みなさま、本日もありがとうございます。
冠位十二階のときは、
歴史授業の記事の続きは水面下で
作成中ですが、
子供に勉強を教えている中で
「こういう資料が欲しい」と
言われたことをきっかけに
作り始めた画像も完成したので、
定期的にアップいたします。
1 はじめに
自分の生徒&学生時代、塾講師、家庭教師、子育て、などを通して感じたのは
「目の前で習った勉強に対して」の
感じ方は人それぞれなんだな、と
いうことでした。
「テストで点数を取れたり、
志望校に合格さえできれば良い。」という、
勉強は自分の人生の途中過程のみに
必要な手段にすぎない、
という思う人もいれば
「勉強ができるというのが嬉しいし、
自己肯定感を高めてくれるもの。
でも、テストの点数が悪いなら
勉強は嫌いになった。」
と思う人もいます。
このような人にとって
「勉強」は
「自分にとって、活用できるものか否か?」
「自分が叶えたい夢を叶えるために
使えるものか?」
という価値観です。
そのため、もし、
このような価値観を持つ生徒さんに対しては勉強を教えるときには
勉強の楽しさはアピールしつつも
彼らの価値観を否定したり
自分の考えで諭したりしず、
「いかに覚えきるか?」
「いかに、解けるようにするか?」
をメインに教えることを
することを心がけています。
このような考え方が「いけない」と
言う人もいますが、
きちんと「自分にとっての勉強は何か?」が
わかって、それにドライにつきあうのは
大切だと思います。
問題なのは、
「個人の価値観が、
すべての人の価値観にならないといけない」と思ってしまうことだと思います。
自分の価値観は提示するし
可能な限り、目の前にいる生徒さんに
それが伝わるとうれしいけれど、
自分と価値観が違う子を
否定したり諭したりはしたくない、
というのが、
塾講師時代から思っていて
さらに、子供と学校の先生との
問題に疲弊して
「先生が、生徒さんや保護者の方が
どうしてこのような考え方に
なったか?も考えずに、
安易に否定して諭すのは傲慢だ」と
心の底から思いました。
「勉強が、自分の夢を叶えるための
手段にすぎない」という価値観で
自分は生きるが、そうでない人(勉強そのものが大好きな人、勉強が自分に必要ないと思っている人)を馬鹿にしたり、諭すことをする人が問題だと思います。
逆もしかり。
「アナタにとっては、テストで点数さえ取れれば良いかもしれないけど、私は、言葉を丸暗記するのではなくて、きちんと調べたり、自分でまとめたりして勉強したいの。
「あなたにとっては、勉強は必要なかったかもしれないけど、アナタの目の前にいる人は勉強したいんですよ。」
とか
「あなたにとって勉強は趣味で、深いところまで知る必要がある、テストで点数を取るのは心が汚いこと、と思うかもしれないけど、テストで点数とるために必死に単語を覚えようとしている子供を馬鹿にして良い権利はあなたにはないよ。」
とも。
何が言いたいか?というと、
「勉強」を
「無用」と、とる人もいれば
「手段」と、とる人もいれば
「生きがい」と、とる人もいる。
それは、すべてが正しくて、
お互い、批判するものではない、と。
ただ、「勉強」の内容を発信するうえで、
勉強を「無用なもの」と思っていたら
発信できないので、
私は「有用なもの」として、
こちらのブログで発します。
そして、「手段」としてとるか?
「生きがい」としてとるか?
・・というと、「どちらもある!」
となります。
「手段として使うこともあるし、
生きがいとして使うこともある」です。
習った勉強内容は
確実に点数をとれるようにしたい、ので
「手段」として「テスト勉強」はします。
ただ、私の場合、
内容をすんなり受け入れられない、
解き方だけを知って、それで点数を
取れれば満足、という形にはなりません。
どうしても、モヤモヤが残る。
なので、
「自分なりの理解」を徹底することも
必要で、
その部分は「手段」というより
「生きがい」です。
「テストでは出ないじゃん!」とか
「そんなことを知る時間に、
問題を1つでも多く解くことのほうが
大切じゃん」と言われても
「いやー、私は、勉強そのものを
楽しみたいので、調べるのも
楽しいのよ。」と。
そのような、気持ちから作成したものも
完成次第、歴史授業シリーズの合間に
アップしていきます。
2 位階制度について
さて、前置きが長くなりましたが
「テストに直接出る内容ではないけれど
これを知っておくと、テスト範囲で
習った内容の行間がわかりやすくて
テスト勉強はかどるかも?」な
画像をアップします。
今回は、
「飛鳥時代から平安時代」までに
整備され、その後も江戸時代まで関係する
位階制度の話(導入)です。
飛鳥時代に、冠位十二階や大宝律令を
習います。
また、「国ごとに国司を配置した」とか
「平清盛が武士として初の太政大臣となった」「源頼朝は征夷大将軍に任命された」
などを習うときに、
この位階制度を知っておくと
すんなり頭に入ります。
また、漫画やドラマを見ていると
同じような黒い服(束帯)を着ている
人達が政治をしていたり、
お雛様(ひな壇)での
お内裏様の服装に何種類もあるのか?
などの背景がわかってきます。
漫画やドラマなどの作品は
創作も入っているので
それだけで歴史のテスト勉強を
するのは危険ですが
イメージをつけるには最適です。
位階制度とは、
朝廷内における「仕事」のためのもの、
と思ってください。
朝廷内の仕事には、
それぞれの「役職」があります。
また、その「役職」だけでなく、
「地位」も
関係してきます。
「地位」とは「身分」のことです。
この「身分」に応じて、
朝廷から任じられる「役職」が
変わってきます。
そして、「身分」に応じて、
朝廷内で働く時の仕事着(制服)の
色が変わります。
平安時代の途中から、その制服が
「束帯」となります。
束帯は、平安時代の国風文化のときに
習う服装です。
このように、「朝廷」関係の
身分と役職を結びついた制度が
位階制度で、この制度は、
「律令」という、朝廷が定めたきまり、
で定められました。
ただ、位階制度も、突然できて、
それをそのまま、ずっと適用した
わけではなく、
段階を経て、平安時代までに
形が整ってきました。
最初の段階は「冠位十二階」です。
下の画像を御覧ください。
「冠位十二階」の時点では、
「身分」と「役職」が連動するようには
なっていません。
同時期に「十七条憲法」は制定されて
いますが、こちらは「律令」という
くくりではなく、
あくまで、当時定めた「きまり」です。
「冠位十二階」「十七条憲法」を制定した
時期、つまり聖徳太子(厩戸皇子)が推古天皇の摂政として政治を行っていたとき、
中国は隋王朝でした。
隋王朝は、律令、科挙による政治を行い始めた王朝で、それに習って日本も政治をしたのは垣間見えますが、
まだ「律令」という形で日本をまとめることはしていない(したくても難しかったのでは?)と感じる時代です。
この時期は、「天皇」が絶対的な力が
あるわけではありません。
古墳時代に各豪族の連合体で成り立った大和政権(大和朝廷)の延長にあった
天皇と豪族の関係の時代です。
次に、どのように位階制度が
変化していったのか?を
2つの画像で見ていきます。
冠位十二階のときは、
冠の色で身分(位)がわかるように
していましたが、
その後は、服(袍)の色で
わかるようにしていきました。
だからこそ、「冠位十二階」という
名称になるんですよね。
冠(かんむり)で、位(くらい)を
12の段階にわけたもの、なので。
こちらのほうは、先の画像より
こちらのほうは、先の画像より
簡易的に書いたものです。
今回は以上です。
次回は、この「位」が、朝廷内の、どの「役職」に連動していくか?を見ていきます。
歴史を習いたてだと、
「冠位十二階」と「大宝律令」が
あまり関連していないように見えたり
遣隋使、遣唐使を派遣したのは知ってるが
それによって政治や文化がどう変わってきたのか?は具体的にイメージできなかったり、
平安時代が独立しているように
みえることもありますが、
少し詳しく知ると
中国の隋、唐の制度がいかに
古代の日本に大きな影響を与えていると
わかります。
こうやって、習った内容を
すこし肉付けしたり、関連付けたりすると
勉強が楽しいと感じてもらえたら
嬉しいなぁ、と思います♪
ご覧いただき、ありがとうございました。
今回は以上です。
まだ他にも画像は作っているので
定期的にアップしていきます。