社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

幼稚園に行きたくない理由

2015年05月12日 22時43分32秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

毎日、たくさんのアクセスをありがとうございます!

 

 

先月から、娘の幼稚園が始まり、

親子ともども、幼稚園に通う生活に慣れるのに、いっぱいいっぱいでした。

 

とくに、娘は、初めて、自分のことをよく知っている人と離れての集団生活で、

さらに、マイペース&頑固&洞察力がある、娘にとっては、

集団生活で生じる矛盾にうまく対応できなくて大変なようです。

 

「幼稚園児が、まさか、上記のようなことを考えているわけないだろ!」 

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

でも、私が実際に幼稚園のとき、そうでした。

ただ、当時は、そこまで考えてはいなくて、

なんとなく、

 

「なんで・・?」という怒り

「何をしたら良いのかわからない」不安感

 

の2つの感情で押しつぶされそうでした・・・。

 

半年ほどは、幼稚園では、ほとんど笑わず、かっちかっち。そして、すぐ泣く。

 

なので、先生に「泣くな!」と毎日のように怒られていました。

 

 

そのうち、泣かなくはなったのですが、

2年間、幼稚園が楽しい、と思ったことは1度もありませんでした。

(当時は2年保育)

(実際に、教育機関そのもので楽しい、と感じるようになったのは、高校くらいからですね。

というか、塾は楽しかったけど、学校は、友人関係を除けば、そんなに楽しくなかった・・。)

 

 

大きくなると、自分は悪気があってしたわけでないのに、

まるでわざとそれをしたかのように責められることがあっても、

「まあ、そんな相手を信用しなきゃいいから」とか、相手に上手に反論したりできるんですが、

幼稚園児では無理です・・・。

また、「◎◎しちゃダメ!」の理由を述べず、とにかく禁止する人に対しても、

大人なら「まあ、そっちの方が楽だからね。」とか思ったり、理由を推測できたりできますが、

子供には無理です。

たしかに、多くの子供は、理由を聞いても、言うこと聞かないです。

でも、その理由で納得する子もいるし、当時はわからなくても、後になってわかることもありますし。

 

 

 

 

 

 

幼稚園に通い始めて3日後に、娘は突然泣き出し、

「幼稚園に行きたくない!」

と言い出し、

毎日、泣きまくっていました。

そのうち、朝ごはんも夕ご飯も食べなくなり、ずっと泣き続け・・。

さらに、高熱出して、それでさらにさらに食べなくなり・・・、という状態でした。

もう旦那はどうしていいのか困ってしまっていたようです。

 

でも、私は、娘が行きたくない理由は、なんとなく予想できたので、

とりあえず、理由は本人が言うまで待って、

今は

 

「お母さんは、どんなことがあっても自分の味方!」

 

と娘本人が本気で感じてくれるように

つとめました。

 

あのときの娘は、誰もが自分の敵のように感じ、

何かすると怒られる、責められるように感じ

何もできなくなっている、という状態でした。

 

お母さんも、幼稚園の先生のように、自分を怒る?

 

そういう、おびえた目で見ていた娘がいました。

 

なので、その間は、絶対に娘を怒ったり、責めたりしませんでした。

(怒るようなことを娘もしませんでしたし・・。)

 

ただただ、泣いてる娘を抱きしめる、

娘がそのとき、かけてほしいだろう言葉を何度も言う、

ということをしました。

 

 

そうしたら、2週間ほどで、やっと娘は幼稚園に行きたくない理由を話しました。

 

その理由については個人的な内容なので、こちらでは伏せさせて頂きますが、

どうも、自分は悪気があってしたわけでないのに、やってしまったミスについて、

強制的に謝罪させられたのがきっかけで、大人に対し、不信感をもってしまったのが

始まりのようです。

私からしたら、確かに謝ること自体は、悪いことではないのですが、

本人の言い分も聞いてほしかったな、とは思います・・。

 

 

でも、教育者って、そういうミス、よくおかすことも、実体験からわかることはわかるんですよね・・。

 

生徒さんの表情で、先生が勝手に勘違いして、その子を悪くとってしまって・・、ということなんでしょう。

失敗したとき、しょんぼりする表情、とか、びっくりした表情する生徒に対し、

その子の言い分を聞かず、「反省していない!」と怒る先生が多くいました。

そういうタイプの先生は、失敗してすぐさま、「ごめんなさい!」という、

わかりやすい言葉をとっさに出すと、その生徒は反省している、と思うようです。

そういうタイプの先生は、「読みとる」場合はネガティブな感情を推測しがちで、

それよりも「言葉」を信じるんです。

 

娘の先生が、そういうタイプの先生か?はわからないです。

 

ただ、予想としては、ミスをしたときに、ムッとした表情を娘はしたんでしょうね。

娘としては、「ただ、間違えただけなのに!」のムッ、なのに、

それを、「そんなことで怒らないでよ!」のムッ、に先生は感じたのでしょうね・・。

あくまで、推測ですが・・・。

そのあとも、食事のことや、泣くことに対し、色々注意をされ、

娘は、もうわけがわからなくなったようです。

 

 

幼稚園に行きたくない理由を私に話したときに、

一度も自分が責められなかったので、ホッとした娘は、

それから何日もかけて、ぽつぽつ、と、幼稚園であった辛かったことを話すようになってきました。

 

1か月経った今は、相変わらず、

「幼稚園に行きたくない!」とは泣きますが、

ちゃんとご飯も食べるようになりましたし、笑うようになってきました。

 

 

これから、また、大変なことはあると思いますが、親子で一緒に幼稚園生活を頑張っていきたいなぁ、と思います。

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強迫性障害の緩和ができた理由は…

2015年01月29日 00時59分11秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス
しばらく更新に間があいてしまい、すみませんでした。




現在、2月の「コミックライブin名古屋」で出す予定の、「世界史日本史魔法少女ヒストリーナ」の二巻を描いております。
上の写真は、その一部。まだ、トーン処理などをしてない未完成ですが…。

マンガは、こんなに描いていて楽しいものなんだ!と実感しています。


こんなに楽しく描けるのは、「罪悪感」をなくしたからです。

今までは、罪悪感にさいなまれて、どこも中途半端に終わっていました。

マンガを描き始めた大学時代は、「マンガを描いている暇があったら、就職活動や部活の練習をすべきでは?」とか、就職してからは、「マンガを描いている時間を睡眠にあてないと、また、明日、めまいがするのではないか?」、結婚したら、「マンガを描いている暇があれば、苦手で大嫌いな料理の勉強でもすべきでは?」、流産してからは、「子供をつくることを優先すべきなのに、マンガを楽しんでいていいのだろうか?産んであげられなかった子供たちに申し訳ない。」と、二人目妊娠を考えてからも同様に…。


それが、今は、「罪悪感で強迫性障害を引き起こすくらいなら、罪悪感なんて持つものか!!強迫性障害になるほどストレスなら、二人目妊娠はしない努力をしよう!」と腹をくくったら、とーーーっても楽になりました。


心療内科の先生に、「強迫性障害の症状も重く、うつ病も一歩手前だったのに、薬も飲まず、精神科系の治療も何もしなかったのに、よく、ここまで軽くなったね!」と先週驚かれました!!

「罪悪感をもたないこと」
それが、私にとって、一番の治療だったようです。


今回は、「ホワイトカラー」と「エレメンタリー」というアメリカドラマで、強迫性障害を緩和できました。

「ホワイトカラー」で、「物語をハッピーエンドかバッドエンドか?どちらで終わらせるかは、どこで幕を引くか次第」という言葉で、「私の妊娠出産物語は2014年でお終い。それなら、ハッピーエンドで終われるから。(産んであげられなかった子供たちには、本当に申し訳ないですが、本当にごめんね。)」と、完全に二人目妊娠努力を放棄しました。
今年からは、娘と私の二人だけの物語が始まります!!


また、「エレメンタリー」では、「罪悪感は、人間にとって一番の毒」という内容があり、本当にその通りだと思いました。「ホワイトカラー」でも、「罪悪感を持たないから平気で詐欺ができる」という言葉もありました。他にも、日本ドラマ「科捜研の女」でも、罪悪感を扱う内容がありました。

これから、「罪悪感」について深く考えるようになり、私を苦しめる根本に「罪悪感」があることを知りました。


なので、その猛毒「罪悪感」を、「マンガを描く」というワクチンで、毒を弱めることに成功しました。



「マンガ」と「ドラマ」は、私にとって、本当に神様なんだ、と実感しました!!






ではでは、またブログ更新がんばります!

10代は、何でも吸収する時代

2013年02月25日 23時14分19秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

10代の生き方に関して、自分なりの考えを述べたいと思います。(あくまで私個人の意見なので、参考程度にお願いいたします。)

私は、10代のころ

「目の前にあるものを何でも吸収する時期」だと思っています。

学校で勉強する内容はもちろんのこと、

本やテレビなどもとにかく読んで、色んな世界に触れ、

課題やテストがあるものには、少しでも多く吸収できるように努力することが大切だと。

 

10代のうちは、学校や親や塾などが情報提供もしてくれるし、

何か失敗したときや悩んでいるときに手助けしてくれます。

だから、そのうちに、失敗を繰り返しながらでもいいので、とにかく何でも目の前のものを吸収するんです

「これってやってて、将来、意味あるの?」と疑問に思っても、その疑問を無視して、とにかく頑張るんです。

大学まで行けるなら、行けばいいんです。

高校は、ぶっちゃけ、最終的には、場所と偏差値で決めてもかまいません。

「私は将来、この職業につくから!」と決めつけて、無理に専門科に行く必要もありません。(もちろん、その職業につくことに迷いがないなら、専門科に行くのは良いことです。)

つきたい職業についての内容を頑張るのは良いのですが、それ以外をすべて捨てて、それに打ち込むのは危険です。もし、その職業につけなかったときに、方向転換できなくなるので・・。

10代でどれだけ吸収し、さまざまな世界に触れあったかで、20代でがんばれるものが決まります。

吸収したものが多ければ多いほど、20代でがんばる選択肢のは広がります。

20代は10代で吸収したものの中から、自分はどれを頑張るか、を色々挑戦し、迷いながら、1つの生き方を決めていく時代です。

30代は20代で決めたことを熟成していく時代です。

40代は、30代で熟成したことを大成させていく時代です。

50代は、仕事や育児など今まで中心していたもの以外にどのように生きていくかを決める、

大きな転換期になります。

 

だから、10代のうちに「これ!」と決めて、それしか頑張らないということになると、

20代のときにその職業に就けない、もしくはその職業に失望したり、能力が及ばずして辞めざる負えないときに、困ります。

だから、10代のうちは、さまざまな未来に対応できるように、目の前の辛さに投げ出さず、目の前のことを頑張ってもらえればいいかな~と思います

 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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※現在,過去の記事を削除・編集しております。その中の記事の中でいくつかピックアップして

 ブログに再度アップしています。この記事はその1つです。

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少数派のもつコンプレックス

2013年02月25日 22時55分38秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

今回は、少数派の人間の持つコンプレックスの話です。

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具体的に,利き腕の話題で話をしていきたいと思います。

多くの人々は右利きです。

しかし、左利きの人もいます。

左利きの子は小さいころに訓練すれば、右手で不自由なく手を動かせることができます。

でも、慣れるまで時間がかかるので、

やはり右利き社会に生きている左利きの人は新しい何かを始めるときは、訓練をしないといけないので、

不便と感じることは多いはずです。

実は私も左利きです
だから、今まで何度も不便だったり、差別されてきたことか!!と感じることがありました。


その結果、私の場合は家庭科が大嫌いになりました
包丁の持ち方、裁縫の仕方など、右利き用に書いてあるので、最初ほかの人と同じように手が動かせなかったのです。


かといって、左でやろうと思っても、先生の手の動きや本と同じでなく、左右対照の動きが頭でシュミレーションを瞬時にするのが難しいため、なかなできませんでした。

あまりに困ったので、一度、中学の授業のときに先生に

「左利きでどうやればいいのでしょうか?」と聞いたら、

「みんな右でやってるんだから、あなたも右でやりなさい!それが嫌なら左右対称で考えなさい!左に直せばいいんだから簡単でしょ!」と突き放されました。

結局、それで「私がいけないんだ!」と落ち込み、さらにがんばってやってもどうしても、みんなより遅れをとってしまい、

「どうせ、私はみんなより劣るんだ・・。もう知らない!」とすねちゃって、そのまま大人になってしまいました。(だから技術家庭科の内申は家庭科中心の学期は3、技術のコンピューター関係が中心の学期は4でした・・。)

私以外でも左利きの人はいて、家庭科はできるのだから、私もそのときにすねないで頑張れば、たぶんできたと思います。私の不器用さのせいもあったのでしょう。

しかし、転機がおとづれます。

ずっと家庭科には後ろ向きな気持ちしか持っていなく、料理をすることを毛嫌いしていたのですが、結婚することが決まり、初めて母に包丁の持ち方を教えてもらうことになったのです。


そこで、包丁そのものが右利き用のとぎ方になっていることを知り(左でもやれないことはないですが・・)、

左利きはつらいが、合わせてあげる能力があるものが、合わせてやりなさい

君なら右でもできるんだ!おまえにはその能力がある!」

 

と言われ(母はすばらしい!)、
やっと逃げないで包丁を握るようになりました。

そして料理をするようになり、数年経って、ある程度コンプレックスはなくなって、

やっと料理の楽しさがわかってきました。

 

 

また、

とあるテレビ番組で、

「左右逆転するだけで人間の脳は認識がすぐにできずに、うまく左右逆転した動きができない」

ということを先生が言っていて、すこし安心しました。

学校の先生が言っていた「左右逆転なんて簡単でしょ!」ということは間違いだった!ということが判明したのです。


それに、先生業をしていてわかったことですが、

先生が生徒に、なにも説明せずに「簡単でしょ!自分で考えろ!」というときは、

教えるのが面倒だったり、

実は自分もわからないのに、それをさとられたくないための自己防衛の言葉だということに。

(全員ではありませんが)

 

だから、中学のときの家庭科の先生は逃げの姿勢だということがわかり、

「じゃあ、あの人にダメな評価をされても、実際に私が本当にダメな子ではなかったんだ!」

ということを感じ、うれしくなりました。

 

また、大学時代に能の部活に入っていたときでも、扇は右で持って動かすことが多いため、それが最初できなく、入りたてのときは、同級生の中で一番覚えが悪かったのです。

それがコンプレックスになり、「私は扇を使う舞はヘタなんだ!」と感じ、ずっと扇をまり動かさない舞ばかり選んでいました。(もしくは左で扇を動かす舞が多いものを選んでいました。)

でも、今思うと、別にめちゃくちゃヘタでもなかったでしょうし、個性のある舞だったので、人によって好き嫌い激しい舞をしていたのかな、と感じています。だから、いろんな人から指摘をされたのでしょう。
私は個性がなさそうで個性があって、どうしても自分らしさが出てしまうタイプなので、それをなくそうとせずに、それを極めれば、それはそれで味のある舞ができたのかもしれません。とくに、左で扇を持つ方は上手だったと思いますので、右も左も上手にできるようになったら、個性が磨けたと思います。(プロとしてはそれが通用するかどうかは別ですが・・。)


ですので、左利きなりに、上手に右利きの世界にあわせつつ、左利きでできる個性を生かせたら、2倍上手になれたのかな、と感じています。

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これは、左利きの話ですが、これだけでなく、ほかの一般的に人数が多くない方に属している人(内容によって、人間どこかに少数派の能力があると思いますので、みんなそれぞれ関係すると思います)にとっては、表には出さないけれど、なんとな~く一般人との見えない壁を感じたり、必要以上にコンプレックスを感じることがあるのではないかな?と思います。

でも、コンプレックスを感じる必要はないですし、

自分たちは自分たちの世界観で心の中は思い、力をのばす努力をし、

しかし、一般の多数派にも表面上は合わせる、ということをしていけば、

多数派の中で自分に合ったやり方しかしていない人よりは得る能力は多くなるでしょうから、

少数派でもあきらめずにがんばっていってほしいなぁと思います。

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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自分だけがくすぶっているときに・・

2013年02月25日 22時49分32秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

今回は、精神的な話です。

人の幸せが素直に喜べなかったことってありませんか?

たとえば、自分もその会社や学校に入りたかったのに、友達だけが合格したとか(しかも、いつもは自分より成績が悪い子が合格した場合はよりキツイものがあります)、友達はどんどん結婚していくのに、自分はなかなかできなかったり、子どもがほしいのに、努力していても自分だけがどうしても授かることができなくて、自分より後から結婚した子がバンバン子どもを産んで育ててたり・・

 

こういうときに、表面上は、相手にお祝いの言葉をかけたり(メールでもいいですし)、

喜んでいる表情や雰囲気を出すべきだと,私は思います

自分が幸せな状況のときに、「あんたはいいわよね!」と不満をぶつけられても困ってしまい、

そういう相手とは距離を置きたくなるのと同様、

 

自分が相手にそういうマイナスの感情をぶつけたら、

相手にも悪いですし、自分自身が友達を失ってしまいます。

 

だから、嬉しい席や相手が幸せの言葉をかけてほしい状況だったら、

笑顔でお祝いの言葉をかける努力をした方がよいと思います。(声を出したら、泣きそうだったら、メールでもかまいません。)

 

でも、心の中まで嘘をつく必要はありません。

もし、「他人をねたむ心は悪い!だから心から相手を祝わなきゃ!」と思ったら、

精神的にいつか限界がきて、何もかも嫌になってしまいます。

 

だから、

心の中では

 

「うらやましい・・。」

「なんで、私だけダメなんだろう・・。」

「相手の幸せそうな顔を見るのが辛い」

という弱い心は持ってもいいと思います

ただし、「あいつなんて不幸になればいいんだ!」とか相手を全否定したり、卑屈になって何もかも放りだしたり、裏で悪さをするのはいけません。

自分の弱さを認め、弱くなっているときは弱いまま心の休養にあてて、

そのあとで、自分は何をしたいか!

ということをハッキリ自覚し、前に向かっていけばよいのです。

(そのうちに別のことでがんばろう!とか思い始めます)

 

そうしていくうちに、自分に自信がついて

、自分のほしかった未来を持っている友人や知人を、そ

のときに本気の笑顔で祝福することができると思います。

無理してお祝いの言葉をかけたときに、

相手だって、「この子無理して笑顔をつくっているんだろうな・・。」と感じるかもしれませんが、

それでも良いでしょう。

なぜなら、「それでも私のことをお祝いしてくれるなんて!」と、逆に感謝する心が芽生えるでしょう。

 

そして、そのあとで自分の心が整理できてから、

本気の笑顔で再度祝福しに行ったり、交流すれば、相手もほっとします。

 

逆に、「嘘付いてる。バーカ!」で思うような相手なら、そこで縁を切ってしまえば、こちらだってセイセイしますし、そのような人を小馬鹿にする相手が幸せになろうが自分のしったこっちゃない!私は私の幸せをつかんでやる!と精神的にも吹っ切れます。

ということで、相手にどう思われようが、無理してでも表面上はお祝いをしてあげると良いでしょう。

 

生きていく限り、このような状況に陥るときがあると思います。

そういうときに、私の記事を読んで少しでも、精神的に楽になれば・・と思い、この記事を書かせて頂きました。

弱い心はあってもいいです!でも、表面上だけは気をつけて行動してみましょう!と。 

※こちらは私個人の意見ですので絶対のものではありません。

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辛い渦中にある中で相手にかける言葉

2012年03月08日 19時05分42秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

ひさしぶりにPCに向かっています。

ちょうど赤ちゃんが寝て,旦那も飲み会でいないので,ひさびさの1人の時間を持てました。

(昼間は赤ちゃんが寝るときに私も仮眠をとるので・・

 

子育ては大変ですが,とても楽しいです。

寝不足だったり,自分の好きなことを我慢したりすることが多いですが,

それよりも赤ちゃんを無事産むことが出来,育てることが出来るようになった喜びの方が強いです。

 

これは2度流産して,その間,

なんともいえない真っ暗闇の中を歩かなきゃいけなかった辛さに比べれば全然平気です。

今となっては,あの辛さも大切な経験だった,と思えますが,その渦中にいるときは,

そんな風には思えませんでした。

「うまくいけばそう思えるけどね・・。でも今は未来のことなんでどうなるかわからないじゃん!」

とよくおこっていました。

 

ですので,

辛い渦中にある相手に,「あとになれば良い思い出になるから・・。」とは言わないように

したいと思います。

それよりも「今,ある辛い現実を受けいる努力をしよう!」という方向にもっていきたいです。

辛い現実を受け入れるのはとても大変です。でもそれを成し遂げることで,初めて前を向ける,と

経験上感じております。

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趣味は大切に・・

2011年11月08日 14時29分59秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

ここ数か月、寝る前になる、体のどこかがかゆくなり1~2時間ほど寝られないことが多かったです。

乾燥しているから、妊娠中だから、と思い、とにかく我慢していたのですが、

寝坊することが多くなったので、母に「最近、かゆくてなかなか寝られないんだよね。」とつぶやいたら、

「あんたは、ストレスでかゆくなるもんね。」と即答されました。

 

そのとき、「たしかに!」と思いました。このかゆさは精神的なものかも・・と。

 

「無事赤ちゃんがうまれるかな?」という心配は妊娠してから(妊娠する前から)ずっとありましたが、

体がかゆくなったころから、「予定日までに生まれるかな?」という心配が出てきてイライラしたり、

体がだんだん大きくなり、動きが鈍くなったことで猫ちゃんとの散歩に制限が出てきたり、

ヨガやウォーキングはして体重ばかり気にして、

そして読む本は、赤ちゃん関係の本ばっかりで・・など。

 

「私、最近、趣味らしい趣味をしてないじゃん!」と気が付きました。

 

私は絵を描くことが大好きなのに、ここ1か月ほど殆どしてなかったんですね。

なぜか「母になるのだから、好きなことは我慢しなければならない。」

「あまりオタクなことをしては、子供に良くないのでは?」と思ってしまって、

世間体ばかり気にして行動していた気がします。

 

「それで私の体に異常をきたしては、子供にかえってよくないじゃん!」と思いました。

 

そこで、落書きをして絵を描くようになったら、体のかゆみが減り、ぐっすり寝ることができるようになりました。

母すげー!と感動!

 

 

世間体をまったく気にしないことは親としてもどうかと思いますが、

それよりも、どれだけ居心地の良い家庭にするか、

が子供にとっては大切だと思います。

 

学校や会社はいつかは卒業(辞める)ものですが、家庭は生まれてから死ぬまで一生関係するコミュニティ(社会集団)です。

ですので、上手に折り合いをつけて、幸せな家庭を築いていけたら、と思いました。

なので、これからも趣味も大切にして、自分の心を落ち着かせて、子供に向かい合いたいです。

 

そしてまずは、無事赤ちゃんが生まれることを祈って!


「苦しさを乗り越えられた」自信は,挑戦する「勇気」に変換してくれる

2011年09月29日 12時41分32秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

昨日もたくさんのアクセス&ご訪問をありがとうございます♪

昨日は,出産前の最期の美容院に行ってきました!

7月初に切って以来行っておらずボーボー状態でしたので,すっごくさっぱりしまいた。

美容師さんも気を使ってくれて,3カ月は切らなくても大丈夫なぐらい,しっかりと切ってくれました。

こんないショートにしたのなんて,すっごく久しぶりかも?

 

出産予定日まであと約1ヶ月半

グッズをそろえ始め,洗濯の洗剤を赤ちゃん向けに変えたり,赤ちゃん向けの部屋にするなど,

着々と,赤ちゃん仕様になりつつある我が家。

これでちゃんと生きて産まれてくれれば!と心の底から願っております。

 

1年前までは,また流産が怖くて,何もできなかった私がいました。

流産を乗り越えたのは,世界史の授業を担当出来た喜び,

自分が大切にした人間(友人・家族)は誰なのかに気がついたこと,

そして,アメリカドラマ「ER~緊急救命室~」を観て,

現実から目を背けないで前を見て生きることがこんなに美しいんだ,ということを学び,

流産した自分・現在逃げている自分にきちんと向き合えたこと,

つまり現実を受け入れたことが大きかったです

 

また,「また流産したら怖くてなかなか・・」と猫ちゃんとの散歩中に何気なく実母に愚痴をこぼしたところ,

「そうだよね。でも,子供がほしいのなら,それだけは乗り越えないとね・・。」と

怒られるわけでもなく責められるわけでもなく,ただ真実を突きつけられたときに,

「そうだな。」と思いました。(その間に,ネコちゃんが私たちの周りをぐるぐる回っていたので,

傍目かた見ると,全然真剣な雰囲気ではないかったんですが(笑))

流産したということは,

それだけ妊娠しようとがんばった結果なんだから,とにかく妊娠・出産したかったら,

とにかくがんばるしかないんだよね,と。

 

また,そのころはある程度,2回の流産の苦しさから乗り越えられていたので,

この母の1言で「うん,前を向こう!」

「ちゃんと乗り越えられたんだから,

また流産しても私なら乗り越えられるさ!」

自信を持って,妊娠に向けて再スタートすることを決心しました。

 

 

これからどうなるかわかりません。すっごく怖いです。

でも,「乗り越えられた」という自信は,

挑戦する「勇気」に変換してくれるんだと,

今回のことを通して知りました。

 

勉強・受験でも一緒かな?と思います。

おそらく,勉強コンプレックスや,受験で失敗すると,必要以上に自信を失いますよね。

とくに私立中学入試に失敗すると立ち直れない子がいます。とくに,それまで頑張ったのに,

原因がわからず,とか,当日のみの痛恨のミスで,という失敗の場合は・・。

 

でも,そのときに,「次の受験でがんばろう!」と思っても,

「でも落ちたら・・。」という恐怖感にさいなまれてしまう子がいます。

 

この恐怖感・必要以上のコンプレックスをなくし,

前に向くには,とにかく「落ちた」現実と,現状を受け入れることだと思います

現実と向き合い,受け入れることって,すっごく難しい。1・2日で出来るものではなく,

半年以上かかる。内容によっては3年以上かかることだって。

 

でも,それを成し遂げると,誰よりも強固な心がつくられ,

自分が本当にしたいことは何かを知り,

他人の何気ない一言・急かす言葉にも傷つかず,

前を向いてがんばれるんです。

 

だから,失敗しても良いので,その失敗から目を背けず,勉強も,もちろんそれ以外の全体的な生き方も

あきらめずに頑張ってほしいなと思います。

 

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ただ、目の前の真実を受け入れる、という大切さ

2011年02月19日 23時55分18秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

なかなか更新できずにすみませんでした。

私立中学入試が終わったあと、どっと疲れが来たみたいで、

眠気がすごく、また腰を痛めたり・・と色々、勉強のことが考えられなくなっていました。

それそれ、担当生徒の学期末テストが始まるので、勉強モードに入ってきたので、

また、こちらのブログの更新頻度もあがると思います。

ーーーーーーーーー

さて、今日は、ふっと思ったことです。

こちらのブログで以前、書いたと思いますが、私は2回流産して、現在まだ子供を授かっていない状態です。

 

そんなとき、ある知人と会う機会があって、子どもが多い場所に行く(ショッピングセンター)に行きました。

そうすると、子連れの幸せな夫婦も多いので、どうしても子供が目に入っちゃうんですね。(というか、目に入れないと、子供とぶつかってしまうので・・)

そうしたら友人が、「ごめんね、子どもが多いところに連れてきて・・。」と言ってきました。

そのときは、「いや、別に、それはかまわないよ。だって、ここには○○を買いに来たかったし。」と

なんてことなく返答していました。

 

また、別の機会に、その友人とグループで会って、たまたま子どもの話になったときに、

その友人がすっごく気をつかうんです。私がトイレに行ったときに、他の子に何か話したみたいで、

そのあとは、一度も子供の話がでないんです。

 

そういうことを何回か繰り返していくうちに、

「ん?私って弱い人間に見えるのか?」という疑問がわいてきました。

 

つまりですね、

私が子どもの話や子供を見るだけで辛い思いをしていると、その友人は思っているんだな、と。

 

そう思ったとたん、「私は強いかもしれん!」と気が付きました。

 

どういうことかというと、私は逃げたくない、という気持ちがあって、

この一年、

子供ができていない、その現状の真実を受け入れることに必死で、

その真実を受け止めて、自分はこれからどう生きるべきか、

ということをずっと悩んでいました。

子供の話、子供が多い所にいくことから目をそむけてたら、

何もできないじゃん!と。

元気になるのに、半年ほどかかりましたが、

現在では落ちついています。

「また流産したってかまわないから、努力しよ!」という気です。

 

そして今度はいろんな情報やうわさに流されてオタオタしたくないから、

きちんと妊娠や医学について勉強しよ!と思い、現在、勉強中です。

(・・と言っても、その中で漢方医学をもっぱら勉強中。

漢方医学は、漢方薬以外は自分で簡単にできる療法が多いので♪

東洋医学って面白いです。

 

私に子供がいる場や子供の話題からそらそうとしてくれた友人は、

その人なりに私を想ってしてくれたことなので、その人のことを悪いとは思いません。

でも、その人は今まで、「つらい現実からは逃げて生きてきた人なんだね。」と思いました。

たしかに、その人は

「もう少し勉強すればあの大学も受かってた。」とか

「あの人が文句言うと仕事をする気なくす。」など、

いつも「もう少し頑張れば私はできる」発言や、相手のせいにすることが多いです。

でも、「そのもう少しの勉強ができなかったんでしょ。」とか

「他人から文句言われる程度でなくすやる気など、本当のやる気ではない」と思うんです。

 

だから、その人にとっては、耐えがたい「流産」は、目をそらしたいものなのだと。

 

でも、私は、

「真実は真正面から受け入れなきゃ前にすすめない。」

「逃げるのは、自分の人生を捨てたものだ。」という信条があります。

 

ちゃんと、その信条をプライベートなことでも貫いていたことはすっごくうれしかったです。

 

 

この信条は仕事でも貫いています。

だから、生徒に対して、すっごく厳しい態度をとってしまったりして、

生徒を泣かせてしまうこともあります。

 

自分が完全に正しいとは思えないんですが、

昔、入試に落ちたときのフォローをする際に、

「もっと早くから勉強していれば受かっていた。」と

生徒に言われ「そうだね、だから大学受験でがんばろ!」と返答したり、

「先生のせいだ」と生徒に優しい先生のフリをして、

「落ちた」ことから目をそらす先生でいたとき、すっごく嫌だったんです。

だって、入試に落ちたのが、「勉強不足」や「先生のせい」にしていたら、

毎回失敗したときはだれかのせいにする生徒になってしまうじゃん、と。

 

でも、ある先生の「真実」を追う、面談や対応を見て、感動し、

自分も「真実を受け止める」ことに決心したあとは、

すっごく厳しいですが、生徒の言い訳を許さず、

「真実」は「真実」として受け止めなければ「前に進めない」、という厳しい姿勢をとることにしました。

その「真実を受け止める」姿勢が身に着くと、

どんな困難にも負けず、生きていく力が養われえるような気がします。

 

だから、もしかして今回、入試で失敗をした人たちは、責めるとか落ちた原因をすぐ考えるのでなく、

「落ちた」

その現実をまず心の底から受け入れる努力をすることが一番大切だと思います。

ただ、それはとっても難しく、怖いことなんですが、がんばってほしいんです。

そのように言う理由は

実は完全に受け入れると、自分に足りなかったのは何か、が自然にわかり、

その後なにをすればいいか、ということが考えられ、前向きになってくるからなんです。

そういう場合は、次の受験では失敗が少なくなります♪

 

ではでは、お互い、前を向いて生きていけるようにがんばっていきましょう!

 

 

 


やっぱりきました!あのことば!

2011年01月02日 18時39分49秒 | 私なりのカウンセリングアドバイス

今年の正月あたりには言われるかな~と思ったら、

やっぱり言われました。

「はやく、子どもつくって、親を喜ばせなかんよ(喜ばしてあげなきゃいけないよ)。」系のお言葉。

結婚三年目ですからね・・。

 

思ったよりも、その言葉にずーんとこなかった自分にびっくりしました。

実は、夫もどちらのご家庭(2親等まで)の方は誰も、

それについて、せかしたり、私を責めたりしないんですね。

私のことをよくわかってくる仲の良い友達さえも。

(微妙な関係の友人や知人などにはひどいこと言われたりもしましたが・・・)

その人たちさえ、私のことをわかってくれればいいや、と思っています。

少し前は、「自分が悪いんだ。」とか、

居心地の良い人の言うことばっかり聞いていては成長できないのでは・・と

悩んだりしましたが、

その意見が理論的で首尾一貫しているものなのか、とか、

自分にとって成長できる内容なのかを

振り分けて、それから受け止めるか受け止めないかを考えようにしたら、

すっごく楽になったんですよ。

たとえば、

「三回目も流産してしまい、また傷つくのが怖いと思うのはよいけど、それは乗り越えなきゃいけないよ。

流産してでも何でも、受精できなきゃ、前には進めないんだから。」とか

「子供ができた人には、おめでとう、と祝わなきゃいけないよ。

人それぞれ、幸せ・地獄のタイミングは違うんだから。」

と言う言葉は、

正しいものだと思い、それは受け止めて、実行にうつしています。

しかし、

「人の幸せを憎んではならない。」とか

「親のためにがんばりなさい。」とかは

受け入れないようしました。

だって、精神の自由はあってもいいじゃない!自分の人生は自分の人生、だと。

「憎むのは仕方がない。でも、憎んでも行動に表さないようにし、時間をかけてその人の幸せを

祝福するよう努力しよう。」とか

「親が私にしてほしいのは、孫が産まれるということだけではないはず。

子供が生まれる努力はしつつも、それ以外でわたしが親にできることって何だろう。」

というように別の視点に変えて、努力するようにしています。

 

そして、

たとえ親が、「孫がほしい」と思っていても、

「孫を生む道具としての私」しか価値がないと思わせるような行動や言動をされないので、

この人たちを信じよう!今、この世に生きている人たちを大切にしよう!

と去年色々と悩んだすえに出した結論でした。

また、子どもができなきゃ、教育者として、子どもを育てていこう、と思って、去年は

ふっきって仕事に励んだりもしました。

おかげで、長年の夢だった世界史の授業も担当することができて、幸せでした。

奈良の平城宮跡にも行けて、奈良の時代にタイムスリップできまました。

 

それに、

「むしろ、一番子供がほしくて悩んでいるは私だから・・。」と、

自信を持って思うので、

人の傷をえぐるような発言をわざわざ言う人の言動にいちいち傷ついては時間がもったいない、

と思っちゃうこともあります・・。

傷ついている暇があったら、現在、悩んでいる人たちを一人でも多く救う努力とかしたほうが

世の中のためになるでしょ!とか・・。

 

なので、今年は子供を授かれたらいいな、とは思うんですが、

人のためでなく「自分」のため、に子供を、と思うようにしています。