社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第6回 塾大好き!

2013年05月31日 07時19分12秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第6回 中学校時代④ 塾大好き!

 

前回で,中2の夏に,進学塾の夏期講習に参加することした,とお話しました。

 

その塾は,いろんな地域からの子供が集まり,学力レベル別にクラスが分けられ,

入試問題を中心に教える,という形の進学塾(予備校)です。

 

 

通う前は,「塾で,まわりの子から迫害されたらどうしよう?」とか「先生に馬鹿にされたらどうしよう?」という怖さはありました。

 

でも,実際に行ってみたら,そんな不安はぜんぶ吹き飛んでしまいました

 

 

教室内で,休み時間中に,話している子はほとんどいない

ほとんどが,次の時間の予習してるんです!

だれも他人に関心がない感じ

 

 

「わあ,なんて,気楽なんでしょう!」

「しかも,自分も勉強しても,誰も気にしないじゃん!」と。

 

 

 

 

そして,授業が始まります。

 

 

その授業衝撃を受けました

 

 

 

 

なんと,先生が一方的に話すだけ

問題の答えも,先生が全部言っちゃう!

 

私はすっごくうれしかった

 

学校だと,先生は問題の答え合わせのとき,必ず生徒に当てる。

また,先生も生徒との交流も密である。

 

でも,その塾は,おそらく先生は,生徒のことを一人一人知らない。

 

なんてなんでしょう!

 

学校のように,先生に気を使わなくていいなんて!

 

 

しかも,その塾の教え方は,私の大好きな「物事の根本を教える」やり方なんです!

 

もう,わかりやすいのなんのって!

 

スピードも速くて,自分としては,そのスピードが心地いい!

(ドラマ「ER」の会話スピードに慣れていたので,その速さ以上の授業の方が楽だった)

 

 

通塾1日目にして,その塾のトリコになりました!

 

 

 

しかも,その塾の近くに本屋があるんです。

つまり,そこでマンガを購入できるってことです

 

当時の私は中学生なので一人で自由に遠くまで外出できるわけではないので,

本の購入は,地元の本屋に一人で買いに行くか,家族とどこか遠くの本屋に行くか,の2択でした。

 

地元の本屋では,どこに同級生がいるかわかったもんじゃない

小学生でいじめられたときに,「まだマンガなんて読んでるんだ」と馬鹿にされ,私の好きなマンガのジャンルも非難されました。

なので,地元の本屋でマンガを買うというのは,できませんでした

もしかして,誰かと会って,馬鹿にされたら・・,それが,またいじめに発展したら・・,と怖くて怖くて

 

族と本屋に行く場合,地元からは遠い場所ではありますし,親も別にマンガについては馬鹿にしないのですが,

なんとなく,恥ずかしさがありました。とくに,子供っぽいジャンル系(変身モノとか)。

これも、いじめのトラウマのためだと思います。 

 

 

でも,その塾のかえりに,その塾の近くの本屋に寄れば,

誰も同級生に会うことなく

 

しかも

 

一人で,大好きなマンガが買える

 

こんな幸せなことってないじゃないですか?!

 

 

 

夏期講習の10日間はあっと言う間に終わってしまいました!

 

 

 

「楽しい!」と一言につきます。

 

また,講習のあとに,模試がありました。

その模試は,その塾の系列に通っている,同じ県内の子すべてが受ける模試なので,

学校のような100人単位でなく,1000以上の大量の子が受けます。

そこでは,学校のように順位(ランク)ではなく,偏差値で出されます。

 

これが,私にとって,初めての偏差値との出会いです

 

偏差値の方が,順位より,自分の位置が分かりやすいんです。

抜群に飛びぬけてるのか(上にも下にも),まん中くらいなら,どのレベルくらいなのか?が順位よりもハッキリわかるので。

偏差値60超えたらすごいし,偏差値65以上,ましてや70超えなら,抜群に飛びぬけていることになるし,

偏差値50超えなら,普通レベルよりは上ってことだし,と。

 

「偏差値で学力をはかる!」

この行為も一瞬で好きになりました!

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第5回なぜ勉強ができなかったのか?

2013年05月30日 08時00分30秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第5回 中学校時代②というか小学校時代の勉強を振り返る

 

 前回,中学で勉強ができるようになった,ということをお話しました。

勉強ができるようになってから,小学校時代に勉強が苦手だった理由わかりました。

 

私って「物事の根本がわからないと,心が受け付けない」性質だったということです。

 

小学校の勉強も,物事の根本がわかった方が勉強できるけど,

根本がわからなくても,点数そのものはとれる部分も多いんですね。

 

たとえば,速さと距離・時間の問題で,

小学校は「は・じ・き」というツールで問題が解けますよね。(私立中学受験だと,それだけでは太刀打ちできませんが・・)

 

小学校の私は,なぜ,「は・じ・き」で距離や速さが求められるのか?が納得いかなかったです。

今なら,先生に

「速さという定義とは何か?また商(割り算の答え)という存在は何を表すのか?もう少し,小学生にわかるような用語で説明して

 もらえますか?」と聞くことができますが,

当時の私は,「わからない」としか言えず。

 

そのため,先生には「「は・じ・き」を使えば解けるって言ったのに,私の授業をこの子は聞いていないのか?」と不信感を抱かれ。

同級生にも「「は・じ・き」を使えないほど馬鹿なんだ」と馬鹿にされ。

 

しかし,中学に入ると,

「割り算のA÷Bは,分数のA/Bと同じである」ということ,

 

「割り算(商)とは,たとえば,仮に,Aという長さをB個で分けた場合,その分けた1つ1つが同じ長さだったら・・」

という「仮に」という条件であることを教えてもらい,

 

それで,やっと「速さ」の問題がわかるようになりました。

 

また,速さを,例えば「m/秒」という単位だと覚えてしまえば,

速さを求めるには,「m ÷ 秒」であることがわかるし(「/」は「÷」という意味と同等) 

距離を求めるなら,分母の「秒」をなくせば「m」という距離がでるから,同じ単位の「秒(時間)」を

かけてしまえば,距離がでるなど・・。

 

また,小学校時代には,「m」から「Km」の単位に直すときは,「1000で割ると覚えよう」,といわれたけど,

それだと,納得いかなくて・・。

しかし,「1000m=1Km」だということさえ覚えれば,

「1000を1にするには,1000に,1/1000をかければよい!」と。

なので,解き方を1つ1つ覚えるのでなく,自分で解き方を導く形ばかりやっていました。

 

小学校のころには学校の先生の教え方しか知らなかったけれど,

中学からは母の家庭教師で,物事の根本を考えることに価値観をおいてもらえたので,

数学もできるようになりました。

小学生の教科書を読み直すと,物事の根本も書いてあるのですが,

当時は教科書を軽視をする先生だったので,教科書を読む,という行為をしませんでした。

なぜ,あのとき,先生のことを信じたのでしょうね?私を信じなかった,私の存在を認めない先生だったのにね。

 

また,私は,割り算がどうも苦手で,すべて掛け算でやるとできることがわかりました。

なので,割り算は,分数の掛け算で考えるようにしました。

また,足し算も苦手で・・。

割り算と引き算だとすんなり解けるので,中3で因数分解を習ってから,格段に計算力があがりました。

 

実は,「7+6」などの簡単な足し算を未だに私は暗算できず,指を使わないと計算できません。

でも,指を使うと馬鹿にされそうな状況のとき暗算をしなければいけません。

その際は,頭の中で因数分解をして暗算しています。今回の場合は,

 7+6

=7+(7-1)

=7×2-1

=14-1

=13

 

と。この計算時間は約5秒。掛け算と引き算だけにすれば暗算できるんです。

なので,見た目では,まさか因数分解をしていたとは思われなかったり・・。

 

おそらく,詳しく調べれば,一種の障害なのかもしれませんが。

普通は,因数分解の方が難しいのにね。 

 

 

 

また,「理科」も,物事の根本から考えるとわかるように。

小学校の勉強って,目に見えるものを中心に考えるものが多い。

でも,中学って,見えないものを論理的に考えるものが多くなってきます。

物理分野や化学分野など。電気の計算とか力の性質を数字で考えるなんて最高です!化学式も面白いよね♪

私って,生物分野が一番苦手です。今でも,物理が一番好きです。

 

 

「社会」も,小学校のころは苦手でした。

たとえば,地理の分野で ,小学校は「A県とB県はリンゴが,C県とD県はみかんの産地として有名」という局地的な情報が多い。

でも,中学では「リンゴは寒いところ,みかんは温かいところで育つ。そうなると,海流や風,山地・山脈の位置を合わした気候として・・」と

総合的に考えると理解でき,覚えられる。

歴史の分野も小学校のころって,「こんなすばらしいことをAという人物はしました」という感じで教えられたんですが,

その当時は納得ができなくて。「人間ってみんな良い人」という偽善的な感じで。

自分は「おかしい」と思うところも,「いいこと」「良い人」と思わないといけない気がして・・。

でも,母が歴史を教えてくれるようになった第一声で,「歴史は失敗の歴史」「歴史の悲劇はくりかえす!」と。

それで私の心を困らせていたものがすべてなくなり,そういう視点で歴史を見るようになったら,理解しやすくなり

理解できたら覚えられるようになりました。

 

 

私の場合は,小学校の先生の当たりが悪かったと思います。

 

小学校でも,物事の根本から小学生にわかりやすく教えてくれる先生もいるし,

私みたいな子を認めてくれる先生もいたのでしょう。

でも,私の先生は,「丸暗記」しか教えず,私みたいなやつは「馬鹿」な奴としか見なさなかった。

 

 

中学生のころは,勉強ができるようになりテストで点数そのものを取ること自体が楽しかった

でも,安易に問題集を解いて点数だけを取る形でなく,「理解しなきゃ点数はとれない!」と思っていました。

ということで,中学のころは,「点数を取るために,理解する勉強」という形が,私と勉強の仲でした。

 

その関係が変わったのは,高校2年のころです。

その話をする前に,塾を嫌がっていた私が,塾に通うようになったのはなぜか?というのを次回話したいと思います。

 

 

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なぜ私は社会科の塾講師になったのか?第四回中学からの学力向上

2013年05月28日 08時00分25秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第4回 中学校時代①

 

今日から中学時代のお話をしていきたいと思います。

 

小5でいじめにあい,それまで築きあげた友人関係がすべて白紙になりました

一人でいることが楽しくなり,笑顔が出てきた小6の夏あたりに,友人もできました。(いじめをしていたグループじゃなかった子)

 

 

 

勉強に関してなんですが,

中学校入学を機に母が家庭教師をしてくれるようになりました

 

塾に行くのは嫌でした

なぜなら,塾でも「いじめ」に合ったら怖い,というのが先立ちました。

 

小学校のいじめ以来,「先生」という人間そのものに不信感を抱いていたので,家庭教師を雇うことも嫌でした。

「どうせ,私を馬鹿にして,困った奴ってレッテルつける。私の質問に対し,蔑んだ目をするんだろうな。」と。

 

 

それで,いじめの苦しみから脱却し,どんな私でも愛してくれる母じゃないと,勉強したくない!と思いました。

「周りから「自立できない子供」と馬鹿にされたってかまわない」

「だって,その人たちが言うような子に自分がなったって,その人たちは私を愛してくれないし,ときにはひどい事をするかもしれない」と。

 

その当時の私は,母以外の人間を信じていませんでした。

 

母の授業は,とても素晴らしい授業でした。

 

ただ目の前の点数を取るためだけの授業ではなく,物事の根本から教えてくれる授業でした。

 

 

 

たとえば,歴史でも,簡単な言葉のゴロ合わせや,教科書外のマメ知識を中心した授業ではなく,

教科書に沿いながら

なぜ国という存在が成立するのか,どうして戦争がおこるのか?ということを教えてくれました。

 

 

どの教科の授業もすばらしかったのですが,一番,すごかったのは「英語」です。

 

20年間,いろんな先生の授業を受けたり聞いたりしたけれど,母の「英語」の授業に勝る授業はいまだかつてありません。

(私にとっては,という意味)

 

 

たとえば,英文を単純暗記されたり,何度も同じような問題を解かせたりするのではなく,

「英語とは何か?文の作りは何か?」を教えてくれる。

物事の根本を教えてくれるから,どんな文になっても,英文が書ける。

 

「日本語の「が」「を」にあたる単語は英語にはない。

 文の位置(「が」は文頭の名詞,「を」は動詞の直後に置かれた名詞の位置)で決まる。」とか

「日本語の「の」だけは,英語で「of」以外ありえない」など。

 

 母の英語がわかりやすく,また母のお手製の英語の問題集はとてつもなく難しく,

それを解くことで,英語力が抜群にあがり,中2からは,英語だけは常に学年トップでした。

(ランク表がもらえるので,その中で一番上の点数がいつも私の点数だった)

 

中2のあたりから,私は英語の先生になりたいな~と思いました。

また,母の英語の教え方は,大学で教えてもらった英語の授業に基づいていたので,

私も母の通っていた大学の英文科に行こう!と。

 

また,中1のころから,母の勧めでアメリカドラマを見るようになりました。

それも,英文科へのあこがれを助長されました。

 

当時,見たのは「Xファイル「」と「ER~緊急救命室~」でした。

 

Xファイル」は,UFOなどの超常現象をFBI捜査官が捜査していく,というドラマで,

当時,携帯電話が日本でまだ流通していなかった時代に,携帯電話でやりとりしている姿にあこがれました(笑)。

また,現実離れした世界が,私の心を平穏に導いてくれました。

中学でも友人関係でトラブルがあり,「いじめ」には発展しなかったけれど,一番仲の良かった子にまた裏切られる形になったので。

 

ER」は,職業をすること自体に対するあこがれを抱かせた作品でした。

「私もあんな風に,すぱすぱ動き仕事したい!」と。白衣に憧れたりも(笑)。

この当時は,「ER」はあくまで「憧れ」な感じで見ていて,医師たちの苦悩や人間としてどう生きるか?などの

お話は,理論では分かっても心の底では分かっていませんでした。

まさか,この「ER」が,約20年後に自分の心のバイブルになり,2回目の流産のあとにもう一度妊娠するのが怖くてしょうがない自分に

もう1度妊娠する勇気を与えてくれるものになろうとは!

 

今日はここまでです。

 

次回は,なぜ小学校で勉強ができなかったのか?を振り返ってみたいと思います。

 

  

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他人から受けた心の傷は,他人の愛でしか治せない

2013年05月27日 23時36分25秒 | 私自身のヒストリー

 

昨日は,700以上のアクセスをありがとうございます♪

500以上のアクセスは久々なので,うれしいです。

 

いじめの過去のことを思い出すと,今の状態ってなんて幸せなんでしょう!と思います。

 

自分の好きなマンガやドラマを自由に読む(見る)ことができるだけでなく,その好きなものを語り合える仲間がいるなんて。

 

少年マンガも少女マンガも読む幅広いマンガマニアの旦那とマンガのお話をしたり,

母とアメリカドラマを一緒に見て,毎回の感想をお互いに述べたり。

友人にも,このマンガやドラマが面白いよ!と勧めることができるようになりました。

私の好きなマンガやドラマを馬鹿にしない友人たちと出会えて,なんて幸せなんでしょう。

 

 

 

いじめ,とは,平等権の侵害だけでなく,「自由に考える権利」をも奪うものです。 

 

もういじめた相手は自分の近くにいないのに,いつも監視され,馬鹿にされているような気がする・・,

自分が自由に考えることが怖くなってしまうのです。

 

今は,自分の好きなものを好き!と公言できる。「自由に考える権利」を取り戻せたのです。

それは,本当に信頼できる友人や旦那と出会えたから。

 

他人から受けた傷は,他人の愛でしか治せないのかもしれません。

 

 

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第3回いじめからの脱却

2013年05月26日 23時13分29秒 | 私自身のヒストリー

昨日に続いて,「なぜ私は社会科塾講師になったか?」シリーズです。

 

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第3回 小学校時代②

 

 小5のときにいじめにあいました。

しかも,一番仲の良かった子がいじめの中心となり,クラスの大半の女子からいじめを受けました。

半年ほどいじめをうけていくうちに,だんだんと自分の存在そのものに自信がなくなり笑わなくなりました

 

 

 

そんなある日,が私の異変に気付き,

 

「アンタ,いじめにあっているんではないの?」

 

と聞いてきました。

 

 

 

私の第一声は,「違う」,でした。

 

しかし,そのあと,考えました。

 

「友達みんなが,私のことを馬鹿にする。何をやっても認めてくれない。

 それって友達と言えるのだろうか?」と。

 

 

でも,それでも,自分がいじめにあっているとは認めたくなかった。

 

なぜなら,「自分がいじめにあっている」,ということは「友達が一人もいません」,

ということを認めることです。

それは,とても恥ずかしいことだった

 

いじめにあい,誰も友達がいないのは自分の性格が悪く,能力がおとっているせいだ」と思い込んでいました。

クラスメイトの言っていることを信じ込んでしまっていた自分がそこにいました。

 

そんな私を誰ひとり愛してくれる人はいないだろう。」そう思っていました。

 

 

 

 

 

そんなときです。母が一言。

 

「どんな状態のアンタでも,私はアンタを愛しているから!」と。

 

 

え?母は,こんなひどい私でも愛してくれるの?」私はびっくりしました。

 

 

 

その母の愛の一言で,私はやっと,自分がいじめられていることを認めることができました

 

 

 

 

そのあと,母と今後どうするか相談しました。

 

母は私に,

「自分をいじめている相手と仲良くしたいか?友達がいる,という見た目のプライドを大切にしたい?

 それとも,一人でいることを選ぶ?」

と聞きました。

 

即答で,「一人でいる!」と。

 

 

よく考えると,私は,あの子たちと「友達」でいたいがため,どんなひどいことを言われようと我慢していたんですね

その私の態度が彼女たちには面白く感じるのです。

必死で平穏をよそっている私を見るのは,彼女たちにはさぞかし楽しかったんでしょう。

 

しかし,母との相談のあと,

私は一人でいることを選び,彼女たちにどんなにひどいことをされようと平気になりました

 

それで張り合いがなくなったようで,いつのまにか彼女たちは私をいじめなくなりました

 

 

 

 

小5の冬から小6の夏ごろまでは,ずっと教室では一人で過ごしました。

 

 

 

先生も,私が一人でいることに対し,全然気にしていませんでした。

おそらく,私のことを先生も馬鹿にしていたのと,

私をいじめていたグループの子をひいきしていたので,その子たちの方が「正しい」と思っていたのでしょうね。

 

いじめられているころは,一人になることが怖かった

「さびしい」のではないか?と。

 

でも,

いじめられているときよりも一人でいるときの方が,

さびしくもなかったし,孤独も感じられなかった

 

それよりも平穏な気持ちが,そこにはありました

 

なぜなら

 

「私がどんなことをしても,それを否定する人はいない。

 自分が好きなことを,正しいと思うことをしてもいいんだ!」

という安堵感じがあったから。

 

放課中の教室では,本を読んだり絵を描いたりしていました。

どんなジャンルの本を読んでも「子供っぽい!」なんて馬鹿にされない。

絵を描いても「下手!」と言われないなんて,とても幸せでした。

 

当時,読んでいた本は,図書館にあった,「まんが日本の歴史人物」でした。

ちなみに最初に読んだのが「春日局(徳川家光の乳母。)」。

当時は歴史に興味がなかったのですが,現在の世界だと友達だの恋愛だのがテーマなのが多いので,

そういう現実感がない作品が読みたくて,歴史ものに手を出しました。

 

それが,今考えると,私の歴史好きの第一歩だったのかもしれませんね

 

 

家では,マンガを読みまくりました。

四歳離れた弟もいたので,弟と一緒に,弟が観ていたアニメを見たりも。

「子供っぽいアニメやマンガを見ても,誰も文句を言われない。」という安心感。

 

今でもマンガが大好きで,マンガまで趣味で描くようになった自分。

その第一歩も,この家で過ごしたマンガ&アニメ生活だったかもしれません。

 

 

この「いじめ」のあとの過ごし方が,現在の自分の好きなものをつくる礎になったといえばなったのです

でも,「いじめられてよかった」とは全く思いませんが。どんなことでも「いじめ」は許せません。

 

 

また,私がいじめられた際に彼女たちに馬鹿にされたのは,

「マンガを読むこと(恋愛・部活マンガ以外のマンガが好きであったこと)」

「絵が下手なこと(本当は上手だったのですが・・)」

「勉強ができないこと」

の三つが中心でした。

 

「マンガを読むこと」と「絵が下手なこと」の二つは,小学生の1人での生活で,ある程度解消されたのですが,

 

「勉強」に対しては,中学校に入るまで解消されませんでした

 

 

小学校の勉強,とりわけ,「算数」「理科」「社会」が苦手でした。

 

しかし,中学からどんどん勉強ができるようになりました

そのあとで,何故小学校で「算数」「理科」「社会」が苦手なのかの理由も明らかになりました。

 

ではでは次回から中学生編に突入です。

 

 

 

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私はなぜ社会科の塾講師になったのか?第2回いじめ

2013年05月25日 22時12分29秒 | 私自身のヒストリー

エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第2回 小学校時代②

 

 小4のころまでは、先生にも同級生にも馬鹿にされていた私

しかし、なんとなく違和感を感じていたけれど、それなりに幸せでした。

それが一変したのが小5のときの「いじめ」でした。

 

 

小5のときに、クラスの女子は2グループに分かれていました。

2グループと言っても、人数半々に分かれていたのではなく、

 

クラスの女子のほぼ1グループになり、そのグループに入らない数人がいた、という感じです。

 

私は大人数のグループの方に属していて、そのグループの中心人物の子と一番の仲よしでした。

母親同士も仲が良いので、家族ぐるみでその子と遊びに行ったりもしました。

その一番仲の良かった友達は、頭もよく運動神経もよかった。みんなの憧れの女の子でした。

 

私といえば、「馬鹿」で「変な女」で、しかし、家は裕福そうな家。

 

 

なので、同級生からすれば、「蔑みの対象」であると同時に「ねたみの対象」であったのだと今になっては思います。

 

小5あたりって「自分を確立していく第一歩」が始まる時期です。

しかし、その「一歩」で間違うことをする子がいます。

正しい自分を確立していく(アイデンテティの確立)」

「自分はこうで、相手は違う。それぞれが違う生き方・価値観がある」という絶対的な視点で自分という存在を自覚すべき

なのに、

 

 

「私はあの子よりも優れている」と

自分の勝手な価値観による優劣で他人との違いを図ろうとする子が出てきます。

 

そのような子が 「いじめ」 を始めるのです

 

私の同級生たちは、「自分たちの優位性」を確認するために私をいじめました

「蔑みの対象」であり、かつ「ねたみの対象」であった私には、かっこうの餌食です。

 

「あの子のくせに、いい気になっている」という間違った正義感のもと、彼女たちは私をいじめるのです。

 

 

 

どのようにいじめに発展していったのか、時系列で追っていきたいと思います。

 

 1:みんなと話しているとき、私の言うことに対し、

  今までのように会話しながら笑うというかたちでなく、

  「クスクス」と友達同士で目くばせしばがら笑う

  

   →そのときは、私はなんとなく変だな?と感じただけでした。

 

2:一緒に遊んでしても、私のすることなすこと、すべて馬鹿にされたり否定される

  

   たとえば、絵を描いていても、「ダサい絵」と言われました。

   マンガっぽい絵を描くと「お母さん(私の母のこと)は絵が上手なのに、

    萬火ちゃんは下手だね。ほんとにお母さんの子?」とまで。

 

    私は、当時、あまりマンガっぽい絵を描きませんでした。

    

    自分の持っているぬいぐるみにつけた名前を、「うわ、変な名前」と言われたり。

  

    また、私の好きなマンガに対し、「そんなマンガ読んでいるなんて子供っぽい」とも。

    当時の私は、恋愛&学園&部活マンガよりも、ファンタジー系や推理系が好きでした。今でもそっちの方が好きです。

    

 

     勉強で間違えると、ものすごく馬鹿にされる。「そんなこともわからないんだ。」と。

     それがなんども続いたので、先生に当てられたとき、「また間違えたら馬鹿にされる」と思うと、

      あたまが真っ白になり答えが出てこなくなって

      その状態を見ている同級生たちがクスクス笑っているのが聞こえる。

      それで思わず泣き出すと、先生は「困ったやつ」と馬鹿にした顔をする。

      それでよけい、同級生たちが笑う。

  

     →このころには、何もかもに自信がなくなり、同級生たちに笑われること怖くなって、何もできなくなりました

 

3:何か一緒に遊ぼうとしても、何かにつけて理由をつけられ、仲間外れにされる

   

   遊んでもらえない理由は、「雰囲気を壊すから」とか「ずるいことをするから」など。

   しかし、「ずるいこと」なんてしたことなかった。

   →でも、当時の私は、「そういう風に思われる自分が悪い」と本気で信じ込んでいました

     そしてだんだん笑わなくなる

 

 

 

 

 

こういう状態が半年ほど続きました。

当時の私としては、それが「いじめ」だという自覚はなく、親にも相談しませんでした

 

 

そんな状態の私が、どのように「いじめ」から脱却したか、を次回話したいと思います。

 

 

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なぜ私は社会科塾講師になったのか?第1回

2013年05月25日 21時58分09秒 | 私自身のヒストリー

最近、更新が滞っているので、定期的に更新できるよう、シリーズものを再開したいと思います。

昔、こちらのブログで 「自分はなぜ社会科塾講師になったのか?」 という記事を書いていたのですが、

今年の冬に記事を整理する際に削除してしまったので、もう一度書き直そうかな?と。

昔書いた記事とはちょっと違う視点で書くので、過去の記事をご覧になった方でも楽しめる(?)つくりになっています。

 

ではでは、始めますね♪

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エッセイ「なぜ私は社会科塾講師になったのか?」 

第1回 小学校時代①

 

私にとって、小学校時代が一番生きるのに辛い時代でした。

 

小学生の頃って、

自分の世界観で他人を見て」そして「他人も自分と同じ世界観を持っている」と勘違いしがちな時期ですよね。

(全員ではないですが・・)

 

 

今では、違うんですが、私は小4くらいまで、数字に色が見えていました。

なので、「青色だから・・これは5」とか言って、ほかの人に、「何、言ってんの?」という顔を同級生によくされました。

また、計算問題をすると「目がチカチカする」とよく言ったので、先生にも馬鹿にされました。

「この子はおかしい。」と。

 

・・でも私にとっては、数字に色がついていて、みんなも一緒だと思っていました。(実は、数字だけでなく文字にも色がついて見えました。)

また、そのころは、とてつもなく色彩感覚と物体空間把握がすぐれていて、絵が上手でした。(今より抜群に上手だった)

大人のような絵を描いていました。

 

しかし、先生や同級生からは「おかしい子」であり、「算数で簡単な計算問題が解けない子」だったので、

私は蔑まれていました。

そのため、私が描いた絵の評価も低く、また当時は図工の作品は家に持ち帰って作成してもよかったので、

私の絵は親が描いた、と思った子もいたようです。

 

 

小4のころまでは、それでも、まだ大丈夫でした。

なんとなく周りと違和感を感じてはいましたが、仲よく友達と遊んでいたので

 

でも、それが小5のときに一変しました!

 

それはなぜかというと、「いじめ」を受けたからです。

 

次回、その「いじめ」についての内容を語っていきたいと思います。

 

ーつづく

 

 

 

 

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いじめられた人は何年も心にブレーキをかけてしまう・・

2013年05月24日 21時31分05秒 | いじめについて

なかなか更新できずすみません。

最近は,温かくなったので,よく娘を施設に連れて行っています。

まだ娘が小さいので地元の愛知県内の水族館や動物園,遊園地や大きな公園などが中心です。

 

その中には,私が小さいころによく連れて行ってもらった施設もたくさんあります。

 

動物園や遊園地などは,小学校のころに行って以来のものもあります。

小5のときにいじめられ,そのあとで小学校の遠足(社会科見学)に行ったときは,

誰も友達がいない状態で,班行動をしなければならず,とても辛かったです。

その思い出を最後に行っていなかった施設は,どうも,私にとって苦い思い出の場所になってしまっていました。

 

また,小6でできた友達も中学のときに,辛い別れをしているので(裏切られたので),

その小6のときの友達と行ったのが最後の施設も,思い出すと,どうも悲しい気分に・・。

 

なので,たぶん,愛知県内の子供が中心で行く施設のうち,

小学校のころにクラスメイトと一緒に行かなかった名古屋港水族館以外は

大概,苦い思い出のところばかりです。

 

しかし,娘とその苦い思い出の施設に行くことで,楽しい思い出が上書きされ,

その施設の思い出も楽しいものになりました。

 

また,子供が産まれる前は,

「こんな子供っぽい施設で楽しんだら,また(小学校で私をいじめた子)馬鹿にされる」という恐怖感が出て,

心の底から楽しめませんでした。

 

でも,子供と一緒に行くと,

「私自身が本気で楽しまないと,娘も楽しめないもんね!」と思い,

「そうだ!楽しんでいいんだ!」という太鼓判が押された感じがして,

子供心にかえって遊べるようになりました!

 

いじめって,いじめらた人に何十年も心にブレーキをかけるものなんですね。

 

楽しめるものも楽しめない。

理屈ではわかっているんですが,どうしても,トラウマがよみがえってくる。

 

いじめられている時期だけでなく,そのあとも,ずっと心の苦しみは続くんです。

 

それが,何かの拍子に,癒されることがあるけれど,その癒される機会がないこともあると思うんです。

 

だから,いじめって怖い・・。

 

いじめは,どんな理由があろうとも,その行為が許されるものではないと思います。

 

 

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塾講師エッセイマンガのお知らせ

2013年05月19日 23時53分49秒 | メッセージ

なかなか更新できずすみません。

今回は別ブログでの更新のお知らせです。

塾講師についてのエッセイマンガ,というか,説明まんがをアップしました。

第一回は「塾とは何か?」です。

 

こちらのブログで文字で語ったことをマンガ化した形になっております。

そのため内容は重複している部分が多いですが,

文字とマンガでは印象が違うところもあると思うので,ご覧頂けると嬉しいです。

 

マンガブログのアドレスはこちらです。

「能楽部&塾講師マンガブログ~しゃかしゃか☆のうてんき~」 http://cesarmanga.blog.fc2.com/

 

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「中国王朝の至宝展」に行ってきました

2013年05月07日 23時56分23秒 | 社会の先生として・・

なかなか更新できず,すみません。

この前,名古屋市博物館さんで開催されている「中国王朝の至宝」に行ってきました。

古代中国の青銅器や占いで使った亀の甲羅,秦の始皇帝の兵馬俑坑の兵士俑などが展示され,見どころ満載でした。

 

教科書に掲載されている内容のものを実際に見ることができるのは,良いですね♪

 

社会科や理科の勉強って,教科書で習ったことを実際に体験できる機会が多い気がします。

博物館や科学館などで,教科書に書いてあるものを実際に見たり,体験したりすることで,

「言葉として知る」だけでなく「身体でも知る」ことができ,より理解が深まります。

 

勉強ができるようになるには,こういう実体験も大切なのかな?と思います。

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