今回は歴史模擬授業19回目、江戸時代中期です。(詳細は、前の記事をご覧ください)
この時代は高校入試ではよく出題されますが、私立中入試では出たりでなかったり微妙な範囲です。
(難関中学ではよく出ます。)
ではでは授業を始めます。
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「さて、今週は鎖国が完成し、平和な時代を行いましょう。」
「平和なのは良いよね。」
「そうね。平和が一番♪
ただ、平和になると、娯楽(ごらく:遊び)に使ったりして、ぜいたくな遊びを覚えるものだから
お金があってもあっても足りなくなる。
それで幕府は色々改革を行おうとするんだけど、なかなかうまくいかない。
でも、大きな事件や戦国時代のように生きるか死ぬかという瀬戸際な状態ではないので、
改革が成功したような失敗したのかよくわからないまま、だれか(おもに老中)の責任にして、
お上騒動をしながら、だらだら続いていくっていう感じ。
景気回復!でもすぐに結果でないから、責任とって老中やめろよ!という感じ。」
「あれ?なんか今と似てない?」
「似てるよね!
景気回復しろ!すぐにできないだと?!
じゃあ改革は失敗だろ!(もしくは、改革すぐできないのはリーダーシップがないんだ!)
総理大臣のせいだ!総理大臣やめろ!という繰り返しだよね。
でも、改革してもすぐになんか結果でないのにね。改革するにも時間がかかるし。」
「そうだよね。だいたい、3代かけてやっと新しい体制ができるのに。歴史を習うとそう思う。」
「まあ、そういう風にトップがころころ変わる時代ってのは
それだけまだまだ平和っちゃ平和なんだろうね、
今の日本しかり、この江戸時代中期の日本しかり。」
「そうだよね。安土桃山~江戸時代初期を見てると、
信長さんや家康さんのような厳しい独裁者がいないと世の中は成り立たなかったんだもんね。」
「ではでは、平和で改革の繰り返しの時代をみていきましょ。」
「はーい。」
「まず、改革の前に、幕府の財政がだんだん赤字になっていく時代、
5代目将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代からみていきましょう。
まず、徳川綱吉は朱子学に基づいた政治をします。」
「朱子学って何?」
「朱子学は儒教(じゅきょう)という学問の一つ。
上のものに下の者が従うことで世の中の秩序が守られるぞ、という考え方。
朱子学の論理を使えば、
家でいえば一家の家長である父、幕府でいけば将軍に従いましょう、ということができるの。」
「ちょうど、平和な世の中を維持するのに朱子学は都合が良かったのね。」
「そうね。だから、綱吉だけでなく幕府は朱子学を重んじるようになったのよ。
あとでも朱子学は出てくるので覚えておいてね。」
「はーい。」
「この徳川綱吉がしたことは、全部が悪いわけではないんだけど、
入試で出てくる内容はたいがい悪いこと、馬鹿なことをした、という内容しか出てきません。
1つは、寺院の建設やぜいたくな生活をしすぎたために幕府の財政を赤字にしてしまいます。
財政が赤字っていうことは、幕府の持つお金が少なくなるってことです。
じゃあ、新たにお金をつくっちゃえば、そして
お金をつくるときにコスト(かかるお金)を減らすため貨幣の質を悪くすればいいじゃん!
という風に考えたの。
でもさ、世の中にある食べ物や品物の量は変わらないんだから、
お金の量だけ多くしたら結局、1つ1つのものの値段があがるだけなんだよね。
だから、余計に人々の生活は苦しくなるんだよね。」
「そうだよね・・。」
「さらに、極端な、動物を保護するする命令である、生類憐みの令を出したの。
魚や鳥を食料として育てていけない、殺してはいけない、とくに犬は大切にしろ、とね。」
「それは、すごい命令だね。」
「動物を大切にするのは良いことだよね。でも、食べ物として食べてはいけない、
田畑を荒らす動物を殴ったりもできない、となると人々の日々の生活も苦しい。」
「不景気なうえにそれではね・・・。」
「口に入ってきた蚊を思わず呑み込んでしまっただけでも罪になったり。」
「もう、ぐっちゃぐちゃだね。」
「うん、だから、徳川綱吉に対して人々はすっごく不満を持ったらしいの。」
「そりゃそうだ・・・。」
「それで、徳川綱吉の治世の後に幕府は、綱吉が行ったことを直していくことになる。
生類憐みの令を廃止し、貨幣の質も戻して物価が安定するように努力するの。
また、金銀が外国に流れてしまうのをおさえるために長崎(出島)の貿易を制限したり。
当時の貨幣は金銀で作られていたから。」
「そうだよね。」
「6代目の将軍がそれをやったの。」
「そうね。ただ、入試では6・7代目将軍の名は出てこないです。
6代目(家宣:いえのぶ)ははやくして病死、7代目(家継:いえつぐ)は病弱で子供だったので、
彼らの政治顧問であった儒学者の新井白石(あらいはくせき)という人物の名で入試は出ます。
新井白石が行った、さきほど述べた内容(貨幣の質を戻すなど)を行った政治のことを
正徳の治(しょうとくのち)と言います。」
「へー。」
「そして、7代目将軍は跡継ぎをつくれないまま子供のうちに死んでしまう。」
「えー、じゃあ、次の将軍はどうなるの?」
「ほら、そこでこの前の内容を思い出してごらん。将軍の直系の子がいなかった場合・・。」
「あ、思い出した!徳川家の一族が治めている親藩(しんぱん)から、次の将軍を出すだよね!」
「そういうこと!親藩は3つあったね。」
「水戸(茨城)・尾張(愛知)・紀伊(和歌山)だったね。」
「水戸にはちょうど良い年齢の人がいない、尾張と紀伊で争って、紀伊から将軍に出すことになったの。」
「ぼくの地元の尾張(愛知)は負けちゃったんだ・・。」
「紀伊から将軍になったのは、8代目将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)。
吉宗は、ずっと地方の紀伊に住んでいたでしょ。
そして、江戸の幕府の中に入ってみたら、みんながあたりまえのように、
ぜいたくをしほうだいだったのにびっくり!
なんじゃこりゃ!武士というのはそもそも質素・倹約をし、武術をたしなむ身分だろうが!
何、ぜいたくして遊びほうけている?!
初代の徳川家康が目指していた幕府の形に戻さねば!とね。」
「吉宗さんがびっくりするほどぜいたくな状態だったから、そりゃ幕府は赤字になるわけだね。」
「それで、徳川吉宗は改革を行います。
その改革を享保の改革と言います。
享保の改革では、
ぜいたくを禁じて、そのかわりに学問や武芸をするように質素・倹約をする生活に改めるようにさせたの。
さらに、能力のある武士を重要な職務に登用するな
ど実力を重視する体制にしたの。(足高の制:たしだかのせい)」
「そっか、そうすれば、ぜいたくを進める今までの人々から、
質素倹約を大切にする人に政治を任せられるもんね。 」
「そうね。それから、吉宗はよそから来たから江戸の庶民たちの気持ちはわからない。
じゃあ、それだったら、人々の意見をきいちゃえばいいじゃん!ということで、
庶民の要求や不満などの意見をきくために目安箱というものを設置します。
目安箱に、手紙(投書)を入れてね、という形。」
「庶民も大切にする人だったのね。」
「うん、だから吉宗は人気があったみたい。それで現代でも人気があるから、
吉宗を主人公とした時代劇だって作られたの。」
「へー。」
「あら、みんな知っていると思うよ。将軍という名がついたテレビドラマがあったでしょ。」
「あ、「暴れん坊将軍」!」
「そう。あれはもちろん創作の話なんだけど、それだけ庶民に身近な将軍だったという現れなんだよね。」
「そうなんだね。ぼく、あの番組好きで、よく再放送をみているよ。」
「史実とは違うけど、イメージをつけることは大切だから、積極的に時代劇を見るのは良いことだよ。」
「はーい。」
「他にも、吉宗は裁判の公正をはかるために、
公事方御定書(くじがたおさだめがき)というものを法令集をつくったりもした。
これで不公平がすこしでも減るでしょ。
日によってとか、裁判官によってとかで罰がかわることが少なくなるから。」
「いろいろやってるんだね。」
「他にも、新田開発をして、少しでも多くの田んぼをつくり、米を増やそうとしたりね。
米が安定して取れれば、幕府にさしだされる年貢も安定して、幕府の財政が強化されるから。
あと、大名に米を出すように命令したの。でも、それだけだと反発されるでしょ。
そこで、代わりに参勤交代は緩めたりした(上米の制)。」
「いろいろやったんだね。」
「このように、米に関する政策も多くやったから、吉宗は「米将軍」というあだ名がつきます。
入試で、「徳川吉宗は名将軍と呼ばれていましたか。」という問題で、「暴れん坊将軍」と書くとが
います(笑)が、入試では「米将軍」と書いてね。」
「はーい。」
「享保の改革で、一時的に幕府の財政は立ち直ったんだけど、結局長くはつづかなかったの。」
「改革って難しいね。」
「そうね。」
「それで、次にまた幕府の財政を良くしようした人物が現れる。
10代目将軍(家治:いえはる)のときの老中、田沼意次(たぬまおきつぐ)。
田沼意次は、幕府にお金がないなら、お金のあるところに協力してもらえばいいんじゃない?と考えます。」
「発想の転換なんだね。」
「お金をかせぐののが仕事なのが、商人でしょ。
だから田沼意次は商人の力を利用しようとするの。
商人たちがお金をかせぎやすいよう、長崎貿易の制限をゆるめたり、
株仲間(かぶなかま)という同業組合を認めたりね。」
「同業者って、室町時代にならった座みたいなものね。」
「しかし幕府の中にはこのような商人と密接に結びついた政治を快くないと思っている人々もいてね。」
「え?なんで?」
「ほら、士農工商の中で、一番下の身分である「商(商人)によって、
幕府の財政が助けられているって
ことだから、特権階級の武士からしたら、
「あんな下々のの奴らに支えられるなんて恥!」と思う人も
いるわけよ。
それで、なんとか田沼意次を引きずり降ろせないかと考えているわけ。
そんなときにあることがおこるの。」
「なんだろう。」
「それまで優遇されていなかった商人たちが幕府に大切にされるでしょ。
そうすると、少しでも幕府に気にいられたい、といって、
田沼意次に「わいろ」を渡すようになってしまったの。」
「うーん。」
「わいろは悪いでしょ!
それで「わいろ政治」はいけない!田沼意次の責任だ!
彼がしたことは一部の人々だけに利益をもたらしただけ
だから、責任をとって老中をやめろ!とね。」
「うわー、足の引きずりあい。」
「老中をやめさせられた田沼意次。わいろ政治はゆるすわけにはいかないけど、
私はある意味、意次のやったことは時代がはやすぎたと思うの。
お金のある人からお金を拝借し、お金を必要とする人に貸して、
それで成功させて利益を生んで・・・という
形をとろうとした。これって、今の銀行制度でしょ。」
「あ、たしかに。」
「よく授業では、田沼はわるいやつ!汚い奴!とののしる先生が多いんだけど、
私は田沼意次は時代に合わなかっただけだと思う。わいろは許さないけど。」
「たしかにね。」
「さて、田沼意次のあとは、武士の威光をとりもどそう(武士のプライドをとりもどそう)とし、
あらたに老中となった松平定信(まつだいらのさだのぶ)が改革に乗り出します。
その改革を寛政の改革と言います。
松平定信は、武士プライドが強く、
また、おじいさんが大好きで憧れていて、おじいさんみたいになりたかった。」
「おじいちゃん子だったんだ。っておじいちゃんってだれ?」
「もう出てきているよ。ほら、定信も改革やったんでしょ。
ということはおじいさんも改革やったんだよ。」
「もしかして、徳川吉宗?享保の改革をやったあの米将軍。」
「そうなの!松平定信は、徳川吉宗の孫なの。
松平という苗字は、徳川の苗字を名乗れない、
徳川家一族(徳川を名乗れるのは、将軍と御三家) につけられるの。」
「へー。ということは、松平という苗字のクラスメートはもしかして・・」
「もしかしたらそうかもね。先祖は幕府につかえてました~とかあったりね(笑)。みんなじゃないだろうけど。」
「では話を戻すね。松平定信は、おじいさんのやった享保の改革と似たことをやります。
しかも締め付けがきつくなりね。
たとえば、ぜいたくを禁じて学問や武芸をすすめた。(倹約令)
さらに学問は、朱子学だけ!他の学問は禁止するとね。(寛政異学の禁)」
「朱子学って上に従え、という学問ね。」
「定信は、田沼意次の商人と関係をもった政治は、
今まで幕府が築いてきた封建制や武士中心の政治を
壊しかねないと思い、幕府にとって都合のよい朱子学を大切にしたの。
また、旗本や御家人(2つとも将軍直属の家臣)の借金を帳消しにしたりね。」
「なんか、武士のための政治だよね。」
「しかも、朱子学しか認めない!商人には厳しく~という、政策をしたため、
評判が悪く
寛政の改革は失敗に終わります。」
「いったん、商人たちも優遇されていた時代があったからよけいに反発をかんじたんだろうね(予想)」
「この寛政の改革を批判した有名な歌が2つあるので紹介するね。
1つは、
「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜もねられず
(世の中に、寛政の改革(蚊)ほどうるさいものはない。
ぶんぶ(文武:学問・武芸)をしろと言いまくられ、夜もねられんわ!)」
もう1つは
「白河の 清きに魚の すみかねて もとのにごりの 田沼こいしき
(白河(定信を指す。定信は元白河藩主(福島))がする政治は、
きれいすぎる川に魚がすまないのと一緒で
理想ばっかりのきれいごとしかいわないので、息苦しいわ。
わいろ政治をしていたにごっている田沼意次の時代が恋しいわ)とね。」
「なんかすごく松平定信はきらわれていたんだね。」
「田沼のときも風刺した歌はあったので、どっちもどっちだったんだろうけどね。
ただ、やはり理想主義をみんなに押しつけるのは息苦しいよね。」
「先生でも、毎日勉強し、まんがやテレビはみるな!
ミスもなく、よい子でいないさい、泣き言をいう暇があれば勉強しないさい、と
理想ばっかり言う人がいて、息が詰まることってあるもん。言っていることは正しいんだけど・・。」
「そうだよね、先生が言うやり方ができれば苦労しないっての!」
「そうだよね。たしかに勉強はしたに越したことはないし、
テスト前などの逃げちゃだめな時っていうのはある。
でも、そうじゃないときは弱音をはいたり、遊びだってしないとね。
小さいとき(学生のとき)しか楽しめないものだってたくさんあるんだから。」
「そうだよね。」
「ではでは、今日はここまで。もう1つ改革はあるんだけど、これは幕末でやるね。」
「はーい。」
「ではでは、終わります。起立!礼」
「ありがとうございました!」
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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。