社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

れくす先生の歴史授業8 中国文明の始まりと殷

2025年01月31日 15時52分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

れくす先生の歴史授業の続きです。

前々回はメソポタミア文明、エジプト文明、
前回はインダス文明(+その後のインド文化)を行いました。

今回は、中国文明です。




1 はじめに

他の文明と違い、中国文明のみ、
中学では「王朝」名を
習います。
(高校レベルだと、
他の文明でも王朝名を習います。)

また、教科書によっては、そのまま、
中国の王朝の歴史に進みます。

そのため、中国文明というくくりで
あまり習わないことが多いです。


そもそも「文明」というくくりも、
歴史の情報を整理しやすくするために
つけたものにすぎなく、
どこまでの時期を「文明」とするか?
にこだわるよりも
「文明という名がつくのは、その地域の
大規模な集団生活が始まったんだよ、
ということなんだな」という程度で
考えても良いと思います。




2 黄河の文明、長江の文明

中国の文明そのものは
黄河流域でも長江流域でも
おこったとされています。


地理でアジア地方を習ったときに
中国の2つの大きな川として
黄河長江を習います。

「河」も「江」も、
「河川」の意味が入っているので
「〜川」とはつけません。
河川名と聞かれれば
「黄河川」「長江川」としずに、
「黄河」「長江」と書く形になります。


また、黄河と長江では、気候や植生も
違ってきます。

古代の黄河では、畑作で
稗(ひえ)や粟(あわ)を、
長江流域では稲作で、稲(米)が
栽培されて
そこで多くの人が住み、
それぞれの文明が
築かれました。

黄河流域は乾燥している地域が多く、
長江流域は温暖で夏に雨が多い(温暖湿潤気候)である地域が多いです。

今は品種改良されて、稲(米)は涼しいところでも、水が少なくても作ることができますが、元々の稲は、
暖かくて、育つ時期の夏に雨が多い
ところである必要がありました。

そのため、長江では稲が栽培できますが、
乾燥して涼しい気候である黄河流域では
水を多く必要としなくても育つ(畑作で育つ)、稗や粟が栽培されました。

中学生の習う歴史では
それぞれの河川で生まれた文明を
習うわけではありません。

中学では、黄河流域
生まれた王朝の
(いん)」から始まり、
さらに黄河流域の王朝をメインに
勉強していきます。


他の地域の歴史でも同じことが
言えますが、
その国の歴史を考える時、
今の国の領土という広さで
歴史を見ないようにします。


今の価値観からすると、
小規模な地域での歴史です。
今の中国という国の規模で
考えるのでなく
黄河流域での都市の規模(都市国家)での
王朝と考えてください。

そして、黄河流域の王朝が、
あたらしい王朝にうつりかわっていくうちに
初期には、いわゆる連合を組んで
グループ内で
まとまっていた形(地方分権)から、
1つのトップ(皇帝)が地方までまとめていく形(中央集権)に変化し、
だんだんと領土を広げていきます。

殷は地方分権の王朝で、
中国が中央集権国家になったのは
秦のときです。

(地方分権と中央集権については
後日、別記事でアップします。)

今の中国の、長江流域まで領土が
広がるのは、かなり時間がかかりました。

教科書や資料集には
地図が載っているので
各王朝、各時期、の
勢力図を見てみると
よりわかりやすくなります。






3 殷

さて、中学レベルで習う中国の王朝名で
最初に出てくるのが「(いん)」です。  


殷王朝以外で「殷」という漢字を
日本では、ほぼ使うことはありませんので
初めて習うと「難しい」という印象を
うける人もいるかもしれません。

しかし、そこで焦らず
じっくりと勉強していただければ
良いと思います。

中国の王朝で、黄河流域で成立し、
現在歴史上で最も古い王朝と言われている
のが「殷(いん)」です。

神話や伝説では、「殷」より前に「夏(か)」という王朝があったと
言われていますが、
「夏」の遺跡や遺物などが出ていないため
「歴史」という点では
「現存していると歴史で確約されている」のは遺跡が出ている「殷」となります。




殷の遺跡のことを
殷墟(いんきょ)」といいます。

「墟」とは
「歴史的なできごとがあった場所(跡)」という意味なので、
「殷という王朝があった痕跡のあるところ」=「殷墟」となります。


殷は、メソポタミア文明やエジプト文明で栄えた国々と同様、宗教と強く結びついた王朝です。

ノートに殷について
まとめました。









殷では
戦争など、何かの決定で大きく後の歴史が変わるような出来事を考えるときには
占いをして、決めていました。


その占いの結果を記した文字を
甲骨文字と言います。



甲骨文字は、亀の甲羅や牛の骨などに刻まれた文字なので、「甲羅の甲」、「骨」の文字をとって、甲骨文字と呼ばれてます。


甲骨文字は後の漢字の元になる文字で
今、使っている「山」などの文字は
「甲骨文字」に似た漢字です。


殷王朝の時期には
まだ鉄器は使われておらず
青銅器が使われていました。

殷の青銅器なのですが、
かなり複雑な文様や形のものがつくられ
高度な技術がないと作るのが
難しいと思われるものだそうです。
現代でも、その作り方の詳細は
不明らしいです。

失われた技術、とも言えます。


私達が歴史を習う時、
とくに技術や学問に関して言えば
「現代に近づけば近づくほど
技術や学問は発展している」
「昔の人は、何も知らなく、
技術は今の技術よりも遥かに劣っていた」
と思い込みやすいです。

しかし、実際にはそうではありません。
もちろん、「ファスト」という意味では
現代のほうが先進的でしょう。
一度に同じレベルのものを定価価格で
作りだす技術は、今のほうがあるかも
しれません。(もしかしたら、新しい歴史の発見があれば、それも変わるかもしれませんが。)


しかし、「技術力」のみに特化すれば
過去に、現代より優れた技術を作って
いることもあるんです。

また、私はふだん生活して
金属を作り出す技術を自ら発見
できる才能はありません。
しかし、過去に、人類初の金属生成を
発見し、発展させた人々がいるからこそ
今があるわけです。


過去のもの、昔の人々が
現代の我々より
「無知」「劣っている」
「かわいそう」など
と思って歴史を見ると
歴史を理解できません。

必ず、「敬意」を払って、
その時代、その時代の人が
どう生き抜いてきたのか?を
考えて見る必要が私はあると
思います。


今回は以上です。

次回は、周王朝成立時と、その後の
春秋時代、戦国時代を行います。

なるべくはやく、完成して記事をアップできたらいいな、と思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。


小さい頃のイジメの結果、封印してしまった気持ち

2025年01月26日 18時48分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。


現在、れくす先生の歴史授業の記事は
作成中です。


最近は、娘の影響で
ジュニア小説で古典名作(「十五少年漂流記」や「南総里見八犬伝」など)
を読むのにハマっています。


大人なので、ジュニアでなく元々の文庫や
江戸時代の本なら自分で訳も出来なくはないので、そのまま読めば?とも思うことはあります。

でも、これには理由があります。






まず1つは、
ジュニア文庫の形で読むことで
「小学生」や「中学生」が
どのレベルの語彙を使っているのか?が
わかり、それが、中学生向けの勉強を
教えるときに役立つからです。


筆者の先生が、すごく考えて抜いて
選んだ語彙なんだ、構成なんだ、
と感じます。




もう1つは、

過去に置き残した自分の気持ちを
消化させるためです。


私自身は小・中学生のとき、
あまり小説を読みませんでした。

いや、読むのが怖かったんです。


その理由は、小学校時代に
あらゆる人々に
何度も何度も
「お前は、ちえお◯れ(差別用語)!」
「そんなに馬鹿だと、将来困るよねー!」
と言われ、

「自分なんて小説を読めるはずがない」

と思いこんでました。


国語では、まったく問題なく
大学受験まで進めましたし、
大学では国文科系、
小説を読んで論文も書いたりしているのに
「自分は小説は読めない」と
本気で思ってました。


自分の中では
小さい頃にうけた
レッテル(ラベリング)が
そのまま残っていて
それで自分を制限してしまって
いたのでした。

今は、自分が馬鹿だと思うのは
そのままなのですが
「小説を読むのは楽しい」
と思えるようになりました。

そのときに、
実は小、中学生のときに
読みたいな、と思っていても
「自分なんかが読めるはずもない」
と思っていたので、読むのをやめていたのが
「ジュニア小説」でした。

世界の名作、古典の名作も

国語の授業で一部分だけ読んだもの、
大学の単位で必要なもの、
は過去にありますが


自分の個人的思考で
読みたいものを自分でお金を出して
読む、ということを異様に怖がって
読むことを避けてました。


「みんなは、頭が良いから
好きな小説読めていいな。」
「将来困らないようなことを
自分はし続けないと、
自分は馬鹿だから、努力しつづけないと
自分の予想できないような、
なにか恐ろしいことがおこるに
違いない」
という気持ちで約40年間生きてきました。



しかし、昨年、学校側から
冤罪という許しがたい仕打ちをうけ、
「もう、二度と、学校に関わる生き方を
しなくても良い
と本気で思えてきて、

それで、やっと、自分の読みたい小説を
読みたくなりました。


ただ、小さい頃に、蓋をしてしまった
「ジュニア文庫」への憧れ、が
残っているので、
今はひたすらジュニア文庫を読んで
楽しみたいと思います。



イラストは趣味で描いたものです。

将来に関係なく
好きな絵も描き続けるたいものです。




牧畜、放牧、遊牧、酪農の違いは?をノートにまとました

2025年01月23日 11時42分00秒 | 歴史用語辞典シリーズ
みなさま、本日もありがとうございます。

今回は、歴史そのものではなく
「社会で習う用語の見分け(社会のおとも)」についてをまとめたノートです。 

今回は「牧畜」という内容に着目して
まとめました。




牧畜」という言葉も
放牧」「遊牧」「酪農
という言葉も
知っているけれど
(聞いたことがあるけれど)、
見分けがついていない生徒さんを
多く見かけました。


入試で、その言葉をダイレクトに
聞かれることは、あまり、ありません。

しかし、
地理で、各地の農業を勉強するときに
例えば、
「遊牧」と聞けば、その場所が
どういう地形なのか?どの気候区分なのか?の予測がつきます。(逆もしかり)

言葉というのは、その言葉を聞いただけで
その言葉が持つ「関連用語」「背景」まで
わかることができます。




社会科を習い始めのときは、
それぞれの言葉が独立したように
見えて、たくさんの言葉(単語)を
呪文のように覚えがちです。

そのため
「社会は暗記科目」→「暗記は、歌とかゲームしながら覚えるもの」もしくは「何度も問題を解いて丸暗記するもの」
だと結論づけてしまう人もいます。

しかし、
「言葉」というのは、
様々な意味合いを持って
1つの言葉になっています。

それを、勉強していく過程で
身につけた結果、
最初は大量に見えた単語(言葉)が
とてもシンプルで系統だったものに
見えることができます。

その結果、多くの単語を覚えられます。


人間の脳というのは、
ただ単に暗記する量の限界が
すぐきますが

系統だったもの、
イメージがついたものは
すごい量を覚えられます。

なので、言葉(単語)の内容を整理し、
少しでも社会のテスト勉強(入試)に
お役に立てたらいいな、と思い、
この記事をアップしました。








中学で習う歴史で、
モンゴル帝国、があります。

モンゴル帝国は、モンゴル民族と言われる
遊牧民族(遊牧で生活している民族)に
より作られた帝国です。

モンゴル帝国の歴史は
世界史分野を習うと
その凄さがわかります。



「ユウボクミンゾク」という感じで
言葉を呪文のように覚えるのでなく、
「遊牧をしている人々なんだ」と
遊牧のイメージをつけることから、
様々な知識とリンクしていくことが
勉強をしていくうえで
大切だと思います。


牧畜の記事を書くにあたって、
本当は、しっかりとパソコンで書いて
様々な用語シリーズをつくるつもりでした。

その一貫で、下のような絵も 
描いていました。







真面目な絵を描くのも楽しかったです。


しかし、今は、あるところとの問題で
もうその時間がなくなりました。
くやしいですね。


でも、勉強内容そのものは続けていきたいと
思います。


れくす先生の歴史授業と並行して
定期的に書いていきたいと思いますので 
よろしくお願いします。








れくす先生の歴史授業を再開できた嬉しさ

2025年01月21日 16時21分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

やっと、「れくす先生の歴史授業」の更新を再開できました。


9月までは比較的時間的な余裕があったため、パソコンであらゆるものを作っていこう!
という気持ちで制作していました。

実際に、パソコンで制作したほうが、
レイヤーをうまく使いこなせば
色んな種類のものも作れるし、
作り始めるときは時間がかかりますが
総合的には時短になります。


ただ、ですね、10月からは
プライベートでの問題で
時間的、精神的余裕がなくなり、
パソコンに立ち向かえなくなりました。

時間的に、というよりは、精神的に、
もう無理だな、と。


精神的に、何が辛かったか?というと
あることがきっかけで
「どうせ、がんばったって・・・」と
いう気持ちが出てしまったからです。

とくに今回は、冤罪をかけられたことで
かなり精神的にきつかったです。

自分の中で最も大切な「勉強」は
私や家族にとって、
相棒であり趣味でものです。

しかし、私達の言い分を聞かず
相手の一方的な価値観のみで

「勉強が悪だ」
「勉強をがんばることは
子供に悪影響しか与えない」


という価値観で、本人は善意で
私に諭してきた人がいて、
それで、まいってしまいました。


その人が
「勉強をしない」「勉強を嫌う」
ことは個人の自由ですが


「勉強が楽しい」と思っている子に
それを言う?
「母親という役職をしている人は、すべて、自分より教育的な能力は劣っている」という前提で、私に話してくる、

という感じで、疲れてしまいました。


いちいち、反論するのが疲れてしまい、
「アナタは私を極悪人、駄目な母親
と思っていいから、
私達は勉強を楽しみたい!
相手のことをしろうともしず、
自分の価値観だけで世界を見て、
他人の好きなもの、心の支えを
否定ばかりする人の近くで学ぶものは
何もない。」
と、その人、その機関から
縁を切る覚悟をするのに
時間がかかりました。

縁を切るので損をするのは
こちら側だけなので。

ただ、今回、家族内では意見が
一致していたので、すばやく行動できた
のは幸いでした。

もちろん、完全に縁を切れたわけでは
ありません。事務的なことはこれからも
関係してくるので。

ただ、3ヶ月かけて、やっと
精神的に縁が切れたことで 
冷静になり、
頭をまとめながらブログを書けるように
なりました。


「どうせがんばったって」ではなく 
「がんばることそのものを楽しむ」
「やっぱり勉強好きだー!」と
いう気持ちのほうが強くなりました。

このブログも
「学校に通っている前提の勉強」と
いうスタンスはやめ



「学校に楽しく行ってい、勉強をがんばっている人」
「学校は辛いけれど、学校に行って勉強を
がんばっている人」
「学校以外の場所で勉強をがんばっている人」
「受験うんぬん関係なく、勉強そのものを
がんばっている人」



すべての
「勉強をがんばりたい人」に向けて
書きたい!と思いました。



更新はできるときにするため
不定期連載にはなりますが
かならず続けていきたいと思いますので
これからもよろしくお願いいたします。



0の概念について、ある番組で
「音楽の楽譜の休符の存在だと思えば良い」
という内容を聞き、
そこから
「つまり、0があるからこそ、一定のリズム(幅)で、物事を進められる思考ができるのかもしれない」
と思いました。
ある数学系の専門だった人が
「0だけでどれだけでも話せる」と
言ったのを思い出しました。
当時、それを聞いたのは中学生のときで
「なんじゃらほい?」
と思っていましたが
 
今になると「あー、たしかに」と
思います。
ただ、私自身は数学の専門ではないので
たぶん、その人が話したことの半分も
理解できないと思いますが、
理解できない部分があるからこそ
それを理解できる努力する未来の楽しみが
あったりします。


れくす先生の歴史授業7 インダス文明とその後のインド文化

2025年01月20日 08時00分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。


前回の続きで、
れくす先生の歴史授業シリーズの続きです。


前回は、メソポタミア文明とエジプト文明の
中学生で習う内容について説明しました。



今回はインダス文明です。



1 インダス文明の特徴

インダス文明は、
メソポタミア文明やエジプト文明と違い
現時点では、インダス文明の時代に
使われていた文字(インダス文字)が
解読されていないため、
詳しい歴史はわかっていません。

そのため、
テストという場面という意味では
覚える用語は他の文明に比べて少ない
です。 


これから、何か大きな発見等があれば
詳しい歴史が明らかになるかも
しれません。

2 遺跡の注意点

インダス文明を習う時、覚えるうえで
注意したいのは
遺跡のある場所(現在の国名)です。


インダス文明は
「インド」の文明の発祥地と
習うことも多いと思います。

しかし、
インダス文明の遺跡で
習うところ(モヘンジョ=ダロ、ハラッパー)はパキスタンになります。


インダス文明という用語の元になる
インダス川も、多くはパキスタンを
流れています。(一部はインド、中国を
流れています。)

現在のインドで有名な川は
ガンジス川です。
(ガンジス川も、インド以外の国も
通っています)
地理のアジア州で習っている川ですね。


ガンジス川インダス川
混同しないように気をつけましょう。



どうしてこういう状態になっているの?と
思われるかもしれませんが
近代、現代の歴史を知っていると
その理由はわかります。


パキスタンのある地は、
元々はインドでした。
しかし、近代になり
イギリスの植民地化に
インドはおかれました。

第二次世界大戦後に独立するとき、
宗教上の関係からインドだった地域は
ヒンドゥー教徒地域としてインド、
イスラム教徒地域としてパキスタン
として分離独立しました。
(のちに東パキスタンはバングラデシュとして分離独立。)




古代の時点、そして、長い間、
古代インダス文明は、
今の国家の枠組みのみで考えるのではなく
昔のインドという枠組みで考えると
良いでしょう。



3 インダス文明で中学生が習うところ

インダス文明のおきた川は
インダス川で、
文字はインダス文字です。

インダス文字は現時点では
解読されていません。


遺跡としては
モヘンジョ=ダロハラッパー
どちらもパキスタン内にあります。

中学の教科書では、
モヘンジョ=ダロのみを
明記しているものも見かけます。




4 インダス滅亡後のインド世界

インダス文明そのものは
上記の内容(3)のみです。

中学の教科書だと、
そのまま、インダス文明後の
インドの歴史を少しだけ書いてあります。

そのときの歴史で生まれたものが
世界全体の歴史につながっていきます。

その内容についてお話します。

インダス文明のころの
都市国家が滅亡した
理由は決定的な説はありません。


今からお話するのは
インダス文明のあとの
インドの世界と考えてください。


宗教としてはバラモン教
学問的なものとして
アラビア数字0という数字の概念が
誕生しました。
(バラモン教成立の時期は、
おそらくその頃、という意味です。)




〈バラモン教とヒンドゥー教〉

バラモン教というのは、今のインドで
多くの人々に信仰されている
ヒンドゥー教は、のちの時代に生まれた
宗教で、バラモン教の影響を受けている
宗教です。
(バラモン教=ヒンドゥー教、ではありません。)

バラモン教ヒンドゥー教は、
他の宗教と違った
特徴的な考え方があります。
バラモン教、ヒンドゥー教は
身分、そして、それに伴う職業に
結びついている
宗教です。
このような独特な階級制度を
カースト制度
と言います。

このあたりの内容は、地理の方で
習っているので覚えている人も
いるでしょう。





〈アラビア数字 と 0の概念〉

また、インドは、現代の数学に必要不可欠な
アラビア数学0という数の概念を
作り出しました。

アラビア数字は、1、2、3という
現在の数学で使う数字のことです。

なぜインド数字と言わずアラビア数字と
言うのか?というと
インド数字がアラビアに伝わり
ヨーロッパにアラビアからインド数字が
伝わったことから、「アラビア数字」と
呼ばれるようになりました。


0という数字が誕生したことは
数字の歴史において大きな出来事です。





0というのが、何が凄いか?というと、
これにより計算がしやすくなったのは
もちろんなのですが、
0というのがあると、ある1つの法則に
従って、さまざまなことを定められる
ことも多いと思います。


たとえば、「0」という数値がないと
「リンゴがある」「リンゴがない」という
2つの現象を個別に考えなきゃいけないですが、「0」という数値があると
「リンゴがある」という1つの現象で
説明できます。 
さらに代数という考え方で
0という概念があると、
「リンゴがa個ある」として、
aに0を代入することも可能です。
計算の上では代入するだけですが
もし、この世に存在する具体的イメージを
書く必要がある限り、「リンゴが0個ある」=「リンゴはない」とします。
(代数学はインド発祥ではありません。)


このように0があると、非常に
頭の中をシンプルにでき
様々なことを考えられるようになります。


(0のことについては、私の個人的な意見を入れて書いてます)


今回は以上です。

ノートにもまとめました。
下図の画像もご参考にどうぞ。







今回は以上です。

次回からは中国文明なのですが、
まだ画像が作成途中なので、
完成次第、またアップさせて頂きますね。


画像を作成しつつ、別の記事も定期的にアップしていきたいと思います。

ご覧いただき、ありがとうございました。


れくす先生の歴史授業6 メソポタミア文明とエジプト文明 2

2025年01月19日 20時46分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。

前回の続きで「れくす先生の歴史授業」の
続きです。


前回は、メソポタミア文明エジプト文明
中学生で習う歴史の内容を具体的に見ていきました。

今回は、メソポタミア文明とエジプト文明についての相違点(似ているところ、違うところ)に焦点をおいて、見ていきます。


テストそのものには出ないものですが
理解する上で、少しでもイメージが
ついたらいいな、と思って
ノートにまとめました。








あくまでイメージで描いてます。


今回は短いですが、
コラム的な感じで
書かせていただきました。


次回はインダス文明です。

ご覧いただき、ありがとうございました。



れくす先生の歴史授業「メソポタミア文明とエジプト文明 1」

2025年01月18日 23時09分00秒 | れくす先生の歴史模擬授業
みなさま、本日もありがとうございます。



「れくす先生の歴史授業」を再開させて
いただきます。
ただ、以前のように、
パソコンで画像を
作成する時間がないため
手書きのものが多くなりますが

「手書きだと、勉強する気がそれる」とか
「パソコンで書けない先生だと、きちんと教えられるか不安」
という気持ちの方は、
そもそも、このブログをご覧にならない
のでは?と。
今までの記事でも手書きのものもあるし、
今は現役の肩書もないですし。

私のブログは
勉強について、あらゆるものを読んでいる
中で、私のブログも活用している、
つまり、数ある読み物の1つ、
と思って、参考程度にご覧になられている
方が多いと思います。


ただ、パソコンで書いたほうが
読みやすいという方もいらっしゃるのは
わかりますので、可能な限りは
パソコンで書きたいですが、
それだといつまで経ってもブログを書けないので、手書きのものも活用したいと思います。

理想的なことがやれないまま、
グスグスブログなってしまっていますが
可能な限り、更新していきたいです。




ではでは、「れくす先生の歴史授業」を
始めさせていただきます。





前回は、古代文明の導入で
どうやって古代文明の内容を
まとめていくか、覚えていくか、
という話をしました。

今回から具体的に見ていきます。


今回は、
メソポタミア文明エジプト文明




1 この文明を習うにあたって

この文明は、それぞれ独立して覚える、
というより、
近くの地域で交流があり、
相互作用があった文明という認識で
歴史を見ていく必要があります。


交流というのは、
人の行き来、貿易などの
平和的交流はもちろんですが
それ以外、つまり、戦争もあったと
いうことです。



そのあたりも踏まえて
歴史の流れを見ていくのが大切ですが
中学生が習う内容は
各文明の文化的な面、つまり、
暦や文字、建物、などがメインで、
各文明でおこった王国の特徴や
王国同士の交流や戦いは習いません。
このあたりは高校生で習います。

この記事シリーズは私立中学受験と高校受験向けの内容なので、今回は、各王国の細かい部分は明記しません。



まずは、下の画像を見てください。




これから、「文明」というククリで
習う文明についての全体的な特徴について
簡易的に記したものです。

ではでは
前回、お話したように
文明名、その文明がおきた大河、文字、などにカテゴリー分けをしてみていきます。

今回は
メソポタミア文明とエジプト文明に
ついて、見ていきます。


2 メソポタミア文明とエジプト文明


1 河川名と暦

どちらの文明も、大きな川の近くで
文明が生まれています。


川は古代(近代まで)において
交通の要であり、農業を行う上でも
水があることは大切です。

ただ、そうだとしたら、どの川でも
文明は発達するじゃん、ということ。

川の周りに小さな村(ムラ)はできますが、
文明というのは、村のレベルを大きくした
かなり大きい集団コミュニティである
都市国家が母体となって生まれます。


では、
メソポタミア文明エジプト文明
おきた、川は他の川とどんな違いがあったのか?というと、
洪水が定期的におき、その洪水で運ばれた土が栄養がたくさんあったので、農業に適していた、ということが大きいです。

農業というのは、水だけでなく、土も大切で、植物にとっての栄養がどれだけつまっているか?で、農作物が育つか?が変わってきます。


メソポタミア文明では、
チグリス川ユーフラテス川
という2つの大きな川、



エジプト文明では、
ナイル川が、



そのようなタイプの川(大河)でした。

洪水というと、もちろん、
大きな災害であることは間違いないです。
人的被害阻止のため、そして、
農作物をとる周期もわからないと
安全に確実に農作物を収穫できるために
洪水のおきる法則を見つけ出すことが
必要です。

その法則から導き出されたものが、
(こよみ)です。

暦はカレンダーです。

メソポタミア文明では、月の満ち欠けから、
エジプト文明では、太陽の動きから、
それぞれ暦が作られました。


の満ち欠けから割り出された暦を太陰暦
太陽の動きから割り出された暦を太陽暦
言います。

陽と真反対のもの(対極をなすもの)になるものを陰というので、太陰は、太陽と対極を
成すもの、つまり月ということです。


メソポタミア文明では、60進法という
数学の考えも使われました。

60進法は、現代の我々でも使っている
考え方です。


60秒で1分、
60分で1時間、
というように、
60の単位で1つ上の単位に繰り上がる
ものです。

暦とは、時間を人間の考えで区切ったものなので、この60進法で時間を区切ることで、日にち、年を区切ることができることが可能になります。

2 文字

文字というのも、
暦などを記すものとしても必要です。
また、
だんだんと集団の規模が大きくなると
一斉に遠くまで伝達するのに便利なものが
文字とも言えます。
文字は、地域だけでなく時(とき)さえも
超えます。

時空の伝達手段が文字なのです。



同じ文字を使い続けていたら、
未来人にも、当時にどんな人がいたか、
どんなことが起きたのか?
未来までに伝えたいこと(洪水や地震などの災害など)を伝えてくれます。

でも、その文字を使う人々が未来に
いない場合、当時の歴史は闇のまま。
少しの遺跡は残っているかもしれません。
でも、そこで、当時、どんな風に
彼らが考え、何を楽しみにし、生きていたか?は、出土された遺物から想像するしかありません。さらに、遺跡も遺物も少なかったり残されてなかったものは、未来には知られてない歴史になります。


古代エジプトの文字(ヒエログリフ)も、
遺跡としては
残っていましたが、近世、近代の世界には
誰もその文字を使っている人はいませんでした。だからこそ、その解読をするのは
かなりの労力が必要で、
運が良いことに、古代エジプトの文字と
並列されて記された文字が、近代に使われていた文字とリンクすることができ、
解読できました。


文字だけでなく、
伝説、神話などの口頭で伝わったもの、
その口頭伝達したものを文章化したもの、
過去にみつけた法則や公式など、
これらをまとめて「学問」と言えます。
学問というものは、
「テストで点数をとるだけ」
「学歴や就職先を得るため」ための
個人的問題に帰結するものだけでも
ないですし、
「現代の生活に直結するノウハウ」のものだけを学ぶものでもありません。


現代の我々が一度でも、
過去から積み重ねた学問を
断絶すると、過去のものが未来まで
伝わりません。


過去に積み重ねてきたものを未来までに
伝えるために、現在では
公的機関である学校教育が
その一端を担っていると
思うことがあります

だから、学校という存在は必要だと
思いますが、学校で習う内容を習って
一人一人が未来に繋げていくことが
大切であるだけで、
別に、(国家資格取得目的以外では)
学校という場所で学ぶ必要は
必ずしもありません。
学校の先生以外に
勉強を教えてもらうこと、
自分一人で家で勉強することは
別に悪いことでも
劣ったことでもありません。
逆に学校に行けば、
何でも良いわけでもないかな?と。


学校に行くこと、と、勉強をすること、は
別に分けて考えると良いと思います。

もちろん、学歴、職歴を手に入れるために
勉強するのは、私は好きです。

でも、それだけに特化すると
不登校になったときに残る感情は
「絶望」です。

私達の歩む歴史は、
歴史の「到達点」ではありません。

あくまで通過点です。

なので、
「今は、これだけ科学技術が進んでいるから、昔のような勉強方法(学校がない時代の学び方、本を個人で読んで勉強する、座学で学ぶ、古典を勉強するなど)は悪だ」
「一人で黙々と勉強する人は、将来困るよ!」と決めつけて、
過去の人間が築いたものを否定して、
ぶち壊してしまうのは、
現代人の驕り高ぶりだと思います。

今、現在、生きている私達が、
昔ながらの学び方も肯定し、
未来につなげていくことも
大切だと思います。

同調はする必要はないですが
肯定していくとで未来につなげていく。

この科学技術が突然失われることだって
ありますので。


なぜなら、今の科学技術とは
違う方向ではありますが、
古代文明の時期に生まれた技術は
現在の科学では復刻できないものも
あるそうです。

つまり、過去のものは、今よりも
すべて技術が劣っていたわけでは
ないということです。

少し話が、ズレてしまったので
メソポタミア文明とエジプト文明で
それぞれ使われていた文字の話に
戻します。



メソポタミア文明では、
くさび形文字を、

エジプト文明では、
象形文字
使っていました。


くさび形文字(楔形文字)の
「くさび(楔)」とは、先の尖った道具の
ことで、その「くさび(楔)」のような「形」をしていることから「くさび形文字」と呼ばれます。

下の画像がくさび形文字の一例です。

くさび形文字は、水を含んだやわらかい粘土の板に、葺(あし)という植物を削ってペンの形にしたもので削って、文字を記しました。
この粘土板を焼けば長期保存も可能です。
残しておきたい文章などは、そのように焼いていました。
そのような文書が現在発見されているので
我々は歴史を知ることができます。




「くさび形文字(楔形文字)」は
固有名詞ですが
エジプト文明で教科書に書かれている
象形文字というのは
固有名詞ではなくカテゴリー名詞です。

象形文字とは、何かの形の線画抽出したもの。一見、絵にみえますが、文字としての記号になります。
中国で生まれた漢字の一部も象形文字です。
山の形を形どったのが「山」という漢字です。

エジプト文明だと、
鳥の形を文字化したものがあります。
下の画像が一例です。 



エジプトの文字でヒエログリフという
言葉を聞いたことがある人もいるかも
しれません。

昔の教科書だと、
エジプト文明の文字は「ヒエログリフ」と
表記しているところもありました。


しかし、ヒエログリフは、古代エジプトの
使われた象形文字ではありますが、
古代エジプトでは使われた文字は他にも
ありました。ヒエログリフは、石碑や彫像などの石に刻まれたものです。ヒエログリフという文字そのものに神の力が宿っているようなイメージで、神の力を必要とする石碑や彫像などに刻まれていました。


その他にも筆記用の文字などもありました。


それで、ヒエログリフ=エジプト文字、ではなく、ヒエログリフもエジプト文字の1つ、という認識なので、古代のエジプトは、
象形文字を使っていた、と表記されます。





3 建物

建物に関してだと、
古代には、ほぼどの地域でも
宗教と密接に結びついてます。

今の学問のように「理科」の内容の
自然や医療のしくみが
ハッキリしてません。

人間というのは、理解できないことに
対して不安感を抱きやすい生き物だと
思います。
そのときに、理解できない現象に対して
「神々」という存在を作り出して
その「神」や「神の使い」が行っているもの、と定めます。
いわゆる、現象を公式化(キャラクター化)
した、とも言えます。
今だと、数字で説明するものを、
「神」で説明しているだけで、

数字による秩序か、神による秩序か?
だけで、「秩序」を維持しているだけの
違いなので。
「秩序」がないと、戦争が常におきたり
理不尽で横暴な人の天下になってしまうので。

ただ、やはり、今の価値観、
いわゆる、数字や法の秩序のほうが
より理不尽さが減るとは思いますが
「秩序」という観点だけで見れば
今の秩序でも昔の秩序でも
どちらも秩序はできていると思います。

今、とくに今の日本の価値観は
第二次世界大戦の経験から
「宗教というのは怖いもの」
「宗教を信じることは悪い事(危険なこと)」と思う人がいると思います。
個人個人がそのように思うのは
かまいません。

でも、「歴史」を見るにあたって、
「宗教を信じて生きている人」
「宗教が根底に根付いている歴史」を
バカにしては、
真実を見ることができません。

さらに、歴史を教える側が
本来は宗教的価値観に結びついていたことでおきた事件や創作物であったものなのに、
「宗教」と分離して、おきた事件や創作物を扱うと、何か矛盾を感じるというか、
事件と事件、その事件をおこした歴史人物と事件が、うまく繋がらなかったりすることが多々あります。


別に歴史を学ぶというのは
「その歴史人物のマネをするため」
「個人の人生の模範にするもの」では
ありません。
その「歴史」を理解することが必要で、
今の価値観では「法律違反」「不適切」「マナー違反」というものもたくさんあります。
でも、その「現在不適切」なものは、
 過去にはあったことは事実なのだから、
「現在の価値観」とは切り離して
「このときはこうだった」と
見ることが、歴史を理解することです。


「同調」と「理解」は別物です。
「同調」は同じ価値観で初めて受け入れられますが
「理解」は、同じ価値観でなくても
かまいません。


メソポタミア文明もエジプト文明も
それぞれの宗教がありました。

そして、それぞれの神殿などの
建物が建てられました。


メソポタミア文明では、
ジックラトという神殿、聖塔、
エジプト文明では
ピラミッドやあらゆる神殿
の建物が建てられました。



ピラミッドというのは、四角錐の巨大な建築物をあらわしているカテゴリー名詞なので、
エジプトに建てられたものだけを
ピラミッドと言うわけではありません。
しかも、ピラミッドを建てられたのは
エジプト王朝の歴史の中でも最も古い時代
の建築物です。
多くの人が知っているツタンカーメン王や
ラムセス2世などは、ピラミッドが建てられた時代のエジプトの王(ファラオ)では
ありません。


中学生の習う歴史は
エジプト文明の細かい王朝は習わず、
めちゃくちゃ長い歴史の遺物をかいつまんで習うので、ピラミッドがいつの時代のものなのか?は習わないので、
ぶっちゃけテストでは、年代を
ぼんやりして覚えてても問題はありません。

ただ、テレビでよく見るエジプトの王の歴史は、多くはエジプトのピラミッド建設の時期よりかなり後の時代、と思って見たほうが
より鮮明に歴史を見ることできます。


また、ピラミッドそのものが
王の墓というのは絶対的な答えではなくて
王の墓であるかもしれないし、
それ以外の目的の建物かもしれない、
と様々な説があります。
ピラミッドの作られた方法も
決定的な答えはありません。

今、我々が、知っている歴史は
すべて明らかになってないです。
これからの未来、明らかになる楽しみは
あります。
空白こそ、楽しさが詰まっていて
だからこそ、学問、勉強を根気強く続ける
意義や楽しさもあると思います。

ノートにまとめてみました。

まずはメソポタミア文明。




ついで、エジプト文明。




今回は以上です。

次回は、メソポタミア文明とエジプト文明の
違いを説明し、その後、インダス文明、中国文明と続けていきたいと思います。



ご覧いただき、ありがとうございました。





なんとか再開できそうです

2025年01月11日 17時14分00秒 | 近況報告
みなさま、本日もありがとうございます。



まだアップは難しいのですが、
やっと「れくす先生の歴史授業」シリーズが更新できる準備は整ってきました。

上の絵もその一部です。

ただ、今までは、画像資料は
オールパソコンで文字入れをして、
という形にしていましたが
今はパソコンに向かえる時間が
かなり限られているため、
合間合間にできる手書きのものを
作成して、アップしていきたいと
思います。

また、イラストもすべて書き下ろしは
難しいのかなぁ、と半分諦めていますが
可能な限り、絵も増やしていきたいです。


なかなか、人生、思い通りにいかないですが
諦めずに生きていきたいですね。




2025/01/01

2025年01月01日 14時39分00秒 | メッセージ
新年、あけましておめでとうございます。



去年は、
「ブログ再始動する!」
「同人誌を出す!」
と言っていたにもかかわらず
10月にプライベートで大変なことがおき
そのまま、何も出来ない状態が
続いていたので、
反省の日々です。  

勉強関係の記事も
昔の浅学での勘違いや偏見、
ミスなどもあるので
直さなきゃ!と思いつつもできなくて 
悔しかったです。


可能な限り、
今年もがんばっていきたいと
思いますので、
これからもよろしくお願いいたします。