私はゆとり教育に基本的に賛成だ。といっても今まで文科省が推奨してきた「ゆとり教育」のことではない。
4年生位までに勉強することを6年かけてやるとか、円周率を3にして簡単にするとか、総合的学習の時間を設けるとか、そういうことはゆとり教育とは呼ばないんじゃないだろうか。
私が言いたいのは「つめこみ教育」じゃないゆとり教育。
義務教育期間に基礎学力はきちんと学ばせて欲しい。
受験がどんどん複雑化してるけど、基礎もできなくて応用も何もないでしょ。
文科省が「ゆとり教育」を叫んでも、公立だけでやるのは無理がある。
受験制度そのものが根本から変わって、公立も私立も足並みが揃わない限り「ゆとり教育」の実現はありえないと思う。
私立と公立の格差が開いて、結局公立の生徒も私立に負けまいと塾通いに明け暮れ、日々のゆとりはなくなり、人とどう関わるかよりどう蹴落とすかに終始するか、全く差を開けられたまま置いてけぼりをくらうかのどちらかになってしまっているのではないだろうか。
これまでの「ゆとり教育」の失敗を受けて、今後文科省は方針転換するらしいが、「詰め込み教育」に逆戻りしてどうするよ
勉強は詰め込んでも身につかないでしょ!
どんな状況になっても生きていかれる力をつけるための知識を身につけることが勉強なんじゃないかな。そのために基礎学力という土台が必要なわけで、1つの問題に1つの答えじゃなくて、いろんな考え方や解決方法を見出せる人間を作ることが大切だと思う。
それから、公立学校で土曜が休みになった時かなり反対意見も出たけど、私は賛成だった。
自分が子供だったら学校が休みになるのはうれしい!という気持ちもあったけど、休みの日はどんどん遊べばいいじゃん!というのが私の考えです。
もちろん毎日の学習習慣というのはスッゴク大切なことだけど、少なくとも小学生の間は放課後や土日や夏休みに友達とたくさん遊んだらいいと思う。
今は小さい時から人と関わる機会が極端に少ないから、社会に出る段になって苦労してる人が多いように思える。人とうまくやっていかれなくて悩んだり、逆に人の気持ちを思いやれない自己チューな人間になったり、ね。
正直私も小さい時は人付き合いが苦手だったから(今でも結構苦労してます)「友達と遊ぶ」ことが1番とは思っていないけど、自分の趣味や好きなことをして過ごしたり、家の手伝いをしたりもいいでしょう。
それが文科省の土曜休業の目的がなんか「親と過ごす時間を多くするため」という大義名分をつけちゃったから余計変になっちゃった。
土日が休みの親ばかりじゃないし(土日に出かける人が多くなればサービス業の親はますます休めません)、レジャー
や旅行
に行くにもお金がかかるし、教育費は家計に大きな負担となって、その費用を捻出するために時給の高い土日にお母さんはパートへ…ということで、学校が休みの日に親と過ごせる子供は減ってしまう。
子沢山で家事も便利じゃなかった時代も親と接する時間はそんなに多くなかったと思うが、早くから自立して生きていく力をつけている人が多かったよね。
都知事の石原さんが、名門日比谷高校の進学率が落ちたから独自の入試問題を導入して、教師の能力を有名大学に何人進学させられたかということではかるという。
それじゃ塾でしょ!おかしいよ、アンタ
人間の価値ってそんなことじゃないでしょ。
どれだけ人に必要とされ、喜ばれる存在になれるか(それがたとえたった1人の人にでも)で、すぐに結果で表せるものじゃないんだから。
前の「ごくせん」のラストで仲間由紀恵がいいこと言ってた。
「学校ってのは遊びに来るところじゃないんだよ。勉強するところなんだよ。テストでいい点取るために勉強するんじゃないんだよ。苦しいことやイヤなことから逃げないために勉強するんだよ。人ってのは1人じゃ生きていけない。だから仲間と一緒に生きていくことを勉強するんだよ。学校ってのはそういうことを勉強するためにあるんだよ。」
あ~、文科省の役人にも聞かせてやりたい。
「ゆとり教育」にはいろいろなご意見もあると思いますが、これは私の理想ととするところです。
①なのは、多分書き足りないところが出てきそうなので第2弾、第3弾もありそう…ということで。
ご静読(ってこんな言葉ないか)ありがとうございました。