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「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

教育基本法がどうたらこうたら

2006-10-22 11:12:51 | 気がついたこと

昨日は娘①のサークルの発表会があって行ってたので、そのことを書こうと思ったんだけど、さっきテレビで教育問題について論議していたのを聞いていたらまた無性に一言いいたくなったので書きます。

実のところ教育基本法改正についてあまり詳しく知らないし、今は番組を見たばかりで熱くなってるけど日を置いた方が冷静な判断で記事が書けるような気がするのに、あえて今書いちゃうのは(しかも忙しいのに~)最近(に限ったことじゃないけど)物忘れが激しくて「今度アレ書こう」と思ってたことを忘れちゃうんだよね~
だからとりあえず忘れないうちに書いときます(爆)


その番組も実は見たのは途中から(それまでは「仮面ライダーカブト」見てました)なんだけど、まずは安倍さんがやろうとしてる「教育バウチャー制度」について。

それってどういう意味なのかよくわからなかったけど、例のアレなのね、子供が行きたい学校を自由に選択できて、児童の数によって学校への予算配布が変わるっていう…。
この件に関しては一概に反対とも賛成とも言い切れないけど、何かがオカシイ…と思う
安倍さんは教育の場でも競争原理を取り入れると言っているようだけど、この制度はさらなる「教育格差」の弊害を生むんじゃないだろうか。
たしかに一時期「競争はダメ」「平等に」とか言って、運動会で徒競走の順位付けを廃止したりするようなアンビリーバブルなこともあって、やっぱり教育にも競争は必要だと私も思う。
だけど学校が選択できて児童が集まる学校には多く予算が行くとなると「いい学校」「ダメ学校」の差がはっきり出るのは火を見るより明らかし、「いい学校」の基準って誰が決めるのかな。
それは多分親だろう。
しかもイジメがないとか子供が安心して通えるとかそういうことはもちろんだけど、一番は「成績」「勉強」になるのでは?と思う。
同じような志の同じような水準の同じような親子の入る公立学校はまるで私立のようですね。
実際政治家や識者は「私立はお金がかかるから公立でそれが可能になることは素晴しい」と言っていて、事実経済的理由で私立に行かせたいけど行かせられない人たちにとっては理想的な状態でしょう。
でも、いろ~んな人、いろ~んな子供達がいるからの学校なのでは?と思うのです。
いろんな人たちがいてイジメも起こりやすいのも事実だけど、同じような人たちだからイジメがないとも言えないし、子供の頃から社会の縮図を経験するのはむしろ必要なんじゃないかと思う。

で、公立だからお金がかからないというけれど、その「行かせたいいい学校」が遠くにあったら交通費はバカにならないから、やっぱり庶民には無理なんじゃないか?
それに体が弱いとか障害があるけど普通の学校に通いたい人にとっては学校が遠いのは等しく教育を受ける権利をそれだけで侵されてることになるんじゃないか?
しかもそのために「いい学校」の近くに引っ越す人が急増して、「いい学校」の周辺の地価が高騰し、「悪い学校」の周辺地域は寂れるというこというのでは本末顚倒じゃないのかな。
結局教育バウチャー制度というのは、金持ちを優遇していて一般庶民や障害者にはちっとも優しくないのではないかと思うのだ。

「学校選択性」については賛成意見として、例えば小学校でいじめられてた子が同じ学区内の中学に進学しなくてはいけないと中学でもいじめられる可能性があるから…ということだった。
たしかにそれは一理ある…と思った。
だけど地方の場合はどうだろう。
子供達のイジメによる自殺…意外と自殺まで行っちゃうのは地方が多いですよね。
なんだかんだ言っても都会は学校が多いから、イジメに遭っても転校できたり、フリースクールや家庭教師など学校に通わせる以外の道の選択肢が多いんだけど、地方の場合先祖代々その土地に住んでて引っ越すこともできないし、元々学校の数がすくなくて遠いから転校も不可能…結局どこまでいってもイジメからは逃れられないということで、自殺まで思いつめるところまでいっちゃうんじゃないかと思うんです。
そう考えると、教育バウチャー制度は都会の人のためのものであって地方は置き去りにされてるよね。
選挙区が山口といっても都会育ちで何の不自由もなくお坊ちゃんで育った安倍さんには「地方」も「障害者」も「庶民」も頭にはないんでしょう。

それから教師の「教員免許更新制度」についても議論してて、コレは一見よさそうな気もするけど、よく考えるとどうなのかな~と思う。
ほんとうに子供達のことを考えてくれてる先生とそうでない先生の線引きは難しいもんね。
テストや数字ではかれるものじゃないし、生徒を何人進学校に入れましたとか、イジメの件数がゼロですということだけで教師の良し悪しをきめていいのか甚だ疑問です。
教育の答えって長い年月をかけて結果が出るものだから、ほんとにいい先生って縁の下の力持ち的に地味だったりして、むしろ数字で線引きされたらいられなくなっちゃうんじゃないかと心配になるよ

中央大学教授の佐々木信夫さんが新聞で「いま問われているのは、教育でどんな能力を伸ばすべきかだ。人間は本来、人に教わったことを正確に受容しようとする能力と、自ら考え行動しようとする二つの能力を持っている。ただ、これまでの教育はひたする前者の能力の涵養にあった。考える力ではなく、覚える力を磨くことで学校秀才をつくり出してきた。しかし、これから必要なのは後者の能力の高い人材だ。」と、語っていた。
安倍さんのやろうとしていることは佐々木さんの意見とは対極に向かっている気がする。
佐々木さんも言ってるけど、現行の教育基本法にも教育の目的は「人格の完成」をめざし、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身共に健康な国民を育てるとあるのに、それでもなぜ、敢えて愛国心とか郷土愛を条文化しなければならないのか、と。
ほかに何かねらいがあるのかと疑いたくもなるよね


ハイ、また長くなりました~
しかも取り留めのないこと書いたワ
これから急いで仕事にとりかかります!
それでは、コレにてゴメン!


 

コメント (2)
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