社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

古代ローマの歴史は自分のそれまでの価値観を一変させた

2013年02月26日 23時02分31秒 | 歴史へのつぶやき&興味

自分が好きな時代について,自分なりの意見を述べるシリーズを何回か書いていきたいな,と思います。

 

今回は古代ローマ時代について。



古代ローマは、よくも悪くも人間らしい歴史だな、と感じます。
そして、今までの思いこみをぶちこわす歴史でもあります。


あいつぐ侵略戦争で農業をする暇がなく農地が荒れ果てて、

農地を捨て都市に入り込み、無産市民になる農民たちが出てくる。

でも、属州(征服した外国の地)からの、大量の安い作物が入ってくるので、そこまで困らない。それで、さらに侵略戦争に乗り出す・・。

 

最終的に、ローマ市民は、共和制から帝政に切り替えます。

 


帝政でローマは最盛期を迎えることになるのです。


これは、

「今、私たちの選んだ共和制こそが人類の発達した最終政治形態である」

という思いこみを打ち壊す歴史だと私は思います

私は、もちろん共和制が好きです。民主主義が大好きです。

でも、「帝政」「王政」にも良い部分もたくさんあるのでは?と思うときがあります。

このように,今までの価値観を覆してくれる,古代ローマの歴史は好きです。

 

また,古代ローマの歴史は,それ以後のヨーロッパの歴史の下地になり,

古代ローマの歴史を知れば知るほど,それ以後の歴史もわかるようになります。

なので,古代ローマって面白いです。

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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ひな壇は小さな宮廷

2013年02月26日 22時38分31秒 | 歴史へのつぶやき&興味

もうすぐひな祭り(桃の節句)ですね♪

ひな祭りというと、お雛様(ひな人形)がまっさきに浮かんでしまいます。

私、お雛様☆好きなんですよね。

 

なにせ、結婚式で十二単を着たほど(笑)もちろん、旦那も束帯で。

娘の初節句の際も,楽しくお雛様を選びました。(笑)

平安時代宮廷の作法能楽などを知れば知るほど、

雛人形のどの人形をどのように配置するかに意味があることを知り、感動します。

 

歌の歌詞で有名な「お内裏さま(おだいりさま)」の内裏は天皇のことということを知ると、

最上段に座っているのは、天皇・皇后両陛下、ということがわかります。

(左の絵は,お内裏様とお雛様のアレンジイラストです。実際の雛人形さんとは様式が異なります。)

また左大臣・右大臣もいますし、

牛車などの貴族の高貴な身分の人しか乗れない乗り物もあるのに気がつきます。

 

 

 

 

つまり、ひな壇というのは、小さな宮廷なんですよね♪

 

また5人囃子能楽のお囃子なんですよね。

5人囃子の並べる順番なども、

能楽堂での囃子方の並びを知っていると、すんなり並べられます。

(それぞれの人形がもつ囃子(楽器)も、手のうごきでわかります)

 

また、雅楽の5人囃子や7人囃子もあるそうです。

たしかに宮廷だったら雅楽ですよね。(能楽は武家中心の芸能)

雅楽の5(7)人囃子が存在することは、徳川美術館で見て初めて知りました。

また、京都の平安神宮に行ったとき、

そこに(ひな壇・神宮を見て)左に橘の木・右に桜の木が植えられていて、

それが宮廷の習わしだということも知り、さらにひな壇に興味を持ちました。

 

このように、お雛様で、歴史や日本文化を勉強するのも楽しいです。

(上のイラストは、お内裏様とお雛様のアレンジイラストです)

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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「いじめが悪いこと」と理解できない子もいるかもしれない

2013年02月25日 23時37分31秒 | いじめについて

塾講師・家庭教師を10年以上やっていて、

どれだけ、わかりやすく教えても、情熱をもって接しても、

勉強の内容が理解できない子をたくさん見てきました。

 

自分が悪いのかしら、と悩んだこともありましたが、

ある一定以上は、生徒個人の問題だと、最近は思うようになりました。

もちろん、先生の教え方次第で、変わる子も多くいます。でも、変わらない子もいるんです

 

勉強は、できる子が良い子で、できない子が悪い子、では決してありません。

勉強の出来る出来ない、成績が良い悪い、は、

その人の勉強以外の評価(たとえば性格など)とは全く関係ありません

 

今回、私が言いたいのは、

勉強だって、学校でも塾でも先生が教えても、

理解出来ない子がいるように、

道徳的観念も、先生が教えたからと言って、

全員が理解できるわけではないだろう、ということです。

 

つまり、いくら先生や親が

「いじめは悪いこと、してはいけない。」と言ったって、

それを理解できない子は必ずいるはずです

また,表面上は「いじめは悪いこと」とわかっていても、

自分がその悪いことである「いじめ」をしている、という自覚がない子も。

 

もちろん、先生の姿勢・教え方次第で、いじめが減るのは確かです。

多くの子は、先生の言っている意味を理解し、

いじめをしなくなります。

だから、先生たちがしっかり指導していくのは大切です。

 

しかし悲しいことに、いじめが完全になくなることはない、と私は思います。

それが良いことだと思っていません。

 

減らそうとする努力は大切。

でも、いじめがおきたときに,

先生の指導や親の教育のせいだけにしていては、

完全な解決にはならない

と思います。

 

いじめが起きないようにしよう,という努力も大切ですが,

いじめがおきてしまったときに,それが広がらない・悪化しないよう

対処することが,一番大切かも・・と私は思います。

いじめられた子の心のケア,いじめた子がなぜいじめたのか,の分析をし,

同じ状況下にならないようにすること,など。

 

いじめ問題はとても難しいもので,理想論だけでは解決できないもの。

私も実際に目の前でいじめが起きたら,的確に動けるか自信がありません。

でも,目の前の現実から逃げずに,真正面からがんばりたいです。

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※こちらは私個人の意見で,これが絶対的なものではありません。

※特定の方を批判したものではありません。

 

 

 


いじめの相談をする,それは難しいことだと思う

2013年02月25日 23時33分55秒 | いじめについて

今回は「いじめ」について,自分なりの意見を書かせて頂きたいと思います。

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いじめられている人は相談しましょう。」という言葉は

私は苦手です。

 

「相談する」ことは良いことですし,出来るならそうすべきです。

でも,それができない状況がある,ということも理解しなければいけないのでは?と思います。

 

「いじめられている」と自覚しないと,人に「相談」は出来ません。

でも,自分が「いじめられている」と

いうことを気づくことは難しい

たとえ,

「もしかして・・・」と思っても

「自分がいじめられている」と自覚するのは

怖いことで勇気がいります。

 

 

私は小学校でいじめられているとき,「いじめられている」自覚はありませんでした。

なんとなく友達との間で違和感があり,自分が悪い,と思い込んでいました。

私の様子がおかしいことに母親が気づき,「おまえ,いじめられているのではないのか?」

と言われたとき,最初は「え?わたしが?」とびっくりしたのです。

いじめられている,と自覚したとき,私はとても恥ずかしくなりました。

なぜなら,「いじめられている」ということは,自分は友達に馬鹿にされ,嫌われている,ということであり,

そして,誰も友達がいない,ということなのです。

 

だから,世間は簡単に相談しろ,と言われても,それはとても勇気がいります。

 

また,相談する相手によっては

「あなたも,ここは悪いんだから,こう治したら良いんじゃない?」

とか

「俺だったら,相手をぶんなぐってやるのに!」

と言う方がいます。

これは一見,良いアドバイスのように見えますが,

「いじめ」で自信喪失しているときに,このように言われると,

自分が否定されているようで,「孤独」がさらに増します。

相談する,ということは

 

「どんなお前でも愛している!」

 

と言ってもらいたい(言葉でなく態度で,という意味)

ということだと思います。(意識があるなしに関係なしで)

 

私が先生をしていたときに,

「いじめられているので相談にのってほしい」という相談の形をした生徒はほとんどいませんでした。

 

突然成績が下がった,

作り笑いが多くなった,

妙に自分のできるところを先生にアピールするようになった(もしくは突然自信がない様子になった)

暗い,よく体調を崩す,

などいつもと様子が違うことに気がついたときに,

「何かあったのか?」とこちらから生徒にアプローチしました。

 

大概,最初は「いや,特には・・」と否定しますが,突き詰めていくと,

友人間での悩みがあることが発覚します。

その内容を聞いていくと,それが「いじめではないか?」と思うような内容が出てきます。

 

それで「それはいじめじゃないのか?」と生徒に聞くと,

「いや,違う。私(僕)が悪いんだ・・。」と本気で言う生徒が多いんです。

 

そこから,先生が自分を裏切らない,という態度をとり続けて,

やっと生徒は「いじめ」を自覚し,これからどうしていくのかを考え始めます。

 

相談を受けるということは,とても,時間と労力が必要で,

心の底から生徒を愛さないと出来ないことです。

 

また普段から生徒に信頼される先生でなければ,声をかけても生徒は本音を話しません。

 

私も,すべての生徒さんたちに信頼されていたわけではないですし,

「いじめ」を受けていた生徒さんのことに気づいていなかったかもしれないです。

だから,もし,また先生をする日があれば,少しでも生徒さんのためになる先生になれるよう努力したいです。

 

また,もし友人といると辛いと感じている人がいたら,それはもしかして「いじめ」かもしれません。

自分が悪い,とは思わないでください。「いじめ」はどんな理由があろうとも悪いことです。

 

※こちらは私個人の意見で,一般の団体・個人の方々を否定・批判しているわけではありませんし,私の意見が絶対のものではないです。

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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まちがった「正義」の味方~なぜイジメはなくならないのか?~

2013年02月25日 23時29分32秒 | いじめについて

私は小学生のときに、いじめにあいました。

 

ここでは、「なぜいじめはなくならないのか?」ということを自分なりに考察させて頂きます。

 

質問1

みなさんは、たとえば、こういう場面を見たときにどういう気持ちですか?

Aさんは、クラスメートBに殴られ、お金を渡せ、と脅されて、毎日お金を渡しています。

クラスメートはそのお金でゲームをして遊んでいます。」

 

この状況を見て、

「Bはなんてひどいやつなんだ!」とか「Aはかわいそう」「Aも強気でいればいいのに・・。」

と思った方は、「いじめの経験者でない」方が多いと思います。(全員ではないですが・・)

 

いじめの経験者の多くは、その状況を見て、

「こわい。」「どうやったら、この状況から逃げられるんだろう。」

と、Aに気持ちが、はいってしまいがちです。

また下手すれば、Bが悪いやつだとも思えなかったりするんですね。

 

質問2

あなたがいじめ、というとどういう状況が思い浮かぶか、思いつく分だけ言ってください。

 

これで、たとえば

・カツアゲ

・暴力

・シューズや服などを隠される

・ノートや本などが隠されたり、破られたりする

・「くさい」「死ね!」など暴言を吐かれる

 

など思いついた人は、そのようないじめの経験者を除くと、

いじめ未経験で、テレビやマンガの世界でしかイジメを見たことがないという方なのでしょう。

上記のようなものは、「証拠がのこる」もので、

きちんと証拠さえ残してあれば、先生や親に自分がいじめられていることを信じてもらえますし、

あきらかにやった相手が「悪い」と思えることです。

とくに、カツアゲ・暴力・モノを壊されるなどは、法律的にも違反行為の可能性が高いです。

 

 

しかしですね、上記のようなイジメは、少ないと思われます。

(だからといって、そのいじめにあった人がたいしたことない、という意味ではありません。

このようないじめはそうとうひどいものです。)

 

実は、次のようなケースの方がイジメの総数としては多いと思います。

 

・自分の発言についていつも、クラスメートからクスクス笑われる

・クスクス笑われた理由を聞いても「だってね・・」と友人同士で目配せをするだけで教えてくれない

・今まで仲のよかった子が急に冷たくなる

・グループ内で、自分がいないところで他の子たちがコソコソ話している

・「あなたのここが悪い」とダメだしされる

など。

これが1・2回のことなら、気にしなくてもよいでしょう。

気にしすぎだったり、偶然だったり、自分が大きな失敗をして友人がいさめている、ということもありえるので。

 

でも、これが1週間以上続くようなら「いじめ」の可能性は大です。

 

このようないじめにあった子は必ずこう言います。

「いや、私が悪いんだし・・。」と。

 

それはどうしてかというと、

自分の細かい悪い部分を、たくさんの相手から指摘され、ほんとにそうだな、と思っていまうんです。

 

たしかに、その指摘の通り、悪い部分だったりします。

たとえば、目つきが悪い、とか、すぐ人の悪口を言う、とか、勉強できない、

君がいるといつも試合でうちのチームが負けるとか。

 

その指摘そのものは納得できちゃうので、

友人たちにもし不快なことをされても、「自分が悪い。」「私のここを直せば、◎◎ちゃんは仲良くしてくれる。」と。

 

でも、よく考えてみてください。

相手の悪い部分があるからって、

その子の行動・言動すべてを笑いますか?

 

おかしいでしょ!

 

私は「いじめ」とは「相手の人格を全否定する・相手の存在を認めない」とことだと思います。

 

一度、「あの子はここが悪い」と思うと、その子の成すことすべてが気に入らなくなるんです。

そして、「あの子は悪い子だから、とっちめてやろう。そうすれば、あの子も改善するでしょ。」と

正義感が芽生えるんです。

彼らは正義の味方の気分なのです。

だから自分たちがしていることは正しいことで、「いじめ」をしていることに気づいていない。

 

(まちがった)「正義感」のもと、「いじめ」がうまれることも多い。

だからいじめはなくならない。

 

しかも、目に見えない不快感、証拠もない。

でも、これも立派な「いじめ」なんです!

 

私は自分がイジメをうけていることだと気がつかずイジメを受けていました。

一番仲の良かった子が、グループの中心核の子で、そのグループで1年以上みんなで仲良くしていました。

しかし、小5の秋ごろから、みんなの様子がなにか変なんです。

私をみて、クスクス笑ったりしたり、わたしの発言や好きなものをすべて否定したり。

私の家に遊びに来て、

私の持っているマンガを見て、「まだそんなの持っているんだ、こどもだ!」とか

おじいさんからもらったお気に入りのぬいぐるみに「ごんた」という名をつけていたのですが、

「ひどい名前。バカみたい」と言われ、クスクス笑われ、

ゲームが下手なので、ゲームをやらせてもらえなかったり。(←私の家なのに、だよ。)

また、その子たちと一緒に英語塾に行っていたのですが、私の言うことなすことバカにするんです。

 

そういう状況が続いたある日、母が「もしかしたらイジメを受けているんではないの?」と言われ、

私はかたくなに「ちがう」と言いました。

だって、「バカな自分が悪い」と思っていたから。

そして、何より、自分は悪い人間だと思い込んでいるので、

そんな私が「友達からいじめを受けている」なんて思ったら、

つまり、それは「友達がいない」と公言するものなんだから、

怖い。友達ができない自分なんて、母からも見捨てられる、と。

 

でも、母は見捨てなかった。

「いじめる方が悪い!」と。

 

そのときに、母は「ここを直した方がよい」ということは言わず、

「こうまでして、彼女たちと友達でいたいか?」という質問をされました。

 

長い沈黙を経て、

「ううん。」と言い、それによって、私は小5のときに一気に友達を失いました。

友達がいる、というステータスを維持するよりも、わたしは心の平安をとりました。

 

それから、半年以上は一人で過ごしました。

 

でもですね、そっちの方が「孤独じゃなかったんです!」

だって、もう、私がどんな本を読んでても邪魔する人はいない。「ごんた」と好きなだけ呼べる。

自分は自分でいたっていいんだ!と。

 

これは、中学3年のときに公民で「精神の自由」というものを習ったときに、

私がいじめから解放されて得たものは「精神の自由」だったのだ、と思いました。

また、いじめは「基本的人権を侵害したもの」だとも。

 

中3で公民を習ったときに、私はいろいろと、ツキモノが落ちた気がしました。

また歴史を勉強すると、「これっていじめじゃないかな?」と思う部分がたくさんあります。

帝国主義は一種の「いじめ」です。

植民地政策は、かつあげと暴力のいじめです。

「あなたの国は近代化が遅れている」という姿勢は「西洋近代化が正義」という考え方の名のもと、

アフリカ・アジア・南アメリカ諸国の政治形態を認めないという姿勢は、その国の個性を認めない、

ということです。しかも、多くの国が「近代化していない、自分が悪い。はやく近代化しなければ。」と

思ったのです。かれらの正義を正しいと思い、自分が悪いと思った、と。

(ただ、私は西洋近代の考え方が大好きで大好きで大好きでたまりませんし、

近代政治の考え方でどれだけ現代が恩恵を受けたか数がしれないほど多いです。)

 

いじめをする可能性は誰にだってあります。

でも気がつかないんです。だって「相手が悪い」って思いこんで、「正義」の名のもとに動いているんだから。

 

なので、「相手が悪い」と思って、後ろめたくなく行動しているときは、「もしかしたら、私は相手の人格を認めていないかも」「いじめをしているのかも。」と疑ってみてもいいかもしれないです。

どんなに相手が悪くても、過剰に、攻撃したり、グループを組んで相手を継続的にバカにしてはなりません。

 

また、継続的に何かつらいめにあっているときに、

本気で「自分が悪い」と思っていたら、それはそうじゃないかもしれない、と考え直してもよいかもしれません。

 

 

いじめを受けたら即座に逃げる、対処する、という形も大切だと思います。

 

相手にどんな理由があろうとも,いじめている方が悪いんですから! 

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こちらはあくまで私の意見です。多くある説の1つの意見だな~と思っていただければ幸いです。

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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10代は、何でも吸収する時代

2013年02月25日 23時14分19秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

10代の生き方に関して、自分なりの考えを述べたいと思います。(あくまで私個人の意見なので、参考程度にお願いいたします。)

私は、10代のころ

「目の前にあるものを何でも吸収する時期」だと思っています。

学校で勉強する内容はもちろんのこと、

本やテレビなどもとにかく読んで、色んな世界に触れ、

課題やテストがあるものには、少しでも多く吸収できるように努力することが大切だと。

 

10代のうちは、学校や親や塾などが情報提供もしてくれるし、

何か失敗したときや悩んでいるときに手助けしてくれます。

だから、そのうちに、失敗を繰り返しながらでもいいので、とにかく何でも目の前のものを吸収するんです

「これってやってて、将来、意味あるの?」と疑問に思っても、その疑問を無視して、とにかく頑張るんです。

大学まで行けるなら、行けばいいんです。

高校は、ぶっちゃけ、最終的には、場所と偏差値で決めてもかまいません。

「私は将来、この職業につくから!」と決めつけて、無理に専門科に行く必要もありません。(もちろん、その職業につくことに迷いがないなら、専門科に行くのは良いことです。)

つきたい職業についての内容を頑張るのは良いのですが、それ以外をすべて捨てて、それに打ち込むのは危険です。もし、その職業につけなかったときに、方向転換できなくなるので・・。

10代でどれだけ吸収し、さまざまな世界に触れあったかで、20代でがんばれるものが決まります。

吸収したものが多ければ多いほど、20代でがんばる選択肢のは広がります。

20代は10代で吸収したものの中から、自分はどれを頑張るか、を色々挑戦し、迷いながら、1つの生き方を決めていく時代です。

30代は20代で決めたことを熟成していく時代です。

40代は、30代で熟成したことを大成させていく時代です。

50代は、仕事や育児など今まで中心していたもの以外にどのように生きていくかを決める、

大きな転換期になります。

 

だから、10代のうちに「これ!」と決めて、それしか頑張らないということになると、

20代のときにその職業に就けない、もしくはその職業に失望したり、能力が及ばずして辞めざる負えないときに、困ります。

だから、10代のうちは、さまざまな未来に対応できるように、目の前の辛さに投げ出さず、目の前のことを頑張ってもらえればいいかな~と思います

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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少数派のもつコンプレックス

2013年02月25日 22時55分38秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

今回は、少数派の人間の持つコンプレックスの話です。

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具体的に,利き腕の話題で話をしていきたいと思います。

多くの人々は右利きです。

しかし、左利きの人もいます。

左利きの子は小さいころに訓練すれば、右手で不自由なく手を動かせることができます。

でも、慣れるまで時間がかかるので、

やはり右利き社会に生きている左利きの人は新しい何かを始めるときは、訓練をしないといけないので、

不便と感じることは多いはずです。

実は私も左利きです
だから、今まで何度も不便だったり、差別されてきたことか!!と感じることがありました。


その結果、私の場合は家庭科が大嫌いになりました
包丁の持ち方、裁縫の仕方など、右利き用に書いてあるので、最初ほかの人と同じように手が動かせなかったのです。


かといって、左でやろうと思っても、先生の手の動きや本と同じでなく、左右対照の動きが頭でシュミレーションを瞬時にするのが難しいため、なかなできませんでした。

あまりに困ったので、一度、中学の授業のときに先生に

「左利きでどうやればいいのでしょうか?」と聞いたら、

「みんな右でやってるんだから、あなたも右でやりなさい!それが嫌なら左右対称で考えなさい!左に直せばいいんだから簡単でしょ!」と突き放されました。

結局、それで「私がいけないんだ!」と落ち込み、さらにがんばってやってもどうしても、みんなより遅れをとってしまい、

「どうせ、私はみんなより劣るんだ・・。もう知らない!」とすねちゃって、そのまま大人になってしまいました。(だから技術家庭科の内申は家庭科中心の学期は3、技術のコンピューター関係が中心の学期は4でした・・。)

私以外でも左利きの人はいて、家庭科はできるのだから、私もそのときにすねないで頑張れば、たぶんできたと思います。私の不器用さのせいもあったのでしょう。

しかし、転機がおとづれます。

ずっと家庭科には後ろ向きな気持ちしか持っていなく、料理をすることを毛嫌いしていたのですが、結婚することが決まり、初めて母に包丁の持ち方を教えてもらうことになったのです。


そこで、包丁そのものが右利き用のとぎ方になっていることを知り(左でもやれないことはないですが・・)、

左利きはつらいが、合わせてあげる能力があるものが、合わせてやりなさい

君なら右でもできるんだ!おまえにはその能力がある!」

 

と言われ(母はすばらしい!)、
やっと逃げないで包丁を握るようになりました。

そして料理をするようになり、数年経って、ある程度コンプレックスはなくなって、

やっと料理の楽しさがわかってきました。

 

 

また、

とあるテレビ番組で、

「左右逆転するだけで人間の脳は認識がすぐにできずに、うまく左右逆転した動きができない」

ということを先生が言っていて、すこし安心しました。

学校の先生が言っていた「左右逆転なんて簡単でしょ!」ということは間違いだった!ということが判明したのです。


それに、先生業をしていてわかったことですが、

先生が生徒に、なにも説明せずに「簡単でしょ!自分で考えろ!」というときは、

教えるのが面倒だったり、

実は自分もわからないのに、それをさとられたくないための自己防衛の言葉だということに。

(全員ではありませんが)

 

だから、中学のときの家庭科の先生は逃げの姿勢だということがわかり、

「じゃあ、あの人にダメな評価をされても、実際に私が本当にダメな子ではなかったんだ!」

ということを感じ、うれしくなりました。

 

また、大学時代に能の部活に入っていたときでも、扇は右で持って動かすことが多いため、それが最初できなく、入りたてのときは、同級生の中で一番覚えが悪かったのです。

それがコンプレックスになり、「私は扇を使う舞はヘタなんだ!」と感じ、ずっと扇をまり動かさない舞ばかり選んでいました。(もしくは左で扇を動かす舞が多いものを選んでいました。)

でも、今思うと、別にめちゃくちゃヘタでもなかったでしょうし、個性のある舞だったので、人によって好き嫌い激しい舞をしていたのかな、と感じています。だから、いろんな人から指摘をされたのでしょう。
私は個性がなさそうで個性があって、どうしても自分らしさが出てしまうタイプなので、それをなくそうとせずに、それを極めれば、それはそれで味のある舞ができたのかもしれません。とくに、左で扇を持つ方は上手だったと思いますので、右も左も上手にできるようになったら、個性が磨けたと思います。(プロとしてはそれが通用するかどうかは別ですが・・。)


ですので、左利きなりに、上手に右利きの世界にあわせつつ、左利きでできる個性を生かせたら、2倍上手になれたのかな、と感じています。

ーーーーーーーーーーーー

これは、左利きの話ですが、これだけでなく、ほかの一般的に人数が多くない方に属している人(内容によって、人間どこかに少数派の能力があると思いますので、みんなそれぞれ関係すると思います)にとっては、表には出さないけれど、なんとな~く一般人との見えない壁を感じたり、必要以上にコンプレックスを感じることがあるのではないかな?と思います。

でも、コンプレックスを感じる必要はないですし、

自分たちは自分たちの世界観で心の中は思い、力をのばす努力をし、

しかし、一般の多数派にも表面上は合わせる、ということをしていけば、

多数派の中で自分に合ったやり方しかしていない人よりは得る能力は多くなるでしょうから、

少数派でもあきらめずにがんばっていってほしいなぁと思います。

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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自分だけがくすぶっているときに・・

2013年02月25日 22時49分32秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

今回は、精神的な話です。

人の幸せが素直に喜べなかったことってありませんか?

たとえば、自分もその会社や学校に入りたかったのに、友達だけが合格したとか(しかも、いつもは自分より成績が悪い子が合格した場合はよりキツイものがあります)、友達はどんどん結婚していくのに、自分はなかなかできなかったり、子どもがほしいのに、努力していても自分だけがどうしても授かることができなくて、自分より後から結婚した子がバンバン子どもを産んで育ててたり・・

 

こういうときに、表面上は、相手にお祝いの言葉をかけたり(メールでもいいですし)、

喜んでいる表情や雰囲気を出すべきだと,私は思います

自分が幸せな状況のときに、「あんたはいいわよね!」と不満をぶつけられても困ってしまい、

そういう相手とは距離を置きたくなるのと同様、

 

自分が相手にそういうマイナスの感情をぶつけたら、

相手にも悪いですし、自分自身が友達を失ってしまいます。

 

だから、嬉しい席や相手が幸せの言葉をかけてほしい状況だったら、

笑顔でお祝いの言葉をかける努力をした方がよいと思います。(声を出したら、泣きそうだったら、メールでもかまいません。)

 

でも、心の中まで嘘をつく必要はありません。

もし、「他人をねたむ心は悪い!だから心から相手を祝わなきゃ!」と思ったら、

精神的にいつか限界がきて、何もかも嫌になってしまいます。

 

だから、

心の中では

 

「うらやましい・・。」

「なんで、私だけダメなんだろう・・。」

「相手の幸せそうな顔を見るのが辛い」

という弱い心は持ってもいいと思います

ただし、「あいつなんて不幸になればいいんだ!」とか相手を全否定したり、卑屈になって何もかも放りだしたり、裏で悪さをするのはいけません。

自分の弱さを認め、弱くなっているときは弱いまま心の休養にあてて、

そのあとで、自分は何をしたいか!

ということをハッキリ自覚し、前に向かっていけばよいのです。

(そのうちに別のことでがんばろう!とか思い始めます)

 

そうしていくうちに、自分に自信がついて

、自分のほしかった未来を持っている友人や知人を、そ

のときに本気の笑顔で祝福することができると思います。

無理してお祝いの言葉をかけたときに、

相手だって、「この子無理して笑顔をつくっているんだろうな・・。」と感じるかもしれませんが、

それでも良いでしょう。

なぜなら、「それでも私のことをお祝いしてくれるなんて!」と、逆に感謝する心が芽生えるでしょう。

 

そして、そのあとで自分の心が整理できてから、

本気の笑顔で再度祝福しに行ったり、交流すれば、相手もほっとします。

 

逆に、「嘘付いてる。バーカ!」で思うような相手なら、そこで縁を切ってしまえば、こちらだってセイセイしますし、そのような人を小馬鹿にする相手が幸せになろうが自分のしったこっちゃない!私は私の幸せをつかんでやる!と精神的にも吹っ切れます。

ということで、相手にどう思われようが、無理してでも表面上はお祝いをしてあげると良いでしょう。

 

生きていく限り、このような状況に陥るときがあると思います。

そういうときに、私の記事を読んで少しでも、精神的に楽になれば・・と思い、この記事を書かせて頂きました。

弱い心はあってもいいです!でも、表面上だけは気をつけて行動してみましょう!と。 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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受験成功には「努力の見積もり能力」は必要

2013年02月18日 23時41分20秒 | 入試全般について

今回は

目標に向かってがんばって成功する人ってどういう人なんだろう?

というお話。

 

私としては,こういう結論を出しました。(私の意見が絶対的な意見ではありません。)

それは

 

自分の能力や性格を真正面から向き合える人」であり,

かつ

目標までの努力の見積もりができる人」

 

だと思います。

 

これは,よく遅刻をしてしまう人を例にするとわかりやすいかな,と思います。

遅刻をしてしまう人に遅刻した理由を聞くと,

「寝坊した。」

「電車が遅れた。」

「思ったより,準備に手間がかかった。」などあります。

 

たしかに,もっともな理由です。

そこには

 

「いや,ちゃんと約束の時間には着くつもりだったんだけど,想定外のことがおこってね・・。」

 

ということなのでしょう。

 

たしかに,想定外のことってあります。

 

今まで一度も寝坊したことはないのに,その日だけは寝坊してしまった,とか,

事故で電車が1時間停まってしまったとか,

準備をしようとした瞬間,入れるバックが壊れてしまい,買いに走った,とか。

 

でも,おそらく、たいがいの方は、そうではないでしょう。

そういう理由を言う人の多くが、

時々寝坊する人が寝坊したり,電車でも10~20分の遅れなど普通です。(もちろん全員ではありません。)

 

だから,「自分は寝坊する可能性がある」という自分の能力(性格)をわきまえ,

アラームを何回か鳴らすなどの寝坊対策をするべきだし,

10分程度の遅れは想定して家を出るなどはした方が良いでしょう。

自分の周りの環境がすべて順調に進むとは思うのは危険です。

常に,小さな何かはあると想定して,それに対処できる程度の動きは予めしておく,ということです。

 

また,準備の遅れも

「自分では5分で出来ると思っていた」しかし「実際には15分かかった」

ということでしょう。

本人としては,「5分でできたことある」という経験上からそのように言っていたりもします。

 

でも,これって,「時間の見積もりや,待ち合わせの時間を逆算して考えたりする能力が欠けている」

 ということなのでは?と

私は思います。

 

また,「準備に時間がかかるタイプ」だと自分の性格を把握しておけば,

「15分くらいは見積もっておこう」とも

できるはずです。

 

 

このように,その性格や能力が良い悪い、というわけではなく,

「時間に間に合う」という目標を達するには,

自分の能力や性格を把握していなかったり,時間の見積もりが

でいなきゃ無理だということです。

 

また,もし「別に遅れても良いと思うし」という人は,

遅れてきた自分が責められることで腹をたててはいけない

と思うんです。(相手の言い方があまりにひどい場合は別ですが・・)

「私には明確な理由があるのに!」と思って「遅れないようにしよう」と反省しなければ,

いつまでも「遅刻魔」のままですので。

 

また,あきらかに無理な待ち合わせ場所・時間の場合は,拒否する必要があります。

たとえば,明確な理由もないのに朝6時に電車で2時間かかる場所で,など。

どう考えても体力ももたないです。朝3時には起きなきゃいけないし,始発の電車でも間に合わないかも・・。

 

 

 

受験で目標の学校に合格することも

それと一緒です。

 

自分の現在の能力(偏差値)と,

目標とする学校の偏差値にどれだけがあるかを把握します。

もちろん、データに基づいて!

 

そして,その学校の偏差値に近づくにはどのように努力するべきかの「努力の見積もり」が

必要なのです。

努力の見積もりとは

 

何を捨て,何を重要視するか(たとえば部活は引退して勉強一色になる,とか)」,

 

どれほどの時間がかかるか

「その学校に受かるためには、

どのレベルの問題までは解けるようにならないといけないのか

ということです。

 

そして,その努力を,自分が実際に出来るのかを考えます。

そのときに,

「部活は辞めたくない」とか

「この問題は一生かかっても私には解けない!」とか

「1時間以上勉強するのは私に無理」など

 

その努力に自分は耐えられないと思うなら,その学校はあきらめるべきです。

 

こういうとき,

「いや,今はいそがしいから無理だけど,来週からはしっかり勉強できるから大丈夫!」とか

「今は本気でないけど,私は本気になったらできるはず」とか

「お隣の◎◎さんは,偏差値が10上がったらしい。だから私だってがんばればできるはず」

ということを言う人は,

本当に,努力の見積もりと自分の能力を見極めているのかあやしいことが多いです

もちろん全員ではありませんが・・。

 

ただ,このような言葉には

 

「今の私は本当の私ではないの」

「明日からがんばるけど,今日はしない」

 

という逃げの姿勢が見て取れます。

逃げている間は,努力は出来ません

 

 

ただ,こういう風に言うと,自分の能力を低く見積もる子がいます。

 

それもダメです。そうしたら,いつまでも,現状維持のままで,能力は向上しません。

 

ですので,ちゃんと,真正面から自分の性格を見つめ,努力の見積もりをしましょう

たとえば「私は本当に負けず嫌いだから」と思ったら,その負けず嫌いを利用して勉強すれば良いんです。

 

また,最初は無理だとあきらめた学校があっても,努力していくうちに能力があがり,

結果的に最初無理だった学校まで能力があがっていくことだってありますので。

 

 

ということで,「努力の見積もり」と「自分の能力・性格に真正面から向き合うこと」は

目標達成には大切かな,と思います♪

 

その「努力の見積もり」「自分の能力・性格に真正面から向き合うこと」は

受験生なら、この秋には始めないと、手遅れになる恐れもあります。

 

真正面から向き合うことは、とても怖いことです。

それは自分の弱さや悪いところも見つめなければいけないから。

でも、それが怖くて、逃げていたら、最後に、とてもつらい現実が待っているかもしれません。

なので、辛いですが、受験に向かって,みなさんがんばっていきましょう!

 

 

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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ひさびさに更新いたしました

2013年02月16日 00時46分37秒 | 近況報告

しばらく更新が滞ってしまい,すみませんでした。

 

 

さきほど,いくつか,過去の記事を再編集してアップさせて頂きました。

今回は,「社会の勉強方法」。

 

読み直すと「毎回同じこと言っている」と思いました。

「社会は理解するもの!単純暗記だと馬鹿にしないで!簡単に暗記できるもんじゃない!」

という気持ちが伝わってきます。

よっぽど,10年間,「社会は単純暗記だから問題ばかり解かせればよい!」と

馬鹿にされて苦しんできたんだな自分,と。

 

「社会は理解すると勉強するのが楽しくなります!」を信条に

これからもがんばりたいです。

 

 

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