社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

高校古典の授業

2010年05月25日 16時15分39秒 | 教育者としてのつぶやき

この前、高校古典の授業を初めて行いました。
宇治拾遺物語だったので、比較的読みやすかったのが幸いでした。
源氏物語とかは、一文が長いから、訳すときに大変だったりするので、初めての授業だときつかったりするので

中学校までは教科書準拠の問題集が数種類、一般の小さな本屋でも売っているので、それを人数分、数種類買って、生徒にさせることができるんですが、高校になると、教科書も各学校で違うせいか、教科書準拠問題集はほとんど一般販売してないんですよね。


なので、「問題集がなければ、作ればいいじゃん!」と思い、生まれて初めて教科書ガイドを参考に、

古典の教科書準拠の問題をつくってみました!!

国語は専門なんですが、色々あって社会ほど無制限の愛をそそぐことができなかったんですが問題をつくるのは、めっちゃくちゃ楽しかったですこれからは問題作成の視点から国語を観ると心から国語を愛せるかもしれません


高校の授業

2010年05月24日 15時22分12秒 | 教育者としてのつぶやき
先週は、すっごく毎日楽しい日々でした

理由は、高校の勉強三昧の日々だから。

勉強しているうちは、将来のぼんやりした不安とか、人間関係、他人と自分の差を感じる必要がなく、とにかく目の前のことを考えればいいのですから

しかも、私は、部屋にこもって静かにしないと勉強できないため、まさに勉強の最中は自分だけの世界で落ち着きます。問題づくりはテレビ観ながらでも、できるんだけど、理解するときや覚えるときは音がうっとおしい。
しかも、趣味のイラスト描きやインターネットはやっていると、「こんなに遊んでいいのかな?」という罪悪感にさいなまれたりするけれど、
勉強は「仕事に直結するし、勉強をして人に対して、嘲るやつは少ない!」とポジティブに考えられるからです。

しかも、高校は物事の根本や本質を考えるような内容になっているから、興味をそそる内容が多いです!

昨日は、現代文で芥川の「羅生門」をやりましたが、それを教科書ガイドや辞書を片手に、話を読み進めていくと、自分が高校のときには心に響かなかった、物語の本質を感じ取ることができ、自分がこの10年間で少しは成長できたんだ!と嬉しくなりました。
無駄じゃなかったんですね、この10年。

小中学生の授業をするのも大好きですが、高校の授業も小中学生とは違ったおもしろさがあるんだなぁと感じました。

あきらめていた夢が叶いました

2010年05月23日 20時03分20秒 | 教育者としてのつぶやき
先日、とっても嬉しいことがおきました。ハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)

今まで、「もう二度と私には無理だろう」と思い、その夢と永遠の別れをしたんですが、
その夢だったことが思いかけず、突然舞い降りてきました。

 
その夢とは、

世界史の授業を行う&問題作成

という行為が実現したんです!ほっとした顔ほっとした顔ほっとした顔ほっとした顔ほっとした顔ほっとした顔

 
私は大学時代に、世界史(とくにヨーロッパ史)が一番好きで、
それを教えたい!という夢があり、高校歴史の教員免許までとりました。
(かなり体力的にも精神的にも大変でした。)
ただ、高校生の指導よりは中学生の指導はしたかったので、
中高持ち上がりの私立の中高一貫校で社会&歴史の先生を、という考えはありました。
しかし、当時は就職氷河期なうえに、
社会の先生の倍率は高く、
さらに私立高校だと中高どちらの免許を持っていなければ採用は難しいかもしれない(すべての私立がそうだとはかぎりませんでしたが・・)、
 
という条件はありました。
 
しかもそのころは私立は未経験の世界だった私。

私は中学社会と高校地歴の免許は取得できましたが、
高校公民だけは6単位ほど足りず、獲得できませんでした。
私が社会系の学部だったら、高校公民の免許も楽々とれたんですが、
学部は国語系だったので、卒業単位を優先せざる終えなかったので、このような結果になってしまったのです。
 
国語なら中高どちらの免許も取得していたので、私立の学校も受けることは可能でしたが、
国語じゃなく社会を教えたかったんですよ、私。

それに、ゆとり指導導入の年で、私はそのころから、ゆとり教育の危険性をずっと言っていたのに、まわりはほとんどゆとり賛成派だったので、なんとなく学校そのものに絶望感を抱きました。 (今から思えば、賛成派も反対派もいたのはわかるんですが、まだ青かったんですね、私・・)

では、塾や予備校で世界史専門の講師に、とは思ったんですが、
予備校講師の多くは大学院出であるうえに、一度別の塾で働いたキャリアが必要でした。 (←私が就職したかった予備校の場合です。)

私の場合は国語系の学部だったので、大学院に行く場合は国語系になってしまうので、
もう一度社会系の大学に入り直して、そこから大学院に行き、
そのあと、塾で3年以上の経験を積んで、それから予備校の就職試験を受けて・・と、
9年以上を予備校教師になるために努力しなければならず、
つまり20代のほとんどを、一つの夢にかけなければいけなくなります。

 
それは、かなりの賭です。
社会人になるのが同年代の人より6年遅くなるのは怖いし、金銭的な面の心配だってありました。
 
なので、私の希望で最も現実的に成功する可能性が高かったのは、
 
「教員免許のいらない、社会の塾の先生になる」ことで、そのような結果になりました。

そして、社会科講師として塾に就職し、小学生・中学生に社会を教えるのは楽しかったのですが、
ほぼ日本史だし、日本史で好きな時代の日清戦争以後の近現代史は学校がすごい勢いで進むので、
表面しかやれなくて、なんとなーくさびしい気持ちがありました。

だから、「世界史」を教えることは、
一番好きなものを教えるうえに、
6年以上努力して培ったいろんな授業の技法や広い視野をもって、
大学時代よりもさらに進化(したのかな?ただの自己満足?)した
授業と問題作成をすることができる気がします。

 教科書と資料集と用語集と辞書を広げながら、
利き手の左手に赤ペンとマーカーペンを二つ持ちながらメモしたり線をひいたり、
右手にシャーペンを持ちながら勉強しています。
シャーペンは文章の区切りに線を引くだけなので右手で書いたりしています。こういうとき、両利きなのは楽ですね♪ほっとした顔
今回は、古代メソポタミアとエジプト文明です。シュメール人だろうがアッカド人だろうが海の民など、民族が入り乱れて、難しいところなので、どのように見わけをつけるか、に念頭をおいて説明しました。

このようにあきらめた夢があるとき突然叶うことってあるから、
「夢はあきらめたら終わり」っていうけど、
あきらめたって、その夢に近いところにさえいたら、
叶うってこともあるんだなぁと感じました。ほっとした顔
 
夢を追いかけるのに疲れたら、
まずはいったんあきらめてみるのも、一つの手かもしんないですねハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート)
(イラストは、古代ローマの服装で、今回のテスト範囲とは直接関係ありません)

世界史を教えました!

2010年05月13日 22時36分43秒 | 教育者としてのつぶやき
今日は、初めて世界史の授業をしました
私がもっとも大好きな教科です!夢にまで見た世界史です!とってもうれしいです。

今日はメソポタミア文明とエジプト文明を説明しました。
メソポタミアはさまざまな民族が入り乱れ、ややこしく、エジプト文明でもアメンホツプ4世の宗教改革などは高校生には難しいと思います。

私も高校生のころは、アメン神とアトン神の違いがわからず、アメンホテプ4世のやっていることの意味がわかりませんでした。
しかし大学に入ってから、「神とは何か」ということに疑問をもつようになり、さまざまな宗教の考え方を学びました。
そうすると、一神教の誕生は当時としては画期的であり、また宗教改革というのは政治的な考えも反映しているとわかりはじめました。
高校生に難しい言葉は使えませんが、少しでもわかりやすく説明できたらいいなぁと思います。
世界史1年生なので、試行錯誤しながらがんばりたいです。

ギャグやコメディ作品を楽しめるかが心のバロメーター?

2010年05月13日 13時40分39秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

この前、旦那と話していて、二人で「そうだよな~」と気がついたことがありました。

コメディ、やギャグを一切受け付けない(楽しめない)人は、自分に対して極度にコンプレックスを持っていたり、現実の辛さから逃げている状態なのかもしれない。」と。

ギャグやコメディって、割と、残虐なネタが多かったりします。

髪の薄さ、胸の大きさなどの見た目に関することや、病院ネタや葬式ネタとか。

私も一時すごく辛いことがあったときに、その辛い内容に関する内容のギャグは見たくなく、テレビでやっていると、すぐチャンネルを変えていました。

「なんで、あの人たちはうまく言っているのに、なんで私は・・。」というヤサグレの気持ちが強くて・・。

でも、そうやって世間をシャットダウンしている間は何も楽しめない、

ということに気がつき、最近は、そういうネタをやっていても、目をそらさないように努力はしています。

でもがんばりすぎて胃の調子がおかしくなったこともあるので、時々は目をそらすこともあったりも・・。

 

また逆に、自分はすこし太っていたり大雑把な性格なのでそれがコンプレックスなんですが、それを笑いに変えている作品を見ると、「あ、じゃあ、このコンプレックスを生かして、面白いキャラになればいいんだ。」と気持ちを切り替えたこともあります。

 

なので、ギャグやコメディを楽しんでいるうちは、自分の心の闇は浅い方なのかもしれない、逆にギャグやコメディを見ても楽しめなくなったら、自分の心の危険信号だと思えばいいのかな~と感じています。

 


歴史模擬授業(第11回 飛鳥時代 後半)④

2010年05月10日 17時12分10秒 | 歴史☆模擬授業
国郡里の分け方のイラストを描いてみました。分かりやすく描いただけなので、厳密には異なることはご了承ください。

飛鳥時代は、どこまで話そうかとか、いろんな説があるから、偏った意見を言わないようしなきゃ、とか、マニアの方々が多くいらっしゃるから言動には気をつけなければ・・と色々気はつかうんですが、なにせ好きな時代の1つ。
とくに、持統天皇が好きなので、どうしても語りたくなるんですが、高校入試まではあんまり出ない人物なので、自制・自制・・。

もし不手際な点があったら申し訳ありません。

ちなみに、この時代についてのマンガは多くありますが、ここで1つ、
とても気にいっている、おすすめの作品がありますので、勝手ではありますが、こちらで紹介させていただきたいと思います。

里中満智子先生著作『天上の虹』21巻まで刊行(以後続刊予定)講談社 (2010年春時点)

こちらは、大ベテランの里中大先生が描かれているマンガです。

歴史をとても詳しく調べられおり、政治に対する明確なビジョンや細かい事件や人物描写がすばらしいです。
主人公は持統天皇なのですが、それ以外の人物の描写も多く、時代は大化の改新から始まり、現在は文武天皇の治世まで話が進んでいます。

なぜ壬申の乱がおこるのかも、このマンガをよめば、とてもわかります。

今の観点で観れば、「息子の大友皇子が父の皇位をつくと思うのに、なんで父の弟(叔父)と皇位継承するはめになるの?」という疑問も一発で解けます。

史実の出来事はしっかり書かれており、この時代のイメージをつかむのに最適です。
また、さすが巨匠です!歴史に今まで興味がない方でも、楽しく読めますし、この本を読んで歴史ファンになった方も多くいらっしゃるでしょう!

歴史うんちくにうるさい旦那も、このマンガはとても好きみたいで、私も大切なバイブル本の1つです。
ずっと、1ファンとして里中先生を応援しています。

(私は著作者の方・出版社の方々とは一切関係ありませんので、ご了承のほど、よろしくおねがいいたします。)

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各時代で、勉強するのにお勧めのマンガがあれば、歴史模擬授業を行うごとに、
ここに記載したいと思います。

ちなみに私のお勧めする基準は、
「史実はあまりゆがめず、また、人物の気持ちに私が納得でき、さらにその史実に至った過程を詳細に描いている作品」としています。

歴史模擬授業(第11回 飛鳥時代 後半)③

2010年05月10日 17時11分47秒 | 歴史☆模擬授業
飛鳥時代の官政のしくみについてアップしておきます。

この時代は、大好きです。みんなが、試行錯誤しながら、「日本」という国をつくろうとした時代です。

この時代の舞台でもある、奈良県明日香村は好きで毎年のように行っています。

いつも、蘇我馬子の墓と言われてる石舞台古墳や天武・持統天皇陵には行くのですが、毎回行こうとしてもなんやらの都合で、文武天皇陵だけは行けないんですよね・・。
今年こそは行きたいです!

歴史模擬授業(第11回 飛鳥時代 後半)②

2010年05月10日 17時11分19秒 | 歴史☆模擬授業

今回は歴史模擬授業11回目です。飛鳥時代後半です。(詳細は、もう1つ前の記事をご覧ください)

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キンコーンカンコーン

「こんにちわ。今日から飛鳥時代を始めるわ。この前は、飛鳥時代の前半を行ったわね。

「うん、聖徳太子の時代だったよね。」

「仏教の考え方を取り入れて、天皇中心の政治をしていこうとしたんだよね。」

「そのために、冠位十二階や十七条の憲法などを作成したり、よりしっかりした政治をしている中国(隋)に留学生(遣隋使)を派遣して、勉強したりしたんだよね。」

 「そうそう。みんな良く覚えているね。

   今日は、その聖徳太子が成し遂げようとしたことをさらに綿密にして、完全に天皇主導の政治に移り変わっていった時代をやるよ。」

「どんなふうなのかな?どきどき」

「その最初のきっかけは、クーデター・・、そして暗殺事件から始まります。」

「うわ、血なまぐさい・・。」

「聖徳太子が死んでから、再び、蘇我氏という豪族の力が強くなってきたの。それで、蘇我氏中心に政治が動くようになってきたわけ。それに対して、不満を持つ人々もあらわれてくるわけ。」

「蘇我氏じゃない人々は不満だらけだよね。」

「その中で、クーデターを実行にうつして成功させたのが、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という男性。」

「え?皇子様?つまり天皇の息子さん?」

「え?でも、蘇我氏が天皇家と婚姻関係を結んでいたんだから、中大兄皇子も蘇我氏で、蘇我氏が強いままでいいんじゃない?」

「昔は天皇はさまざまな女性と子どもを設けたの。

だから天皇の息子は、蘇我氏と密接な血を持っていない子もたくさんいるの。

中大兄皇子は、舒明天皇と皇極天皇という両親のどちらも皇族という皇族中の皇族の息子で、蘇我氏の息子という感じではなかったのよ。(ただ、彼の奥さんの中には蘇我の血をひいた女性もいたけれど。彼の娘で後に天皇になった持統天皇は蘇我氏の蘇我馬子の孫の娘の娘になる。)」

「皇族中心つまり天皇中心の政治をする際に、

ばりばり皇族の中大兄皇子からしたら、蘇我氏は邪魔だったわけね。

それに、蘇我氏が強いままだと、蘇我氏の血が入った皇子が天皇になったら、自分に皇位が渡ってこない可能性も高く、ますます、天皇中心の政治ができないものね。」

「そういうこと!(まあ、家系図についてはいろいろな説があるけど・・)。

そこで、ついに、645年、中大兄皇子は、家来の中臣鎌足と手を組んで、

ついに蘇我氏(蘇我入鹿:そがのいるか)を暗殺することに成功するの。

そして、そのあと、中大兄皇子が政権を握って(天皇になったのは別の人物だが、

中大兄皇子が政治の主導権を握っていた)、

天皇中心の政治化改革を推し進めていったの。

その蘇我氏の暗殺から一連の改革を合わせて、大化の改新と言います。」

「どんな改革をしていったのかな?」

「まずは、天皇以外の力をもっている一族(たとえば地方を治めている豪族)の

力を弱めるために、豪族らが所有していた土地やそこに住んでいた人民

すべて、天皇のものにしたの

それを「公地公民」というの。」

「公の土地と人民、ということだから、公の頂点は天皇だから、こういうネーミングなのね。」

「そうそう。言葉を意味を持って覚えるとわすれないよね。」

 「そして、都つまり天皇のいる政治の中心地(朝廷)を定めて、それ以外の地域を、国・郡・里(こく・ぐん・り)に分けて、

それぞれに朝廷が決めた役人(国司・郡司・里長)を派遣するの。

国司(こくし)は、中央の貴族が、郡司(ぐんじ)は地方の豪族が任命され、

里長(りちょう、さとおさ)は現地の有力農民の中から選任されたの。」

「そっか、日本全体を天皇が納めやすいように区画分けして、

現地を知っている人で天皇が許可した人や天皇の息がかかった人が

派遣されることで、日本全土が天皇中心になっていったんだね。」

「そういうこと!そして、戸籍をつくったのよ。」

「戸籍ってなに?」

「戸籍というのは、その人物の住んでいるところや

年齢(出生年)情報を載せたものなの。

つまり、戸籍をつくったってことは・・。」

「天皇が、日本にどれぐらいの国民がいるかを把握できたってこと!」

「そういうこと。そうすれば、支配しやすくなるし、支配される方も、

何かあったときに国に頼めるしね。」

「そして、その戸籍に基づいて、

6歳以上のすべての男女に一定面積の田んぼを分け与え、そこで田を耕させるの。

そしてそこで実った稲の1部を朝廷に納めさせることで、食糧事情も安定するわけよ。

その与えられた田を口分田(くぶんでん)と言って、本人が死んだら国(朝廷)に返させるの。そのようなきまりを、班田収授の法と言います。

この言葉はよくテストででるので覚えておくのよ~。」

 「ふえー。そうか、食糧も天皇が管理していくのか。

そうすれば、飢饉がおこったときに、国がその地域を助けることができるし、地方も国が頼りになるしなぁ。(予想)」

「そのほかに税をも設けます。租庸調という税があって、租が稲、庸が労役や布、調が地方の特産物だよ。」

「地方の特産物まで都に集まるなら、都はたくさんのおいしいグルメが発展したんだろうなぁ。(予想)」

「また、当時朝鮮半島で争いがあって、日本が味方した王朝が敗れたのよ。(白村江の戦い)

中国の唐と新羅が百済を滅ぼそうとしたんだけど、日本は百済に味方して負けたの。そこで、唐や新羅は日本まで侵攻してくんではないか?と不安になったのよ。」

「そこで、北九州(当時は船しか交通手段がないので、朝鮮半島から来る場合北九州に漂着する可能性が高い)に防人(さきもり)という兵士を置いたの。」

「そんなに緊迫した時代だったのね。」

大宰府(だざいふ)という北九州の国防や外交を置く機関も設けたほどね。」

「また、他に、日本史上初の年号も定めたのよね。」

「あ、これ第2回の授業の年号のところで習った覚えがある。日本初の年号は「大化」だったよね・・。あ!だから「大化の改新」っていうんだ!」

「そういうこと!よく覚えていたね!」

「そして天智天皇は大津(滋賀県)でついに天皇に即位するの。

天皇のときの名は、天智天皇(てんじてんのう)厳密に言うとのちに奈良時代につくられた贈り名)。

そして、国内の制度作りに急いだんだけど、急速な改革は人々に不満を招くことになって・・。

結局、天智天皇の死後に、政治の方針の違いや時期天皇は誰にするかで、大きな戦い(戦争)がおこったの。」

「また血みどろな争いが・・。」

「そしてついに、

天智天皇の息子だった大友皇子(おおとものおうじ)と、天智天皇の弟であった大海人皇子(おおあまのおうじ)の後継者争いがおこり戦争(反乱)に発展し、最終的に大海人皇子が勝利をし、天武天皇(てんむてんのう)として即位することに。

この後継者争いを、壬申の乱(じんしんのらん)(672年)と言います。」

「そして、皇位についた天武天皇は、より天皇中心の政治改革を推し進めていきます。

さらに、彼の死後、皇位についたのは、彼の妻であり、天智天皇の娘であった持統天皇(じとうてんのう)。

持統天皇も天武天皇同様に天皇中心の政治改革を推し進め、唐の都にならって藤原京という計画的な都をつくるの。

そして、持統天皇のあとをついだ孫の文武天皇(もんむてんのう)のときに、

天皇中心であり、ゆるぎない国家の象徴である確固とした法律である、

大宝律令が制定(701年)されるに至ったの。

律令というのは、律が刑罰に関する法律で、令が政治に関する法律よ。

これで、聖徳太子から大化の改新にいたる一連の目的が達成し、天皇&法律で世の中が動いていく律令国家が成立したの。これで、唐に馬鹿にされない、しっかりとした政治体制が日本に出来たわけ。」

「な・・長い道のりだった・・。」

「国家は一日にして成らず、だね。何人の手にわかって、はじめて確固たる形ができるわけなんだ。」

「うん。だから、自分たちがこれから何かやっていく際に、自分1人でやっていく必要はないわけだし、新しいことをやるだけが良いわけではないのよ。

自分がやろうとしていくことは、自分は新しいものを始めるやる役割なのか、それを継続して次の世代にすこしでもスムーズにわたろうとする役割なのか、完成させる役割なのか、完成したものを永続させようとする役割なのか、また、永続したものを終わらせる役割なのか、を考えて行動するのが良いかもね。」

「この時期の官政(政治機関のしくみ)なども別の記事で載せておくので、参考にしておいてね。では今日はここでおわりです。起立・礼!」

 

「ありがとうございました!」

 キンコーンカンコーン

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終わり。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。とくに蘇我氏や天智天皇・天武天皇の扱い方には様々な説がありますので、ご了承をお願いいたします。


歴史模擬授業(第11回 飛鳥時代 後半)①

2010年05月10日 17時10分48秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業です。 模擬授業11回目飛鳥時代(後半)です。
4月後半に更新する、と言っておきながら、スケジュールが忙しかったり体調不良のせいで更新が延び延びになってしまい、申し訳ありませんでした。

飛鳥時代は、時代的に時間は長くはないのですが、内容が濃くなってくるので、3回に分けます。時代的に2つ分け、もう1つは文化で。
前半は以前アップしました、聖徳太子の時代で、今回お話する後半は「大化の改新~大宝律令」です。あともう1つは文化で、「文化とは何か?と飛鳥文化&白鳳文化」についてです。

今回は「大化の改新~大宝律令」の時代を行います。
この時代は、新しい発見があるごとに歴史が塗り替えられるうえに、いろいろと説はありますが、今回は、教科書に書かれていることを基礎において話したいと思います。



自分がよくツールの使い方を把握していないせいか、1つの記事に1つ画像しかアップできないので、1つの画像ごとに説明できる分だけアップという形にしています。すみません。

「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。

人生の分岐点

2010年05月02日 11時25分40秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス
昨日は高校時代の友人さんたちとお食事会をしました。

私を含めみんなそれぞれが、今がこれからの人生の分岐点なんだなぁと感じました。

今までの分岐点は、高校受験・大学受験・就職とありましたが、だんだんと選択肢の幅が広がってきていると思います。

高校受験では、高校は普通科に行くつもりで地元のどこを受験するかを、通える距離・学力・校風の3つの選択で決めました。
大学受験は、場所の選択肢が全国に広がり、学部もさまざま。
就職はさらに業種も増えました。

しかし、ここまではあくまで、自分一人の生き方のことで、また努力によって大きく左右されました。(就職の場合は努力だけではうまくいかないときもあるけど。)

しかし、30歳を間近にした人生の選択は、自分一人だけの問題でもなく、また努力したからといって必ずしもほしい結果が生まれるわけでもない、という今までにない新しい分岐点なわけです。

どういうことかというと、人生のパートナー(結婚相手)とともに自分の人生を歩みたいのか、または異性のパートナーを必要としないのか、という結婚をするか否かの分岐点。
また、結婚するとしたら今までの仕事はどうするのか、実家との関係はどうなるのか(←介護・遺産・相続問題も含め)、子供は授かれるのか?授かれなかったらどうするのか?友人との関係はどうなるのか、など、結婚後の選択肢もさまざま。
また結婚しないなら、仕事はどのようにしていくのか、自分が介護が必要になった場合にどうするつもりなのか&死んだ場合に遺産をどのようにするのか、など選択肢がたくさんあります。

就職までは大多数・少人数の選択がはっきりしていました。
しかし、30歳の分岐点は、大多数の人が選択するものはなく、どれを選んだら正解か、というものがありません。(もちろん受験のときでも正解はありませんが・・)
だから、迷うんです、悩むんです。


でも、私は迷ったり悩むことは悪いことではない!と思います。
苦しんだ末に選んだ選択肢は、たとえ選択したあとで失敗や苦労をしても、「あのときにあれだけ悩んだ結果、これを選んだんだから悔いはない!」と前向きになれるのです。
前向きになれば、どんな逆境でも耐えられます。

高校・大学・就職も、そのときあった選択肢の中で悩み抜いて選んだ学校(会社)だったので、なんとか踏みとどまることができました。

だからこそ、今回の30代の分岐点も悩みに悩めば良いと思えてきます。

こう思えるのは、受験というきっかけを何度も体験したおかげなので、受験そのものは大人ななる大切な機会だと思います。

そして、私は、今悩んで選択しようとしている選択肢を30歳になったときに誇りを持てるよう、今はつらいけれど悩みに悩んでいきたいです。