。」

「そうなんだ。」

「また。農業の中でとりわけ苦しかったのは小作人。

自分の土地を持たず、土地を持っている地主の言うことをきかなきゃいけないから。」

「会社でいうと、地主さんが社長、小作人が労働者って感じなんだね。」

「地主さんが良い人の場合だったら、それでかまわないけど、

地主さんの中には小作人にとって安い賃金で、

厳しいことをさせるだってある。

それって、「人間みな平等なのに、なんで虫けらみたいな扱われ方をしなきゃいけないんだ!?

弱い身分なら弱い身分なりに戦おうではないか?!」と小作人はおもうようになります。

それで、小作争議というものを起こしたり、神戸では日本農民組合の結成大会を開いたりと、

全国の農民の団結を目指しました。」

「労働者が労働争議を開き、農民は小作争議などを開いて、 団結してがんばるようになったんだね。」 

「そういうことね。ではでは、次。

まだ、当時差別されていた身分があるよね・・。選挙権がまったくない人々。」

「えーと・・・女性?」

「そう、女性。この大正デモクラシーで、「女性」だって「人間」だ!男女平等を目指そう、という風潮

が高まりました!」

「おおおおおお!」

「そこで、女性の地位の向上をめざす運動がおこった。

そのときの中心人物は、平塚らいてふ(ひらつかたいちょう、と読む。平塚雷鳥とも書く)や、市川房枝(いちかわふさえ)。

平塚たちは、青踏社(せいとうしゃ)という結社をつくりました。

この青踏社の宣言が良く出るので覚えておきましょう。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性はである。」と。」

「?」

「太陽って自ら輝くでしょ。でも、月って太陽と言う別のものからの光で輝いているでしょ。」

「あ・・ということは、女性は昔は自ら輝いていたけど、今は他の人からの光でしか輝けない。」

「つまり、この時期の女性は男性によってしか輝けなくなった、ってことだね!」

「そういうこと。つまり、女性の個性は認めらなく、とにかく男性に従えば良い。

相手の男性の評価が、そのまま妻や娘の評価になる。

そんなのおかしいでしょ!人はそれぞれ違うんだから!」

「そうだよね!」

「だから、この最初の言葉は、

本気で女性が「1人の人間」として社会に羽ばたこうとする強い気持ちが感じられるの。」

「ほえー。」

「でも、当時はなかなか受け入れられなくって、なかなか女性は社会に受け入れられなかった。」

「今でも、女性差別は残っているもんね・・。」

「また、もう1つ、差別されていた人々がいた。それは、「(ぶらく)」と言われていた人々。

彼らは江戸時代に、「えた」「」という士農工商の身分にさえ入れてもらえなかった、身分。

彼らの身分は、明治時代の解放令でなくなったんだけど、依然、差別されていた。

だから、大正デモクラシーで真の「平等」を求めて、

1922年で京都に全国(ぜんこくすいへいしゃ)をつくり、

運動をおこしました。」

「大正デモクラシーというのは、政治では憲法に基づいた普通選挙による政党政治を、

民衆はそれぞれの身分(地位)に応じて、真の「平等」を目指して、頑張っていった時代なんだね。」

「そうなの。だから、私はこの時代を勉強するよ勇気をもらえる。

いまは、差別されていても馬鹿にされても、真の「平等」と「自由」を求め、がんばろう!と思えるの。」

「ほえー。」

 

「はい、では、次は大正デモクラシーによって政治に大きな動きが見られます。

そこをやりましょう。

ではではここでちょっと復習。第一次世界大戦で好景気になったんだよね。」

「そうそう。今日はそこからいきます。(つまり第一次世界大戦中のものからになる。)

 第一次世界大戦で日本は好景気が続いていく。

で、好景気のときは、みんながどんどん物を買うし、高くても売れちゃうので、

 物価が値上げる傾向にあるんだよね。で、そんな矢先に、ロシアで1917年に・・。」

「あ、ロシア革命がおこった!」

「そうしたら、日本はどうしたっけ?」

「連合国といっしょにシベリア出兵をした!」

「よく覚えているね。そのシベリア出兵を見越して、米商人や地主たちが米の買い占めをしたの。

そうしたら、世間で売っている米が少なくなるでしょ。それで米の値段が急激にあがった。」

「米は生活に欠かせないものだから、あまり値段があがると辛いよね。」

「でしょ。なので、それで、米の値段を引き下げろ!と、

1918年7月に富山県魚津の主婦たちが、

米の県外への積み出しを実力でとめて、米の安売りを求める事件がおこったの。」

「主婦たちが!?強い!」

この事件をきっかけに、全国で、米の安売りを求めて、激しい行動をおこす事件がたくさんおこったの。

 その事件を総称して、米騒動と言います。」

「そうだったんだ・・・。」

「で、この米騒動をきっかけとして、日本の民主主義は発展したのです。」

「え?どんなつながりが・・?!」

「この米騒動は、約50日続いて、労働者や差別に苦しむ人々も多数参加するように

なって、かなり大規模なものになった。それで、軍隊が出動して米騒動をしずめた。

しかし、このようなやり方をした内閣は多くの国民の批判にあって、当時の

寺内内閣は倒れたの(寺内正毅(てらうちまさたけ)が内閣総理大臣を辞めた)。」

「そうだったんだ。」

「それで大正デモクラシーの中で主張されていた1つ、普通選挙による政党政治が実現していくの。

まず政党政治

日本で最初の本格的な政党内閣(議会で多数を占める政党員から内閣が組織される)ができます。

そのときの内閣総理大臣が、立憲政友会という政党の総裁(トップ)の原敬(はらたかし)。

原敬率いる内閣では、ほとんど立憲政友会から選ばれたの。

このように政党内閣によって行われるような政治形態の政党政治と言います。」

「ほえー。」

「そのあと、1925年に、ついに普通選挙が実現するの。

当時の内閣総理大臣は、加藤高明(かとうたかあき)。

普通選挙法が定めれ、

選挙権は、納税額に関係なく、満25歳以上の男子、に与えられたんだ。」

「おー、一定の年齢に達すれば、日本人の男性なら誰でも選挙権が持てたんだね。」

「納税額に関係ないので、普通選挙、という名称なのです。

この時期の選挙権の条件もよく入試に出るので覚えておきましょう。」

「でも、まだ女性には選挙権はないんだね・・。」

「そうなのよね。平塚らいてふ達ががんばっていたときもあったけど、

まだまだ女性差別は続いていたということなんだよね。

だからまだまだ、真の「平等」な民主主義には遠いね・・。

でも、まあ、ひとまず納税額に関係なく政治に参加できるようになったのは大きな第一歩だから。」

「はい。」

「ただ、普通選挙法同じ年に、治安維持法(ちあんいじほう)という「自由」「平等」とは間逆の法律も

政府が定めます。」

「?」

「全員の男性が選挙権を得るということは、

 社会主義者の人々(男性)も選挙権を持っているということだよね。

 社会主義というのはロシア革命で話したけど、労働者に主権を与えたものだから、

 日本でも、社会主義になる人物も多かったの。

 しかし、資本主義を良しとする日本政府からしたら社会主義者は困る存在。

 なにせ、日本でも社会主義革命がおこったりでもしたら自分たちは失脚する。」

「たしかに・・。」

「だから、選挙をして、社会主義者が議員の多数を握るのを防ぐという意味合いもあって、

治安維持法を制定し、社会運動を取り締まったの。

現在の政治を改革しようとしたりする運動などを取り締まって、資本主義の日本を維持しようとしたのよ。」

「そうだったんだ・・。でも社会主義者そのものが悪いものじゃのにね・・。」

「よく入試で、「普通選挙法と同時期に定まった法律は何か、答えよ。」という問題がでるので、

普通選挙法と治安維持法はセットで覚えましょう。」

「はい。」

「あと、よく勘違いして覚える子がいるので、確認しておくね。

 米騒動をきっかけとして実現したのは、

 1918年の原敬による日本で最初の本格的な政党内閣および、政党政治。

 で、何年かたった、1925年には加藤高明内閣によって、普通選挙が成りたつ。

 その際に、普通選挙法と治安維持法が定めれます。

 

 よく、普通選挙法まで原敬のころだと思う子がいるので気をつけて。

 実は、原敬は普通選挙が実現する前の1921年に東京駅南口で暗殺されてしまっています。」

「そうだったんだ・・。」

 

「また、第一次世界大戦が終わったあとは、ヨーロッパの国々の産業も回復してきたため、

日本が輸出する量がすくなり、日本は不景気になった。」

「戦争という特殊な状態のときを利用して日本はお金をもうけていたから、戦争が終われば、

もうけれなくなるものね・・。」

「そのため、銀行や会社、工場が次々に倒産する。また、先ほど話した米騒動で社会も混乱している。

 ・・そのような状態のときに、日本に大打撃を与える災害がおこった。」

「え?」

「それが、1923年9月1日関東大震災。」

「大きな地震が!」

「そう、地震で建物は、壊れるし、地震に伴う火事で焼けてしまったり、

多くの死者を出してしまう。住みかを失ってしまう人や、

工場や会社が壊れ、会社運営だってできないところだってある。」

「地震はすべてを破壊するおそろしいものだもね・・。」

「しかも、おこった場所が、政治・経済の中心地の関東地方。だから、打撃もすっごく大きい。」

「・・・。」

「で、このような災害のときに、人々って精神的に不安になって、

デマやうわさに流されて、過激な行動をしてしまう傾向があるの。(全員ではないけど)。

そんなときに、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる、とか、社会主義者が暴動をおこそうとしている、

というデタラメなうわさが流れ、そのデマにだまされて、

日本の軍隊や警察が多くの朝鮮人や、社会主義者などが捕えられたり殺害されるという悲劇もおこった。

実際に朝鮮人や社会主義者はそんな計画たててないのにだよ!」

「震災ってのは、起こった後も落ち着いて行動しなきゃいけないんだよね。」

「そう。だからこれは謝っても謝ってもつぐないきれない罪だよね。

二度とそのようにうわさによる悲劇がおきないよう、

今後、もしかして私たちは大きな震災にみまわれることもあるかもしれない。

 でも、そのときに、うわさに流されて過剰防衛(相手を必要以上に攻撃する)をしたりしないで、

 落ち着いて行動しようね。」

「はい!」

「関東大震災のような多くの悲劇を今後もたらさないように、

現在は、関東大震災がおこった9月1日を「防災の日」の日として防災訓練をする日になっています。」

「学校でも夏休み明けの始業式の日に行うね!あれは、関東大震災がおこった日だったんだ。」

「ではでは今日はここまで。上の資料のまとめもみてみて。(ただし、これは私独自のまとめ方なので

それをご了承のうえご覧ください。)

今度は大正時代のまとめ、文化を行いますね。」

「はい!」

 

ーーーーーーー

 

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は社会主義を批判しているわけではありません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 


歴史模擬授業(第26回 大正時代 第一次世界大戦後)②-5 国際連盟

2010年12月26日 11時14分15秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細は12月23日の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き・戦争直後のアジア)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、4の第一次世界大戦後 国際連盟 をみていきます。

ーーーーーーーーーーーー

 

「では、今回は第一次世界大戦後の世界の状況をみていきましょう。」

「はい。」

「第一次世界大戦で、戦争はいけないないものだ、と痛感したヨーロッパの人々。

 

 そこで、アメリカ大統領ウィルソンの提案で、世界最初の平和を守る国際的な組織である

 国際連盟が1920年に誕生しました。」

「それまで平和のための世界規模の組織はなかったんだ・・。」

国際連盟は、スイスジュネーブに置かれました。

スイスは第一次世界大戦で中立を守り、

戦争に参加しなかった、という平和の象徴の国でもあったのです。」

「そうだったんだ。」

「日本も、国際連盟に加盟して、

 常任理事国という国際連盟の中心を担う国の一員として参加しました。

また、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が国際連盟の事務局次長として活躍しました。

「あれ、新渡戸稲造って、明治時代の文化のときに出てきたよね。

たしか、クラークさんに教えを受けた生徒さんで・・。

そこで、大正時代にでてくるって先生が言っていたのをおぼえてたけど、

まさかここで登場するとは!」

「クラークさんお教えの「少年よ、大志を抱け」をまさに実行した人だったんだね。」

「そうなのよね♪ちなみに、旧五千円札に新渡戸稲造は描かれていたのよ。」

「え?そうなの?!今度、古いお札コレクションから抜きだして見てみよう!」

「お札コレクション?!すげー!」

 

「さて、これで、二度と、世界規模のおそろしい戦争はおこらないと思っていた。

しかし、国際連盟があるにもかかわらず、数十年後、第二次世界大戦はおこってしまう。

それはなぜかというと、この国際連盟には大きく分けて2つ点で問題点があったから。」

「問題点?」

「1つは、(軍事力が強い大国のうち)ある3つが国際連盟に

参加しなかった(できなかった)の。 そこはどこかな?想像がつかないかな?」

「え?」

「1つは、敗戦国。一番、イギリスやフランスとも対立してて、負けた国。」

「あ、ドイツ!」

「そう、1つはドイツ敗戦国のため不参加。(のちにドイツは参加します)」

「ほえー。でも、それじゃあ、負けた国が国連に入れないんだったら、その国はますます孤立しちゃううじゃん!

「あと、この国際連盟は、アメリカやイギリスなどの戦勝国が中心になってつくっている。

 これらの国は資本主義。ということは・・。」

「あ、社会主義の国は入れない(入らない)。)

(社会主義そのものが悪いものだ、と言っているわけではありません。)」

「そういうこと。」

「ということは、ソ連(ロシア)も不参加なんだ。」

「そうそう。で、あと1つは、「え?なんで?言い出しっぺなのに・・。」という国。」

「国際連盟をつくろうと言ったウィルソンはアメリカの大統領だから

・・不参加したのはアメリカ?」

「そう、アメリカ。」

「えーなんで?!」

「大統領自身は、国際連盟に参加する気だったんだけど、アメリカの議会が反対したの。

 公民(政治国際)を習うとわかるけど、行政権(アメリカの場合は大統領)と立法権(議会)は

 密接に関係していて、議会が承認しなきゃ条約とかも成り立たなかったでしょ。

(わかりやすく言うために説明したため、国によって多少の違いはあるかもしれません)」

「そっか。」

「ということで、アメリカ・ドイツ・ソ連が不参加でした。」

「あと1つの問題点は?」

「それはね、国際連盟は武力制裁(ぶりょくせいさい)ができなかったの。」

「ぶりょうくせいさい?」

「今回の場合、戦争をしようとしている国がいたときに、言うことをきなかかったら、

「戦争はするな!」と言って国連が武力をもって、つまりその国を攻撃して、

戦争をやめさせようとすることを、武力制裁というの。」

「えー、でも、それじゃあ、国連が戦争をしているように見えるんだけど・・。」

「うん、だから、何事も武力で解決してはならない、それこそ平和だ、と当時の人々も考え、

 もし戦争をしようとする国があったら、話し合いで解決しよう、と思ったから、

武力制裁ができないようにしたの。」

「そっかあ。」

「でも、言うこと聞かない国だって出てくるでしょ。

それで、結局第二次世界大戦を止められなかった。

なので、第二次世界大戦の悲劇をおこすまいとしてできた、

今の国際連合は武力制裁をもっています。」

「そうなんだ。」

「国際連合については、公民(小学生だと政治国際)で習うのでお楽しみに。」

「はい。」

 

 

「このあと、世界の大国は国際平和を願う一方で、軍備拡張にも努めていきました。

 しかし、だんだんと財政が苦しくなった。それで、平和と軍備縮小を求める声が高まり、

 軍縮会議を行いました。1921年のワシントン軍縮会議

1930年のロンドン軍縮会議など。

ワシントン軍縮会議では、アメリカ・イギリス・日本などの戦艦を制限するという内容の条約も結ばれました。 

また、このころ(1922年に)、日英同盟は廃止されました。」

「え?なんで廃止したの?」

「第一次世界大戦で、日本は日英同盟を理由にして、中国に進出したでしょ。

 だから、イギリス側からしたら、もう利用されてたまるか、ということになった。

 また、日本の中国進出によりアメリカと日本が対立するようになったので、

アメリカとも仲が良いイギリスと、日本との同盟が難しくなったりしてね・・。」

「うーん、日本の自業自得といえば自業自得なのかな・・。」

「日英同盟もなくなったから、日本はだんだんと世界から外れていくことになる。」

「うーん。」

「以上が世界の動きね。

第一次世界大戦後の世界は平和に向けて動いていく姿が垣間見れる時期でした。

ではでは、次は、第一次世界大戦後の日本の動きをみていきましょう。」

「はい。」

「ではではおわります。起立、礼!」

ーーー

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 


歴史模擬授業(第26回 大正時代①第一次世界大戦)②-4 戦中の日本・戦後直後のアジア 

2010年12月25日 21時32分23秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細は12月23日の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き・戦争直後のアジア)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、3の第一次世界大戦④戦中の日本と戦後直後のアジアをみていきます。

ーーーーーーーーーーーーーー

「さて、では今回は第一次世界大戦中と戦争直後の日本および日本に密接に関係した国の

 動きをやりますね。」

「はい。」

「ではまず復習から。第一次世界大戦では日本は連合国、同盟国のどちらについたんだっけ?」

「連合国」

「そうだね。では、なぜ連合国についたんだっけ?」

「日英同盟を結んでいたから。」

「よく覚えているね。

日英同盟は表向きの理由。実は日本は裏の思惑(おもわく)があった。今日はそこを見ていきましょう。」

「はい。」

「第一次世界大戦では、植民地を多くもっていたヨーロッパ諸国が戦争で手がいっぱいになるでしょ。

 さらに、ヨーロッパ現地での戦いも多くなる。」

「そうだったね。」

「そうするとさ、中国の方にまでヨーロッパは頭がまわらないでしょ。」

「たしかに、戦争に勝つことで精いっぱいだもんね。」

「そこを日本は利用した。中国に入ります。

もちろん表向きは、連合国として参戦するということで、

中国内にある、連合国の敵であるドイツの領土をを占領します。

しかし、日本は、中国内に入ったのに乗じて、

中国の政府に、二十一カ条の要求というものをつきつけます。

 二十一カ条の要求は日本にとって都合のよい内容だったので、中国国民は反発しましたが、

 日本は軍事力を背景にして要求を中国政府に受け入れさせます。(この行為は悪いことです。)」

「・・・。」

「そのため、中国国民は排日運動(日本を中国から追い出そうとする運動)を行います。」

「そうだったんだ・・・。そのような関係もあるから、今日までそれが尾をひいている点もあるんだね。」

 

「また、第一次世界大戦中にある国で革命がおこったよね。」

「ロシア革命だね。」

「ロシア革命で、世界初の何革命だっけ?」

「社会主義革命だったね。」

「そうだよね。日本は資本主義だった。そこで、この前のロシア革命の回で話した通り、

 日本もロシアの革命をつぶそうと、シベリア出兵に参加します。」

「イギリスやフランスだけでなく日本も参加してたんだね。」

「そのシベリア出兵をきっかけにして、日本の民主主義をさらに発展させます。

これは、第一次世界大戦後の話になるうえに長くなるので、後日また行いますね。」

「はい。」

 

「また、戦争後の19191年に、日本に対しての反対運動が朝鮮中国でおきます。

 朝鮮では日本からの独立を目指した運動である三・一独立運動(さん・いちどくりつうんどう)、

 中国はパリ講和会議で二十一カ条の取り消しを求めたけれど、

拒否されたため講和条約反対運動をおこした、

それを五・四運動(ごしうんどう)と言います。」

「そうだったんだ・・・。」

「独立を目指すのはあたりまえだし、

あきらかに二十一カ条の要求は日本に都合がいいものだったものね・・。」

 

「以上が、第一次世界大戦中の日本の外への動き

今度は国内はどうだったか?を見ていきましょう。」

「日本国内も何かあったのかな?」

「第一次世界大戦はヨーロッパが戦争の中心の場所だったので、日本本土は戦争での被害が少なかった。

 そこで、日本は、ヨーロッパの国々が戦争により、自国で製品をつくったり貿易をする余裕がなくなってきているために、ヨーロッパにかわって、アジア諸国に日本が輸出をするようになりました。

また、戦争で品物が不足してしまっている連合国に、要求される品物を輸出した。

そのため、日本は、貿易でお金が儲かり(もうかり)、かつてない好景気になったのよ。

その好景気のことを、大戦景気と言います。」

「戦争は一方で得をする人たちもいたわけなのね・・。(それが良いとは言いませんが・・)」

「そして、大戦景気で、突然金持ちになった人たちのことは「成金(なりきん)」と言います。」

「成金っていう言葉は聞いたことある!」

「また、明治時代につくられた、巨大な会社である財閥(ざいばつ)もどんどん大きくなっていきました。

(財閥によっては江戸時代が起源のところもあります。)」

「ほえー。」

「企業(会社)がものをつくって、それを輸出して外国に売れれば、会社のもうけになるものね・・。」

「そういうことです。で、この第一次世界大戦では、日本はいい気になったの。

それで、第一次世界大戦後にヨーロッパの不信を招き、韓国・中国からの反発を受けることになり、

それが第二次世界大戦の日本の悲劇につながっていきます。」

「自分だけが利益を追求していったら、結局はダメになってしまうのね。」

「そうだよね。自分が利益を得たってことは、逆に苦しんでいる人たちがいるってことだもんね。」

「そうなのよね。だから、受験勉強や自分たちの生き方でも、がんばることはいいけど、

人の足をひっぱたり、相手が大変な状態のときを利用して自分だけ幸せになろう、

としないように、常日頃から気をつけないよね。」

「うん、むずかしいけど、がんばります!」

「ではでは、今日はここまで。次回は第一次世界大戦後のお話に移りますね。」

「はい!」

「ではでは、起立・礼。」

 ーーーーーーーーーーーーー

また私は平和主義で、この時期の日本の行為を良いものだとは思っておりません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第26回 大正時代①第一次世界大戦)②-2 ロシア革命 

2010年12月25日 12時37分58秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細は12月23日の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

社会主義・資本主義はあくまで簡単に説明したものです。 

また社会主義・資本主義に対する批判ではありません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、2の第一次世界大戦③ロシア革命と社会主義をみていきます。

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「さて、では今度は、第一次世界大戦中の各国の動きをみていきましょう。今回はロシアの動き。」

「たしか、ロシアって、第一次世界大戦の途中で、戦争をやめたんだよね。」

「そうなの。なぜ、戦争をやめたかというと、実はロシアで大きな革命がおこったからです。

 その革命の動きをみていきましょう。」

「はい。」

「革命の前に、19世紀後半のロシアの状況から見ていきましょう。

ロシアは、皇帝が中心となって政治をしていました。

 

また、当時の労働条件がすっごく厳しく、

労働者はストライキをしたりしました。農民の運動もありました。」

「つまり、皇帝にみんなが従わなくなってきていたのね。」

「そんなときに、日露戦争でロシアが戦況で不利な状態になっていた。」

「あ、明治時代に習った日露戦争!」

そんな矢先に、皇帝に、私たちの貧困を助けて、そして平和な世の中にしてほしい、と頼もうと

皇帝のいる宮殿の前に集まった民衆の多くが、宮殿の警備隊に殺される、という事件もおこったりね。

それで、民衆たちの中には皇帝を信頼できなくなってきた人たちも出始めた。」

「たしかに・・それは・・。」

「そのようにロシア内部では、民衆は苦しんでいるにもかかわらず、ロシアの上層部(皇帝たち)は

 バルカン半島への進出をしていた。

 そんな矢先に、サラエボ事件がおこり、ロシアはオーストリアと

 対立し、第一次世界大戦が始まる。

 民衆は戦争よりも、私たちの生活をどうにかしてほしい!と願う状態だったのにもかかわらず。」

「戦争を始めたら、生活はますます苦しくなるよね。」

「だよね。それで、ついに、民衆たちが耐えきれなくなり、

ついに第一次世界大戦の最中1917年

革命をおこし、皇帝をやめさせて(その後、皇帝は銃殺された)、民衆が中心となって政治をします

このことを、ロシア革命と言います。」

「そうなんだ。」

「ちなみに革命とはどういう意味かを簡単に説明するね。

 

 

 革命とは、それまで政治に参加する権利を持っていなかった(もしくは支配される側にあった)身分の

人たちが、それまで政治をおこなっていた(支配している側にあった)身分を倒し、

政治する権利を得て、その身分を中心に政治がおこなわれるようになることです。

(公民・政治国際の考え方で言うと、主権が平民に移ったということ)」

 

「あ、つまり、今回の場合は、皇帝という身分を倒し、民衆たちが政治をする権利を得たということだね。」

「そういうこと。

   で、このように、民衆たちが政治をする権利を得て、民衆たちが中心となって政治をするように

なった革命のことを、民主主義革命というのよ。」

「そうだったのか!」

「で、今までも、イギリスやフランスではすでに民主主義革命がおこっていました。

しかし、このロシアの革命はイギリスやフランスとは違ったタイプの民主主義革命だった。」

「?」

「イギリスやフランスの民主主義での民衆のトップは資本家(つまり簡単にいえば社長)なの。

 しかし、今回のロシアの民衆のトップ(中心・主権のあるの身分)は労働者なんだよね。」

「そうなんだ。」

「民衆とりわけ労働者を中心に政治をすすめる(公民、政治国際で言うと、労働者に主権がある)考え方

のことを、社会主義と言います。

また、逆に、イギリスやフランスのように民衆とりわけ資産家に力がある考え方のことを資本主義と言います。」

「ほえー。」

「つまり、簡単にいえば、民主主義が、資本主義社会主義の2つに分かれるのね。」

「そうなの。よく社会主義は民主主義でない!という人がいるけど違うのよ。

 社会主義を国家にすると独裁者が生まれやすいけど、基本は民主主義ではあります。」

「そうだったんだ・・。」

「資本主義も社会主義も、どちらも、平等、ということを一番に置いているのですが、

 資本主義はスタートの平等(機会の平等)、社会主義はゴールの平等(貧富の差の否定)ともいわれます。

 つまり、もし仕事をする際、どんな人でもがんばれなお金は稼げる、

 でも、うまくいかないときは個人の責任だよ、と「自由」の観念を重視したのが資本主義。

 社会主義は、仕事の能力やラッキーかどうかで金持ち、貧乏という身分が生まれるだって

 差別ではないか!みんな、同じだけ働いて同じだけの給料をもらおうよ!という「平等」を徹底させたのが

 社会主義ね。」

「むずかしいけど・・・なんとか分かる気がする。」

「今は、難しいと思う。でも、説明をあえてしました。

 いつかはわかる日がきます。とくに、社会人になって会社で働くようになると、わかる。

  でも、今ここで説明しないままだと、大人になっても、何も知らないままになってしまうから。」

「働くようになるとわかるときがくるとは!かなり後の話だけど、将来が楽しみだ!」

「では、話を元に戻すね。 

ロシア革命では、社会主義の考え方を元にして革命を起こしました。

ロシア革命は世界で初めての社会主義革命です。

そのため、よく入試では、

「世界で初めての社会主義革命は?」とよく聞かれますので、

セットで覚えておきましょう。」

「はい!」

「で、民衆たちは戦争をやめたかったから、ロシア革命をおこした翌年に、

敵対関係にあったドイツと講和条約を結び、戦争をやめます。」

「大正時代第一回(②-1-2)でロシアが休戦したというのはこういうことだったのね。」

「しかし、これには続きがある。

    この社会主義革命であるロシア革命について、連合国は快く思わなかった。」

「勝手に戦争から抜け出しちゃったから?」

「うーん、というよりは、連合国の主要な国はみんな資本主義だったから、かな。」

「え?なんで?」

「ほら、資本主義って、だれが中心になってたっけ?」

「資本家・・つまり社長。」

「だよね。で、社長は自分の会社の労働者を使って、事業を行うよね。

 さらに、社長を中心とした会社でお金をかせぐことを良しとしている人たちがっている。

 で、社会主義ってどの身分が中心になっていたっけ?」

「えーと、労働者。」

「あ!わかった!つまり、社長や会社からしたら、社会主義のように労働者の方が強い状態になると

 自分の地位が危ない!お金だって、今までのように稼げなくなる!」

「そうだよね!ということは、資本主義を良しとするものからしたら、社会主義は自分の地位を

脅かすおそろしい存在になるでしょ。

もし、自分の国にも社会主義革命がおこったら・・どんな悲劇が待っているか・・。

それに、そういうお金をかせぐという現実的なことだけでなく、

資本主義の考え方の方が正しいと思っている人だっている。」

「たしかに・・。(その資本家たちの考えが良いというわけではないけど・・)」

「だから、社会主義革命なんて間違いなんだよ!と世の中に示さなきゃいけなくなった。

そこで、連合国は、ロシアに軍隊をおくりました。このことをシベリア出兵と言います。」

「第一次世界大戦で、ドイツやオーストリアなどの同盟国と戦いながら、そのかたわらで、シベリア出兵まで

していたんだね・・、連合国は。」

「そういうことね。しかし、抵抗がはげしく、連合国はまもなくロシアから撤退(てったい)します。

そして、第一次世界大戦後の1922年に、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)という社会主義国家が

誕生します。」

「そうだったんだ。」

「以上が今回の内容ね。資料も参考にしてね。

    ロシア革命やシベリア出兵は、日本にもその後、大きな変化をもたらすので

    また今度説明するね。」

「はい。この時代は世界の動きと日本の動きが密接に関係しているね。」

「あと、気をつけてほしいのは、社会主義・資本主義のどちらがいいか、悪いか、ということではないからね。

それぞれの価値観があるので、自分の価値観が絶対だとは思わないでね。

(ただし、先生は資本主義派です。しかし、資本主義の悪いところもあることも自覚していますし、

 社会主義自体も悪いものだとは思わないし、学ぶべきこともたくさんあると思っています。)」

「はい!平等をどこまで追求するか、の違いだもんね。」

「そういうことね。ではでは今日はここでおわります。起立、礼。」

ーーーー

 

社会主義・資本主義はあくまで簡単に説明したものです。 

また社会主義・資本主義に対する批判ではありません。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

 

 


歴史模擬授業(第24回 大正時代①)②-1-2

2010年12月24日 09時28分56秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細はこの前の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、1の第一次世界大戦①(全体の動き)をの第二回で続きをみていきます。

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「では、今日は続きをば。大正時代1回目は、覚える用語を伝えるというより

 全体的なことを見る、という形で授業をしたね。

 今日は、入試で出る用語がバンバン出てくるので、理解しながら覚えましょう。」

「はい!」

「では、前回の復習。ヨーロッパの強国たちが、3国同士で結んでいた同盟をそれぞれ

 何というんだっけ?」

三国協商三国同盟だったよね。」

「そうそう。では三国協商を結んでいた国は?」

「えーと、イギリスとフランス、ロシア。」

「正解。では三国同盟は?」

ドイツ、オーストリア、イタリア。」

「正解。」

「この前の国の関係を考えると、国の組み合わせをわすれないね。」

「そうそう、良い傾向だよ!

 で、とりわけイギリス・フランスは、ドイツを警戒していたとも話したね。」

「うん。ドイツはどんど海軍が強くなっていたりしたから。」

「そうそう。では、さらに付け加えるね。

 イギリスとドイツは、それぞれの世界政策をつくり、対立した。

イギリスは、

ケープタウン(Cape Town:現在の南アフリカ共和国の都市)・

カイロ(Cairo:現在のエジプトの都市)・

カルカッタ(Calcutta:現在のインド)

の3つの都市を結んでインド洋を自分の海にしようと計画したの。

そのイギリスの政策をそれぞれの都市の名前の頭がCなので、3C政策と言います。

 

 イギリスに対抗し、ドイツは、

ベルリン(Berlin:現ドイツの首都)・

ビザンチン(Byzantine:コンスタンチノープル、現在のイスタンブールのこと。現在のトルコにある都市)・

バグダッド(Baghdad:現在のイラクの首都)

の3つの都を鉄道でくっつけて、ペルシア湾(西アジアにある湾)に進出しようと考えた。

その政策を、3B政策と言います。」

「イギリスもドイツも、世界を自分中心でつなげようとしてたんだね・・。

 (もちろん現代の考え方では良いことではありません。)

 

「このように、強国が大きく2グループに分かれている状態のころに、

いつ反乱や独立運動がおこってもしてもおかしくない地域があったのです。

そこが、バルカン半島ということころ。

バルカン半島はヨーロッパの南西部にあって、

現在のギリシャ・ブルガリア・旧ユーゴスラビア諸国

などの国があるところね。」

「え?なんでバルカン半島が?」

「バルカン半島のほとんどの地域は、当時はトルコの支配下に置かれていたの。

 しかし、トルコの力が衰えてきて、そこに住んでいる民族同士で国をつくり独立しよう、

 という動きが高まってきたの。そんなとき、オーストリアがバルカン半島にある、

 ボスニアというとところを併合しようとしました。それについてセルビアという国が反対。

 三国同盟の仲間であるドイツオーストリアを支持する。

他方で、セルビアはスラブ人としてまとまろうとしていたので、

同じスラブ人の系統であるロシアはセルビアを応援します。

 

そうすると、オーストリア&ドイツ VS ロシア 

 

という構図ができるあがるよね。」

「たしかに、つまり、それはいつ戦争がおこってもおかしくないという状態なのね・・。」

「そういうこと。さらに、イギリスやイタリアなどもそれぞれの思惑から、バルカン半島を

ねらっていたので、バルカン半島は別名「ヨーロッパの火薬庫」と言われてました。」

「すこしでも、戦いという名の火花がちれば、たちまち火薬に引火して爆発的な戦争が

おこるという意味ね。」

「そうそう。言葉の意味をちゃんと考えているね!」

「えへへ。」

「で、いつ火花が散るかわからないひやひや状態のときに、事件がおこった。

それが、1914年サラエボ事件というもの。

サラエボとは、オーストリアが併合しようとしていたボスニア内にある場所で、

そこにオーストリアの皇太子夫妻が来訪した。

ボスニア内で独立運動が高まっていた。

そのパレード中に、

オーストリア皇太子夫妻が、

セルビア人の青年によって暗殺される

事件がおこった。それがサラエボ事件。」

「皇太子が暗殺されるってことはすごく大きな事件だよね。」

「そうだよね。だから、オーストリアは、セルビアに、セルビアにとっては不利と思われる要求を言い出します。

しかし、セルビアの人々は、オーストリアの要求のすべては受けいれなかった。

それで、オーストリアはセルビアに侵攻をします。」

「ほえー。」

「でさ、そうすると、セルビアの味方の国がどうすると思う?」

「あ、つまりセルビアに味方していたロシアが、オーストリアと戦う。」

「そういうこと。で、ロシアがオーストリアと戦ったら、

オーストリアの味方をしていた国が今度はロシアと戦うでしょ。」

「今度はドイツが、ロシアと戦うんだ。」

「だよね。で、三国協商の仲間がロシアを応援し、次々に戦争に参加する。

(フランスについてはドイツから宣戦布告している)」

「つまり、イギリスフランスも戦争に参加したのね。」

「これで、

ドイツ・オーストリア VS ロシア・イギリス・フランス 

という構図ができ、

それぞれの国が持っていた植民地の国々を巻き込んで、

いままでにない大大大戦争がおこります。

その戦争のことを、第一次世界大戦と言います。」

「たった1つの銃弾が世界をかえたのね。(サラエボ事件で銃が一発のみでの攻撃という意味ではない)」

「まあ、いつ戦争がおこってもおかしくなかったから、

 もしサラエボ事件がおきなければ、また別のところで事件がおき、

戦争が始まっていたかもしれないね。だから、戦争を回避(かいひ:避ける)には、

対立関係などが出てきた時点で気をつけなければならないね。」

「ほえー。難しいけど、これで1つ戦争を少しでもなくす方法がわかってきた気がする。」

「では、次は第一世界大戦の経過をみていくね。

 まず、三国同盟側について戦った国をまとめて同盟国と言い、

 三国協商側について戦った国をまとめて連合国と言います。

 同盟国・連合国という名称はどちらもこれから出てくるから、覚えておいてね。

 

 ・・・でさ、ここで、1つ気がつかない?」

「ん?」

「三国同盟の仲間なのに戦争に参加していない国があることを。」

「あ!イタリア戦争に参加してない!」

「だよね。なぜかというと、三国同盟は、

オーストリアとドイツが仲が良く、ドイツとイタリアが仲が良いから、成り立っていた同盟で 

オーストリアとイタリアの2国間は当時、あまり仲がよくなかったんですよ。」

「つまり、ドイツをはさんだ三角関係みたいなものね。(かんたんに言えば、です)」

「 なぜ、オーストリアとイタリアが仲が良くないかと言うと、

 イタリアが国としてまとまっていく際に、ある地域がオーストリアの支配下にあったので、

 そこをオーストリアから独立させてイタリアとしてまとまりたい、という思いがあった。

 しかし、なかなかうまくいかない。だから、イタリアとしては、今回の戦争の火種となった

オーストリアを支援する気にはなれず、中立の立場にいたの。」

「ほえー。」

「この戦争は、だれもがすぐ終わると思ったの。

 この時期までは、戦争は通常半年ぐらいで、長くても1年弱がだったから。

 そうしたら、なかなか決着がつきそうもない。

 そこで、連合国側は考えた。すこしでも自分に協力する国を増やし、はやく勝利したい、と。」

「・・・。」

「そうしたら、ちょうど、仲間に引き込めそうな国があったの。」

「あ、それがもしかしてイタリア?」

「そうなの、連合国側は、なぜイタリアが中立を守っているかの理由がわかっていた。

そこで、「イタリアさん、もし私たちの方に味方をしてくれたら、私たちが勝ったあかつきには、

オーストリアの支配下にあるあの地域をあなたの国のものにしてあげましょう。」とささやくのです。」

「悪魔のささやき・・。」

「そう。それで、イタリアは三国同盟から抜け出して、連合国側につきます。」

「じゃあ、同盟国側は不利になるね。」

「さらに、中国も連合国側についたりしてね。

 

ちなみに日本は、同盟国か連合国のどっちについたと思う?」

「えー、どっちだろう?」

「さて、ここで明治時代のことを思い出してごらん。

 同盟を結ぶってことは、(場合によっては)その同盟側について戦うことになるから。

 日本はどこかと同盟結んでなかったっけ?」

「あ、日英同盟があった!つまりイギリスと同盟を結んでいたってことだから・・・、

 日本は連合国側についた!」

「そういうこと!これは記述でも出ます。

 「日本はなぜ第一次世界大戦で連合国側についたのですか?」と。

 そのときは、「日英同盟を結んでいたら。」と答えればよいよ。」

「はい!」

「で、実は日英同盟の件は表側の理由で、実は日本にはある狙いがあったの。

それについては、次の回で話すね。」

「はい!どんなねらいだったんだろう・・。」

 「で、第二次世界大戦は世界全土をほぼまきこんで、長引いていく。

 新しい兵器も誕生し、それが使われるようになった。飛行機戦車・潜水艦毒ガスなど。」

「今の戦争のイメージの兵器だね・・。」

「そうだね。この新兵器や毒ガスの使用が戦争の形をかえ、人々の価値観も一変させたの。」

「?」

「実は、第一世界大戦以前は、戦争を直接する兵士が主な戦争の戦死者だった。

(もちろん戦地では住民が被害にあうこともあります。)

しかし、戦車などような、一気に広範囲に移動&攻撃できるものが活用されると、

今まで以上に住民たちにも大きな被害が出てくる。

「そうだよね・・。」

「毒ガスなんて、かなり広範囲で被害がでるよね。」

「つまり、それって、戦争には関係していない一般市民も多く戦争の被害者になるって

ことだよね。」

「そうなの!実は今までは、自分の住んでいるところに兵士さえ来なければ、その住民が

被害にはあわなかった。でも、すごい勢いで、兵士も武器も来る。

だから、戦争の被害が広まるのよ。」

「うーん。」

「さらに、ヨーロッパの国々のある場所が第一次世界大戦の激戦地の1つでもあった。

住民も多く被害が出る。

だから、大げさにいえば、ここで初めて、植民地を広げ、戦争というのは有効な手段だと

思っていたヨーロッパが、戦争はいけないものだ、と多くのヨーロッパ人が気がついたのです。」

「おそい!」

「でも、自分が痛い目にあわないと、やはり利益ばかりに目がいくのが人間の性(さが)。

 どうしても、うまくいっているときには悪い部分には目をつぶっちゃうんから。」

「た・・たしかに。つまり、うまくいっているときでも、その行為の闇の悪い部分から

目を背けないようにしなければならないんだよね。」

「そういうことね。

 

で、話は戻ります。戦争は辛いものだと気がつき始めたヨーロッパ諸国。

 そこで、戦争に植民地を含む全国民を協力させて、少しでも早く戦争をおわらせるために

 自分の国内では当時社会的地位が低かった労働者の権利を認めたり、

 国外(植民地)では、植民地の人々に、我々の味方になってくれれば、戦後の独立を

約束しよう、と伝えたのです。

それぞれのヨーロッパの国々が、さまざまな植民地に、独立を約束したことで、

現代まで続くある問題が起こるのです。それは現代史のときに説明するね。」

「第一次世界大戦は、現代にまで引きずる問題も出てくるんだね。」

「そういうことね。だから、第一世界大戦はしっかり勉強しなきゃね。」

「はい!」

「膠着状態(こうちゃくじょうたい:どちらが勝つ・負けるかがはっきりしないまま続く状態)が

続いているところに、連合国側にある国が仲間に入り、参戦をします。」

「え?どこだろう。」

「それがアメリカです。

 アメリカは第一次世界大戦が始まったころには、連合国側についていたものの、

 参戦はしませんでした。しかし、ドイツの潜水艦が中立国の船にまで攻撃するように

 なったことをきっかけとして、1917年にアメリカも参戦したのです。」

「ほんとに全世界を巻き込んだ戦争になったんだね。」

 

「そうなのよ。

で、その一方で、もう戦争に耐え切れず、休戦をする国が現れた。」

「え?どこ?」

「それが、ロシアです。」

「え?ロシア?最初にオーストリアと戦い始めた国だよね。」

「そうなんだけど、ロシア国内で、戦争を続ける派と戦争反対派が対立するようになり、革命がおこり

ついに戦争を続ける派が負けます。それで、戦争反対派が政治の中心を握り、

1918年に、ドイツと講和条約を結び、ロシアは戦争から手を引きます。(戦争をやめる)。」

「え?つまり、ロシアは途中で戦争に抜けたってこと?」

「そういうことなの。このロシアの状況は、次の回で話すね。」

「はい。日本のこと、ロシアのこと、など、戦争の最中のそれぞれの国の細かいことは

 今度やるんだね。」

「そうそう。今日は、第一世界大戦全体このことを見ていきましょう。」

「はい。」

「アメリカの参戦後、同盟国側についた国々が次々と降伏していきまいした。

そして、だんだんと不利な状態になっていき、ついにドイツでも革命が

皇帝が退位して、休戦条約を結び

1918年に戦争は、同盟国が負けた形で終わりました。」

「1914年から始まったから、4年にもわかる戦争だったんだね。」

「つまり、住民たちはもう戦争は反対で、戦争を続ける皇帝たちにしびれをきらしたのね。」

「そうとも考えられるよね。戦争を続けていくと、

重税に苦しむのも死ぬのも一般市民なのだから。

 

そして、戦争が終われば講和会議が開かれ、条約が結ばれます。」

「いつものパターンだね。」

「負けた同盟国は、それぞれ条約を結ぶんだけど、中学入試&高校入試までは

ドイツと結んだ条約しか出ないので、それだけ見ていきましょう。」

「はい。」

「1919年に、講和条約はフランスのパリで開かれました。

そして、ドイツは連合国の間でベルサイユ条約を結びます。

ベルサイユというのは、フランスにある都市名ね。(中学で習うベルサイユ宮殿のベルサイユ)」

「ベルサイユ条約はどういう条約だったの?

戦争が悪いものだってみんな気がついたんだから、

条約自体は今までのようなひどい内容じゃなくなったのかな?」

「いや、それが、そうではない。やはり、戦争責任は負けた国になりました。

そして、ドイツは自分がもっていた植民地を勝利した連合国側に引き渡し、

本国の一部を失って、巨額の賠償金を払うことになった。」

「つまり、ドイツは持っていた植民地を失い、さらに賠償金まで、ということで

かなり生活が苦しくなるよね。」

「そうなの。しかも、その賠償金は巨額でね。到底、かんたんに払いきれる額じゃなかった。」

「それじゃあ、ドイツはこれから地獄だよ!」

「そうなの。それが、実は第二次世界大戦を生むきっかけの1つとなるの。」

「そうつながるんだね。」

「うーん。」

「また、いくつかの国は、第一次世界大戦後に独立をします。

しかし、ほとんどの国は、戦争中の約束が果たされず植民地のままだった。」

「うーん。終わってしまえば、後は・・・ということなんだね。」

「なかなか簡単にはいかないんだよね。これは、民族問題・民族差別とも大きく関係していて、

それは今でもなかなか解決していない問題の1つなのよね。」

「真の平等にはまだまだ課題が残っているんだね。」

「では、今日はここまで。今度は、戦争中のロシアを見ていきましょう。」

「はい。」

 「では終わります。起立・礼!」

ーーーーーーーーーー

 また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第26回 大正時代①第一次世界大戦)②-1-1  

2010年12月23日 22時34分14秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業26回 大正時代です。

詳細はこの前の記事①をご覧ください。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

 

また、 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

今回は、1の第一次世界大戦①(全体の動き)をみていきます。

ーーーーーーーー

「さて、では今日は大正時代を始めましょう。」

「はい!」

「明治時代に、不平等条約は改正され、良くも悪くも世界に羽ばたいていった日本。

     大正時代は、さらに世界の中に入っていきます。」

「世界の歴史にも日本が入り込んでいくのだね。」

「また、ヨーロッパは、武力を使って植民地をどんどん増やしていって、強い国になっていった

      と前に話したよね。その状態がいきすぎて、ついに悲劇がもたらされる。そして、そこに

       日本も入っていく、という状態になります。

       だから、大正時代は、世界の歴史も見ていくことになる。」

「おー。」

「で、世界の国々の名前が出てきたら、地図帳でその国々の位置も確認すること。

      そうすれば、理解しやすいから。」

「はい!」

 

「西ヨーロッパの主要な国々は、ほぼ世界中を自分たちの植民地にしました。

     なので、残り少ない独立国を植民地として確保できるかが、

    そして今まで自分が持っていた植民地をほかの国に奪われないで(独立されないで)、

   維持できるか、が焦点になってきます。

   多く植民地を持っている国は保身を、植民地が少ない国は植民地をねらっている。」

「うーん。手を広げていったために、今度は、守りに入ってきたんだね。」

「うん、そういうことのなのよ。

      で・・、それじゃあ、ヨーロッパの国々でグループをつくって、

      そのグループ内では植民地を奪い合わない、もしそのグループ内のどこかの国が  

    戦争を始めたらその国を応援(もしくは敵には回らない)しよう、というような

    形をつくりはじめるんだ。」

「つまり同盟を結んだってことかな?」

「そうなの。今回は、日英同盟のように2つの国同士だけで結ぶものではなく、

     3国で結びます。」

「今度は三国で。」

「では、当時、強かったヨーロッパの国をあげていくね。

    イギリス・フランス・ロシア・ドイツ・オーストリア・イタリアです。」

「あ、全部聞いたことがある国だ!」

「で、簡単な相関図を説明します。上の記事も参考にしてね。

    (わかりやすく言うので、それが絶対ではありません。)

 

まず、革命をおこし完全な民主主義の国になっているのがイギリスフランス

 

イギリスが世界中で一番近代化が進んでいました。

どこよりも早く、民主主義の国になり、

どこよりも早く工業化を済ませます。植民地も多く持っていました。

アングロサクソン族が中心となっている国です。

 

で、フランスも、イギリスに次いで民主主義の国になったところ。

歴史も古く、自分たちの歴史に誇りを持っています。とくに文化について。

イギリスのように植民地を多く持っていました。イギリスとは仲は良くは無いです。

 フランク民族が中心となっている国です。

 

 

当時の日本と同じように、民主化は或る程度しているんだけど、トップ(皇帝)を中心に

政治をしていたのが、ロシア・オーストリア・ドイツ

 

ロシアは、当時はフランス寄りの国です。イギリスに次いで植民地が多いです。

フランスから支援を受けて、工業化を進めたりしましたし、

文化もフランスから学ぶことが多いです。広大な領土をもっている国で、スラブ民族が中心となっている国です。

 

オーストリアは、今では面積が大きくない国ですが、当時は広大な領土を持っていました。

しかし、この時期にはどんどん力が弱まり、

オーストリアが支配していた国が独立運動をしたり、反乱をしたりして、混乱していました。

ゲルマン民族が中心となっている国です。

 

以上の、イギリス・フランス・ロシア・オーストリアは、国としての歴史が古く、

それについてのプライドは高かった。

 

しかし、ドイツイタリアは、国としての歴史が浅いんです。(古代ローマ時代は除く)

それぞれの都市ごとに政治をしていて、国としては都市の集まり、という意識で

国民という意志はなかった。

それが19世紀になって、1つの国としてまとまりが出てきて 、ドイツ・イタリアという

現在の国の形ができてくる。」

「日本も同じ感じだよね。

 藩ごとに政治して、それを将軍がまとめていた江戸時代から、

 天皇を中心にして、府県すべて統一した政治をして、

 国というまとまりが出てきたっていう状態。」

「どれだけ古くから、民主主義国家×中央集権国家になったり、多く植民地をもつことが、

    当時一流の証だったと言える。(その価値が正しい価値だとは言えませんが・・。)

    また、民主主義国家×中央集権国家に、はやくなればなるほど、

    植民地をつくるのがはやく、多くの領土を取れた。(若干例外はありますが・・)」

「そっか・・。ということは、ドイツとイタリアは持っている植民地が少なかったってことだね。」

「そういうことなの。」

「そうか・・。」

「で、ドイツは必死にがんばってね、がんばってね、工業化をしていった。

海軍も大拡張をはかって、イギリスをおびやかすようになっていってね。」

「え?それだとイギリスは、ずっと一位を保ってきたのでプライドが傷つかない?」

「うん。だから、海軍が強いイギリスはドイツを敵視します。」

「ほえー・・。」

「で、フランスも、ドイツを敵視します。

フランスとドイツは、これまでにも何度も対立して戦っているため、

歴史的な対立関係でもあります。(フランス・ドイツとの抗争は高校世界史で習います。)」

「そうなんだ。」

「で、イタリアからしたらドイツは憧れの存在になるわけです。

    自分だって、もっとがんばればドイツみたいになれるかもしれない!

    という希望の星なんです。(という見方もできる、という意味です。)」

「ほえー。」

「他にも、民族同士の対立もあります。

一番大きい対立としては、ロシアなどのスラブ民族と、

オーストリア・ドイツなどのゲルマン民族での対立です。」

「ほえー。じゃあ、ロシアと、オーストリア・ドイツも対立状態になっていたんだね。」

「そういうこと。

      じゃあ、最初の話にいきましょう。」

 

「 あ、3つの国がグループ組んでいったという話だよね。」

「さっきの国の関係から、どことどこが手を組み、どことどこが対立関係になるか想像できるかな?」

「えーと、イギリスとドイツは対立、フランスもドイツも対立。

ロシアは、ドイツ・オーストリアと対立しているよね。」

「そうだよね。で、イギリスとフランスも決して仲良くないんだけど、敵の敵は仲間、共通の敵を持つときは仲間になる、という形をとります。(敵=悪い物、という意味ではありません)」

「少年漫画で、ライバル(敵同士)が、

新たに出てきた敵が出てきたときだけ、力を合わせるみたいな感じ?」

「うーんと、そうすると、ドイツという共通の対立国を

   もっているのは・・イギリスとフランスとロシアが一緒・・!

   あ!イギリス・フランス・ロシアが同じグループ!」

「そういうこと!そうすると、残りは?」

「えーと、ドイツとイタリアは一緒だから、残りのオーストアリアも仲間になる?

ドイツとオーストリアは、同じゲルマン民族だし、共通の対立国、ロシアがいるしね。」

「そういうことです。」

「ほえー。」

「イギリス・フランス・ロシアが結んだものを三国協商と言い、

 ドイツ・オーストリア・イタリアが結んだものを三国同盟と言います。

 三国協商側が多く植民地を持っていたグループで、三国同盟側が植民地が少なかったグループ

 という見かたもできます。

 こちらはどちらも、(多少の違いはありますが)

 グループ内のお互いの植民地を奪ったりしない、もし、グループ内のどこかの国が

 戦争をおこしたら、その国の敵にはならない、状況によってはその国を援護して自分も

 戦争を始める、という約束によって成り立っています。」

「ほえー。」

「これが、後に世界を巻き込む大戦争につながります。」

「え?なんで?」

「ほら、これらの国は、(国によって植民地の数は違いますが)植民地を持っているんだよ!

    植民地というのは、問答無用で、言うことをきかなければいけない。

だから、植民地を支配している国が、戦争に兵士を差し出せ!と言ってきたら、

差し出さなきゃ行けないし、植民地自体もその国の領土だとみなすから、

敵国が、その植民地に進入して攻撃をしたりするから。」

「うわ・・、地獄絵図。」

「これは、まさに地獄ね。全世界が戦争をする、ってことなんだから。

この時代の歴史は、他人事でみないで、なぜ戦争はなくならないか、

少しでも戦争をなくすにはどうすればいいか、を学ぶ姿勢で観ていきましょう。

決して、戦争を良いものだと思ったり、茶化したりしないで、真剣にみましょうね。」

「はい。」

「では、ここからが本題です。

 今までの内容は、あまり入試に出ません。

出るとしても、三国協商・三国同盟という言葉を聞かれるか、三国協商・三国同盟の国の

内訳を聞いてくるぐらい。

でも、これを理解してないで、国だけ丸暗記していると、

これからいくつも戦争が出てくるときに、国同士の関係をしらないといちいち

丸暗記しなきゃいけなく、覚えてもすぐ忘れる。

でも、国同士の関係を理解していれば、どの国が敵同士、仲間同士になるかが予想がつく。

また、このような敵対関係、仲良し関係は、100年、200年と尾をひきます。

だから、これは未来でも役立つの。どこが手を結ぶか、と予想できるし、

もし、今まで敵対関係にあった国が仲良くなったら、それは、敵対関係にいるよりも

もっと重要なことが潜んでいる、と読めるのよ。

実際に、約10年前のイラク戦争のときに、

どこがどこと結ぶのか、で当時のそれぞれの国の姿勢が

わかったりしたのよね。」

「ほえー。そうなんだ!だったら、知っていたほうがお得だね。」

「そういうこと、ただ、1つ気をつけてほしいのは、私が話した内容は

あくまで国同士の今までの関係のことで、個人個人の関係ではありません。

イギリス人とドイツ人の恋人だっているし、

他人の国の人を馬鹿にしない人だっているからね。」

「はい!人間を国でひとくくりにはしません!

「何かあったときに、だから○○人は!という差別的な発言はしないように

気をつけることは大切だよね。」

「そうよ!よくわかっているね!」

「えへへ。」

「では、次から、入試に出る形に添って、大正時代とそのころの世界をみていきましょう!」

「はい!」

「ではでは、起立・礼!」

ーーーーーーーーーーー

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。 

3B政策・3C政策については、今度の記事で説明いたします。

 


歴史模擬授業(第26回 大正時代)①

2010年12月23日 22時30分41秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業です。

予定がどんどん遅くなってしまい、申し訳ありません。

今回から大正時代です。

大正時代は、外国の歴史も入り、内容がたいへん濃いので、

8つに分けていきたいと思います。(その8つを、くっつけて1つの記事にしている場合もあります。)

1:第一次世界大戦①(全体の動き)

2: 第一次世界大戦②(ロシアの動きと社会主義とは何か)

3:第一次世界大戦③(日本の動き)

4:第一次世界大戦の後①(全体の動き&ロシアの動き)

5:第一次世界大戦の後②(日本と世界の関係)

6:日本国内の話①(大正デモクラシー)

7:日本国内の話②(普通選挙制の確立)

8:日本国内の話③(大正時代の文化)

となります。

詳しく戦争のことを話していますが、決して戦争を良いものだとして書いていません。(作者は平和主義です。)

また、世界の国々の関係は、あくまでイメージであり、それが絶対ではありません。

各個人で当てはめたり、差別的な見解でみないようお願いいたします。

世界史の内容も入れているので、

もしかしたら、わかりずらかったらもうしわけありません。

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

さらに細かくに分けてアップしたいと思います。


ーーーーーーーーーーーー




「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


第一次世界大戦を通して

2010年12月22日 17時47分24秒 | 歴史へのつぶやき&興味

昨日もおとといも多くのアクセスをありがとうございました。

まだ、画像を入れていないので、アップはできないのですが、

現在、歴史模擬授業の第一次世界大戦の記事を書きました。

この時代は、どんどん世界が戦争の悲劇に巻き込まれている時代で

決して良い時代とは言えません。

ただ、ここで私は平和の世の中にすればどうすればいいか、を学ぶべる時代であり、

また、自由・平等というものが、ヨーロッパの国民の中だけに通用するものではなく、

すべての人類に自由・平等の権利が与えられることを、ヨーロッパの国々が

気づき始めた時代とも言えると思うので、その時代を学ぶこと自体には大いに関心があります。

あくまで平和主義の立場で。

 

なので、いくつかの記事に分けて、説明できたらな、と思います。

ではでは、がんばります!


歴史模擬授業(第25回 明治の産業・文化)②-1  

2010年12月20日 11時04分47秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業第25回。明治の産業・文化です。詳細は、前の記事の①をご覧いただくようお願いいたします。

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「さて、今日は明治時代の最後を行いましょう。

明治時代の全体の動きは前回でほとんど終わっています。

今回は、前回までの内容を思い出しながら、あらたに産業・文化をしていきます。」

「産業・文化は時代の社会背景を映す鏡だから、復習するにももってこいの内容だね。」

「うん。そうだね。そう言ってもらえると私もうれしいわ。ではでは始めます。

明治時代というのは、

江戸時代に開国し、ヨーロッパの政治体制・文化が入ってきて、

さらに新政府(明治政府)になってからは、

ヨーロッパの政治形態・技術を学ぶのに必死だった時代だったね。」

「うん、そうだったね。政治分野ではどんどんヨーロッパのような民主主義になっていったね。」

「もちろん、文化だってヨーロッパ風(洋風)になる。

ヨーロッパ風の髪形に服装、建物、食事、生活形態に。

たとえば、男の人は江戸時代の髪形であったちょんまげを切って、現代のような髪形になる。

服装も洋装になる。女性はドレスを着たりね。(右の絵参考。あくまで参考で。)

また、建物もレンガ造りの洋館がつくられたり、ガス灯もついたり。

郵便制度も、前島密(まえじまひそか)によってつくられた。」

「あ、前島密って一円切手の人だ。

私、切手を集めるのが趣味なので、知ってるよ!」

「楽しそうな趣味だね。切手って見ててカラフルで良いよね!」

「えへへ。」

「あと、電信・電話も設けられたし、鉄道だって敷かれた。

最初の鉄道は、東京の新橋から、神奈川の横浜まで、ね。

暦も欧米が使っていた太陽暦、つまり今、私たちが使っている暦が使われるように

なった。

 

このように、明治になって欧米の文化を盛んに取りいれ、人々の生活の様子が

大きく、変化したことを文明開化と呼びます。

時々、「開化」の「化」を「花」と間違える人がいるので気をつけて。」

「はい。」

「ほえー。いろいろと変わったんだね。」

「また、外国人の学者や技師も日本に招かれ、色々なことを教えてくれたりしたの。

このとき日本に来た有名な外国人に、

札幌農学校(北海道大学の前身)に招かれたクラークというアメリカ人がいます。

札幌農学校でクラークはキリスト教信仰に基づく授業をして、

内村鑑三新渡戸稲造(大正時代に

登場します。)などの学生に深い感動を与えたそうで。

クラークが言ったとされる有名な言葉に、

少年よ大志をいだけ」というものがあります。

彼の言葉どおり、内村鑑三や新渡戸稲造はそののち世の中に大きく羽ばたいていきます。

たとえば、内村鑑三は、キリスト教の立場から日露戦争に反対したりね。」

「ほえー。やっぱり教育ってすごく大切なんだね。」

「うん。そうだね。教育によって、人々はもっと大きくなれる、なりたい自分になれると私は思う。

また、他にも、日本にまねかれた外国人に、大森貝塚を発見したモースなどもいます。」

「あ、縄文時代で習ったあのモースさん!」

「うん。そう、あのモースさん。」

「ほえー。」

 

「あと、学問の大切さを説いた人物もいました。それが、福沢諭吉(ふくざわゆきち)。」

「あ、一万円札の人!」

「そうだね、一万円札の肖像画に描かれている人だね。

福沢諭吉は、身分によって職業や学ぶことが違っていた江戸時代とは違い、

これからは、どの人間も同じように勉強しよう、と言います。

それはなぜかというと、それが人間の平等につながるから。」

「え?え?なぜ勉強と平等がつながるの?」

「勉強をしないということは、何も世の中について知らないということ。

そしたら、もし自分が何かを行動したくても動けない。つく職業だって限られるでしょ。

たとえば、計算の仕方を学ばなくて、どうやってお金を稼げる?

歴史や政治のことを知らなくて、どうやって政治に参加できる?

 

つまり、勉強をする機会は誰にでも平等に与えられなきゃいけないし、

勉強をし、どんな身分の人でもやる気さえあれば、どんなものにでもなれることで

真の平等が生まれる、ということですよ。」

「うーん、むずかしいけど・・・なんとなくわかる。」

「今、私たちが習っている内容も将来何の役にたつんだろう、と疑問に思うことってあるでしょ。

でも、嫌々ながら学んで身につけていくことで、将来の幅が広がる。

たとえば私の場合、5教科全部、嫌々ながら勉強して、

同じぐらいの点数・順位・偏差値をとるようにしていたから

家庭教師をしている際に5教科すべて教えられる。

おかげで仕事の幅が広がったのよね。

大学時代に嫌々ながら日本文化を学んでいたから、

今、文化史を説明するのが楽なんだよね。もし日本文化を学ぶのを拒否していたら、

文化史を授業で説明するときに、教科書読めばわかる、といって逃げた授業をしていたかもしれない。」

「ほえー。嫌々でも勉強することは、後々良いこともあるんだね。」

「うん。そういうこと。あああ、また話がそれてごめんね。つい、勉強のことだったもんで・・。

 

福沢諭吉は、人間の平等と学問の大切さを、「学問のすゝめ(がくもんのすすめ)」という本で説きます。

「学問のすゝめ」は、「天は人の上に人をつくらず、人の下にひとをつくらず といへり」という

書き出しで書かれています。」

「つまり、人には上とか下とかなしに、皆平等ってことね。」

「うん!そういうこと。よくわかったね!すごいぞ!」

「えへへー。」

「また、民間だけでなく、政府も教育の必要性を考え、

新しい学校の制度である学制というのをつくります。

学制によって、中学校・小学校などが全国に設置されたの。

小学校教育の普及させて、男女が等しく学ぶという国民全員が教育を受けることを目指しました。

(完全に男女平等というわけにはいきませんが)

また、専門の教育にも力注ぎ、東京大学を設立したりもしました。」

「あ、あの東大!」

「うん、 あの東大。東大は今でも国立でしょ。もともと国がつくった教育機関だからね。」

「ほえー。」

「また民間でも多くの私立の学校が設立されます。

「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉は慶應義塾(けいおうぎじゅく)、

立憲改進党をつくった大隈重信は東京専門学校(現在の早稲田大)を。」

「あ、この前習った大隈重信も出てきた!」

「あと、新島襄(にいじまじょう)が同志社、津田梅子が(のちの)津田塾をつくりました。」

「聞いたことがある学校の名前ばかりだ。」

「この学校は、古く歴史がある伝統がある学校だったんだね。」

「そうね。大学の歴史を調べるのも面白いわよ。」

「へー。今度、調べてもみようかな。」

 

「また、医学(西洋医学)の分野も日本に入り、研究者が現れます。

有名な研究者は3人、

破傷風血清療法(はしょうふうけっせいりょうほう:

傷から体内に入り、高熱を発し、重症だと1日いないに死亡するという菌である破傷風菌を

血清療法という方法で防ぐ、というもの。医学には私が詳しくないので、もし細かい点が異なっていたら申し訳ありません。)

を発見した北里柴三郎

赤痢菌(せきりきん:赤痢という、腹部の痛み、血便を伴う病気の原因の菌)を発見した志賀潔(しがきよし)。

また、黄熱病の研究をし、ガーナという国で亡くなった野口英世(のぐちひでお)。」

「野口英世って、千円札の人だ!」

「今のお札って、明治時代の人が多いね♪」

「このように、病気の原因が、菌だということや対策がわかるようになった明治時代って私は好きよ!

たとえば、それまでは妖怪の仕業だとか神の天罰だと言われていたことが、

そうでないことがわかったのって、かなり救われるもの。」

「そうだよね。これで多くの人が救われるもんね。」

「そうそう。」

「あと、文学の世界も西洋風になります。

小説という形態が、文学の主流になります。

明治に小説という言葉が生まれます。

小説には、

人間はどう生きるべきか、とか世の中はどうあるべきか、現代の世の中の問題点を浮き彫りにする、

など、世の中に対する深いメッセージが込められています。

 明治時代の有名な小説家には、

森鷗外(もりおうがい)や、夏目漱石(なつめそうせき)がいます。

彼らは、簡単に言えば、超インテリ。二人とも海外留学しちゃうからね。

二人はライバルだったそうです。

私の勝手なまとめですが、鷗外は医学系、漱石は文科系の頭の良い文章を書きます。

(文章の話が医学の話とかではなく、あくまで頭の構造とか価値観とかのことです)

どちらも、自分たちはどう社会に貢献すべきか、とか、

世の中の常識をここに当てはめると成り立たたないではないか!という話を書いたりします。

森鷗外の代表作は、「舞姫」「高瀬舟」。この作品は高校の現代文でどちらかは習うのでお楽しみに。

私は森鴎外の小説が一番好きなので、おすすめだよ!

ただ、文章の書き方が昔のままなので(文語体なので)小学生や中学生には難しいかも?

だから高校でお楽しみに!

夏目漱石の代表作は「吾輩は猫である」「坊っちゃん」です。

夏目漱石は、内容はむずかしいけど読みやすいよ。夏目漱石の作品も高校で習うのでお楽しみに!」

「はーい。高校の現代文って、社会とリンクしているものが多いよね♪」

「また、島崎藤村(しまざきとうそん)という人物もいます。

彼の作風は途中でかわったりするので、一言ではまとめづらいんだけど、

私なりに勝手にまとめると、「リベラル(平等)」を小説で追い続けた人だと思います。

有名な作品に「破戒」「夜明け前」など。また詩集に「若菜集」があります。

古い歌謡などを聞くと、島崎藤村が作詞というものもある。彼の詩はとてもロマンあふれて美しいです。」

「ほえー。」

「さて、あと、歌集で有名な女流歌人が、入試で最も出ます

その歌人の名は、与謝野晶子(よさのあきこ)。

彼女は、青春のさなかにある女性の姿を賛美し、

恋をロマンチックにうたった「みだれ髪」などを書きます。

また、彼女は戦争を反対する歌も歌ったことで有名です。」

「明治時代は日清・日露戦争など戦争をよくしていた時代だもんね。」

与謝野晶子は、日露戦争に行った弟を心配してうたった

「君死にたまふことなかれ(君死にたもうことなかれ)」

という作品を書きます。」

「ほえー。文学を通して戦争批判したんだね。」

「当時、女性の地位は低い。だって選挙権もないでしょ。」

「そういえば、衆議院の選挙権は、直接国税15円以上治める満25歳以上の男子のみだもんね。」

「だから、与謝野晶子は文学という手段で、自分の意見を出した。

文学・文化というのは、差別されている人が唯一、世の中に意見を出せる手段とも言えるのよね。」

「たしかに・・そういう見方もできるね。」

「あと、絵画の世界では洋画を描く人も現れます。

有名な人に黒田清輝(くろだせいき)がいます。

彼は、西洋風の写実的な作風で、日本人女性を描いたりします。

彼の代表作「湖畔(こはん)」は一見の価値あり!

(私独自のまとめ方なので、細かいことが違っていたらすみません。日本美術は勉強中でして・・)」

「絵画もヨーロッパ風になったんだね。」

「あと、音楽の世界も洋風に。

それまでは、

最初に出した音を基準に、それの上げ下げで、相対的に歌う曲がほとんどだったのに対し、

ドレミファソラシドという音符、つまり絶対的な音で歌を歌うようになった。

明治の音楽家としては滝廉太郎(たきれんたろう)という人物が有名。

「荒城の月」や「花」(歌曲集「四季」の1つ)などの作品が有名。」

「あ、音楽の授業で歌ったことある!」

「「荒城の月」は私、好きでね。カラオケに行くといつも歌うんだ!」

「渋い!」

「かっこいんだよね、あの曲!」

「あああ!つい、長く文化について話してしまってごめんね。

この時代を説明する先生ってあまりいないので、この歴史模擬授業だけでも説明をして

すこしでも理解・興味を持ってもらえれば良いと思って。」

「難しかったけど、大人になったらもう一度明治時代の文化を勉強したいと思ったよ。

未来の楽しみが増えた!」

「ありがとう、そういってもらえて。

明治時代の文学は苦労すればするほど、理解できるものが多いから

これからの人生で、いじめや孤独、理不尽なことで苦しめられたら、

将来明治の文学を理解できる力が備えられるんだ、と少しでも

ポジテイブに考えると良いよ。」

「たしかに、悪い方ばっかに考えたら、よけい辛いもんね。」

「そうそう。どんなことも自分の感じ方次第だからね♪

では、次は産業の方もやりますね。」

<産業>

「はい!」

「産業は、殖産興業というスローガンがあったのでもわかるように、

どんどん日本は工業化が進んでいきます。

そして、日清戦争前後から、軽工業(織物など)で産業革命(産業の方法が、機械による大工場での生産に

かわり、それによって社会構造が変わること。)がおきます。」

「ほえー。」

「そして、重化学工業の産業革命(第二次産業革命)は日清戦争も関係してきます。」

「?」

「ほら、日清戦争のあとで結んだ下関条約で得た賠償金の1部って何に使ったと話したっけ?」

「えーと、たしか・・八幡製鉄所。そっか、製鉄は鉄鋼業だから重化学工業だ!地理で習ったね!

(重化学工業・・機械工業・化学工業・金属工業)」

 「地理も知らないと歴史は理解できないんだね。」

「八幡製鉄所ができたことで鉄が日本国内でつくれるということがわかるね。」

「ほえー。」

「このように、どんどん産業が発達していく。

しかし、工業はうまく処理しないと毒になるぶしつが生まれます。

当時は、産業化ばかりに目がいってしまい、どうしてもその悪い点をみのがしてしまう。

 そのため、栃木県では、銅山から流れ出た鉱毒が渡良瀬川流域に広がり、

住民におおきな被害を出したという、足尾銅山鉱毒事件もおこります。

そのときに、衆議院議員の田中正造(たなかしょうぞう)が、

足尾銅山鉱毒事件を議会で取り上げるなどし、

彼は一生を公害問題の解決に努めることなりました。」

「あ、この話、小学校の国語でならった。」

「学校によりけりだけど、そういう学校も多いみたいね。

国語でそのひとの生涯を勉強すると、歴史も勉強しやすいでしょ。」

「うん。」

「だから、歴史人物が主人公の小説やマンガは読んだ方が良いよ。

もちろん創作部分もあるけど、教科書と照らし合わせて読めば、

勉強にもかなり役立つから。」

「うん。色々と読んでみようかな。」

 

「では、明治時代はここまで。次は大正時代を行います。ではでは終わります。起立!礼!」

 

「ありがとうございました!」

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おわり。

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

また私は平和主義者で、s決して名時代の戦争・侵略の歴史を良いものだとは思っておりません。