社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

れくす先生の歴史授業10 古代中国の春秋時代と戦国時代

2025年02月13日 21時32分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

今回は、「れくす先生の歴史授業」の
続きです。

今回は、古代中国の
春秋時代戦国時代です。


1 春秋時代と戦国時代について


この時代、
よく「周王朝がなくなって、
そのあとに、春秋&戦国時代が始まった」
と思われがちなのですが、
実は違います。

春秋時代には、周王朝そのものは
存在しているのですが、
ほぼ実権がないというか、
地方のトップ(諸侯)同士が
争って、その権力争いで
勝った諸侯が
周王朝を動かした、
というイメージです。



下の画像が春秋時代のイメージです。



春秋時代は、王そのものは一人(周王)です。実権は持っていても、地方のトップは「諸侯」のままです。


しかし、戦国時代になると
「王」を自称する人々が増えました。
(戦国時代になったから、「王」を自称したわけでなく、「王」を自称する人が増えた時期あたりを、後世の人々が、そこで、区切って名称をつけた、という形ですが。)

周王朝の周王も
他の諸侯をまとめる唯一王ではなく
数いる王の中の一人の王となります。

イメージとしては、
春秋時代よりも、各国が
それぞれ独自の政治形態、思想、文化を
持ち、国同士で手を組んだり、
実質的な配下に下ったり、
そういう、
各国同士が独立したような状態に
なりました。

下の図がイメージ画像です。








この春秋・戦国時代
分裂と抗争(戦争)の時代で
500年以上、続いています。

500年以上です。

とてつもなく長いですね。

この分裂と抗争の間に
各国は自国が負けないように(滅びないように、勝てるように)、色々と行動した結果
あらゆるものが生まれました。

その中でも、現在、国語の古典でも習う
諸子百家の思想が生まれたことが
後の中国、そして、日本を含む
東アジアの国々の歴史を大きく
影響していきます。







諸子百家という漢字を「諸氏百家」と
書き間違える方もいます。
「氏」でなく「子」です。
「子」とは「先生」の意味です。

春秋時代、戦国時代には
諸侯や王が自国を守るため、強くするため
自国の統治方法や戦法、
つまり、リーダーシップのとり方を
模索します。

そのリーダーシップのとり方を
話した、まとめたのが、諸子(先生)たち
なのです。


今の平和な時代で考えるリーダーシップは
「絵空事」「偽善的」「理想論だけ」な
「実のないリーダージップ論」
だったりすることもありますが、

春秋時代、戦国時代は
「結果の出せるリーダーシップ」が
必要になります。

「キレイゴト」ではすまされない、
現代での「キレイゴト(皆仲良く、皆で話し合うことのみでしか力がつかない、という、一部の人に都合が良いだけの空虚なもの)」の価値観からすると
「ん?!」と思う人もいるかもしれませんが

諸子百家の人々の著作(本人が記したものだけでなく、話したことをまとめたもの)を
読むと、「人間というのを、きれいなところも汚いことも知ったうえで、どうリーダーシップをとるか?」がベースになってます。

つまり、「現実的なリーダーシップ」
なのです。


とてつもなく長い戦乱の時代だったのだから
「実力」がすべて。
「実力」とは「何も努力しないで、知識を持たなくても、なんとなくできてしまう」という意味のものでなく
「あらゆる努力、知識をもってして、結果を出せること」を「実力」と言うと私は思います。


このように、春秋時代、戦国時代には
諸子百家の考え方が
多く生まれました。


その中で、
韓非子法家
孔子儒家儒教)のみ、
中学では習います。

ただし、社会(歴史)では孔子の儒家(儒教)のみ用語が出てくることが多いです。

韓非子は国語(古典)で習った
「矛盾(むじゅん)」の話の作者です。

韓非子(法家)の考え方を元に
政治をしたのが、のちに中国を統一した
秦の始皇帝です。

儒家の考え方をベースに政治をしたのが
漢王朝になります。
そして、漢王朝をベースにして
その後の多くの
中国の王朝は進んでいくので
儒家の考え方(儒教)は
中国、そして、中国と貿易した東アジアの
歴史人物の行動原理にもなってきます。



今回は以上です。

次回は、

秦王朝と漢王朝の成立、

そのあとで、
諸子百家の儒家と法家、そして、
中国の王朝交代のときに考えられる
陰陽五行説の放伐、禅譲(ぜんじょう)の
考え方、そして、朝貢貿易の考え方を
説明したいと思います。


ご覧いただき、ありがとうございました。





れくす先生の歴史授業9  周王朝の成立

2025年02月05日 15時41分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございました。

れくす先生の歴史授業、の続きです。


前回から中国の歴史(中学生で習う範囲)
始めました。

前回は殷王朝の時代をお話しました。

今回は、周(しゅう)王朝です。


1 はじめに

周については、中学では、
ほとんど習いません。

しかし、周王朝、
さらに、春秋&戦国時代を
理解することが

中国史、さらに、日本史の
全体がより鮮明に理解しやすくなります。



それはどうしてか?というか、
殷王朝までは宗教と、かなり大きく
結びついた王朝でしたが

周王朝からは、「人間」同士の
結びつきで歴史が動いていきます。
 

そして、王朝の政治形態、そして、
春秋時代戦国時代で生まれた
政治形態や、
政治思想&哲学(諸子百家の考え方)、
などが
秦の時代以降の歴史の基礎を作っていきます。

さらに、のちの日本でも
春秋時代、戦国時代に生まれた
諸子百家の考え方が大きく影響して
歴史が作られていきます。


諸子百家の考え方の中で
「儒学(儒教)」は、日本で多大な
影響を与えています。

儒学をベースにした漢王朝から
日本は中国の王朝に大きく影響して
いきます。
中国の王朝は、漢王朝から儒学ベースの
王朝と見ることもできるため、
日本はその後の中国王朝を手本に
国の政治をつくっていくので
かなり「儒学(儒教)」は重要です。
かなりあとの歴史、たとえば、
鎌倉幕府の滅亡から南北朝の動乱、
徳川綱吉の政治、なども
儒教について知っていると
歴史の流れが理解しやすくなります。


さて、話を周王朝に戻します。





2 殷王朝滅亡と周王朝の成立

まずは、殷王朝のおさらい。
(↓画像を参考してください。)


殷でも周でも、同じことが言えますが

殷という、1つのまとまりで
すべての地域が殷の王様が直接支配している、というわけでなく、
各地域にその地域の首長(トップ)がいて
その各首長が各地域をまとめます。

ただ、あらゆる地域の首長が、
殷の首長(トップ)を首長のトップとして
まとまることにした形です。

つまり、殷の王が、トップの
トップとしての
役割を果たさなくなったとき、
他の地域のトップが、
殷グループから
離脱しよう、
でも、それを殷はゆるさない、
そして、最終的には
殷を倒さなければ、
解決しない、という形になり、
戦争がおこり、
最終的に殷は滅亡し、
別の地域のトップだった周が
他の地域のトップのトップに
なって、まとめていきました。

いわゆる「地方分権」という
やりかたです。

下の図に書いてみました。
(イラストのイメージはあくまで
地方分権の説明イメージで、
周王朝そのものの王を
表しているわけではありません。)



そして、地方分権で、
各地域の土地は、
その土地のトップの土地として
保証されます。

このように、
その地域のトップが
その地域の「土地」を領有したまま
地域をまとめ、
各地域のトップ(諸侯)が、
従うのは王
という形のことを
封建制度と言います。

諸侯(しょこう)というのは、
地方のトップで、
土地を領有してその地域の政治を
している役目(身分)の名称、

というのは、
各地域のトップ(諸侯)を
まとめている役目(身分)
と思ってください。


周王朝成立時、
諸侯は、地方ごと(国ごと)にいるため
多く存在しますが、王は一人です。
その王に就くのが、周の国の人だった、
ということです。


このような形は、
細かな違いはありますが
日本の封建時代
(鎌倉時代から江戸時代)
でも同じです。

封建制度を完全理解するのは
難しいのですが
ここを自分の中で
ある程度、理解しておくと
あらゆる歴史の流れが
わかりやすくなります。


画像にもまとめました。↓↓





このように、紀元前11世紀ごろに
地方分権でまとまった周王朝
でしたが、紀元前8世紀ごろから
王の力が衰えてきます。

そのため、諸侯たちが周の王の意見を
聞かなくなります。
そして、諸侯たちで権力争いがおこるのが
春秋時代です。

春秋時代には、まだ周王朝そのものは
存在しています。

では、春秋時代、戦国時代は
どういう時代だったのか?は
次回説明します。


ご覧いただき、ありがとうございました。

れくす先生の歴史授業8 中国文明の始まりと殷

2025年01月31日 15時52分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

れくす先生の歴史授業の続きです。

前々回はメソポタミア文明、エジプト文明、
前回はインダス文明(+その後のインド文化)を行いました。

今回は、中国文明です。




1 はじめに

他の文明と違い、中国文明のみ、
中学では「王朝」名を
習います。
(高校レベルだと、
他の文明でも王朝名を習います。)

また、教科書によっては、そのまま、
中国の王朝の歴史に進みます。

そのため、中国文明というくくりで
あまり習わないことが多いです。


そもそも「文明」というくくりも、
歴史の情報を整理しやすくするために
つけたものにすぎなく、
どこまでの時期を「文明」とするか?
にこだわるよりも
「文明という名がつくのは、その地域の
大規模な集団生活が始まったんだよ、
ということなんだな」という程度で
考えても良いと思います。




2 黄河の文明、長江の文明

中国の文明そのものは
黄河流域でも長江流域でも
おこったとされています。


地理でアジア地方を習ったときに
中国の2つの大きな川として
黄河長江を習います。

「河」も「江」も、
「河川」の意味が入っているので
「〜川」とはつけません。
河川名と聞かれれば
「黄河川」「長江川」としずに、
「黄河」「長江」と書く形になります。


また、黄河と長江では、気候や植生も
違ってきます。

古代の黄河では、畑作で
稗(ひえ)や粟(あわ)を、
長江流域では稲作で、稲(米)が
栽培されて
そこで多くの人が住み、
それぞれの文明が
築かれました。

黄河流域は乾燥している地域が多く、
長江流域は温暖で夏に雨が多い(温暖湿潤気候)である地域が多いです。

今は品種改良されて、稲(米)は涼しいところでも、水が少なくても作ることができますが、元々の稲は、
暖かくて、育つ時期の夏に雨が多い
ところである必要がありました。

そのため、長江では稲が栽培できますが、
乾燥して涼しい気候である黄河流域では
水を多く必要としなくても育つ(畑作で育つ)、稗や粟が栽培されました。

中学生の習う歴史では
それぞれの河川で生まれた文明を
習うわけではありません。

中学では、黄河流域
生まれた王朝の
(いん)」から始まり、
さらに黄河流域の王朝をメインに
勉強していきます。


他の地域の歴史でも同じことが
言えますが、
その国の歴史を考える時、
今の国の領土という広さで
歴史を見ないようにします。


今の価値観からすると、
小規模な地域での歴史です。
今の中国という国の規模で
考えるのでなく
黄河流域での都市の規模(都市国家)での
王朝と考えてください。

そして、黄河流域の王朝が、
あたらしい王朝にうつりかわっていくうちに
初期には、いわゆる連合を組んで
グループ内で
まとまっていた形(地方分権)から、
1つのトップ(皇帝)が地方までまとめていく形(中央集権)に変化し、
だんだんと領土を広げていきます。

殷は地方分権の王朝で、
中国が中央集権国家になったのは
秦のときです。

(地方分権と中央集権については
後日、別記事でアップします。)

今の中国の、長江流域まで領土が
広がるのは、かなり時間がかかりました。

教科書や資料集には
地図が載っているので
各王朝、各時期、の
勢力図を見てみると
よりわかりやすくなります。






3 殷

さて、中学レベルで習う中国の王朝名で
最初に出てくるのが「(いん)」です。  


殷王朝以外で「殷」という漢字を
日本では、ほぼ使うことはありませんので
初めて習うと「難しい」という印象を
うける人もいるかもしれません。

しかし、そこで焦らず
じっくりと勉強していただければ
良いと思います。

中国の王朝で、黄河流域で成立し、
現在歴史上で最も古い王朝と言われている
のが「殷(いん)」です。

神話や伝説では、「殷」より前に「夏(か)」という王朝があったと
言われていますが、
「夏」の遺跡や遺物などが出ていないため
「歴史」という点では
「現存していると歴史で確約されている」のは遺跡が出ている「殷」となります。




殷の遺跡のことを
殷墟(いんきょ)」といいます。

「墟」とは
「歴史的なできごとがあった場所(跡)」という意味なので、
「殷という王朝があった痕跡のあるところ」=「殷墟」となります。


殷は、メソポタミア文明やエジプト文明で栄えた国々と同様、宗教と強く結びついた王朝です。

ノートに殷について
まとめました。









殷では
戦争など、何かの決定で大きく後の歴史が変わるような出来事を考えるときには
占いをして、決めていました。


その占いの結果を記した文字を
甲骨文字と言います。



甲骨文字は、亀の甲羅や牛の骨などに刻まれた文字なので、「甲羅の甲」、「骨」の文字をとって、甲骨文字と呼ばれてます。


甲骨文字は後の漢字の元になる文字で
今、使っている「山」などの文字は
「甲骨文字」に似た漢字です。


殷王朝の時期には
まだ鉄器は使われておらず
青銅器が使われていました。

殷の青銅器なのですが、
かなり複雑な文様や形のものがつくられ
高度な技術がないと作るのが
難しいと思われるものだそうです。
現代でも、その作り方の詳細は
不明らしいです。

失われた技術、とも言えます。


私達が歴史を習う時、
とくに技術や学問に関して言えば
「現代に近づけば近づくほど
技術や学問は発展している」
「昔の人は、何も知らなく、
技術は今の技術よりも遥かに劣っていた」
と思い込みやすいです。

しかし、実際にはそうではありません。
もちろん、「ファスト」という意味では
現代のほうが先進的でしょう。
一度に同じレベルのものを定価価格で
作りだす技術は、今のほうがあるかも
しれません。(もしかしたら、新しい歴史の発見があれば、それも変わるかもしれませんが。)


しかし、「技術力」のみに特化すれば
過去に、現代より優れた技術を作って
いることもあるんです。

また、私はふだん生活して
金属を作り出す技術を自ら発見
できる才能はありません。
しかし、過去に、人類初の金属生成を
発見し、発展させた人々がいるからこそ
今があるわけです。


過去のもの、昔の人々が
現代の我々より
「無知」「劣っている」
「かわいそう」など
と思って歴史を見ると
歴史を理解できません。

必ず、「敬意」を払って、
その時代、その時代の人が
どう生き抜いてきたのか?を
考えて見る必要が私はあると
思います。


今回は以上です。

次回は、周王朝成立時と、その後の
春秋時代、戦国時代を行います。

なるべくはやく、完成して記事をアップできたらいいな、と思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。


れくす先生の歴史授業7 インダス文明とその後のインド文化

2025年01月20日 08時00分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。


前回の続きで、
れくす先生の歴史授業シリーズの続きです。


前回は、メソポタミア文明とエジプト文明の
中学生で習う内容について説明しました。



今回はインダス文明です。



1 インダス文明の特徴

インダス文明は、
メソポタミア文明やエジプト文明と違い
現時点では、インダス文明の時代に
使われていた文字(インダス文字)が
解読されていないため、
詳しい歴史はわかっていません。

そのため、
テストという場面という意味では
覚える用語は他の文明に比べて少ない
です。 


これから、何か大きな発見等があれば
詳しい歴史が明らかになるかも
しれません。

2 遺跡の注意点

インダス文明を習う時、覚えるうえで
注意したいのは
遺跡のある場所(現在の国名)です。


インダス文明は
「インド」の文明の発祥地と
習うことも多いと思います。

しかし、
インダス文明の遺跡で
習うところ(モヘンジョ=ダロ、ハラッパー)はパキスタンになります。


インダス文明という用語の元になる
インダス川も、多くはパキスタンを
流れています。(一部はインド、中国を
流れています。)

現在のインドで有名な川は
ガンジス川です。
(ガンジス川も、インド以外の国も
通っています)
地理のアジア州で習っている川ですね。


ガンジス川インダス川
混同しないように気をつけましょう。



どうしてこういう状態になっているの?と
思われるかもしれませんが
近代、現代の歴史を知っていると
その理由はわかります。


パキスタンのある地は、
元々はインドでした。
しかし、近代になり
イギリスの植民地化に
インドはおかれました。

第二次世界大戦後に独立するとき、
宗教上の関係からインドだった地域は
ヒンドゥー教徒地域としてインド、
イスラム教徒地域としてパキスタン
として分離独立しました。
(のちに東パキスタンはバングラデシュとして分離独立。)




古代の時点、そして、長い間、
古代インダス文明は、
今の国家の枠組みのみで考えるのではなく
昔のインドという枠組みで考えると
良いでしょう。



3 インダス文明で中学生が習うところ

インダス文明のおきた川は
インダス川で、
文字はインダス文字です。

インダス文字は現時点では
解読されていません。


遺跡としては
モヘンジョ=ダロハラッパー
どちらもパキスタン内にあります。

中学の教科書では、
モヘンジョ=ダロのみを
明記しているものも見かけます。




4 インダス滅亡後のインド世界

インダス文明そのものは
上記の内容(3)のみです。

中学の教科書だと、
そのまま、インダス文明後の
インドの歴史を少しだけ書いてあります。

そのときの歴史で生まれたものが
世界全体の歴史につながっていきます。

その内容についてお話します。

インダス文明のころの
都市国家が滅亡した
理由は決定的な説はありません。


今からお話するのは
インダス文明のあとの
インドの世界と考えてください。


宗教としてはバラモン教
学問的なものとして
アラビア数字0という数字の概念が
誕生しました。
(バラモン教成立の時期は、
おそらくその頃、という意味です。)




〈バラモン教とヒンドゥー教〉

バラモン教というのは、今のインドで
多くの人々に信仰されている
ヒンドゥー教は、のちの時代に生まれた
宗教で、バラモン教の影響を受けている
宗教です。
(バラモン教=ヒンドゥー教、ではありません。)

バラモン教ヒンドゥー教は、
他の宗教と違った
特徴的な考え方があります。
バラモン教、ヒンドゥー教は
身分、そして、それに伴う職業に
結びついている
宗教です。
このような独特な階級制度を
カースト制度
と言います。

このあたりの内容は、地理の方で
習っているので覚えている人も
いるでしょう。





〈アラビア数字 と 0の概念〉

また、インドは、現代の数学に必要不可欠な
アラビア数学0という数の概念を
作り出しました。

アラビア数字は、1、2、3という
現在の数学で使う数字のことです。

なぜインド数字と言わずアラビア数字と
言うのか?というと
インド数字がアラビアに伝わり
ヨーロッパにアラビアからインド数字が
伝わったことから、「アラビア数字」と
呼ばれるようになりました。


0という数字が誕生したことは
数字の歴史において大きな出来事です。





0というのが、何が凄いか?というと、
これにより計算がしやすくなったのは
もちろんなのですが、
0というのがあると、ある1つの法則に
従って、さまざまなことを定められる
ことも多いと思います。


たとえば、「0」という数値がないと
「リンゴがある」「リンゴがない」という
2つの現象を個別に考えなきゃいけないですが、「0」という数値があると
「リンゴがある」という1つの現象で
説明できます。 
さらに代数という考え方で
0という概念があると、
「リンゴがa個ある」として、
aに0を代入することも可能です。
計算の上では代入するだけですが
もし、この世に存在する具体的イメージを
書く必要がある限り、「リンゴが0個ある」=「リンゴはない」とします。
(代数学はインド発祥ではありません。)


このように0があると、非常に
頭の中をシンプルにでき
様々なことを考えられるようになります。


(0のことについては、私の個人的な意見を入れて書いてます)


今回は以上です。

ノートにもまとめました。
下図の画像もご参考にどうぞ。







今回は以上です。

次回からは中国文明なのですが、
まだ画像が作成途中なので、
完成次第、またアップさせて頂きますね。


画像を作成しつつ、別の記事も定期的にアップしていきたいと思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。


れくす先生の歴史授業6 メソポタミア文明とエジプト文明 2

2025年01月19日 20時46分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

前回の続きで「れくす先生の歴史授業」の
続きです。


前回は、メソポタミア文明エジプト文明
中学生で習う歴史の内容を具体的に見ていきました。

今回は、メソポタミア文明とエジプト文明についての相違点(似ているところ、違うところ)に焦点をおいて、見ていきます。


テストそのものには出ないものですが
理解する上で、少しでもイメージが
ついたらいいな、と思って
ノートにまとめました。








あくまでイメージで描いてます。


今回は短いですが、
コラム的な感じで
書かせていただきました。


次回はインダス文明です。

ご覧いただき、ありがとうございました。



れくす先生の歴史授業「メソポタミア文明とエジプト文明 1」

2025年01月18日 23時09分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。



「れくす先生の歴史授業」を再開させて
いただきます。
ただ、以前のように、
パソコンで画像を
作成する時間がないため
手書きのものが多くなりますが

「手書きだと、勉強する気がそれる」とか
「パソコンで書けない先生だと、きちんと教えられるか不安」
という気持ちの方は、
そもそも、このブログをご覧にならない
のでは?と。
今までの記事でも手書きのものもあるし、
今は現役の肩書もないですし。

私のブログは
勉強について、あらゆるものを読んでいる
中で、私のブログも活用している、
つまり、数ある読み物の1つ、
と思って、参考程度にご覧になられている
方が多いと思います。


ただ、パソコンで書いたほうが
読みやすいという方もいらっしゃるのは
わかりますので、可能な限りは
パソコンで書きたいですが、
それだといつまで経ってもブログを書けないので、手書きのものも活用したいと思います。

理想的なことがやれないまま、
グスグスブログなってしまっていますが
可能な限り、更新していきたいです。




ではでは、「れくす先生の歴史授業」を
始めさせていただきます。





前回は、古代文明の導入で
どうやって古代文明の内容を
まとめていくか、覚えていくか、
という話をしました。

今回から具体的に見ていきます。


今回は、
メソポタミア文明エジプト文明




1 この文明を習うにあたって

この文明は、それぞれ独立して覚える、
というより、
近くの地域で交流があり、
相互作用があった文明という認識で
歴史を見ていく必要があります。


交流というのは、
人の行き来、貿易などの
平和的交流はもちろんですが
それ以外、つまり、戦争もあったと
いうことです。



そのあたりも踏まえて
歴史の流れを見ていくのが大切ですが
中学生が習う内容は
各文明の文化的な面、つまり、
暦や文字、建物、などがメインで、
各文明でおこった王国の特徴や
王国同士の交流や戦いは習いません。
このあたりは高校生で習います。

この記事シリーズは私立中学受験と高校受験向けの内容なので、今回は、各王国の細かい部分は明記しません。



まずは、下の画像を見てください。




これから、「文明」というククリで
習う文明についての全体的な特徴について
簡易的に記したものです。

ではでは
前回、お話したように
文明名、その文明がおきた大河、文字、などにカテゴリー分けをしてみていきます。

今回は
メソポタミア文明とエジプト文明に
ついて、見ていきます。


2 メソポタミア文明とエジプト文明


1 河川名と暦

どちらの文明も、大きな川の近くで
文明が生まれています。


川は古代(近代まで)において
交通の要であり、農業を行う上でも
水があることは大切です。

ただ、そうだとしたら、どの川でも
文明は発達するじゃん、ということ。

川の周りに小さな村(ムラ)はできますが、
文明というのは、村のレベルを大きくした
かなり大きい集団コミュニティである
都市国家が母体となって生まれます。


では、
メソポタミア文明エジプト文明
おきた、川は他の川とどんな違いがあったのか?というと、
洪水が定期的におき、その洪水で運ばれた土が栄養がたくさんあったので、農業に適していた、ということが大きいです。

農業というのは、水だけでなく、土も大切で、植物にとっての栄養がどれだけつまっているか?で、農作物が育つか?が変わってきます。


メソポタミア文明では、
チグリス川ユーフラテス川
という2つの大きな川、



エジプト文明では、
ナイル川が、



そのようなタイプの川(大河)でした。

洪水というと、もちろん、
大きな災害であることは間違いないです。
人的被害阻止のため、そして、
農作物をとる周期もわからないと
安全に確実に農作物を収穫できるために
洪水のおきる法則を見つけ出すことが
必要です。

その法則から導き出されたものが、
(こよみ)です。

暦はカレンダーです。

メソポタミア文明では、月の満ち欠けから、
エジプト文明では、太陽の動きから、
それぞれ暦が作られました。


の満ち欠けから割り出された暦を太陰暦
太陽の動きから割り出された暦を太陽暦
言います。

陽と真反対のもの(対極をなすもの)になるものを陰というので、太陰は、太陽と対極を
成すもの、つまり月ということです。


メソポタミア文明では、60進法という
数学の考えも使われました。

60進法は、現代の我々でも使っている
考え方です。


60秒で1分、
60分で1時間、
というように、
60の単位で1つ上の単位に繰り上がる
ものです。

暦とは、時間を人間の考えで区切ったものなので、この60進法で時間を区切ることで、日にち、年を区切ることができることが可能になります。

2 文字

文字というのも、
暦などを記すものとしても必要です。
また、
だんだんと集団の規模が大きくなると
一斉に遠くまで伝達するのに便利なものが
文字とも言えます。
文字は、地域だけでなく時(とき)さえも
超えます。

時空の伝達手段が文字なのです。



同じ文字を使い続けていたら、
未来人にも、当時にどんな人がいたか、
どんなことが起きたのか?
未来までに伝えたいこと(洪水や地震などの災害など)を伝えてくれます。

でも、その文字を使う人々が未来に
いない場合、当時の歴史は闇のまま。
少しの遺跡は残っているかもしれません。
でも、そこで、当時、どんな風に
彼らが考え、何を楽しみにし、生きていたか?は、出土された遺物から想像するしかありません。さらに、遺跡も遺物も少なかったり残されてなかったものは、未来には知られてない歴史になります。


古代エジプトの文字(ヒエログリフ)も、
遺跡としては
残っていましたが、近世、近代の世界には
誰もその文字を使っている人はいませんでした。だからこそ、その解読をするのは
かなりの労力が必要で、
運が良いことに、古代エジプトの文字と
並列されて記された文字が、近代に使われていた文字とリンクすることができ、
解読できました。


文字だけでなく、
伝説、神話などの口頭で伝わったもの、
その口頭伝達したものを文章化したもの、
過去にみつけた法則や公式など、
これらをまとめて「学問」と言えます。
学問というものは、
「テストで点数をとるだけ」
「学歴や就職先を得るため」ための
個人的問題に帰結するものだけでも
ないですし、
「現代の生活に直結するノウハウ」のものだけを学ぶものでもありません。


現代の我々が一度でも、
過去から積み重ねた学問を
断絶すると、過去のものが未来まで
伝わりません。


過去に積み重ねてきたものを未来までに
伝えるために、現在では
公的機関である学校教育が
その一端を担っていると
思うことがあります

だから、学校という存在は必要だと
思いますが、学校で習う内容を習って
一人一人が未来に繋げていくことが
大切であるだけで、
別に、(国家資格取得目的以外では)
学校という場所で学ぶ必要は
必ずしもありません。
学校の先生以外に
勉強を教えてもらうこと、
自分一人で家で勉強することは
別に悪いことでも
劣ったことでもありません。
逆に学校に行けば、
何でも良いわけでもないかな?と。


学校に行くこと、と、勉強をすること、は
別に分けて考えると良いと思います。

もちろん、学歴、職歴を手に入れるために
勉強するのは、私は好きです。

でも、それだけに特化すると
不登校になったときに残る感情は
「絶望」です。

私達の歩む歴史は、
歴史の「到達点」ではありません。

あくまで通過点です。

なので、
「今は、これだけ科学技術が進んでいるから、昔のような勉強方法(学校がない時代の学び方、本を個人で読んで勉強する、座学で学ぶ、古典を勉強するなど)は悪だ」
「一人で黙々と勉強する人は、将来困るよ!」と決めつけて、
過去の人間が築いたものを否定して、
ぶち壊してしまうのは、
現代人の驕り高ぶりだと思います。

今、現在、生きている私達が、
昔ながらの学び方も肯定し、
未来につなげていくことも
大切だと思います。

同調はする必要はないですが
肯定していくとで未来につなげていく。

この科学技術が突然失われることだって
ありますので。


なぜなら、今の科学技術とは
違う方向ではありますが、
古代文明の時期に生まれた技術は
現在の科学では復刻できないものも
あるそうです。

つまり、過去のものは、今よりも
すべて技術が劣っていたわけでは
ないということです。

少し話が、ズレてしまったので
メソポタミア文明とエジプト文明で
それぞれ使われていた文字の話に
戻します。



メソポタミア文明では、
くさび形文字を、

エジプト文明では、
象形文字
使っていました。


くさび形文字(楔形文字)の
「くさび(楔)」とは、先の尖った道具の
ことで、その「くさび(楔)」のような「形」をしていることから「くさび形文字」と呼ばれます。

下の画像がくさび形文字の一例です。

くさび形文字は、水を含んだやわらかい粘土の板に、葺(あし)という植物を削ってペンの形にしたもので削って、文字を記しました。
この粘土板を焼けば長期保存も可能です。
残しておきたい文章などは、そのように焼いていました。
そのような文書が現在発見されているので
我々は歴史を知ることができます。




「くさび形文字(楔形文字)」は
固有名詞ですが
エジプト文明で教科書に書かれている
象形文字というのは
固有名詞ではなくカテゴリー名詞です。

象形文字とは、何かの形の線画抽出したもの。一見、絵にみえますが、文字としての記号になります。
中国で生まれた漢字の一部も象形文字です。
山の形を形どったのが「山」という漢字です。

エジプト文明だと、
鳥の形を文字化したものがあります。
下の画像が一例です。 



エジプトの文字でヒエログリフという
言葉を聞いたことがある人もいるかも
しれません。

昔の教科書だと、
エジプト文明の文字は「ヒエログリフ」と
表記しているところもありました。


しかし、ヒエログリフは、古代エジプトの
使われた象形文字ではありますが、
古代エジプトでは使われた文字は他にも
ありました。ヒエログリフは、石碑や彫像などの石に刻まれたものです。ヒエログリフという文字そのものに神の力が宿っているようなイメージで、神の力を必要とする石碑や彫像などに刻まれていました。


その他にも筆記用の文字などもありました。


それで、ヒエログリフ=エジプト文字、ではなく、ヒエログリフもエジプト文字の1つ、という認識なので、古代のエジプトは、
象形文字を使っていた、と表記されます。





3 建物

建物に関してだと、
古代には、ほぼどの地域でも
宗教と密接に結びついてます。

今の学問のように「理科」の内容の
自然や医療のしくみが
ハッキリしてません。

人間というのは、理解できないことに
対して不安感を抱きやすい生き物だと
思います。
そのときに、理解できない現象に対して
「神々」という存在を作り出して
その「神」や「神の使い」が行っているもの、と定めます。
いわゆる、現象を公式化(キャラクター化)
した、とも言えます。
今だと、数字で説明するものを、
「神」で説明しているだけで、

数字による秩序か、神による秩序か?
だけで、「秩序」を維持しているだけの
違いなので。
「秩序」がないと、戦争が常におきたり
理不尽で横暴な人の天下になってしまうので。

ただ、やはり、今の価値観、
いわゆる、数字や法の秩序のほうが
より理不尽さが減るとは思いますが
「秩序」という観点だけで見れば
今の秩序でも昔の秩序でも
どちらも秩序はできていると思います。

今、とくに今の日本の価値観は
第二次世界大戦の経験から
「宗教というのは怖いもの」
「宗教を信じることは悪い事(危険なこと)」と思う人がいると思います。
個人個人がそのように思うのは
かまいません。

でも、「歴史」を見るにあたって、
「宗教を信じて生きている人」
「宗教が根底に根付いている歴史」を
バカにしては、
真実を見ることができません。

さらに、歴史を教える側が
本来は宗教的価値観に結びついていたことでおきた事件や創作物であったものなのに、
「宗教」と分離して、おきた事件や創作物を扱うと、何か矛盾を感じるというか、
事件と事件、その事件をおこした歴史人物と事件が、うまく繋がらなかったりすることが多々あります。


別に歴史を学ぶというのは
「その歴史人物のマネをするため」
「個人の人生の模範にするもの」では
ありません。
その「歴史」を理解することが必要で、
今の価値観では「法律違反」「不適切」「マナー違反」というものもたくさんあります。
でも、その「現在不適切」なものは、
 過去にはあったことは事実なのだから、
「現在の価値観」とは切り離して
「このときはこうだった」と
見ることが、歴史を理解することです。


「同調」と「理解」は別物です。
「同調」は同じ価値観で初めて受け入れられますが
「理解」は、同じ価値観でなくても
かまいません。


メソポタミア文明もエジプト文明も
それぞれの宗教がありました。

そして、それぞれの神殿などの
建物が建てられました。


メソポタミア文明では、
ジックラトという神殿、聖塔、
エジプト文明では
ピラミッドやあらゆる神殿
の建物が建てられました。



ピラミッドというのは、四角錐の巨大な建築物をあらわしているカテゴリー名詞なので、
エジプトに建てられたものだけを
ピラミッドと言うわけではありません。
しかも、ピラミッドを建てられたのは
エジプト王朝の歴史の中でも最も古い時代
の建築物です。
多くの人が知っているツタンカーメン王や
ラムセス2世などは、ピラミッドが建てられた時代のエジプトの王(ファラオ)では
ありません。


中学生の習う歴史は
エジプト文明の細かい王朝は習わず、
めちゃくちゃ長い歴史の遺物をかいつまんで習うので、ピラミッドがいつの時代のものなのか?は習わないので、
ぶっちゃけテストでは、年代を
ぼんやりして覚えてても問題はありません。

ただ、テレビでよく見るエジプトの王の歴史は、多くはエジプトのピラミッド建設の時期よりかなり後の時代、と思って見たほうが
より鮮明に歴史を見ることできます。


また、ピラミッドそのものが
王の墓というのは絶対的な答えではなくて
王の墓であるかもしれないし、
それ以外の目的の建物かもしれない、
と様々な説があります。
ピラミッドの作られた方法も
決定的な答えはありません。

今、我々が、知っている歴史は
すべて明らかになってないです。
これからの未来、明らかになる楽しみは
あります。
空白こそ、楽しさが詰まっていて
だからこそ、学問、勉強を根気強く続ける
意義や楽しさもあると思います。

ノートにまとめてみました。

まずはメソポタミア文明。




ついで、エジプト文明。




今回は以上です。

次回は、メソポタミア文明とエジプト文明の
違いを説明し、その後、インダス文明、中国文明と続けていきたいと思います。



ご覧いただき、ありがとうございました。





れくす先生の歴史授業第5回「新石器時代(世界全体)」

2024年11月18日 07時00分11秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

 

 

やっと「れくす先生の歴史授業」が再開できました。

可能な限り、定期的に更新できるようにしたいです。

これ以上、プライベートで何もおこらないと良いのですが・・・。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、第4回 新石器時代 の話です。

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「新石器時代そのもの」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いて、学校とは関係なく、受験勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第5回 「新石器時代」

 

今回は新石器時代です。

「新石器時代」という名称は世界史では使いますが、日本史では「新石器時代」は表記しません。

日本史では「新石器時代」に当たる時代は「縄文時代」に当たります。

 

まずは、新石器時代全体(世界史全般)を見ていきましょう。

 

1:旧石器時代から新石器時代に

 

(1)時代が変化したきっかけ

 

 旧石器時代から新石器時代と時代区分を分けて、現代の私たちが見ている理由は、

「生活形態が大きく変化」したので、そこに名称をつけて分けた、ということです。

 

では、どうして「生活形態が大きく変化」したのでしょうか?

 

それは、氷期が終了したことが大きいのです。

氷河時代は、定期的に氷期・間氷期が交互におとづれる時代であることを以前お話しました。

 

今から約1万年前に、氷期から間氷期に移り変わりました。現在では、この間氷期の期間に当たります。

この内容は、よく「最後の氷期が終わり、地球は温暖な気候になった」と書かれるものです。

「今のところ、最後である氷期から、氷期より温暖である気候である間氷期になった」という意味です。

 

 

氷期では、地球上のいたるところに氷河がありました。

氷河というのは氷が浮いている、というイメージをしている人もいますが、

そうではなくて、陸地が氷で覆われていたり、山間に氷の川がある、というものです。

 

その氷期が終了し、暖かくなるとどうなるか?想像できますか?

 

暖かいと、氷は水になります。山間にあった氷の塊は溶けて水になった・・と考えると、

洪水が当時起きたのだろう、と思います。当時の人々も、この災害の被害にあったのかもしれません。とても怖かったでしょう。

溶けた氷は水になり川となって、海に注がれていきます。

陸地を覆っていた氷河も多くは溶けていきます。

 

そうなると、海の水が多くなります。この状態を「海面上昇」と言います。

それまでの海面だった高さより高くなったのです。

 

 

そうなると、氷期のときは歩いて移動できた場所の一部は海となります。

(下図も参照してみてください。)

 

結果、海や川に行く手を阻まれ、行き来が難しくなるところも増えました。

日本列島もこのときに、ユーラシア大陸から切り離される形になりました。

日本はここから縄文時代が始まります。

 

 

 

 

(2)新石器時代の生活

 

氷期が終わり、比較的暖かくなったことから、その気候変動と、それに伴う生活変化に対応できず、絶滅する動物もいました。

環境に適応するために動物は身体的変化を遂げて生き残ってきました。

(今回の氷期の終わりの時期ではありませんが、地球上では何度も環境変化がおきていて、

我々、人類の先祖も、環境に適応して生き残るために、直立二足歩行ができるようになったり、

道具を作れるような手の形に身体的変化を遂げました。)

 

環境変化に適応できた動物は生き残ります。

新しい環境にうまく適応できるか?によって、

生き残り&変化、絶滅、の結果の境界線ができたのでしょう。

 

 

新石器時代になり、減った動物は大型動物が多かったです。

絶滅した大型動物の例だと、マンモスやナウマンゾウ、オオツノジカなど。

 

 

大型動物が減ったけれど、小型動物や、木の実などの植物は増えました。

このことが、生活形態が変わる要因の1つになります。

 

 

それまでは(旧石器時代には)、大型動物の狩りで、食料や衣類を調達していました。

大型動物の狩りの場合、集団で動物を追い込んで、穴や沼地で動けなくなったところを、石や石槍などで狩りました。

 

新石器時代になると、大型動物が減ったので、狩りの対象は、小型動物、中型動物などになります。

小型&中型動物は、大型動物よりも動きがすばやく、人間が近くに行くと、すばやく逃げます。

なので、狩りを成功させるには、遠くからでも狩ることができる、弓矢は狩りの主役となります。

また、狩りをするために犬を家畜にしました。

犬が小型動物を、人間が待ち構えているところや、捕らえるワナに追い込んで・・という、

人間の狩りの相棒となりました。

 

 

 

 

 

また、川が多くなる、ということは、水分を多く必要とする植物も多くなったということです。

つまり、農作物を育てる環境にもなったということです。

農作物を育てるには、そこに田畑をつくり、1年中同じ場所で、

種をまき、水をまき、育て、刈って・・というのをしていく必要があります。

つまり、一定期間、同じ場所に住む(定住)をする必要があります。

このように、食べ物を追い求めて移動をしていく形から、定住生活をして農耕を行うような生活形態に変化しました。

また、農作物が豊富に育たない地は、野生の動物たちを家畜化して、

その動物たちの毛や乳や肉を使って、生活(衣食住)をしていく形、つまり、牧畜をする形で人々は生活するようになりました。

 

 

このように、新石器時代になり、定住生活を行うようになり、そこで農耕牧畜が行われました。

その結果、食料を計画的に生産できるようなりました。

 

さらに、食料を蓄えること(保存すること)もできるようになりました。

そのときに使った物が土器です。土器を作るようになり、その土器で、食料を保存したり、調理をしました。

 

土器を作るようになったことで、食べ方のレパートリーが増え、

それまでは食べられなかったものも食べられるようになりました。

 

 

「土器をつくる」というのは、現代の視点から考えると「当たり前」「簡単なこと」のように思えるかもしれません。

でも、当時の意識を降りたって、土器をつくることを考えて見てください。

そうなると、「土器の作成」って「初の化学」とも言えるんです。

「化学」とは

「物質aと物質bは、どちらも自然界に存在しているもので、2つは全く別のもの。

しかし、その物質aと物質bを、何か別のエネルギーを加えると、別の物質cとして生まれる」というものです。

つまり、土器で言うと、自然界に存在している物質aが土(粘土)、物質bが水、で、

それを混ぜ合わせて焼くこと(熱エネルギーを加えること)で、物質cの土器がうまれた、ということ。

物質aの土だと、水が加わると泥になってしまうけど、物質cの土器になると、そこに水を加えても、

形状は変わらないので、鍋として使うことが可能になります。

 

土器の誕生以前でも、肉は焼いたり、蒸して食べることは可能でした。

しかし、木の実などは生で食べられないものもあり、また焼いても食べられないことが多いです。(人間の消化器官の関係で。)

しかし、そのような木の実でも、煮てしまうと、食べられるのです。

例えば、ドングリは渋みがあるので、水にさらして、土器でも煮ることで、初めて食べられるようなりました、

 

 

 

 

 

 

土器は世界中のあらゆる場所で作られ、使われました。

 

 

新石器時代には、石器も、打ち砕いたり磨いて、

必要な鋭さや滑らかさをもつ石器も使うようになりました。

このような石器を磨製石器と言います。

 

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」と

習うことも多いです。

テストそのものでは、「磨製石器」「新石器時代」という用語を

書かせる程度で、「テストで点数をとる」、「入試で合格する」、という目標の上では

新石器時代はあまり重要な分野ではありません。

しかし、

「私たち人類はいったい何者だろう?」とか

「私は、誰からも愛されない、誰からも蔑まれているのに、なぜ、この世に生まれてきたんだろう。」という

答えのない疑問の答えを探し出すには、この新石器時代はそのヒントになるかもしれない、と私は思います。

また学問的な意味で言えば、テスト用語そのものは出なくても、新石器時代を勉強することで

「歴史を学ぶ思考」がついていく第一歩のもの、だとも思います。

 

 

今回は以上です。

 

ご覧頂き、ありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次回は古代の文明を見ていきます。

 

 


第4回 れくす先生の歴史授業 人類の進化② 猿人・原人・旧人・新人

2024年09月25日 21時50分01秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

 

みなさま、本日もありがとうございます。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、前回からの続き第4回 人類の進化その2 です。

 

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

 

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

そのため、前回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、

今回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第4回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その2

 

前回は、「石器の加工の違いで名称が分かれ、

打製石器を使い始めた時代を旧石器時代、磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」

そして

「気候の変動によって、生き残るために環境適応をすることによって人類は進化(変化)をしていった」

という話をしました。

 

今回は、その旧石器時代にどのように人類は進化し、

その後、生き残った人類(新人)が

どのように新石器時代を生きていくことになったか?

の話です。

 

 

 

(1)各人類を見ていく

 

猿人原人旧人新人の順番に、人類の動きを見ていきます。

 

①猿人

 

 

 

 

今の人類の元になったと言われているのが猿人です。

 

最初の人類とも言えます。(※直接の祖先ではありません。)

猿人が誕生した時期には、

アフリカ大陸のみ人類がいたと考えられます。

 

前回(第3回)でお話したように、人類の先祖となる生き物(初期猿人とも言う)は

今の熱帯雨林気候のような気候であった地で暮らしていて、その生活で暮らしやすいような体つきになっていました。

(木登りをしやすい形)

 

しかし、途中で気候変動がおきて、人類(初期猿人)が暮らしていた地が

熱帯雨林気候からサバナ気候(草原が多い気候)になりました。

それで、人類(初期猿人)は、草原を移動しやすい、また、他の動物との生存競争で生き残るために、

二足歩行をする、という身体的変化を遂げました。(→この時期あたりからの人類を「猿人」と呼ぶことが多いです。)

 

その後、長い時間をかけて、猿人は、直立して二足歩行する、という身体的変化をしていきます。

 

 

現在、猿人は存在していません。絶滅しています。

ただ、猿人が絶滅してから、次に習う人類である原人が現れたと勘違いされがちですが、そういうわけではないのです。

猿人の中で枝分かれしていき、その中で、現在の人類と生活形態が近くなり、

また、直接、遺伝子につながった猿人原人と称したと考えた方が理解しやすいです。(旧人・新人も同様)

 

前回、お話した打製石器を覚えていますか?

打製石器とは、石を砕いて作った石器のことです。

そして打製石器を作って、使い始めた時期を旧石器時代と言いました。

 

この打製石器を使い始めたのは猿人か?原人か?は、はっきりしておらず、学者さんによって異なるようです。

(なので旧石器時代が始まった時期もふんわりした言い方になります。)

その理由は、原人が打製石器を使ってたのは確かなのですが、

原人が生きていた時代に猿人系の人類も生きているので、

どちらが先に使ったか?は不明だからでしょう。

(その後、猿人は滅亡し、原人は生き残ったので。・・というか、生き残った猿人を原人と称した。のほうが近いかもしれません。)

 

 

猿人が打製石器を作ったか?は不明ですが、

骨などの推測から現在の人類のように直立二足歩行をしていた人類がいたのは確かです。

直立二足歩行が人類が人類たる証なのかもしれません。

猿人の例としてはアウストラロピテクス・アファレンスなどなど。

 

現在(2024年)の教科書を見る限り、「猿人」という言葉しか出ておらず、

昔(例えば1990年代)は「アウストラロピテクス」という言葉が教科書に出ていました。

そのため、「猿人=アウストラロピテクス」と勘違いする人もいました。

(猿人が日本語で、その外国語に当たるのがアウストラロピテクス

だろうという勘違い)

 

猿人にも色々なタイプがいます。

 

アウストラロピテクス・アファレンス、アウストラロピテクス・アフリカヌス、パラントロプス・エチオピクス、などなど。

アウストラロピテクス・アフリカヌスが初期の人類として最初に発見された人類なので、アウストラロピテクスという用語だけ

昔の教科書には出ていたのかもしれませんね。

 

 

②:原人

 

 

時期的には約260万年前、地球は氷河時代に突入します。

約70万年前には、寒冷な時期(氷期)と比較的暖かな時期(間氷期)を一定の周期で繰り返す時期になりました。

 

このようにお話しすると、次のように勘違いしがちです。

勘違いその1:「氷河時代」を「氷河期」を同じと思ってしまう。

勘違いその2:勘違いその1から、「約1万年前に氷河期が終わって、温暖な気候になる(そして現在はその温暖な気候)」

という記述を見て、「現在の気候は氷河時代でない」と思ってしまう。

 

という2つ。

 

「氷河時代」が始まった、というのは、「常に地球上のどこかに氷河が存在している」という時代のことです。

氷河というのは、一言で言ってしまう、巨大な氷の塊です。

氷は暖かければ、溶けます。

溶けない、ということは、その場所はとても寒いということです。

 

その氷河が多い時期を「氷期」と良い、

「氷期」に比べたら氷河が少ない時期を「間氷期」と言います。

そのため「間氷期」が「温暖な気候」と記述されます。

 

でも、その「温暖な気候」のときの「間氷期」でも氷河が残っています。

 

現在は、「間氷期」に当たります。つまり、原人が誕生するきっかけになった時代の氷河時代は現在もなお、終わっていません。

 

現在がいくら温暖な気候といっても、猿人が生まれたころの世界ほどは暖かくありません。

 

寒くて厳しい世界を生き抜くために人類は進化し、とくに知能が爆発的に発達しました

 

そして約240万年前に人類はついに、を使うようになります。

火をなぜ使うようになったか?というと、狩り・採集で手に入れた食べ物を調理するためではないか?と考えられます。

人間は生肉は食べられないですからね。

(ちなみに、肉を食べると知能が進化しやすい説もあるので、

もしかしたら人類が肉を食べられるようになったことで知能が爆発的に発達したのかもしれませんね。)

 

そして、この時期に、人類は簡単な言葉を使用したと考えられます。

(仲間と意思疎通しないと野生では生き残れないので言語は必須スキルになったのでしょう。)

 

この時期に発達した人類を原人と言います。

原人たちの中にはアフリカ大陸を出て、

ユーラシア大陸(アジアやヨーロッパ)にまで移動しました。

 

その原人の中で代表例として、

中国の北京で発見された北京原人

インドネシアのジャワ島で見つかったジャワ原人

がいます。

 

中国や東南アジアまで原人は移動してきた証拠とも言えます。

 

 

その後も、いろんな人類が生まれていきます。

 

③:旧人新人

 

 

約60万年前に原人より大きな脳&筋肉質の人類が生まれます。そのような人類を旧人と言います。

その旧人から、ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(新人)が生まれした。

 

ネアンデルタール人はヨーロッパ周辺に分布し、高い知能、高い身体能力をもっていたとされています。

 

 

 

 

新人ホモ・サピエンスのこと)は約20万年にアフリカ大陸で生まれました。

そしてアフリカ大陸から世界中に広がっていきます。

その中で、ヨーロッパに住み着いた新人をクロマニヨン人と言います。

 

新人は、アフリカ大陸で誕生したが、打製石器をより精巧な作りにして、

狩りや採集を行い、獲物を追いながら、世界中に広がっていきました。

また、時代が進むにつれて、磨製石器を作り、使用するようになりました。

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言います。

旧石器時代から新石器時代に移行した時期は、新人が誕生した後の時期に当たります。

新人と旧人であるネアンデルタール人は同時期に生きていた人類で、

現在生き残った人類は新人だけですが、この新人の祖先である私たち人類の遺伝子の中には、

ネアンデルタール人の遺伝子もごく少量ですが、含まれているそうです。

ネアンデルタール人の純血種は絶滅しましたが、彼らの遺伝子は新人に受け継がれていったのでしょう。

(人類の中でネアンデルタール人と交流のあった新人のみの話で

すべての新人にネアンデルタール人の遺伝子が入っているワケではありません。)

 

 

(2)テストについて

「人類の進化」は小学校では扱いません。

そのため、一部のの学校をのぞき、私立中学校入試で「人類の進化」を扱うことはしません。

この分野は中学生になって、初めて習う可能性が高い分野です。ただし、旧人については

中学校の教科書では明記されていないことが多いです。

「人類の進化」の分野は、猿人・原人・新人に分けて、

・・・・という図式が頭に入れば大丈夫です。

 

入試については、人類の進化の内容は、「絶対に出る!」という分野ではありません。

入試問題作成は、だいたいはその年の早い段階で完成していることが多いので、

完成後に、新しい発見などがあって、歴史が覆されるようなこともあるのは怖いことです。

なので、新しい発見がおきやすい歴史の内容のものは、極力入試では避けたいところかもしれませんね。

ただ、まったく出ないわけではないので、しっかりと覚えておくことは大切です。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回は以上です。

 

ご覧頂き、ありがとうございました。

 

画像で、もう少し、説明したいものもありますが、コンスタントに更新をしていきたいので

ひとまずアップさせていただきました。

ある程度、まとまったら、「新まとめノート」もアップ予定なので

またそのときに画像追加していきたいと思います。

 

次回予定:日本の旧石器時代と新石器時代の始まり


第4回 れくす先生の歴史授業 「人類の進化その1(打製石器・磨製石器など)」

2024年09月21日 20時48分26秒 | れくす先生の歴史模擬授業

 

みなさま、本日もありがとうございます。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、第3回 人類の進化その1 の話です。

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

 

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

そのため、今回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、

次回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第3回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その1(導入編)

この時代は、世界史の分野です。頭の中で世界地図を思い浮かべて(または地図帳を開いて)

歴史の流れをみていくことをオススメします。

 

:2つの石器時代

 

(1)石器で分ける時代

 

 

現在の人類と他の動物たちの生活では、明らかに生活形態が違っています。

昔は、人類も他の動物たちと同様に、自然の中で暮らし、他の動物の食物連鎖の中で闘い、

自生している植物(果物など)を採って食べていました。

 

しかし今は人類の生活は他の動物たちと違っています。

人類と他の動物たちとその決定的な違いを生み出したのは何だと思いますか?

 

答えは、「道具作ることができたか?」の違いだと私は思います。

そして、道具をつくることができたのは「直立二足歩行」という身体的変化がおこったことが大きいのです。

 

道具を使うことができる動物は人類以外もいますが

道具を作ることができるのは人類だけです。

 

最初に作られたと思われる道具の素材の1つがです。

石なら自然に存在している素材で、砕けば、先のとがったナイフのようになります。

このように石で砕いた道具の種類を石器と言います。

 

先のとがった石器を使って、獲物を狩る凶器につかったり

獲った獲物の肉を切ったり、皮から剥がしたり、していました。

(肉は食べ物として、皮は服として。)

石器を木の太い枝の端っこにつけて、槍として使ったりも。

石の種類はいくつもありますが、その中で、主要な材料として使われた石が、黒曜石(こくようせき)です。

黒曜石はマグマの一部が急速に冷えて、固まった火山岩の1つで、ガラスのような鋭さがあります。

 

 

 

石器の作り方・加工の違いで、打製石器磨製石器に分かれます。

 

 

石器には大きくわけると2種類あり、

 

石を砕いて先をとがらしたものを打製石器

打製石器よりより精巧で研磨され滑らかな持ち味にあったものを磨製石器

と言います。

 

 

そして

打製石器を使い始めた時代を旧石器時代

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と分けます。

 

 

 

今回(&次回)、勉強する、人類の進化の内容は、ほぼ旧石器時代の歴史で新石器時代に移り変わったところまでの歴史となります。

※ただし、新石器時代になったら、打製石器が磨製石器に全て代わったわけでなく、新石器時代に、磨製石器という新しい道具が作りだされ、打製石器だけでなく磨製石器も使われるようになった、というコトです。

時期的には、現在の人類の祖先にあたる人類(新人)やその同時代の人類(旧人)が打製石器を使い始めていますので、

旧石器時代が現在の私たちの人類としての歴史のスタートと考えても良いでしょう。

 

 

:人類の進化を学ぶにあたって 

 

現在の人類が生まれるまで、地球上では、環境・気候の変動はたくさんおきました。

その気候に対応できるようにな、さまざまな人類が生まれ、進化をし、また新しく生まれ、滅亡する人類が出てきました。

 

 

現在では滅亡した人類たちと現在、唯一残った人類(今の私たちの直接の祖先)が

同じ地球内で共存していきている時期もありました。

そして、時を経て最終的に残ったのが、今の人類です。

 

この時代を勉強するときに、

「あいまいなことが多い」

「地理の気候の分野と高校レベル以上の理科の知識と理解力」

が必要な内容も多いです。

 

「あいまいなコトが多い」のは、まだ不明なこと、専門家の中でも意見が分かれるところがあるからです。

なので、もし、この分野で、本を調べてもわからないコトがあったら、

「不明なため、誰にもわからないもの」なのかもしれませんので、わからなくても焦らなくて大丈夫です。

 

小学生・中学生のうちは、テスト対策という点では、

まずは、「人類」の進化の過程や特徴、旧石器時代・新石器時代について理解する・覚えることで十分です。

 

 

「人類の進化」を理解するに当たって、当時の気候とリンクさせて物事を考えることは大切です。

今でも暑い日と寒い日で服装を変えて生きています。

暑い地域と寒い地域では生えている植物も違います。

 

気候によって地形も変わり、そこで求められる生活形態も身体能力も変わってきます

例えば、現在でも熱帯、温帯、寒帯の人々の暮らしが全然違うことを考えれば、

当時、熱帯雨林気候の暮らしに完全カスタマイズしていた人々が、

気候変動で、雨が多い熱帯雨林気候から雨が少ないサバナ気候に自分の住んでいる地域が変化したら、そ

の環境に適応できなかったら亡くなってしまい、

生活の工夫や身体的変化ができた環境適応できた人のみ、生き残っていきます。

 

これが「結果的に新しい人類が誕生した」という事実として歴史の内容に載ります。

 

環境の変化(気候変動)は、人類が誕生して何度もおきています。

そして人類は「環境」に適応するための工夫をし、

それによって、また「進化」という「新しい人類の誕生」を何度も繰りかえしていった、

と思われます。

このように地理の内容の気候を主軸にして人類の進化を見ていきましょう。

 

 

 

(2)人類の進化

 

1:全体の流れ

①「人類の進化」の流れ

これから人類の進化を具体的に見ていきます。

この時、各々の特徴から人類を大きく4つに分けて見ていきます。(猿人・原人・旧人・新人

それぞれの人類の特徴と、その特徴になった気候を考えて見ていくと、頭を整理しやすいです。

 

 

②人類の誕生

 

地球上に人類が現れたとする時期は、

今から約700万年前です。

そのころの人類は、現在のチンパンジーと同じ祖先から進化した生物でした。

初めての人類は、アフリカで生まれ、気候変動に合わせて身体的進化などを繰り返し長い時間をかけて世界に広がっていきました。

まず(1)では猿人・原人・・・などの名称を使わず、全体的な流れを見ていきます。((2)で名称を使います。)

 

(1)初めての人類(旧石器時代以前)

初めての人類熱帯雨林の生活に適した生物として誕生しました。

彼らは、高い木に登り、そこで木の実をとったり、という、チンパンジーや猿と同じような生活をしていました。

このような地形だと、足腰は曲がっていた方が、木に登ったり、木から木へ移動しやすいです。

 

<人類の第一の変化>

しかし、気候変動で当時の人類が住んでいたアフリカの地は、高い木が少なくなり草原になりました。

今の気候区分でイメージすると多くは熱帯雨林気候であったところがサバナ気候に変化したと考えると良いです。

登れる木も、たくさんあった果実の木も簡単には見つかりません。

そうなると、立って歩かないと命の危険があります。肉食動物たちに襲われてしまいます。

また遠くまで見渡せないと、どこに食べ物があるかわからなくなります。

 

イメージ的に、植物の木の実がたくさんあった熱帯雨林から

植物が少ない野生動物いっぱいのサバンナに放り出された感じでしょうか?

 

そして、生き残るために、人類はどう肉体を進化させないと生き残れないか?を考えてみましょう。

 

そこで人類の祖先は、肉食動物がいるサバナ(草原)で生き残るために、

後ろ足でまっすぐ立ち、歩けるよう身体が進化します。いわゆる二足歩行いう歩き方です。

 

二足歩行の歩き方は段階を経て、進化(変化)していきます、

約300万年の時をかけて、人類は直立で歩けるようになりました。

このように、まっすぐ直立に二足で歩くやり方を直立二足歩行と言います。

まっすぐ歩けることから、首の骨に負担がかからなくなり、脳のほうに余裕ができ、脳の容量が増えていきました。

脳の容量が増える、というのは、知能が高くなっていくということです。

「知能が高くなる」というのは「予測することができる」&「0から何かをつくり出す」能力も増えてくる、

ということです。

 

図で、どういうことか?も参照してみてください。

 

 

 

 

(2)人類 第二の変化とその後の変化(旧石器時代の始まり)

脳の容量が増えていったことで最終的に精神的な進化、つまり

言葉を話す、

技術力の向上→道具を作る&使うことを考える、

計画を立てる、

集団行動する、

火を使う

・・・という行動ができるようになる、という結果につながっていきます。

(木の実だけでなく、栄養価の高い肉を食べるようになったことも知能が発達した(進化の)要因の1つと言われています。)

 

 

このような「進化(変化)」をとげたきっかけは、地球の環境に大きな変化があったからです。

地球は、今も続く氷河時代に突入し、氷や雪のある生活に変わり、火を使ったり・・・と環境適応する必要があったのです。

また人類は、親指とそのほかの指が分かれている(筋肉的・骨格的に親指だけ独立している)身体であることも大きく、

物を持つ、持ったまま動かすことができるようになりますので、

これが道具を使うこと&作ることができる身体的な進化にもつながっていくわけです。

 

まとめると、人類は、気候変動による環境の変化に合わせて、長い時間の間に

二足歩行道具を使うようになり、言語も使用し、集団で行動するようになりました。

 

 

<旧石器時代のはじまり>

最初は「道具」を「使う」のみ、つまり、

自分の周りにある木の枝や石などを、食べ物をとる道具や自分を守るために使っていた形でした。

 

それが途中から自分で石を加工して道具を使うようになりました。

その道具が、先ほどでもお話しした「石器」と言われる物です。

石器も時間をかけてバージョンアップしていきます。

 

 

 

3)旧石器時代と新石器時代の違い

 

先述した内容ですが、もう1回復習という意味もあって、もう1度お話しします。

石器の種類は、作り方の方法によって大きく2つに分けられます。

 

まず、先に誕生した石器が打製石器です。

この打製石器を使い始めた時代のことを、旧石器時代と言います。

旧石器時代は石器の出現から農耕の開始の時期をさし、

時期的には約200万年前あたりから旧石器時代は始まります。

※始まりの時期は、人類はアフリカ大陸のみに生息しています。

 

その後、誕生したのが磨製石器です。

磨製石器を使い始めた時期のことを新石器時代と言います。

新石器時代は、地域によって異なりますが、約1万年前の時期前後から、です。

この時期は、今の地球の地形・気候になった時期ぐらいに当たります。

 

 

現在までに発見された人類の骨などから推測した、脳の容量の大きさをもとに、

どのような道具や生活をしていったのか?で

おおまかに4種類の名称に人類を分けられています。

(ただし、人類の歴史は日々新しい発見があるので、日々変わっているので、今回はその1例です。)

 

大きく分けると、猿人原人旧人新人に分けます。

(ただし、中学校では旧人を扱わないことが多いです。)

 

次回は、この猿人・原人・旧人・新人について詳しく見ていきます。

 

今回は、名称としては、石器の名称(打製石器・磨製石器)と、それに伴う時代の名称(旧石器時代・新石器時代)を意識し、

時代の流れを知ること、と、人類の進化(変化)は気候に大きく関係すること、理解することをメインでお話しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今回は以上です。最初の導入で、自分としては「もう少し、わかりやすくできたのでは?」という

反省点はあります。

ただ、最近、「完璧」を目指すと、すべて放棄してしまう傾向があるので、

これから、定期的に図を追加したり、言葉や構成を変えるつもりではありますが

ひとまずアップさせていただきます。

 

 

ご覧頂きありがとうございました。

 

次回予告:第4回 人類の進化2(猿人・原人・旧人・新人)

 

 


れくす先生の歴史模擬授業 第2回 年号・西暦・世紀・時代

2024年09月15日 09時00分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

今回も、れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、第2回 年号・西暦・世紀・時代 の話です。

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

ではでは始めます。

 

れくす先生の歴史授業 第2回「年号・西暦・世紀・時代」

では、第2回の授業を始めます。

 

 

 

 

 

「歴史を学ぼう!勉強しよう!」と突然、言われても、

どうやって勉強したらいいか、わからないですよね。

 

そこで必要な、頼もしい相棒が「数字」と「言語」となります。

 

 

人間が歩んだ歴史を

数値化言語化(単語づけ)をすると情報を整理しやすく、理解しやすくなります

自分独自の数値化・言語化をするのも悪いことではないのですが

共通の数値・言語で考えた方が、あらゆる書物を自分で読み、疑問に思ったことも調べやすくなります。

 

そこで、歴史を学ぶにあたって、

ア:歴史の流れを数値化したもの・・元号西暦など

イ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など

 

今回はアの話(歴史の流れを数値化したもの)を見ていきます。

 

1:歴史の数値化(元号・西暦など)

 

歴史を数値化して見るには1年単位で数値化して見ていくことが多いです。

 

私たちが日本で、数値化された歴史を学ぶには、今は2つのタイプがあります。

 

それが、

古代中国式の数値化、と、ヨーロッパ式の数値化のものがあります。

 

ア:古代中国式の数値化のもの:「年号(元号)」

この「年号(元号)」は日本でも独自で制定されています。

 

 

イ:ヨーロッパ式のものが「西暦」

西暦とは、西洋の暦で記されたものです。

ヨーロッパ地域のことを「西洋」と日本では言うので「西洋の暦」で「西暦」と考えて良いでしょう。

 

 

 

もう少し、細かく見ていきましょう。

 

ア:年号(元号)

 

年号(元号)とは、陰陽五行説、王朝交代の易姓革命という考えのある古代中国で生まれた暦(カレンダー)の考え方です。

元号は、君主(皇帝)が代わったとき、や、なにかの事件や大きな変換期があったりするときに、名称を変える暦の考え方です。

日本でも飛鳥時代から古代中国式の暦の考え方を導入しました。今でも、年号(元号)は使っています。

(年号と元号の違いは、違いがあるという説はありますが、今は、ほぼイコールと考えて良いです。

ただし、明治時代からか一世一元の制に変更になり、1人の天皇につき、1つの元号と定められました。

元号のほうが法律用語になります。)

 

年号(元号)の表し方は、たいがいは、「漢字2文字に数字+年」です。

日本の年号(元号)の例としては、大化1年承久2年昭和23年など。

日本史においては、年号(元号)の漢字で歴史的事件などを表すことがあります

大化の改新や承久の乱など。

歴史用語というのは、その歴史事件が起きた後に、つける用語なので、そのような名称をつけることも、よくあります、

 

なぜ「このような歴史用語なの?」と疑問と不安を感じて、

それでパニックをおこして頭が真っ白になるタイプの子は

「この謎の単語は元号(年号)由来の用語なのかも?」と思うことで、パニックを防げるかもしれません。

 

 

そして、よくテスト勉強で「年号を覚える!」と言いますが、

それを文字通りとってしまうと、

「大化の改新は大化1年」と覚えなきゃいけなくなります。

でも、実際には「大化の改新は645年」と覚えますよね?

(※数値は覚えなくてもテストで点数はとれます。それについては、別記事で。)

 

その645年、という数値の表し方は、次、お話する西暦になります。

 

イ:西暦

西暦はヨーロッパで広く信じられているキリスト教に関係する暦(カレンダー)です。

キリスト教はイエス・キリストを救世主として信じる宗教です。

そのイエス・キリストが生まれた年を紀元の年(はじまりの年)とします。

(紀元とは、ある出来事がおこった年をスタートの年として、それから何年経ったか?を事件で計測するものです。)

そのキリストが生まれるを紀元の前なので紀元

キリストが生まれたは紀元の後の年なので紀元、という単位をつけます。

また、アルファベットで紀元前をB.C.、紀元後をA.D.と表記することもあります。

※B.C.は英語の「Before Christ(キリストより前の)」、A.D.は

ラテン語(古代ローマで使われていた言語)の「Anno Domini(主の年に)」の略です。

略を表すのに「.」をおきます。(※Beforeの略でB.)

 

表し方の例としては、紀元前3年、B.C.3年、紀元後4年、A.D.4年、など。

ただし、紀元後(A.D.)は省略することもあるので

もし「4年」とだけ書いてあれば、それは「紀元後4年」のことです。

 

ここで気をつけたいことは、

紀元の元年の年から見ることになるので

紀元前・紀元後は、その元年の年からどれだけ離れているか?で考えます。

そのため、紀元後1年と紀元後2年なら、時間軸としては紀元後1年のほうが古い年ですが

紀元前1年と紀元前2年なら、紀元前2年の方が古い年になります。

 

 

この内容が、定期テストで出ることもあるので、頭の中で数直線を考えて解くようにしましょう。

(わからなくなったら、メモで数直線を書くのもありです。)

 

 

イ-2:世紀

 

さらに、西暦では100年ごとに区切る単位があります。それが世紀というものです。

 

1世紀は1年~100年、2世紀は101年~200年です。

よく2世紀は200年代と思ってしまう人もいますが、2世紀は200年を除いて、ほぼ100年代です。

もし、頭がぐちゃぐちゃになるようなら、教科書やテキストに

「○世紀」という表記のそばに「××年代+□□年」とメモをしておくのも手です。

ノートでも、「○世紀」と「××年代+□□年」と記す形だと

頭がスッキリするかもしれません。

 

 

 

 

次はイ:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代を見ていきます。

 

 

2:歴史の流れに区切りをつけて名称をつけたもの・・○○時代など

 

人類が歩んだ膨大な時間を、ひたすら順番に学んでいく形にすると、情報過多に感じますので、

ある程度、区分けをすると、頭が整理しやすくなります。

 

社会のしくみや政治の中心地などで変化がおこったごとに区分して、その区分にそれぞれ名称をつけていきます。

その区分の1つを「時代」と言います。その時代の名称と、その順番を覚えていくことも大切です。

 

 

(1)時代区分

よく使う時代区分は、大きく区分したもの、さらにもう少し細かく分けて区分したもの、があります。

 

  • 大きい時代区分(原始・古代~近代・現代)

大きく区分したものは、社会のしくみの特徴ごとに時期を区分しました。

古い時期から順に、原始古代中世近世近代現代、です。

国ごと、地域ごとに、この時代区分の名称は使いますが、時期がズレることがあります。

 

この授業では、私立中学受験をする予定の小学生の受験対策、そして中学生の定期テスト&高校受験対策、を想定して

お話をしているので、日本史の時代区分と西洋史の歴史区分に特化してお話する形になります。

 

  • 時代区分2(「○○時代」)

 

原始・古代~近代・現代よりも、もう少し詳しく分けたのが、「○○時代」という名称と思っても大丈夫です。

この授業では、日本の「時代」の名称のみ扱います。

 

日本の時代区分では、だいたいは政治の中心がどこにあったのか?で区分しています。

ただし、政治の中心がはっきりしない(そもそも中心地がない、もしくは中心地があるが形式的なものだったりするもの)ものは

その時代の文化や、社会の特徴を主軸に区分することもあります。

また、ある時代の一時期のみを、また別の名称で表すことがあります。(南北朝時代や戦国時代など)

※明治時代以降は、「時代区分」というより、年号(元号)の表し方です。

 

 

日本の○○時代を古い区分から書いていくと、

旧石器時代縄文時代弥生時代

古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代

鎌倉時代室町時代安土・桃山時代江戸時代

明治大正昭和平成令和・・・・・となります。

 

世界史的には、旧石器時代の後の時代は新石器時代なのですが、

その新石器時代にあたる部分は日本では縄文時代となります。

 

日本の政治の中心の場所が、ある程度明らかになる時代は、古墳時代あたりです。

飛鳥時代は奈良県の現在の明日香村が政治の中心地、

奈良時代は同じく奈良県が政治の中心地ですが、明日香村でなく現在の奈良市が政治の中心地になります。

※ただし、飛鳥時代、奈良時代の間には、一時的に別の地域(難波、大津、恭仁など)に都をうつすことはありましたが

多くの時期が明日香村、奈良市(最終的にその場所に戻ってくる)が政治のメインなので、

時代区分としては、飛鳥時代・奈良時代として分けていると思われます。

平安時代は、京都府京都市が政治の中心地になります。

 

古墳時代から平安時代の政治の中心は、大王(のちに天皇)を中心とした朝廷になります。

(ただし、大王・天皇の権力の強さや政治の仕組みは時期によって変わってきます。)

 

鎌倉時代から江戸時代は、朝廷は存在していますし、幕府とは密接な関係を持っていますが、

幕府が政治の実権を握っている状態っています。

(その実権の強さは時期によって違います。)(安土・桃山時代は除く。)

 

この時代の多くは、政治の実権は「武士」が握っている時代です。

幕府が、神奈川県鎌倉市にあった鎌倉時代(始まりは、幕府を開く前から)、

    京都府の室町にあった室町時代(途中で幕府そのものは室町から移動している)

    東京都(江戸)にあった江戸時代

・・・という区分けです。

安土・桃山時代は、当時の権力者の居城の場所からの名称です。(居城とは、領主が拠点とする城のこと。)

織田信長の居城が安土城(滋賀県近江八幡市安土町)であった時期を安土時代、

豊臣秀吉の居城の伏見城(京都市伏見区桃山町)であった時期を桃山時代、

と言います。

 

 

ただ、この時代区分は、あくまで「情報整理」しやすいための時代区分なので、

その時代を生きていた人が「今は、○○時代だな~」と考えて生きていたわけではありません。

「後から考えて、○○時代」と名付けられるわけです。

 

そのため、がっちりと「××年から、○○時代」としているものからもあれば、

「この時期あたりから、○○時代」としているものもあります。

さらに、鎌倉時代などは、昔は「1192年」からでしたが、「1185年」とするのが主流です。

1192年は源頼朝が征夷大将軍に就任した年ですが、

1185年の時点で、源頼朝が全国の武士を自分の支配下においた年(守護・地頭をおいた年)となります。

源頼朝が武士のトップにたち、政治をスタートしたのを考えれば1185年から鎌倉時代と見るのか、

その武士のトップとしての官職(朝廷での職業)としてスタートしたのを考えれば1192年から鎌倉時代と

見るのも正しいです。

 

何が言いたいか?というと、テスト勉強においては

「何年から○○時代か?」をこだわる必要はありません。

もし、「何年から○○時代か?」を考えたいなら、かなりの知識量が必要で

これこそ大学に入ってから考える案件だと思います。

 

なので、その時代区分は、情報を整理するためのもの、と考えて、

パニックにならないで勉強し続けていけば良いでしょう。

 

(2)時代区分1と時代区分2をすりあわせる

 

(1)でお話した区分を、すりあわせていきます。

日本の場合は、

 

弥生時代の途中あたりまで原始

弥生時代の途中あたりから平安時代の終わりあたりまで古代

平安時代の終わりあたりから室町時代の終わりあたりまで中世

室町時代の終わりあたりから江戸時代の終わりあたりまで近世

江戸時代の終わりあたりから第二次世界大戦終了時まで近代

それ以降現代

という形になります。

 

画像でまとめてみました。

 

 

どうして、「途中あたり」「終わりあたり」と、ぼやかしいているような書き方か?というと

歴史というのがどういうのか?を考えると予想がつきます。

 

現在でも、何かの制度が新たに導入されたり、トップの変更があっても

その導入された瞬間、変更の瞬間に劇的に変わるわけではないですよね?

徐々に、徐々に変化していって、後から考えれば、あのときが変化のきっかけだったな、

と思うわけです。

歴史で使う用語は、後の世界に決まるものなので。

・・・・ということから、

「変化したのは、この時期あたりだよね?」ということになるので、あいまいになります。

 

歴史を学ぶ際は、はっきりしているようで境界線があいまいなことは多々あります。

「あいまいな表現」であると理解しづらい、不安感を覚える人はいると思います。

私もそうでした。世の中では「歴史はハッキリしている」という風潮で教えられることもあり、

「ハッキリしている」「あいまいである」の、異なる矛盾した事実のダブルバインドが

私の中でおこっていました。

だから、小・中学生のとき、歴史は苦手でした。

、「歴史は、あいまいである」ということで1つに決めてしまえば、

ダブルバインドにならないので、そう思うようになってからは歴史の勉強は楽になりました。

 

「あいまいなところはあいまいなまま」で良いんです。

 

今回は以上です。

とても長々と話す形になりました。

この部分は「最初から、全部覚えてからでないと、具体的な歴史の勉強に進めないの?」と焦らなくて良いです。 

旧石器時代、縄文時代、弥生時代・・・と勉強していくにつれて、何度も見返してくうちに、覚えていくことになりますから。

勉強して「ん?」と思ったことがあれば、その都度、この内容を見直していくと良いと思います。

では次回から、具体的な歴史を見ていきましょう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回は以上です。ご覧頂きありがとうございました。

この授業はあくまで、私の個人的意見で書いていますので

もしお気に召さないものがあれば、そっと記事を閉じていただけると助かります。

 

やっと次から具体的な内容に入ることができます。

まだ記事の画像ができていないので、完成次第、アップいたしますね。

 

次回予告:人類の誕生