社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

自分が小学生の時、勉強苦手だった理由 その1

2024年06月27日 09時14分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。


長い間、同じ教科を教えたりしていると
いつのまにか、
「できなかったことは覚えているけど
そのとき感じた感情の記憶」
が薄れてきてしまっています。


でも、新たに教えてなかった教科、や、
学校のテストとは直接関係ない内容を
調べる時などに

昔の自分の辛かった思い出などが
思い出すことも。

それについて、お話したいと思います。



私は小学生のとき、
勉強は苦手でした。


みんなが簡単にできることが
すぐにできなかったんです。

先生に教えられた解き方のとおり
解けば、すぐに解けるようなものも
解けなかった。

そのためもあって、
小学5年生と小学6年生のときに
いじめにあいました。   


もちろん、「勉強不得手」という
理由だけでいじめられたわけでは
ありません。


ただ、
多くの人が「できない」部分が
「できない」のなら、

それは「いじめ」には
繋がらないことは多いです。


なぜなら、イジメというのは、
いじめられる子が「少数派」だから、
おこりやすいんだと。

(あくまで、「多い」という話です。)


私は
多くの人が
「すぐにできる」ことが
できなく、
それで、
同級生から馬鹿にされました。

さらに
先生からも
「なんで、他の子はできているのに
お前はできないのか?!」
と怒られ、それでもできないので
先生のいじめの標的になりました

先生からしても、私という存在のせいで
自身の先生としての自己肯定感が
下がったのでしょう。
だから、いじめることで
優位性を示したかったのだろう、と。


でも、それを「教師」がする、
というのが、未だに私は許せないです。

 
そして、勉強関係だけでなく
他の要因も重なり
同級生と先生からのいじめを
受けたのでした。


 
未だに、そのいじめの時期のことを
思い出すだけで
身体が冷たくなり動かなくなることも
多々あります。
それだけトラウマです。

このとき
「勉強できなかったときの感情」は
「勉強嫌い」とはならず

勉強したいのに
みんなが私が
勉強してはいけないと言う

私が勉強できないから、
みんなが私から
勉強を
取り上げようとしている
という、恐怖感でした。


この感情って、被害妄想に見えるかも?と
思います。

被害妄想と思われてもしょうがない、と
思うけれど、
実際によく言われたのは

同級生からは
「おまえは、知恵お◯れ(差別用語)。
だから、勉強しても、どうせ、意味ないよ!」
とか、
先生からは
「そんなに勉強嫌なら、もう授業は受けるな!」など。


これに対しては、私を馬鹿にしたいから、
とか、
先生としては「教室から追い出されたくなければ勉強がんばれ!」の意味で
相手は言ったのかもしれないのは
今だと思うことはあります。
 
でも、同時に、
同級生は差別用語を使っていること、
先生は今だと「虐待」と言われる可能性の
指導をしている、
とも感じます。


なので、相手は私から勉強を奪おうと
していたか?は関係なく、
相手が、不適切な発言はしてたのは
確かです。





今から考えれば私が
小学校のときに
周りから「勉強不得手」と
判断されたこととか
皆と同じにできない」のは
発達障害ASDの起因によるもの
だとは思います。
 

当時は「発達障害」「ASD」の
概念もなかったうえに

基本的に
「子供の行動」は、すべて「母親」の責任、
そして、
「ちえ◯くれ」など差別用語を言っても、
それは言ったほうより、
言われたほうが悪い、という風潮でした。


今から考えたら、なんて理不尽、地獄!!


今は、心療内科も充実し
「発達障害」「ASD」の理解も多くなり
少しは生きやすくなったかな?と思います。

そう、思いますが・・・

1つ気になることはあります。

今でも「発達障害」だと
「小学校で、同級生が簡単に解けるもの、
覚えるものもできないから、中学校は
もっとできないだろう。」と見られて
まうことがあるなー、と感じます。



発達障害だから勉強不得手
なのでなく

発達障害なのに
定型発達者向けの勉強方法で
やっているから勉強不得手
である可能性もあるのでは?
と思うことも多々あります。


(ただ、逆に「ASDは天才」という
一部のASDの人達だけの状況を 
あたかもすべてのASDの子に
当てはめる人もいたりすることも。

天才というのは、一握りの人だから
天才なわけで、
ASDの子が仮にすべて天才なら
もう、それは「天才」という用語を
改めなければいけません。)


ASDでも、勉強が得意、不得意な子、
どちらもいます。


勉強が得意か否か?は
定型発達者、発達障害者とは
直接、関係ない、

勉強関係なら別の理由で
得手、不得手が分かれると思います。

IQは1つの目安ではありますが
IQだって、人間が定めた1つの指針に
すぎなくて、人間って、まだ発見されない
何かの指針で、もしかしたら、さまざまな
得手不得手を図れるかもしれないので、
「IQが低いから勉強が絶対に出来ない」
とは言えないです。
逆に「IQが高いから、小さい頃から
テストで満点ばかり」でもないですし。




私がもし、

小学校のときに
「発達障害」と診断され
「発達障害だから勉強なんかより
身の回りのことをできれば良い。
そして、自分のことを助けてくれる人に
感謝する心を持ちなさない」と
勉強することを取り上げられたら
それも怖いな、と。
(ただ、自分の小学生の時の
差別地獄よりは良いですが。)




私は小学校の勉強は不得手なまま
卒業しましたが、
中学生になって、
自分に合う勉強のやり方で
母に教えられるように、
そうしたら勉強が出来るようになりました。

学校の先生の授業は
家で自習したり
母の家庭教師の授業を受けたりしないと
やはりわかりづらかった。


学校の先生の言うようなやり方では
勉強できないままだったでしょう。

中学生のときは、母にがっつり勉強を
教えてもらいましたが、
高校からは学校のテストは
自分だけの自習で乗り切りました。
(受験対策は、予備校で)


中学生のときに、母に教えられたというと、「自立できない駄目な子と束縛母」と
思われるので、あまり公言はしません。


でも、今から考えれば、母は
「最初から勉強が得意なASD」タイプ
だったから、「ASDの勉強方法」を
教えてくれたんですよね。

それが、私には一大転換期!

親に頼る恥ずかしさ、より、
勉強を絶対に手放したくない!
という気持ちが当時、強かったのです。


そして、高校からの勉強のほうが
楽でした。

もちろん、高校は内容は難しい。

でもね、ストレスがなかったんです。

だって、先生が「やり方の押しつけ」を
しなかったし、テストで点数が悪かろうが、授業で答えられなくても、人格否定をされることはなかったし、
なんといっても、「勉強するのは当たり前」の世界だったから、勉強放棄を促す先生も同級生も存在しない、という安心感があったから。




私は中学→高校、と学力をあげて、
やっと、本格的に自分に確実に合った
勉強方法を確立したのは大学のとき。

大学では、別に勉強方法を教えてくれた
わけではありません。大学なんで。

でも、「この内容の世界は、
こう見るんだよ」と
いう立ち位置を教えてくれました。

そのときに
私が小学生の時から
そういう立ち位置で見たかった。 
いや、見たかった、ではない、
見てたんだ

本来は昔から、そういう感じで見てたけど
それがいけないと、小学校のいじめの頃から
思い込んでた。
でも、学校の先生がそういう視点で
見ようとすると、怒ったり馬鹿にする。
習った内容をすぐにできないと、
いじめられるから、
私は、そこに立って世界を見なくなった。
自分の世界が怖くなったんだ。
と。

それからは、塾や家庭教師のバイトでの
事前準備で
小学生の時、そして、中学、高校のときに、否定してた、自分が本来にしたかった
勉強方法で小学校の勉強、中学、高校の勉強をやりなおしました。


そのやり方を生徒さんに教えると

正反対の反応に。


「先生のおかげで、めちゃくちゃ勉強あがった!」という反応の生徒さんと

「そんなことより、テストで点数を
とれる授業にしてよ!」という反応の生徒さんに

2極化しました。


その時は理由はわからず、で
状況に応じて、授業形式を使い分ける形に
しました。


こちらのブログでは
自分が本来したかった授業にしてますが
仕事だと、違うやり方をすることは
多々あります。


話がズレてきてしまったので
話を元に戻します。


何を言いたいか?というと

「勉強ができない」という理由が
「周りとの差」だけだったら
本当は勉強ができないわけではないかも
しれない、ということを言いたいのです。


とくに「習得スピード」の差。

でも、そういうと、
「定型発達者は速く、発達障害者は遅い」
という意味とは違うんです。


「習得」とは、何種類もあって、
定型発達者の方は、a習得→b習得→c習得、
という順番でやると、最終的なD習得ができ、それができて初めて、次の段階の
d習得→e習得・・・といくことができるけれど、
発達障害者の場合、
c習得→e習得の内容を知る→a習得→b習得→D習得
などになることもあるのです。


小学校ではD習得さえできればよくて、
その第一段階がa習得だから、
aができなければ、先に進ませない。

それで、順番を入れ替えればaは
習得できる、でも、順番入れ替えを
先生が禁止するからできない。

そうなると、最終的にD習得はできない。

それで、
「発達障害者は定型発達者よりも
勉強できない」になるのでは?と。


なので、勉強が不得手かどうか?は
小学生の時は結論をくだすのは危ないと
思います。
私は高校で世界史を習ってからの
ほうが日本史を理解できたので
高校3年生のときか、
大学入学後に
勉強不得手かの
最終的な結論でも良いかも?


・・・というか、そもそも、

「勉強不得手だから勉強しちゃいけない」

「勉強不得手だから、
勉強がストレスだろう

と当事者じゃない人が決断下すこと
そもそもが危険なんですよね。


本人が勉強不得手で
「勉強内容が嫌いだから」で
勉強捨てるのはアリだけど。

また、もし当事者が決めかねる場合は、

「一度勉強の世界から離れる」ことを
してから、もう一度勉強の世界に戻るか、 決めるのもあるかな?と。

小学生の時までは、本人の判断だけでなく
保護者の方の判断も必要だと思いますので。
(さすがに小学生だけで判断を決めるのは危険。)

「勉強不得手だから、得意なことで
大人を安心させないと捨てられる」と
思ってしまい、勉強捨てちゃうのは
その子がもしかしたら勉強を好きになる機会がなくなっちゃうかも?と。




話が長々となってしまったので
続きをまた別記事でアップいたしますね。



氷河時代が難しいので、中学生向きにノートにまとめてみました

2024年06月26日 08時34分00秒 | 歴史まとめノート
みなさま、本日もありがとうございます。


本日も、前回のお話同様
自分が生徒のときに勘違いしてた歴史内容」についてです。
   



今回は氷河時代


初めて、この時代の歴史を習った、 
当時の私は
「氷河時代と氷河期は同じ」と
思い込んでました。

そのため、教科書などの
「氷河期(氷期)が終わり、温暖になった」
という文章を読んで
「今の地球は氷河時代そのものが
終わったんだな」と勘違いしてました。

しかし、大人になって
「今も氷河時代だよー」という事実を知り
驚愕!!

「え?!今、あったかいよね?
氷河時代って、どこもかしこも
雪!雪!雪!
水は凍ってる!
そういうイメージ。
寒いじゃん!

どういうこと?!」
だったんです。

それで、詳しく調べよう!と
なったけれど、
自分の理解力がないため、

「わかる気はするが、
自分の言葉で表現できない。」
「言葉は読めるが、それによるイメージが
自分で浮かんでこない。」
ということが多々あり、
さらに
「え?!どういうこと?!」と
わからないこともあり。



そのため、ノートを自分なりに
まとめるのに、かなり遅くなって
しまいました。


まとめ終わったら

「たしかに、
氷河時代が終わったとは教科書には
書いてないわ。
氷期が終わっただけ。」と。

でも、まだ勘違いがあるかも?
と心配にはなりますが

どこを探しても
自分の求める答えが見つからなかった
(もしくは、その答えがあるけど
専門的すぎて自分が理解できなかった)
のですが、中学生の時の自分だったら
これくらいの解説は欲しかったかも?
と思うものを書いてまとめてみました。


🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎



まずは導入部分







🍊🍊🍊🍊🍊🍊🍊🍊

次に、少し詳しく解説。








要は
氷河時代の大きいくくりの中に
氷期(氷河期)と間氷期がある
ということです。


私が勘違いした理由は
「氷河時代と氷河期、という、
同じ氷河という言葉を使った上に
時代、期、と似ている用語なので
イコールと思い込んでしまった。」
からでしょう。


(よく考えたら、平安時代とは言うが
平安期とは言わない。
しかし、平安時代の院政期とは
言うので、
時代の中を詳しく分けるときの括りが
期かも?と考えればよかったのに。)」

今は、氷河期でなく氷期と言うことが多いので、私みたいに勘違いした人が多かったのかな?と思いつつも、
私の勘違いは時々独特な勘違いのことも
多いので、どうなんだろう?とも。

🍋🍋🍋🍋🍋🍋🍋🍋


次は、
なんで氷期には海水面が低くなり
出てくる地表が多くなるの?の
メカニズムについてです。





中学生の時の私は、
「氷ついた海を歩いて日本列島に来た」と
勘違いしてました。🐤🐧
どう考えても、そんなことしたら
足が凍傷になるじゃん。
 

海水面がなぜ低くなるか?の
メカニズムは理科の分野を知らないと
わけわかんないので
中1の1学期の時期の私には無理でした。
今でも完全に理解しているか、
あやしいぐらいですし。


今から考えれば、少しは本を読めよ!
なんですが。


🍒🍒🍒🍒🍒🍒

ここは、自分の個人的な気持ちを書きました。




🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥

次に、氷河時代の突入と
氷期、間氷期の時期は
人類の進化におおいに関係して
いるので、クロスオーバー的に
まとめてみました。







気温や水分量によって
動物も大きく作用されますが
動物以上にそれにデリケートなのは
植物です。

氷期、間氷期のうつりかわりで
植物もかなり大打撃を受けたのでは?と。

それによって、食物連鎖を考えれば
動物たちも連鎖して大打撃を
受けたのでしょう。


色々と考え出すと止まらないです。


私は、主要五教科の中で
理科が最も苦手です。
なので、どうしても理科的な内容が必要な
この分野は苦手です。

でも、その「苦手」とは
「理解力がおいつかない」と
いう意味で、感情にはリンクしません。

「苦手」というと「嫌い」と
同じ意味だと思われることがあるので
「いや、好きなんたよ!でも苦手なんだわ。」ということを何度も説明しても
わかってもらえないことが多いです。

わかってもらえないときは、
その方は
好きならできるはず!
得意だから好き、好きなら得意!」という
価値観の方なのかな?
と思うことにして、
最近は「苦手」という言葉を避けるように
してます。

「理解できるようにがんばり中」
と言ってたりします。


話がズレてしまいましたが
今回は以上です。

ご覧いただき、ありがとうございました。

🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎



この勘違いシリーズは
いくつか書きたいと思ってます。
例えば、
「院政は上皇がいたら、必ず、
行うものだと思いこんでた。(違う)」とか

「どの国も、どの時代も
長子相続が当たり前だと思いこんでた。」
とか

「戦国時代を政治権力闘争による戦争だと思いこんでたが、経済覇権による戦争だと
考えたほうが、納得いくことが多い。(信長たちの行動に矛盾がなくなる。)
などなど。



またノートが書け次第、アップいたします。

ご覧いただき、ありがとうございました。


人類の進化 についてテスト勉強するときの視点

2024年06月23日 23時49分00秒 | 歴史まとめノート
みなさま、本日もありがとうございます。


本日からは、テスト勉強関連の話です。

今回からは、いくつか
勘違いしやすい内容」について
お話予定です。


第一回目は「人類の進化」について。


🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥


中学生のときに
人類の進化」を習った時

私は勘違いして覚えていた、
というか、
よく考えれば違うことはわかるのに
そういうイメージを持っていたな、
というものがあります。


それは、

例えば
「猿人が原人にすべて進化した」
みたいなイメージを持っていたことです。


どういうことか?というと、

アニメやゲームなどで

レベルがあがると
新しい武器が手に入ったり
コスチュームや姿が変わる
というのがありますよね、
そんなイメージです。

Aさんが、新しい技を手に入れた
スーパーAさんに変わるとか。


また、Bという種が、
レベルアップでCの種になる、とか。


そういうイメージで、
人類の進化を見てしまうと

猿人がすべて原人に進化という名の
変身をし、その時点で、猿人は消えた

というイメージになってします。


もちろん、そのイメージのままでも
中学のテストでは点数は取れます。
「直立二足歩行を初めてした人類は
猿人」とか「原人が火を使った」
とか、誕生したのは
猿人→原人の順番、とか、
そういうことを聞かれるだけなんで。

ただ、そう言うと
「知識ばかり問う問題だから、
そういう自ら考えない子になるんだ!
学校で、みんなで考えながら
調べる形でないと!!」
と言われるのが嫌で、
公には言えません。

私は、そのときはわからなくて、
また、勘違いしても、言葉は覚えてて
だからこそ、考えられる精神的余裕が
できたときに、自分一人で調べて
それでなんとかなったから。


勉強を「みんなで」は
私には無理です。

「みんなで」ができないと
勉強させてもらえないのなら

たぶん私は今頃
この世にいないかもしれません。


でも、ただ、ですね、
自分が人類の進化を
中学生の時、初めて勉強したとき、
モヤモヤはしてたんです。

言葉は覚えたし、テストでも
問題は解けます。
でも、
「モヤモヤして不安感を感じるなぁ」
「なんだか、むずかしいなぁ」と
思ってはいました。


じゃあ、なんで調べなかったの?
となると、理由は3つあります。

一つ目は
調べる時間的余裕がなかったからです。
中学生の時は、他の教科の勉強もあり
解けるようになるだけでいっぱいいっぱい
だったこと。

二つ目は
集団生活で適応するのに必死で
家に帰ったら、
大量の睡眠時間が必要でした。
土日もほとんど寝てました。
それをしないと
ふとしたことをきっかけに
癇癪の嵐がおこってしまうから。

今から思えば、ASDの過剰適応で
フラフラだったんでしょう。



三つ目は
「自分は誰よりも馬鹿」と思い込んで、
いや、実際に馬鹿ではあるんですが
「自分が本を読んでも理解できるはずない」
と思ってしまったからです。

ASDの子は、現在以上に
「馬鹿」にされていましたから。 
(当時はASDという概念は日本には
なかった時代。)

テストでは

今でも、本を読んでも
すぐに理解できない私。

でも、自分なりに時間をかけて
理解につとめると、
本を読み始める前よりは
わかるようになりました。

  
話を人類の進化に戻します。

私なりに思ったことは

猿人や原人という言葉は
未来の人(近現代の人々)が
つけたカテゴリー名詞だろう。

だから、未来を知っている私達から
見て、ここが、
絶滅と生き残りの分岐点の人類だろう、
そして、
その分岐点の人類に新しい名前を
授けよう!」
みたいなことです。


実際に、原人は猿人から進化した人類の
一つに過ぎません。そして、猿人と原人は
同じ時期に生きていて、変わりゆく
環境に適応できた人類(原人)と
環境に適応できなかった人類(猿人のままだった人類)がいました。
最終的に生き残ったのが原人で、
またその原人から旧人が、そして、新人が・・・となっていきます。

(旧人とは、ネアンデルタール人だけではないので、ネアンデルタールから新人が、
というのは昔の説です。)








自分の頭まとめノートを写真で撮影
しただけなので、あまりキレイじゃなくて
すみませんが、画像があったほうが
イメージしやすいかな?と思って
アップしました。

このページを修正して
パソコン作成して
同人誌作りたいと思ってます。






人類の進化の系図です。
急いで書いたものであること、
この時代の歴史は新しい発見があると
変わる内容が多いこと、
説もいろいろある、など
不明瞭なことが多いので あくまで
頭をまとめるように書いたものです。








こちらは、テストで出やすい用語を
まとめた感じです。


あくまで頭をまとめる用です




ここからは私の気持ちというか考えの
お話です。


今の人類だって、
寒さに強い人、暑さに強い人、
集団生活が得意な人、
一人でいるほうが得意な人、

勉強好きな人、嫌いな人、


追い詰められるとびっくりするような
能力を発揮する人、
追い詰められると潰れてしまう人、

その感染症に罹りやすい人、罹りにくい人、

と様々な人間はいます。

どのタイプか優秀か?ではないんです。


優秀か否か?なんて
あくまで
「今の環境や価値観が変わらない前提」
でしか語れないもの。


人間は自然に勝てません。

自然、つまり、環境の変化に
「今まで優秀だと言われたタイプの人が
生き残れるか?」は
その環境次第。


また、環境適応できるための能力が
現在のどの能力なのか?は
環境がかわらない限り、わかりません。




できないと思ってたのに
集団生活で生き残るために
無理してがんばって身につけたスキルも
あったりします。


過剰適応してしまうタイプの人もいて、
現代社会では、それは「悪いこと」の
ように言われますが、
その過剰適応できる遺伝子の持ち主が
環境変化したとき、
たまたま、その過剰適応ができた人物が
生き残れたりする可能性もあるのでは?と。
ただ、どの過剰適応するか?で
また生き残れるか否か?は変わってくる
でしょうし。

過剰適応したあまり
絶滅してしまうことも
あるでしょうし。


・・ということは
人類というものは、単一的なDNAを
持っているわけではなく、
さまざまなタイプのDNAの人がいて

環境が変わるごとに
その環境に合ったDNAのタイプの人が
最終的に生き残ったり

突然変異する遺伝子も存在している、
のではないか?と。あくまで予想ですが。 


突然変異する遺伝子そのものは
人間を含む、どの生物にも内在してて
でも、その遺伝子が実際に変異するのか?
は、あらゆる条件が重なった時だけ、と。


それがあっているか?は
ともかく、
そういう視点で歴史を見たほうが
私はモヤモヤしないかなぁ、と


確実に誰か偉い人が言ったこと、
世間的に証明されていること、 
学校の先生が言ったこと、
昔、教えられたこと、

だけで歴史を勉強しなきゃいけない、
となると、

私は勉強続けられなくて。



勉強って、なんだかんだ続けることで
成果が出るので。


もちろん記述問題で自分の考えを書いたり
自分の考えた説が、さも正しいかのように
誰かに言ったりするのはいけませんが

自分はこういう視点や考えで
その歴史を見てるよ!
でもテストはテスト、で
と割り切って勉強しているよー、
なら良いかな?と。


それも情報整理の一つなので。


どうしても、勉強内容の行間は
わからなくてパニックひきおこして
勉強そのものを放棄するよりは

自分の独自の考えや
多くある説の一つとわかってさえ
いたら、勉強しやすいかと思います。


今回は以上です。

ご覧いただき、ありがとうございます。


他の話もあるので
定期的にアップ予定です。


自分の今後の方針

2024年06月22日 14時00分00秒 | 歴史☆模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。




現在、歴史の授業をしていると
今まで自分が勘違いしてたな、とか、
自分の覚えていた説が古いんだな
と気がつくことがあります。


このブログの過去記事でも
訂正しなければいけない部分が
あると感じているので
順次直していきたいな、と
思います。


また、書いてあることは
ウソは書いてないんですが
誤解させるようなことを
書いていたり

多くの人が勘違いしているな、
も思うのに、それについての
注釈を書いてなかったり


・・ということもあるので
訂正していきたいです。


ただ、現在、6月初めに罹患した
感染症の後遺症で
咳がとまらない、すぐ微熱が出てしまう、
という状態なので 
新作記事を出しつつ、
順次、訂正という形になります。
すみません。
(過去記事は、こちらのミスで
消してしまうと二度と取り返せない
ので、体調不良のうちは慎重に
やらないといけなくて。

次回の記事から

ちょっとですが

新歴史模擬授業の記事の訂正案や
今後、同人誌販売する際の下書き原稿
についてアップしていきたいと
思います。



暗記についてのマンガ「理解して暗記も限界がある?!」

2024年06月21日 20時01分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。


本日もこちらのブログに載せていなかった
画像をアップさせていただきます。


今回は

暗記は理解してするもの、が
理想的なやり方だけど
限界はある!
の話です。














「理解して覚える」が
暗記科目の理想の覚え方です。

私もそのやり方が好き!
そして、オススメしたい!

歌やゲームでなんとなく覚える、
とにかく問題集を解きまくって
用語だけを覚える、

そういうやり方は苦手です。
(私が苦手なだけで
そのやり方が悪いわけではないです。)


ただ、ですね、
実際問題、
すべてを理解して、覚えることって
無理なんです。


とくに、小・中学生のうちは。

だって、あらゆる経験が少ない。
その経験は、山に行って遊ぶ、とか
大人が与える経験という意味だけでなく

感情の経験、を含みます。



小学生、中学生で、


お金を稼ぐことが
どれだけ大変なことか?

とか

理想と現実の折り合いをつけないと
理想を追い求めたために
かえって最悪の結果に
なってしまう

とか

部下としては優秀だが
リーダーしては力が足りない人もいる

とか


別に性格が良いから
リーダーシップをとれるわけじゃない、

とか

すべての物に言葉があるわけではない

とか

色々と年齢を重ねないと
わからない感情や考えはあります。



私は小さい頃は
なぜ都道府県とか国とか
見えない境界線があるんだろう、
とか
摂関政治はどうして
当時、行われたのか?
という背景(行間)

は、わかりませんでした。


もし、当時、
「それまで解明しないと
理解しないと
覚えてはいけない!」
と思っていたら
何も覚えられなかったです。


でも、言葉を覚えていたおかげで
大学生になって調べる力がついて
やっと自分なりの答えが出たし、

その後も、言葉を知っているからこそ
自分で本を読むなどして
色々と考えることができるように
なりました。

未だにまだ勘違いで覚えてたり
知らないこともあるので
日々精進。


でも、これは子供の頃に
とにかく必死に暗記したからこそ
調べることができるようになった
のかな?と。



だから、
情報整理を心がけ
理解できないときは
とりあえず未来に理解だけ持ち越して
覚えるのも手かな?と。


今回でこのシリーズは
ひとまず終了です。
(一つだけ作成途中のものが
ありますので、完成したら
またアップいたします。)


ご覧いただき、ありがとうございました。






暗記についてのマンガ「山地、河川、平野名などの覚え方」

2024年06月16日 17時38分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。


今回も前回の続きで
こちらのブログでアップしていない
画像を元に、
勉強に関するお話をしたいと思います。


内容は前回の
山地名や河川名、平野名などの暗記に
関して」の続きです。

前回は、
なぜこの分野が難しく感じられるのか?
の話でしたが
今回は、その覚え方













私はあまり、
「これはこう覚えよう」と
言いません。


覚える時の視点というか立ち位置だけを
話して、あとは自習にシフトしてもらう
形が多いです。

理由はやり方さえわかれば、
自分のペースで自分の考えで
情報整理をして勉強したいから。


もちろん、個別に暗記で困ったら
個別のアドバイスはしますし 
暗記することを1から10まで
一緒にすることのほうが
その子にとって良いな、と
感じたら、授業内に暗記の時間を
設けます。


でも、テストを何回もして、
ましてや、クラス全員が満点とるまで
やり続ける、というのが、
生徒時代でも塾講師としても
苦手です。


暗記はテスト作業をして覚えるのでなく
暗記することに集中するのに時間をかけたい

テストは、あくまで、暗記できたか?の
確認作業。💙

覚えた気でいても、位置を勘違いしてたり
漢字が書けてなかったり、キャパオーバーで
ど忘れ、などもありますので。

結果的に満点取るまでテストを自主的に
する、というのはあります。

でも、重視したいのは
目で地図帳なりノートなりを見て
きちんと文字が書いてある画像を
そのまま目に焼き付けて
それでテストに臨む。

でも、カメラアイを持っているわけじゃないので、きちんと分類分け、つまり、
画像や文字を情報整理しながら
覚えていく、という意味の
「目に焼き付ける」です。
   


実際に塾講師で授業をすると

クラスメイト全員が 
満点とるまでテスト方式、が
喜ばれることも多いです。

「同調圧力(クラスメイトの目)が
あるからこそ
勉強を怠けずにがんばることができる」
という子もいますし。
 


でも、私はそれが苦手です。

たぶん、私みたいなタイプの人もいて、
でも、それはテストしまくって覚える子より
別に勉強する力が劣っているわけじゃない、
それぞれに合った覚え方があるので

集団内のテストや同調圧力で
暗記ができるなら
それが負担でないならそれで良いし、

ひたすら一人で黙々とノートをまとめたり
地図帳などを見て覚える形のほうが
ストレス少ないなら、それで良いと
思います。


好きなもの、嫌いなもの、が
人によって違うように

暗記の仕方だって
人によって違うのだから。🐔🐧🐦🐤



また、暗記をひたすらがんばっても
思考力の妨げにもならないし
ましてや自由な発想力が失われる
わけでもありません。


きちんと情報整理をして暗記すれば
むしろ、思考力も発想力もつきます。


少しでもみなさまのお役に立てれば
幸いです。


ご覧いただき、、ありがとうございました。




暗記に関するマンガその4「山地や河川名、平野名などの暗記が難しい理由」

2024年06月15日 21時39分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。

過去の作品で、こちらのブログに
アップしていなかった内容をアップします。


前回同様、地理の勉強についてで、
今回からは、おそらく多くの生徒さんが
暗記で苦労する、
山地や山脈、河川、平野名の話です。


まずは、
この分野が
大人からしたら簡単に見えても
子供には難しいことがある、
それはなぜか?
という理由を話したいと思います。













この話は続きます。


大人になると、
時間をかけて覚えた過程は忘れて、
覚えた後の記憶だけ
残っていたりするんですよね。
(人によっては、楽々暗記できる子も
います。)

そのため、
自身の子供さんや担当の生徒さんが
なかなか覚えられないと

イライラしたり、

「こんな簡単なものも、この子は
覚えられないなんて」
と悲観する方もいられます。
 
でも、最初は大変なんですよね。


とくに小学生。


国語では習ってない漢字がバシバシ
出てきますし、
漢字の読み方も特殊だったりするので
大変です。


もちろん、ゲームをしたり
小さい頃から歌やパズルで
覚えられるならそれをしても
良いと思いますが

このマンガシリーズは
そういう「遊びながら」「いつのまにか」
単語を暗記するのが苦手な子の
お役に立てれば、と思って
書いているので、

ここでは、じゃあ、どう
情報整理をしていこうか?
を主軸に次回からお話したいです。










暗記方法についてのマンガ第3回 県庁所在地名の暗記

2024年06月12日 13時44分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。

過去作で、こちらのブログにアップして
いなかった作品を載せています。

前回の続きで
都道府県名の暗記の話で
都道府県名と県庁所在地の話です。






暗記科目が好きな人って
1つ1つを覚えている、というより
情報整理をしつつ、聞かれたときに
とっさに脳内で瞬時に考えて答えている、
という人が多い気がします。

ただ、何度も問題解いていると
無意識に出来るようになり
時間も短縮できるようになるので

覚えた後も単純暗記問題演習を
何度もやることは有意義な方法です。


ただ、暗記するときに

とにかく暗記すればよい、と
呪文のように単語を言ったり書いたりして
覚える、

というのは、短期記憶でしかなく

すぐ忘れてしまいます。


情報整理をすれは
確実に覚えられる量も増えますし
忘れません。

ここで注意したいのは
情報整理は個人個人で
納得できる、スッキリする
整理の方法で良いということ。

このマンガで示したのは
あくまで一例です。


ただ、暗記とは
ただ問題演習をしまくって覚える、
とか、
ゲームや歌やパズルを通して
いつのまにか覚える、

という方法だけでなく


情報整理を自分で黙々とする、

そういうやり方が合う人々もいる、

と言いたいです。





暗記方法についてのマンガ第2回 「都道府県名の暗記方法」

2024年06月10日 16時00分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。

前回に引き続いて、暗記方法についての
漫画をアップいたします。

架空の先生と生徒さんのやりとりを通して
「一人で」「黙々と」勉強する方法を
話すマンガです。

第2回「都道府県の暗記方法」









社会の本格的な勉強を始めるときに
最初に多くの生徒さんがつまづくのが
都道府県名を覚えることです。


そのため、小さいころに
都道府県パズルでいつのまにか
遊んで覚える、とか、
歌や踊って覚えさせる、という
方法を大人から提供されることもあります。

多くの人には喜ばれる方法でも、
私にはそれは苦痛でした。

相手の善意が私には苦痛。
だけど、それを苦痛と感じるのが
相手に悪くて言えず、
ひたすらがんばって覚えようと
相手の期待に応えようと努力し
できない日々。
劣等感と罪悪感で苦しい
幼年時代でした。


できないことが苦しいんじゃない。 
相手の善意に応えられないのが
苦しかった。


覚えられない理由なのですが

私は
「覚える」という作業をしよう!
と思うから覚えられるわけで、

パズルはパズルをしよう、
歌や踊りは歌おう、踊ろうと
思わないと、私はできませんでした。
(娘も同様。一定数、そういう1つのことには1つのことしかできない子はいます。)



なので、小さいころには
都道府県を覚えるなら覚えることに
こしたことはないだろうけど
小5までは、都道府県は覚えてなくても
大丈夫だと言いたいです。
 

早期教育は合う子には合う。
でも合わないからといって
一生、勉強ができないわけじゃない。 

「暗記」というのを「苦痛」「ストレス」と
感じるタイプの人なら
みんなと話し合って、遊びながら覚える、
とか、
小さいうちになんとなく覚えてしまう、
というのが有効な手段の1つかな?と
思いますが

「暗記」をめんどくさいと思いつつも
「楽しい」と感じる人、
つまり「情報整理」なにかをまとめること、
が楽しいと一瞬でも感じる人だったら

都道府県の暗記は
しなきゃいけないときに
逃げずに真正面から
覚える行為そのものを
楽しんじゃえば
良いんですよ。

暗記を楽しむことに
罪悪感を抱く必要はありません。
相手に遠慮しなくても良いのです。


他の人が苦痛だと感じる方法のものを
地味にコツコツ楽しんだ方が
人生楽しいだろうなぁ、と。


私は暗記行為そのものを
楽しいと思ってて
それを、つまらないもの、苦痛なもの、
という価値観のもと、
別のもの(ゲームや歌、集団の話し合い)
ブレンドした方法でされることで
頭がパニックになってしまったのです。

ただ、地味に一人で暗記するにも
ある程度のポイントがわからないと
暗記できないと思うんですよね。


今回はそれについて描きました。


少しでもお役に立てれば幸いです。

暗記方法についてのマンガ第1回 「話し合いより座学の授業で学びたい」

2024年06月09日 11時02分00秒 | 歴史勉強アドバイスまんが
みなさま、本日もありがとうございます。

本日から、過去に描いた漫画や画像で
こちらのブログにアップしていなかった
記事をアップしていきたいと思います。

架空のキャラクターである、
れくす先生、と、生徒たぬしゅるちゃんの 対話を通して、
暗記科目(主に社会科)を
どう学ぶか?...
についてを見ていくマンガシリーズです。

今回は第一回です。
















自分が生徒の時代は
「学校の先生の授業がわからない」で
困っていたことはよくありました。
いわゆる、
先生の授業を一方的に聞く座学授業。


でも、それは、その授業をする先生、
そのものの授業がわかりづらいだけで

「座学」という授業形式に対して
困ったわけではありませんでした。


わかりやすい授業を座学で
行ってくれた塾の先生の授業は
とても楽しく、そのような先生の
おかげで私は塾講師を目指し、
塾講師になりました。




しかし、自分が大学生になって
教員免許取得するために受けた
講義では
「社会の授業では、
先生が一方的に説明する座学よりも
生徒同士で話し合う授業のほうが
学びの成果が大きい」
という教育学(?)が
メインになってました。


その頃から
「えー、そうかなぁ?」
と疑問に思いつつ、
その後、塾講師になって
ゆとり教育の完全導入時期には
話し合う授業がメインのつくりになり、

教科書を読む限り、
「えー、かえってわかりづらくて
学びにならんのだけど。
と思ってました。


今は教科書を読む限り、
ゆとり教育完全導入時期よりは
覚える内容がもどってきたけど


授業は、話し合いがメインであるのは
かわらない。

むしろ多くなっています。


別に話し合いが悪いわけじゃないです。

実際に、子供の授業参観などで見ていると

分かりづらい説明の座学の授業は
生徒同士で話したりしてて
授業崩壊してること多いけど
話し合いがメインの授業は
ある程度、みんなでしゃべることが
できるので、座学が苦痛な生徒さんは
授業中に声を出したことで満足するのか
少しの座学の授業のときに
静かになるな、と感じました。


座学より話し合いメインの授業の良さは
「子供の学びの吸収率」ではなく
「授業崩壊しない可能性が高くなる」
からでは?と、疑ってしまうくらい。


それなのに座学だと、
「子供の学びが少ない」とか
中には「座学だと子どもの豊かな心が
育たない」とか、言われることも。

ほんとにそうなの?



ただ、まあ、私は
学校批判をしたいわけじゃ
ないんですよね。

ママブログをメインに書いていたときに、
学校批判をすると
アクセス数が伸びることが多く、
一時は批判を書くことが大切と勘違い
していたとき、実は辛くて。

実際にブログをご覧になった方々は
別に相手の悪口が好きだから
ご覧になったわけではないと思うのですが
私が勘違いするほど、その時期は
自分の心が弱くなってました。


相手に不満を持とうとが
仮に相手が悪かろうが、
そんなことは関係なく

相手に従っても自分には
何の学びもない、と感じるなら
そこからは精神的には離脱し、
自分が学べると思う形式で学ぶ。
だからこそ、自分の思考が
どういうタイプであるか?
を知るために、
相手を地位や役職で盲目的に
肯定的に見るのでなく批判的に見る
姿勢も必要。しかし、それは
相手を批判することは目的ではない。」
と思ったので

このようなマンガを描きました。


私は一般的には
生徒同士の話し合いが学びの最適な方法、
という授業だと主張する人が多いのは
わかっていても


それは私には無理だ!
私は「座学」が好き
そこで学びたい!

そして、そういう授業をしたい!


なぜなら、私のような
座学のほうが学べる子も
必ずいるから、と。


このマンガシリーズは
いくつか描いていているので
また定期的にアップしていきますね。


ご覧いただき、ありがとうございました。