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春秋時代は、王そのものは一人(周王)です。実権は持っていても、地方のトップは「諸侯」のままです。
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この春秋・戦国時代は
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諸子百家という漢字を「諸氏百家」と
みなさま、本日もありがとうございます。
やっと「れくす先生の歴史授業」が再開できました。
可能な限り、定期的に更新できるようにしたいです。
これ以上、プライベートで何もおこらないと良いのですが・・・。
れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。
今回は、第4回 新石器時代 の話です。
※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。
「新石器時代そのもの」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。
(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)
テスト勉強のために用語を覚える、という意味では
最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。
ただ、今回のシリーズは、
「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを
防いで、落ち着いて、学校とは関係なく、受験勉強し続ける」というのが目的の1つなので
「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」
・・・という形にしています。
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第5回 「新石器時代」
今回は新石器時代です。
「新石器時代」という名称は世界史では使いますが、日本史では「新石器時代」は表記しません。
日本史では「新石器時代」に当たる時代は「縄文時代」に当たります。
まずは、新石器時代全体(世界史全般)を見ていきましょう。
1:旧石器時代から新石器時代に
(1)時代が変化したきっかけ
旧石器時代から新石器時代と時代区分を分けて、現代の私たちが見ている理由は、
「生活形態が大きく変化」したので、そこに名称をつけて分けた、ということです。
では、どうして「生活形態が大きく変化」したのでしょうか?
それは、氷期が終了したことが大きいのです。
氷河時代は、定期的に氷期・間氷期が交互におとづれる時代であることを以前お話しました。
今から約1万年前に、氷期から間氷期に移り変わりました。現在では、この間氷期の期間に当たります。
この内容は、よく「最後の氷期が終わり、地球は温暖な気候になった」と書かれるものです。
「今のところ、最後である氷期から、氷期より温暖である気候である間氷期になった」という意味です。
氷期では、地球上のいたるところに氷河がありました。
氷河というのは氷が浮いている、というイメージをしている人もいますが、
そうではなくて、陸地が氷で覆われていたり、山間に氷の川がある、というものです。
その氷期が終了し、暖かくなるとどうなるか?想像できますか?
暖かいと、氷は水になります。山間にあった氷の塊は溶けて水になった・・と考えると、
洪水が当時起きたのだろう、と思います。当時の人々も、この災害の被害にあったのかもしれません。とても怖かったでしょう。
溶けた氷は水になり川となって、海に注がれていきます。
陸地を覆っていた氷河も多くは溶けていきます。
そうなると、海の水が多くなります。この状態を「海面上昇」と言います。
それまでの海面だった高さより高くなったのです。
そうなると、氷期のときは歩いて移動できた場所の一部は海となります。
(下図も参照してみてください。)
結果、海や川に行く手を阻まれ、行き来が難しくなるところも増えました。
日本列島もこのときに、ユーラシア大陸から切り離される形になりました。
日本はここから縄文時代が始まります。
(2)新石器時代の生活
氷期が終わり、比較的暖かくなったことから、その気候変動と、それに伴う生活変化に対応できず、絶滅する動物もいました。
環境に適応するために動物は身体的変化を遂げて生き残ってきました。
(今回の氷期の終わりの時期ではありませんが、地球上では何度も環境変化がおきていて、
我々、人類の先祖も、環境に適応して生き残るために、直立二足歩行ができるようになったり、
道具を作れるような手の形に身体的変化を遂げました。)
環境変化に適応できた動物は生き残ります。
新しい環境にうまく適応できるか?によって、
生き残り&変化、絶滅、の結果の境界線ができたのでしょう。
新石器時代になり、減った動物は大型動物が多かったです。
絶滅した大型動物の例だと、マンモスやナウマンゾウ、オオツノジカなど。
大型動物が減ったけれど、小型動物や、木の実などの植物は増えました。
このことが、生活形態が変わる要因の1つになります。
それまでは(旧石器時代には)、大型動物の狩りで、食料や衣類を調達していました。
大型動物の狩りの場合、集団で動物を追い込んで、穴や沼地で動けなくなったところを、石や石槍などで狩りました。
新石器時代になると、大型動物が減ったので、狩りの対象は、小型動物、中型動物などになります。
小型&中型動物は、大型動物よりも動きがすばやく、人間が近くに行くと、すばやく逃げます。
なので、狩りを成功させるには、遠くからでも狩ることができる、弓矢は狩りの主役となります。
また、狩りをするために犬を家畜にしました。
犬が小型動物を、人間が待ち構えているところや、捕らえるワナに追い込んで・・という、
人間の狩りの相棒となりました。
また、川が多くなる、ということは、水分を多く必要とする植物も多くなったということです。
つまり、農作物を育てる環境にもなったということです。
農作物を育てるには、そこに田畑をつくり、1年中同じ場所で、
種をまき、水をまき、育て、刈って・・というのをしていく必要があります。
つまり、一定期間、同じ場所に住む(定住)をする必要があります。
このように、食べ物を追い求めて移動をしていく形から、定住生活をして農耕を行うような生活形態に変化しました。
また、農作物が豊富に育たない地は、野生の動物たちを家畜化して、
その動物たちの毛や乳や肉を使って、生活(衣食住)をしていく形、つまり、牧畜をする形で人々は生活するようになりました。
このように、新石器時代になり、定住生活を行うようになり、そこで農耕・牧畜が行われました。
その結果、食料を計画的に生産できるようなりました。
さらに、食料を蓄えること(保存すること)もできるようになりました。
そのときに使った物が土器です。土器を作るようになり、その土器で、食料を保存したり、調理をしました。
土器を作るようになったことで、食べ方のレパートリーが増え、
それまでは食べられなかったものも食べられるようになりました。
「土器をつくる」というのは、現代の視点から考えると「当たり前」「簡単なこと」のように思えるかもしれません。
でも、当時の意識を降りたって、土器をつくることを考えて見てください。
そうなると、「土器の作成」って「初の化学」とも言えるんです。
「化学」とは
「物質aと物質bは、どちらも自然界に存在しているもので、2つは全く別のもの。
しかし、その物質aと物質bを、何か別のエネルギーを加えると、別の物質cとして生まれる」というものです。
つまり、土器で言うと、自然界に存在している物質aが土(粘土)、物質bが水、で、
それを混ぜ合わせて焼くこと(熱エネルギーを加えること)で、物質cの土器がうまれた、ということ。
物質aの土だと、水が加わると泥になってしまうけど、物質cの土器になると、そこに水を加えても、
形状は変わらないので、鍋として使うことが可能になります。
土器の誕生以前でも、肉は焼いたり、蒸して食べることは可能でした。
しかし、木の実などは生で食べられないものもあり、また焼いても食べられないことが多いです。(人間の消化器官の関係で。)
しかし、そのような木の実でも、煮てしまうと、食べられるのです。
例えば、ドングリは渋みがあるので、水にさらして、土器でも煮ることで、初めて食べられるようなりました、
土器は世界中のあらゆる場所で作られ、使われました。
新石器時代には、石器も、打ち砕いたり磨いて、
必要な鋭さや滑らかさをもつ石器も使うようになりました。
このような石器を磨製石器と言います。
「磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」と
習うことも多いです。
テストそのものでは、「磨製石器」「新石器時代」という用語を
書かせる程度で、「テストで点数をとる」、「入試で合格する」、という目標の上では
新石器時代はあまり重要な分野ではありません。
しかし、
「私たち人類はいったい何者だろう?」とか
「私は、誰からも愛されない、誰からも蔑まれているのに、なぜ、この世に生まれてきたんだろう。」という
答えのない疑問の答えを探し出すには、この新石器時代はそのヒントになるかもしれない、と私は思います。
また学問的な意味で言えば、テスト用語そのものは出なくても、新石器時代を勉強することで
「歴史を学ぶ思考」がついていく第一歩のもの、だとも思います。
今回は以上です。
ご覧頂き、ありがとうございました。
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次回は古代の文明を見ていきます。
みなさま、本日もありがとうございます。
みなさま、本日もありがとうございます。
れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。
今回は、前回からの続きで第4回 人類の進化その2 です。
※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。
「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。
(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)
テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、
最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。
ただ、今回のシリーズは、
「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを
防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので
「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」
・・・という形にしています。
そのため、前回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、
今回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。
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第4回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その2
前回は、「石器の加工の違いで名称が分かれ、
打製石器を使い始めた時代を旧石器時代、磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」
そして
「気候の変動によって、生き残るために環境適応をすることによって人類は進化(変化)をしていった」
という話をしました。
今回は、その旧石器時代にどのように人類は進化し、
その後、生き残った人類(新人)が
どのように新石器時代を生きていくことになったか?
の話です。
(1)各人類を見ていく
猿人・原人・旧人・新人の順番に、人類の動きを見ていきます。
①猿人
今の人類の元になったと言われているのが猿人です。
最初の人類とも言えます。(※直接の祖先ではありません。)
猿人が誕生した時期には、
アフリカ大陸のみ人類がいたと考えられます。
前回(第3回)でお話したように、人類の先祖となる生き物(初期猿人とも言う)は
今の熱帯雨林気候のような気候であった地で暮らしていて、その生活で暮らしやすいような体つきになっていました。
(木登りをしやすい形)
しかし、途中で気候変動がおきて、人類(初期猿人)が暮らしていた地が
熱帯雨林気候からサバナ気候(草原が多い気候)になりました。
それで、人類(初期猿人)は、草原を移動しやすい、また、他の動物との生存競争で生き残るために、
二足歩行をする、という身体的変化を遂げました。(→この時期あたりからの人類を「猿人」と呼ぶことが多いです。)
その後、長い時間をかけて、猿人は、直立して二足歩行する、という身体的変化をしていきます。
現在、猿人は存在していません。絶滅しています。
ただ、猿人が絶滅してから、次に習う人類である原人が現れたと勘違いされがちですが、そういうわけではないのです。
猿人の中で枝分かれしていき、その中で、現在の人類と生活形態が近くなり、
また、直接、遺伝子につながった猿人を原人と称したと考えた方が理解しやすいです。(旧人・新人も同様)
前回、お話した打製石器を覚えていますか?
打製石器とは、石を砕いて作った石器のことです。
そして打製石器を作って、使い始めた時期を旧石器時代と言いました。
この打製石器を使い始めたのは猿人か?原人か?は、はっきりしておらず、学者さんによって異なるようです。
(なので旧石器時代が始まった時期もふんわりした言い方になります。)
その理由は、原人が打製石器を使ってたのは確かなのですが、
原人が生きていた時代に猿人系の人類も生きているので、
どちらが先に使ったか?は不明だからでしょう。
(その後、猿人は滅亡し、原人は生き残ったので。・・というか、生き残った猿人を原人と称した。のほうが近いかもしれません。)
猿人が打製石器を作ったか?は不明ですが、
骨などの推測から現在の人類のように直立二足歩行をしていた人類がいたのは確かです。
直立二足歩行が人類が人類たる証なのかもしれません。
猿人の例としてはアウストラロピテクス・アファレンスなどなど。
現在(2024年)の教科書を見る限り、「猿人」という言葉しか出ておらず、
昔(例えば1990年代)は「アウストラロピテクス」という言葉が教科書に出ていました。
そのため、「猿人=アウストラロピテクス」と勘違いする人もいました。
(猿人が日本語で、その外国語に当たるのがアウストラロピテクス
だろうという勘違い)
猿人にも色々なタイプがいます。
アウストラロピテクス・アファレンス、アウストラロピテクス・アフリカヌス、パラントロプス・エチオピクス、などなど。
アウストラロピテクス・アフリカヌスが初期の人類として最初に発見された人類なので、アウストラロピテクスという用語だけ
昔の教科書には出ていたのかもしれませんね。
②:原人
時期的には約260万年前、地球は氷河時代に突入します。
約70万年前には、寒冷な時期(氷期)と比較的暖かな時期(間氷期)を一定の周期で繰り返す時期になりました。
このようにお話しすると、次のように勘違いしがちです。
勘違いその1:「氷河時代」を「氷河期」を同じと思ってしまう。
勘違いその2:勘違いその1から、「約1万年前に氷河期が終わって、温暖な気候になる(そして現在はその温暖な気候)」
という記述を見て、「現在の気候は氷河時代でない」と思ってしまう。
という2つ。
「氷河時代」が始まった、というのは、「常に地球上のどこかに氷河が存在している」という時代のことです。
氷河というのは、一言で言ってしまう、巨大な氷の塊です。
氷は暖かければ、溶けます。
溶けない、ということは、その場所はとても寒いということです。
その氷河が多い時期を「氷期」と良い、
「氷期」に比べたら氷河が少ない時期を「間氷期」と言います。
そのため「間氷期」が「温暖な気候」と記述されます。
でも、その「温暖な気候」のときの「間氷期」でも氷河が残っています。
現在は、「間氷期」に当たります。つまり、原人が誕生するきっかけになった時代の氷河時代は現在もなお、終わっていません。
現在がいくら温暖な気候といっても、猿人が生まれたころの世界ほどは暖かくありません。
寒くて厳しい世界を生き抜くために人類は進化し、とくに知能が爆発的に発達しました。
そして約240万年前に人類はついに、火を使うようになります。
火をなぜ使うようになったか?というと、狩り・採集で手に入れた食べ物を調理するためではないか?と考えられます。
人間は生肉は食べられないですからね。
(ちなみに、肉を食べると知能が進化しやすい説もあるので、
もしかしたら人類が肉を食べられるようになったことで知能が爆発的に発達したのかもしれませんね。)
そして、この時期に、人類は簡単な言葉を使用したと考えられます。
(仲間と意思疎通しないと野生では生き残れないので言語は必須スキルになったのでしょう。)
この時期に発達した人類を原人と言います。
原人たちの中にはアフリカ大陸を出て、
ユーラシア大陸(アジアやヨーロッパ)にまで移動しました。
その原人の中で代表例として、
中国の北京で発見された北京原人や
インドネシアのジャワ島で見つかったジャワ原人
がいます。
中国や東南アジアまで原人は移動してきた証拠とも言えます。
その後も、いろんな人類が生まれていきます。
③:旧人と新人
約60万年前に原人より大きな脳&筋肉質の人類が生まれます。そのような人類を旧人と言います。
その旧人から、ネアンデルタール人、ホモ・サピエンス(新人)が生まれした。
ネアンデルタール人はヨーロッパ周辺に分布し、高い知能、高い身体能力をもっていたとされています。
新人(ホモ・サピエンスのこと)は約20万年にアフリカ大陸で生まれました。
そしてアフリカ大陸から世界中に広がっていきます。
その中で、ヨーロッパに住み着いた新人をクロマニヨン人と言います。
新人は、アフリカ大陸で誕生したが、打製石器をより精巧な作りにして、
狩りや採集を行い、獲物を追いながら、世界中に広がっていきました。
また、時代が進むにつれて、磨製石器を作り、使用するようになりました。
磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言います。
旧石器時代から新石器時代に移行した時期は、新人が誕生した後の時期に当たります。
新人と旧人であるネアンデルタール人は同時期に生きていた人類で、
現在生き残った人類は新人だけですが、この新人の祖先である私たち人類の遺伝子の中には、
ネアンデルタール人の遺伝子もごく少量ですが、含まれているそうです。
ネアンデルタール人の純血種は絶滅しましたが、彼らの遺伝子は新人に受け継がれていったのでしょう。
(人類の中でネアンデルタール人と交流のあった新人のみの話で
すべての新人にネアンデルタール人の遺伝子が入っているワケではありません。)
(2)テストについて
「人類の進化」は小学校では扱いません。
そのため、一部のの学校をのぞき、私立中学校入試で「人類の進化」を扱うことはしません。
この分野は中学生になって、初めて習う可能性が高い分野です。ただし、旧人については
中学校の教科書では明記されていないことが多いです。
「人類の進化」の分野は、猿人・原人・新人に分けて、
・・・・という図式が頭に入れば大丈夫です。
入試については、人類の進化の内容は、「絶対に出る!」という分野ではありません。
入試問題作成は、だいたいはその年の早い段階で完成していることが多いので、
完成後に、新しい発見などがあって、歴史が覆されるようなこともあるのは怖いことです。
なので、新しい発見がおきやすい歴史の内容のものは、極力入試では避けたいところかもしれませんね。
ただ、まったく出ないわけではないので、しっかりと覚えておくことは大切です。
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今回は以上です。
ご覧頂き、ありがとうございました。
画像で、もう少し、説明したいものもありますが、コンスタントに更新をしていきたいので
ひとまずアップさせていただきました。
ある程度、まとまったら、「新まとめノート」もアップ予定なので
またそのときに画像追加していきたいと思います。
次回予定:日本の旧石器時代と新石器時代の始まり
みなさま、本日もありがとうございます。
れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。
今回は、第3回 人類の進化その1 の話です。
※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。
「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。
(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)
テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、
最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。
ただ、今回のシリーズは、
「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを
防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので
「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」
・・・という形にしています。
そのため、今回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、
次回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。
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第3回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その1(導入編)
この時代は、世界史の分野です。頭の中で世界地図を思い浮かべて(または地図帳を開いて)
歴史の流れをみていくことをオススメします。
1:2つの石器時代
(1)石器で分ける時代
現在の人類と他の動物たちの生活では、明らかに生活形態が違っています。
昔は、人類も他の動物たちと同様に、自然の中で暮らし、他の動物の食物連鎖の中で闘い、
自生している植物(果物など)を採って食べていました。
しかし今は人類の生活は他の動物たちと違っています。
人類と他の動物たちとその決定的な違いを生み出したのは何だと思いますか?
答えは、「道具を作ることができたか?」の違いだと私は思います。
そして、道具をつくることができたのは「直立二足歩行」という身体的変化がおこったことが大きいのです。
道具を使うことができる動物は人類以外もいますが
道具を作ることができるのは人類だけです。
最初に作られたと思われる道具の素材の1つが石です。
石なら自然に存在している素材で、砕けば、先のとがったナイフのようになります。
このように石で砕いた道具の種類を石器と言います。
先のとがった石器を使って、獲物を狩る凶器につかったり
獲った獲物の肉を切ったり、皮から剥がしたり、していました。
(肉は食べ物として、皮は服として。)
石器を木の太い枝の端っこにつけて、槍として使ったりも。
石の種類はいくつもありますが、その中で、主要な材料として使われた石が、黒曜石(こくようせき)です。
黒曜石はマグマの一部が急速に冷えて、固まった火山岩の1つで、ガラスのような鋭さがあります。
石器の作り方・加工の違いで、打製石器と磨製石器に分かれます。
石器には大きくわけると2種類あり、
石を砕いて先をとがらしたものを打製石器、
打製石器よりより精巧で研磨され滑らかな持ち味にあったものを磨製石器
と言います。
そして
打製石器を使い始めた時代を旧石器時代、
磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と分けます。
今回(&次回)、勉強する、人類の進化の内容は、ほぼ旧石器時代の歴史で新石器時代に移り変わったところまでの歴史となります。
※ただし、新石器時代になったら、打製石器が磨製石器に全て代わったわけでなく、新石器時代に、磨製石器という新しい道具が作りだされ、打製石器だけでなく磨製石器も使われるようになった、というコトです。
時期的には、現在の人類の祖先にあたる人類(新人)やその同時代の人類(旧人)が打製石器を使い始めていますので、
旧石器時代が現在の私たちの人類としての歴史のスタートと考えても良いでしょう。
2:人類の進化を学ぶにあたって
現在の人類が生まれるまで、地球上では、環境・気候の変動はたくさんおきました。
その気候に対応できるようにな、さまざまな人類が生まれ、進化をし、また新しく生まれ、滅亡する人類が出てきました。
現在では滅亡した人類たちと現在、唯一残った人類(今の私たちの直接の祖先)が
同じ地球内で共存していきている時期もありました。
そして、時を経て最終的に残ったのが、今の人類です。
この時代を勉強するときに、
「あいまいなことが多い」
「地理の気候の分野と高校レベル以上の理科の知識と理解力」
が必要な内容も多いです。
「あいまいなコトが多い」のは、まだ不明なこと、専門家の中でも意見が分かれるところがあるからです。
なので、もし、この分野で、本を調べてもわからないコトがあったら、
「不明なため、誰にもわからないもの」なのかもしれませんので、わからなくても焦らなくて大丈夫です。
小学生・中学生のうちは、テスト対策という点では、
まずは、「人類」の進化の過程や特徴、旧石器時代・新石器時代について理解する・覚えることで十分です。
「人類の進化」を理解するに当たって、当時の気候とリンクさせて物事を考えることは大切です。
今でも暑い日と寒い日で服装を変えて生きています。
暑い地域と寒い地域では生えている植物も違います。
気候によって地形も変わり、そこで求められる生活形態も身体能力も変わってきます。
例えば、現在でも熱帯、温帯、寒帯の人々の暮らしが全然違うことを考えれば、
当時、熱帯雨林気候の暮らしに完全カスタマイズしていた人々が、
気候変動で、雨が多い熱帯雨林気候から雨が少ないサバナ気候に自分の住んでいる地域が変化したら、そ
の環境に適応できなかったら亡くなってしまい、
生活の工夫や身体的変化ができた環境適応できた人のみ、生き残っていきます。
これが「結果的に新しい人類が誕生した」という事実として歴史の内容に載ります。
環境の変化(気候変動)は、人類が誕生して何度もおきています。
そして人類は「環境」に適応するための工夫をし、
それによって、また「進化」という「新しい人類の誕生」を何度も繰りかえしていった、
と思われます。
このように地理の内容の気候を主軸にして人類の進化を見ていきましょう。
(2)人類の進化
1:全体の流れ
①「人類の進化」の流れ
これから人類の進化を具体的に見ていきます。
この時、各々の特徴から人類を大きく4つに分けて見ていきます。(猿人・原人・旧人・新人)
それぞれの人類の特徴と、その特徴になった気候を考えて見ていくと、頭を整理しやすいです。
②人類の誕生
地球上に人類が現れたとする時期は、
今から約700万年前です。
そのころの人類は、現在のチンパンジーと同じ祖先から進化した生物でした。
初めての人類は、アフリカで生まれ、気候変動に合わせて身体的進化などを繰り返し長い時間をかけて世界に広がっていきました。
まず(1)では猿人・原人・・・などの名称を使わず、全体的な流れを見ていきます。((2)で名称を使います。)
(1)初めての人類(旧石器時代以前)
初めての人類は熱帯雨林の生活に適した生物として誕生しました。
彼らは、高い木に登り、そこで木の実をとったり、という、チンパンジーや猿と同じような生活をしていました。
このような地形だと、足腰は曲がっていた方が、木に登ったり、木から木へ移動しやすいです。
<人類の第一の変化>
しかし、気候変動で当時の人類が住んでいたアフリカの地は、高い木が少なくなり草原になりました。
今の気候区分でイメージすると多くは熱帯雨林気候であったところがサバナ気候に変化したと考えると良いです。
登れる木も、たくさんあった果実の木も簡単には見つかりません。
そうなると、立って歩かないと命の危険があります。肉食動物たちに襲われてしまいます。
また遠くまで見渡せないと、どこに食べ物があるかわからなくなります。
イメージ的に、植物の木の実がたくさんあった熱帯雨林から
植物が少ない野生動物いっぱいのサバンナに放り出された感じでしょうか?
そして、生き残るために、人類はどう肉体を進化させないと生き残れないか?を考えてみましょう。
そこで人類の祖先は、肉食動物がいるサバナ(草原)で生き残るために、
後ろ足でまっすぐ立ち、歩けるよう身体が進化します。いわゆる二足歩行という歩き方です。
二足歩行の歩き方は段階を経て、進化(変化)していきます、
約300万年の時をかけて、人類は直立で歩けるようになりました。
このように、まっすぐ直立に二足で歩くやり方を直立二足歩行と言います。
まっすぐ歩けることから、首の骨に負担がかからなくなり、脳のほうに余裕ができ、脳の容量が増えていきました。
脳の容量が増える、というのは、知能が高くなっていくということです。
「知能が高くなる」というのは「予測することができる」&「0から何かをつくり出す」能力も増えてくる、
ということです。
図で、どういうことか?も参照してみてください。
(2)人類 第二の変化とその後の変化(旧石器時代の始まり)
脳の容量が増えていったことで最終的に精神的な進化、つまり
言葉を話す、
技術力の向上→道具を作る&使うことを考える、
計画を立てる、
集団行動する、
火を使う
・・・という行動ができるようになる、という結果につながっていきます。
(木の実だけでなく、栄養価の高い肉を食べるようになったことも知能が発達した(進化の)要因の1つと言われています。)
このような「進化(変化)」をとげたきっかけは、地球の環境に大きな変化があったからです。
地球は、今も続く氷河時代に突入し、氷や雪のある生活に変わり、火を使ったり・・・と環境適応する必要があったのです。
また人類は、親指とそのほかの指が分かれている(筋肉的・骨格的に親指だけ独立している)身体であることも大きく、
物を持つ、持ったまま動かすことができるようになりますので、
これが道具を使うこと&作ることができる身体的な進化にもつながっていくわけです。
まとめると、人類は、気候変動による環境の変化に合わせて、長い時間の間に
二足歩行+道具を使うようになり、火や言語も使用し、集団で行動するようになりました。
<旧石器時代のはじまり>
最初は「道具」を「使う」のみ、つまり、
自分の周りにある木の枝や石などを、食べ物をとる道具や自分を守るために使っていた形でした。
それが途中から自分で石を加工して道具を使うようになりました。
その道具が、先ほどでもお話しした「石器」と言われる物です。
石器も時間をかけてバージョンアップしていきます。
( 3)旧石器時代と新石器時代の違い
先述した内容ですが、もう1回復習という意味もあって、もう1度お話しします。
石器の種類は、作り方の方法によって大きく2つに分けられます。
まず、先に誕生した石器が打製石器です。
この打製石器を使い始めた時代のことを、旧石器時代と言います。
旧石器時代は石器の出現から農耕の開始の時期をさし、
時期的には約200万年前あたりから旧石器時代は始まります。
※始まりの時期は、人類はアフリカ大陸のみに生息しています。
その後、誕生したのが磨製石器です。
磨製石器を使い始めた時期のことを新石器時代と言います。
新石器時代は、地域によって異なりますが、約1万年前の時期前後から、です。
この時期は、今の地球の地形・気候になった時期ぐらいに当たります。
現在までに発見された人類の骨などから推測した、脳の容量の大きさをもとに、
どのような道具や生活をしていったのか?で
おおまかに4種類の名称に人類を分けられています。
(ただし、人類の歴史は日々新しい発見があるので、日々変わっているので、今回はその1例です。)
大きく分けると、猿人・原人・旧人・新人に分けます。
(ただし、中学校では旧人を扱わないことが多いです。)
次回は、この猿人・原人・旧人・新人について詳しく見ていきます。
今回は、名称としては、石器の名称(打製石器・磨製石器)と、それに伴う時代の名称(旧石器時代・新石器時代)を意識し、
時代の流れを知ること、と、人類の進化(変化)は気候に大きく関係すること、理解することをメインでお話しました。
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今回は以上です。最初の導入で、自分としては「もう少し、わかりやすくできたのでは?」という
反省点はあります。
ただ、最近、「完璧」を目指すと、すべて放棄してしまう傾向があるので、
これから、定期的に図を追加したり、言葉や構成を変えるつもりではありますが
ひとまずアップさせていただきます。
ご覧頂きありがとうございました。
次回予告:第4回 人類の進化2(猿人・原人・旧人・新人)
みなさま、本日もありがとうございます。
今回も、れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。
今回は、第2回 年号・西暦・世紀・時代 の話です。
※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。
ではでは始めます。
れくす先生の歴史授業 第2回「年号・西暦・世紀・時代」
では、第2回の授業を始めます。
「歴史を学ぼう!勉強しよう!」と突然、言われても、
どうやって勉強したらいいか、わからないですよね。
そこで必要な、頼もしい相棒が「数字」と「言語」となります。
人間が歩んだ歴史を
数値化・言語化(単語づけ)をすると情報を整理しやすく、理解しやすくなります。
自分独自の数値化・言語化をするのも悪いことではないのですが
共通の数値・言語で考えた方が、あらゆる書物を自分で読み、疑問に思ったことも調べやすくなります。
そこで、歴史を学ぶにあたって、
ア:歴史の流れを数値化したもの・・元号・西暦など
イ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など
今回はアの話(歴史の流れを数値化したもの)を見ていきます。
1:歴史の数値化(元号・西暦など)
歴史を数値化して見るには1年単位で数値化して見ていくことが多いです。
私たちが日本で、数値化された歴史を学ぶには、今は2つのタイプがあります。
それが、
古代中国式の数値化、と、ヨーロッパ式の数値化のものがあります。
ア:古代中国式の数値化のもの:「年号(元号)」
この「年号(元号)」は日本でも独自で制定されています。
イ:ヨーロッパ式のものが「西暦」
西暦とは、西洋の暦で記されたものです。
ヨーロッパ地域のことを「西洋」と日本では言うので「西洋の暦」で「西暦」と考えて良いでしょう。
もう少し、細かく見ていきましょう。
ア:年号(元号)
年号(元号)とは、陰陽五行説、王朝交代の易姓革命という考えのある古代中国で生まれた暦(カレンダー)の考え方です。
元号は、君主(皇帝)が代わったとき、や、なにかの事件や大きな変換期があったりするときに、名称を変える暦の考え方です。
日本でも飛鳥時代から古代中国式の暦の考え方を導入しました。今でも、年号(元号)は使っています。
(年号と元号の違いは、違いがあるという説はありますが、今は、ほぼイコールと考えて良いです。
ただし、明治時代からか一世一元の制に変更になり、1人の天皇につき、1つの元号と定められました。
元号のほうが法律用語になります。)
年号(元号)の表し方は、たいがいは、「漢字2文字に数字+年」です。
日本の年号(元号)の例としては、大化1年、承久2年、昭和23年など。
日本史においては、年号(元号)の漢字で歴史的事件などを表すことがあります。
大化の改新や承久の乱など。
歴史用語というのは、その歴史事件が起きた後に、つける用語なので、そのような名称をつけることも、よくあります、
なぜ「このような歴史用語なの?」と疑問と不安を感じて、
それでパニックをおこして頭が真っ白になるタイプの子は
「この謎の単語は元号(年号)由来の用語なのかも?」と思うことで、パニックを防げるかもしれません。
そして、よくテスト勉強で「年号を覚える!」と言いますが、
それを文字通りとってしまうと、
「大化の改新は大化1年」と覚えなきゃいけなくなります。
でも、実際には「大化の改新は645年」と覚えますよね?
(※数値は覚えなくてもテストで点数はとれます。それについては、別記事で。)
その645年、という数値の表し方は、次、お話する西暦になります。
イ:西暦
西暦はヨーロッパで広く信じられているキリスト教に関係する暦(カレンダー)です。
キリスト教はイエス・キリストを救世主として信じる宗教です。
そのイエス・キリストが生まれた年を紀元の年(はじまりの年)とします。
(紀元とは、ある出来事がおこった年をスタートの年として、それから何年経ったか?を事件で計測するものです。)
そのキリストが生まれる前を紀元の前なので紀元前、
キリストが生まれた後は紀元の後の年なので紀元後、という単位をつけます。
また、アルファベットで紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と表記することもあります。
※B.C.は英語の「Before Christ(キリストより前の)」、A.D.は
ラテン語(古代ローマで使われていた言語)の「Anno Domini(主の年に)」の略です。
略を表すのに「.」をおきます。(※Beforeの略でB.)
表し方の例としては、紀元前3年、B.C.3年、紀元後4年、A.D.4年、など。
ただし、紀元後(A.D.)は省略することもあるので
もし「4年」とだけ書いてあれば、それは「紀元後4年」のことです。
ここで気をつけたいことは、
紀元の元年の年から見ることになるので
紀元前・紀元後は、その元年の年からどれだけ離れているか?で考えます。
そのため、紀元後1年と紀元後2年なら、時間軸としては紀元後1年のほうが古い年ですが
紀元前1年と紀元前2年なら、紀元前2年の方が古い年になります。
この内容が、定期テストで出ることもあるので、頭の中で数直線を考えて解くようにしましょう。
(わからなくなったら、メモで数直線を書くのもありです。)
イ-2:世紀
さらに、西暦では100年ごとに区切る単位があります。それが世紀というものです。
1世紀は1年~100年、2世紀は101年~200年です。
よく2世紀は200年代と思ってしまう人もいますが、2世紀は200年を除いて、ほぼ100年代です。
もし、頭がぐちゃぐちゃになるようなら、教科書やテキストに
「○世紀」という表記のそばに「××年代+□□年」とメモをしておくのも手です。
ノートでも、「○世紀」と「××年代+□□年」と記す形だと
頭がスッキリするかもしれません。
次はイ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代を見ていきます。
2:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など
人類が歩んだ膨大な時間を、ひたすら順番に学んでいく形にすると、情報過多に感じますので、
ある程度、区分けをすると、頭が整理しやすくなります。
社会のしくみや政治の中心地などで変化がおこったごとに区分して、その区分にそれぞれ名称をつけていきます。
その区分の1つを「時代」と言います。その時代の名称と、その順番を覚えていくことも大切です。
(1)時代区分
よく使う時代区分は、大きく区分したもの、さらにもう少し細かく分けて区分したもの、があります。
大きく区分したものは、社会のしくみの特徴ごとに時期を区分しました。
古い時期から順に、原始・古代・中世・近世・近代・現代、です。
国ごと、地域ごとに、この時代区分の名称は使いますが、時期がズレることがあります。
この授業では、私立中学受験をする予定の小学生の受験対策、そして中学生の定期テスト&高校受験対策、を想定して
お話をしているので、日本史の時代区分と西洋史の歴史区分に特化してお話する形になります。
原始・古代~近代・現代よりも、もう少し詳しく分けたのが、「○○時代」という名称と思っても大丈夫です。
この授業では、日本の「時代」の名称のみ扱います。
日本の時代区分では、だいたいは政治の中心がどこにあったのか?で区分しています。
ただし、政治の中心がはっきりしない(そもそも中心地がない、もしくは中心地があるが形式的なものだったりするもの)ものは
その時代の文化や、社会の特徴を主軸に区分することもあります。
また、ある時代の一時期のみを、また別の名称で表すことがあります。(南北朝時代や戦国時代など)
※明治時代以降は、「時代区分」というより、年号(元号)の表し方です。
日本の○○時代を古い区分から書いていくと、
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、
古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、
鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代、
明治、大正、昭和、平成、令和、・・・・・となります。
世界史的には、旧石器時代の後の時代は新石器時代なのですが、
その新石器時代にあたる部分は日本では縄文時代となります。
日本の政治の中心の場所が、ある程度明らかになる時代は、古墳時代あたりです。
飛鳥時代は奈良県の現在の明日香村が政治の中心地、
奈良時代は同じく奈良県が政治の中心地ですが、明日香村でなく現在の奈良市が政治の中心地になります。
※ただし、飛鳥時代、奈良時代の間には、一時的に別の地域(難波、大津、恭仁など)に都をうつすことはありましたが
多くの時期が明日香村、奈良市(最終的にその場所に戻ってくる)が政治のメインなので、
時代区分としては、飛鳥時代・奈良時代として分けていると思われます。
平安時代は、京都府京都市が政治の中心地になります。
古墳時代から平安時代の政治の中心は、大王(のちに天皇)を中心とした朝廷になります。
(ただし、大王・天皇の権力の強さや政治の仕組みは時期によって変わってきます。)
鎌倉時代から江戸時代は、朝廷は存在していますし、幕府とは密接な関係を持っていますが、
幕府が政治の実権を握っている状態っています。
(その実権の強さは時期によって違います。)(安土・桃山時代は除く。)
この時代の多くは、政治の実権は「武士」が握っている時代です。
幕府が、神奈川県鎌倉市にあった鎌倉時代(始まりは、幕府を開く前から)、
京都府の室町にあった室町時代(途中で幕府そのものは室町から移動している)
東京都(江戸)にあった江戸時代
・・・という区分けです。
安土・桃山時代は、当時の権力者の居城の場所からの名称です。(居城とは、領主が拠点とする城のこと。)
織田信長の居城が安土城(滋賀県近江八幡市安土町)であった時期を安土時代、
豊臣秀吉の居城の伏見城(京都市伏見区桃山町)であった時期を桃山時代、
と言います。
ただ、この時代区分は、あくまで「情報整理」しやすいための時代区分なので、
その時代を生きていた人が「今は、○○時代だな~」と考えて生きていたわけではありません。
「後から考えて、○○時代」と名付けられるわけです。
そのため、がっちりと「××年から、○○時代」としているものからもあれば、
「この時期あたりから、○○時代」としているものもあります。
さらに、鎌倉時代などは、昔は「1192年」からでしたが、「1185年」とするのが主流です。
1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年ですが、
1185年の時点で、源頼朝が全国の武士を自分の支配下においた年(守護・地頭をおいた年)となります。
源頼朝が武士のトップにたち、政治をスタートしたのを考えれば1185年から鎌倉時代と見るのか、
その武士のトップとしての官職(朝廷での職業)としてスタートしたのを考えれば1192年から鎌倉時代と
見るのも正しいです。
何が言いたいか?というと、テスト勉強においては
「何年から○○時代か?」をこだわる必要はありません。
もし、「何年から○○時代か?」を考えたいなら、かなりの知識量が必要で
これこそ大学に入ってから考える案件だと思います。
なので、その時代区分は、情報を整理するためのもの、と考えて、
パニックにならないで勉強し続けていけば良いでしょう。
(2)時代区分1と時代区分2をすりあわせる
(1)でお話した区分を、すりあわせていきます。
日本の場合は、
弥生時代の途中あたりまでを原始、
弥生時代の途中あたりから平安時代の終わりあたりまでを古代、
平安時代の終わりあたりから室町時代の終わりあたりまでを中世、
室町時代の終わりあたりから江戸時代の終わりあたりまでを近世、
江戸時代の終わりあたりから第二次世界大戦終了時までを近代、
それ以降を現代、
という形になります。
画像でまとめてみました。
どうして、「途中あたり」「終わりあたり」と、ぼやかしいているような書き方か?というと
歴史というのがどういうのか?を考えると予想がつきます。
現在でも、何かの制度が新たに導入されたり、トップの変更があっても
その導入された瞬間、変更の瞬間に劇的に変わるわけではないですよね?
徐々に、徐々に変化していって、後から考えれば、あのときが変化のきっかけだったな、
と思うわけです。
歴史で使う用語は、後の世界に決まるものなので。
・・・・ということから、
「変化したのは、この時期あたりだよね?」ということになるので、あいまいになります。
歴史を学ぶ際は、はっきりしているようで境界線があいまいなことは多々あります。
「あいまいな表現」であると理解しづらい、不安感を覚える人はいると思います。
私もそうでした。世の中では「歴史はハッキリしている」という風潮で教えられることもあり、
「ハッキリしている」「あいまいである」の、異なる矛盾した事実のダブルバインドが
私の中でおこっていました。
だから、小・中学生のとき、歴史は苦手でした。
、「歴史は、あいまいである」ということで1つに決めてしまえば、
ダブルバインドにならないので、そう思うようになってからは歴史の勉強は楽になりました。
「あいまいなところはあいまいなまま」で良いんです。
今回は以上です。
とても長々と話す形になりました。
この部分は「最初から、全部覚えてからでないと、具体的な歴史の勉強に進めないの?」と焦らなくて良いです。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代・・・と勉強していくにつれて、何度も見返してくうちに、覚えていくことになりますから。
勉強して「ん?」と思ったことがあれば、その都度、この内容を見直していくと良いと思います。
では次回から、具体的な歴史を見ていきましょう。
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今回は以上です。ご覧頂きありがとうございました。
この授業はあくまで、私の個人的意見で書いていますので
もしお気に召さないものがあれば、そっと記事を閉じていただけると助かります。
やっと次から具体的な内容に入ることができます。
まだ記事の画像ができていないので、完成次第、アップいたしますね。
次回予告:人類の誕生